19 狂乱の聖女

「「封印されたあと……オズさんの日記を読んでからずっと……私はこの日を待っていました」」


 復活したリーゼ本体が右手を上げ、手の平を開いた。部屋中に散らばる瓦礫の山がその動きに呼応し、宙に浮いて互いに寄せ集まり始めた。それらはやがてひとつの塊となり、もはやエミリオとウィルには見慣れた……いや何度見ても見慣れることのないもの……ゴーレムへと変貌していた。床に足をつけた途端、ズシンという重い衝撃が階層に鳴り響き、ゴーレムはリーゼとエミリオたちの前に立ちふさがった。


「「苦労しましたよウィル。あなたの隣にいるその男に出会ったあとのあなたは、用心深くなった。私の言葉を信用しなくなりましたね?」」

「確かにな……」

「「だからあの男……ユリウスですか。先ほど彼があなたを責め立てた時は、一緒になってあなたを煽りました。もうそれしか手はなかったですからね」」


――いけません! 知ってはなりませんウィル!!


――もう……やめて下さい……


「あれは策略だったのか……あれは自身の過去を知られたくない一心の言葉ではなかったのか……ッ!」

「「ああ言えば話に信憑性も増すし、私に同情すれば封印を解除したくもなるでしょう?」」

「……ッ」

「「とっさのことでしたが、おかげでなんとかうまく行きました。あなたは本当に精神を追い込まれることに弱いですね」」


 ウィルとリーゼ本体が会話を続ける間も、床の上の瓦礫たちは次々に塊になり……いつの間にか階層にはおびただしい数の大小さまざまなゴーレムで溢れかえっていた。ゴーレムたちはリーゼ本体を中心にズシンズシンと動きまわり、エミリオとウィルに無言のプレッシャーを与え続けている。


「「想像したことがありますか? 自分が人間ではなかったことを知った時の戸惑いと絶望を」」


 リーゼ本体は、挙げているその右手の手の平を力を込めて握り込んだ。その途端、ゴーレムたちは何か重い物で上から押しつぶされているかのように片ヒザをつき、ふらつきながら両手をついて、その後仰向けに倒れはじめた。その後もゴーレムたちは必死に立ち上がろうともがいているが、上からの圧力が強く立ち上がることが出来ない。


「「想像したことがありますか? 自分たちを騙した相手への怒りに身を焦がしながら、何も出来ず何もない真っ赤な空間で、何十年も……何百年も……ひたすら己の憎悪を増幅させるしかない日々を……ッ!!」」

「ォォォォオオオオオ……」


 ゴーレムたちはあるはずのない口を開き、次々に断末魔を上げた。腕がちぎれ足が潰れ……身体が砕け、そして元の瓦礫へと戻っていた。


「「想像したことがありますか!? 自分の肉親が……大切な人たちが、何も出来ないまま……何も出来ない苦しみと悔しさを抱えたまま、なす術なく命を奪われる光景を! その無念を!! 悔しさを!!!」」


 崩れ落ちる瓦礫の向こう側に、復活したリーゼ本体の姿があった。“目”のペンダントだけはエミリオが持っているためか両目は閉じられ、眼窩からは血が流れ続けていた。


「「ウィル、あなたは私を復活させてくれましたが、教会の関係者だから殺します」」

「……黙って殺されるわけにはいかないッ」

「「“目”のペンダントを持つあなた」」

「……」

「「迷いましたが……やはり殺します」」

「……」

「「あなたは“目”と共に、私の復活の邪魔をしてましたから」」

「エミリオ……キミにもリーゼが憑依していたのか」

「ああ」


 ウィルは数秒だけエミリオを見た後、ソーンメイスを構えた。法術“叫喚の折檻”を発動させ、ソーンメイスにまばゆい輝きを宿す。そして自身を惑わせ続けた元凶、リーゼ本体を睨んだ。


「リーゼ」

『はい』


 エミリオは自身に憑依している、自分にとっての本当のリーゼに問いかけた。自身がリーゼに憑依されていることはすでにウィルも知っている。もはや隠す必要はない。


「改めて聞く。どうすればいい? どうすればあのバケモノを倒して、キミを救うことが出来る?」

『分かりません……でも……』


 エミリオは反射的に、自身が今右手に持つ“魔女の憤慨”を見た。あらゆる者の命を奪い死に至らしめる法術“聖女の寵愛”を撃ちだす、エミリオの切り札。


『それならあるいは……』

「ヤツを止められるかもしれないか……直撃させたらキミはどうなる?」

『今なら私は本体とは別ですから、本体に“聖女の寵愛”を直撃させても問題はないと思います』

「分かった」


 改めて“魔女の憤慨”を握る手に力を込める。リーゼ本体は目を閉じているためか、顔そのものはこちらを向いていない。ただ、それでもこちらの様子を目以外の感覚器官で捉えているようにエミリオは感じた。


 エミリオの隣に立つウィルもまた、ソーンメイスを持つ手に力を込めた後、神の物語を口ずさんだ。


「“父の激励”だったか」

「ああ。付け焼き刃にもならんかもしれんが……」


 エミリオとウィルの身体を光が包む。2人の身体が軽くなり、認知力が向上して世界が広がった。背後に散らばる瓦礫一つ一つの形すら認知出来るほどに、2人の認知力が研ぎ澄まされた。


 研ぎ澄まされた2人の感覚が告げた。『リーゼは目が見えない』。


「エミリオ聞け。リーゼは目が見えん。私がとにかくリーゼに猛攻をかける。そうやってヤツの気を引いているうちにキミが背後からそのサーベルで狙え」

「射出した“聖女の寵愛”がヤツを突き抜けてあなたも巻き込むかもしれない」

「そこはうまくやる。聖騎士の私を信じろ」


 ウィルはそう言うとエミリオに向かってニッとほほ笑み……次の瞬間、鍛え上げられた上に法術“父の激励”で極限まで強化された自身の膂力を最大限に活かし、リーゼ本体に突撃していった。


「うおおおおおおおおッ!!!」

「「まず足掻くのはあなたですか」」

「ぉおおおおおおお!!!」


 リーゼが自身の間合いに入った。ウィルは走りながら身体をひねり、そのままソーンメイスを振りかぶって上段に持ち上げると、全力でリーゼ本体に振り下ろした。


「おおおおおおッ!!!」

「「……」」


 突如鳴り響く、思い物体同士がぶつかったような重厚な金属音。にも関わらず、リーゼに向かって振り下ろされたソーンメイスの棘はリーゼ本体には届いてなかった。


「ッ!?」

「「教会が独自の法術で封印せねばならないほどの聖女の力……たかが金属の棒一本で破れると思ったのですか」」


 ソーンメイスとリーゼ本体の間には、見えない空気の壁のようなものができているようだった。先程の轟音は、その空気の壁とソーンメイスがぶつかった音のようだ。


 続けざまにウィルは再度ソーンメイスを振り上げ……


「うぉぉおおオオオオアアアッ!!!」


 何度も何度も力ずくで叩きつけた。繰り返し鳴り響く轟音。ウィルの耳がおかしくなってしまいそうな程重厚で大きな轟音の中、繰り返しぶつかるソーンメイスとリーゼ本体の空気の壁。


「おおおあああああアアアッ!!!」

「「無駄なことを……」」


 強烈な衝撃が繰り返し襲いかかるためか、ソーンメイスの屈強な柄が少しずつ折れ曲がり、棘が捻曲がり潰れてくる。それでも構わず、ウィルはソーンメイスで何度も何度も叩き続けた。


「「抵抗だけは一人前ではないですかウィル。がんばりますね」」

「あなたが!! 私の敵だからだ!!」

「「でしょうね。私を殺さなければあなたが死ぬ」」

「違う!!!」

「「?」」


 ウィルはリーゼ本体のセリフを覚えている。復活した直後……リーゼ本体はウィルに感謝を述べた後、こう口ずさんだ。


――いいように私を利用したこの村の住民……

  聖女の物語を盲信し教会に踊らされた愚かな人々……

  あなたのおかげで、残らず虐殺出来ます


 聖女リーゼが教会の身勝手な言い分に踊らされ、親しい者達と共に殺されたことは不憫だ。同情する。それは教会の罪であり、法王庁と自分が憎まれるのは構わない。時の教会は、それだけのことをしてしまったのだから。それだけの非道を、この少女に対して行ってしまったのだから。


 だが不幸だからと……己に悲惨な過去があるからと、何も知らぬ幸せな日々を送る人々の命を奪うことは許さない。罰を受けるべきは教会であり法王庁であるはずだ。聖女リーゼの物語を愛し続けた、善良で信心深い人々に罪はないはずだ。


 ウィルの中の法王庁への教順は確かに揺らいだ。だが信仰までは捨てていない。『弱い人々の力になりたい』という思いで聖騎士になった時の気持ちは今も覚えている。その時の気持ちは今も捨てていない。


 いま目の前で、閉じた両目からとめどなく血を流し続けながらほくそ笑む不幸な少女リーゼは、確かに聖女だ。だが、罪もない人々を殺すというのなら、聖騎士として倒さねばならない。


「あなたが無関係な人々を虐殺するというのなら!! 聖騎士団は容赦しないッ!!!」

「「……信仰が揺らいでいるのに?」」


 今まで以上にソーンメイスを振りかぶり、体中に力を込めた。法術“叫喚の折檻”の輝きが猛り狂うように増し、ウィルの信仰心が揺るぎないものであることをリーゼに伝える。そのままウィルは全力を込めた一撃を空気の壁に叩き込み、そのまま壁にソーンメイスを押し付けた。


「立ちふさがる凶悪な不信心者には説教をし! なお強情な者はなぎ払い圧殺し、容赦なく殲滅する……ッ!!」


 力の拮抗に耐え切れず、序々に折れ曲がっていくソーンメイスの柄。それでもウィルは渾身の力でソーンメイスをリーゼ本体の見えない壁に押し付け続けた。次第にソーンメイスが見るも無残な姿へと変貌を遂げていく。だがウィルはひるまない。柄が折れれば先端の鈍器の部分を持ち、棘がねじ曲がれば新たな棘をリーゼ本体に向け、あらん限りの力でリーゼ本体の壁に押し付け続けた。


「「……ッ!」」

「それが法王庁聖騎士団の使命! 聖騎士ウィル・フェリックの成すべき使命だッ!!!」

「「壁が……ッ」」


 リーゼ本体の眉間にシワが寄った。その直後、リーゼ本体とウィルの間に、光で出来たヒビのような線が走った。


 階層に轟く『パリン』という乾いた音。ウィルが手に感じていた強大な抵抗がなくなり、ウィルの身体はその勢いで前のめりで倒れた。その勢いに押されたのか、リーゼ本体もバランスを崩し体制を崩して片膝をついた。リーゼ本体を守る壁は、聖騎士団第一師団長ウィルの渾身の力で砕け散った。


「今だエミリオッ!!」

「「!?」」


 リーゼ本体が振り返る。本体の背後には、2人に向かって“魔女の憤慨”を向けて突撃しているエミリオがいた。


「うぁぁああああああああ!!!」


 エミリオは、リーゼ本体が安々とウィルのソーンメイスを受け止めたその瞬間に、2人から距離を離して息を潜めていた。


――あの私は、見えない壁みたいなもので全身を守ってます。

  このまま行っても“聖女の寵愛”を当てることは出来ません。


 “目”を司る本物のリーゼにそう助言されたエミリオは、ウィルがその壁を砕くことを信じ、ひたすらに待った。そしてウィルが壁を砕いたその瞬間、エミリオは前方に“魔女の憤慨”を構え、ランスチャージをイメージして突進した。


「「あなた……どこからッ!?」」

「行け! エミリオ!!」

「おぁぁあああああああ!!!」


 エミリオの膂力は、法術“父の激励”で限界まで引き上げられている。その全力でエミリオは突進しているため、突進力は凄まじい。その様は、さながら平原を一本のランスで駆け抜ける騎兵のごときスピードであった。エミリオが構えた“魔女の憤慨”の切っ先は、姿勢を崩したリーゼ本体に正確に向けられている。


「喰らえぇぇえええええ!!!」

「「バカなッ!?」」

「ええええああああああああアアア!!!」

「「避け切れ……ッ」」


 エミリオの渾身の突進と、その勢いを乗せたチャージは……


「「ますよ?」」

「……ッ!?」


 リーゼ本体に直撃することはなかった。リーゼ本体は、姿勢を崩しながらも安々とそのチャージを寸前で避け……


「「返してもらいます」」

『エミリオさんッ!?』


 突進の勢いを殺せないエミリオとのすれ違いざま、その首にぶら下げたペンダントをむしりとっていた。


「バカなッ!?」

「「ホント、あなたたちはバカです」」


 勢いが殺せないまま無理に姿勢を反転させようとし、エミリオは猛スピードのまま床を転げ、そして停止して片膝立ちをした。リーゼ本体を見る。その手には、エミリオから奪い取った“目”のペンダントがしっかりと握られていた。


『エミリオさん! イヤだ!! 今は戻りたくない!! エミリオさんッ!!』

「「気付かないはずがないでしょう。これで私は完全に蘇る」」


 リーゼ本体が、ペンダントを握りつぶした。その途端に握りしめたその拳から大量の血液が吹き出し、リーゼ本体の身体を赤黒く染め上げた。開いた両目からは、赤黒い光が漏れ出ていた。


『たす』

「リーゼッ!?」


 中途半端なリーゼの最後のセリフがエミリオの頭に鳴り響いた。たまらずリーゼの名を叫ぶエミリオ。だが……


「リーゼッ! 返事しろリーゼッ!!」

『……』


 頭の中に、あのリーゼの声が響かない。リーゼ本体を濡らしていた多量の血液はその身体を這い、耳や口、鼻や毛穴からリーゼの身体へと吸い込まれていった。


「「ははッ……アハハハハハハ!!! 目が戻った!!」」

「リーゼッ!!」

「「残念ですねぇエミリオさん! 私、戻りましたよ!!」」

「……ッ!! お前は俺の名前を知らないはずだろうがッ!!」

「「そんなわけないじゃないですか! 今まで散々一緒に行動してきたじゃないですかエミリオさん!!!」」

「お前じゃないッ! 俺のリーゼはお前じゃないッ!!!」


 リーゼ本体の高笑いが止まらない。両目の輝きが収まりはじめた。その両目の輝きの中にあったもの。それは真っ赤に充血し今も血の涙を流し続ける、虐殺者ユキ以上におぞましい赤黒い眼差しだった。


 直後、リーゼ本体から吹きすさぶ強風のような重圧を感じたエミリオ。ゴーレムの時よりも……虐殺者ユキのときよりも強烈で強大なプレッシャー。これが聖女……これがリーゼの本当の力。


「「仕方ないですねぇ……エミリオさんにも分かるように……」」

「させんッ!!」


 リーゼ本体の注意がエミリオに向かっていたその隙をつき、ウィルがリーゼ本体に背後から襲いかかった。左腕でリーゼの華奢な身体を拘束し、右手でリーゼ本体のこめかみを掴み、渾身の握力で締めあげていった。


「「……」」

「あなたは……抹殺すると……言ったはずだッ!!!」


 ソーンメイスを小枝のように振り回すウィルの握力は凄まじい。その全力で締めあげられるリーゼ本体のこめかみからは骨が軋む音が聞こえてくるほどに、ウィルは全力でリーゼ本体のこめかみを締め上げる。


「エミリオ! 私ごと串刺しにしろ!!」

「「出来るわけがないでしょう」」

「!?」


 突如、ウィルの両手両足のすべての関節に、関節とは逆方向に力がかかった。


「むぉぉぉぉぉおおぉ……」

「「やっぱり抵抗だけは一人前ですねぇ」」


 ウィルも自身の筋力で、関節とは逆方向の力に抵抗するが、その力は一秒ごとに強大になりつつある。


「早くしろ……エミリオッ……これ以上はッ……!!」

「「……」」


 エミリオが再び“魔女の憤慨”を構え、リーゼ本体とウィルに向かってチャージを行うが、すでに機を失っていた。


「「ほら」」

「ぐあッ!?」


 リーゼ本体のこめかみを締め上げるウィルの右手のすべての関節が、ベキリという音と共に逆に曲がった。そのまま右肘が逆に曲がり、左肘が曲がり、左手の平の指も逆に曲がり……リーゼ本体を拘束出来なくなった。


「ヴぁあああぉぉおお!!?」

「「だから無理だと」」

「……クソッ!」


 ウィルはその場に右膝をつき、エミリオはその様子を見て自身のチャージにブレーキをかけ立ち止まった。ウィルの様子を確認する。ウィルの両手は、軟体生物のように関節もなくダランと垂れ下がっていた。


「ウィル!」

「心配は……いらんッ……!!」

「「ウィルが心配なら差し上げますよ?」」


 リーゼ本体はそう言ってのけるとウィルの首筋を右腕で掴み、そのままウィルを持ち上げ横に振りかぶってエミリオに向かって投擲した。


「!?」

「ぐあッ!?」


 エミリオはとっさに“魔女の憤慨”の切っ先をウィルからそらすが、完全に避けきることは出来なかった。エミリオは猛スピードで飛来するウィルの身体と衝突し、2人はそのまま身体に深刻なダメージを追ってその場に転げ、床に倒れ伏した。2人の間にはソーンメイスほどの距離ができ、ウィルは仰向けに、エミリオはうつ伏せに倒れ伏した。


「ぐ……ウィル……」

「ハァ……ハァ……無事か……エミリ……オ……」

「……あんたほど重症じゃないよ……」

「「これはウィルに返します」」


 ハッとしてリーゼ本体を見る2人。リーゼ本体の頭上には、折れ曲がり棘が潰れて無残な姿になったソーンメイスが浮かんでいた。


 リーゼ本体の赤黒い目が真っ赤に輝く。仰向けに倒れて身動きの取れないウィルに向かってソーンメイスが猛スピードで飛翔し、ウィルの左足に直撃してすり潰した。


「ウィル!!」

「ヴァァァァァアア……カッ……ハッ……!?」

「「そういえば、エミリオさんにはお仕置きをする必要がありましたね」」

「お前じゃない! 俺にお仕置きをしようとしたのは俺のリーゼだッ!!」


 突然の異変だった。エミリオは次第に自分が息苦しくなってきたことを感じた。空気を吸ってはいる。だがいくら空気を吸い、そして吐いても息苦しさが改善されない。むしろ呼吸を止めている時特有の苦しみがエミリオの喉に襲いかかり、エミリオはあまりの苦しさに自身の喉をガリガリとかきむしった。


「ハッ……ハッ……い、息が……」

「ぐぅぅ……え、エミリ……」


 ウィルもまた動けない。両腕は骨を粉々に砕かれた上、左足はミンチを挽くように潰された。動きたくても動けない。痛いから動かせないのではない。身体が言うことを聞かないのだ。


 身動きがとれない2人に、悠然とリーゼ本体が近づいてきた。リーゼ本体はエミリオのそばまで来ると、エミリオのこめかみを自身の両手で挟み、そして持ち上げ……


「「エミリオさん……苦しいですか?」」

「ハッ……ハッ……」

「「お仕置きはこれからですよ?」」

「ハッ……ハッ……!?」


 エミリオの両こめかみをものすごい圧力が襲い始めた。頭蓋骨が軋む音がエミリオの耳に届くほどの猛烈な力だ。恐らくは、先程ウィルがリーゼに対して行ったこめかみの締め上げ以上の圧力。


「ハ……ハ……ッ!?」

「「息できなくて苦しいですか? 頭、痛いですか?」」

「ア……アガッ……!?」

「「とりあえず息だけでもしておきますか」」


 エミリオの呼吸が回復する。そしてそれと同時に周囲に響き渡ったのは、エミリオの悲鳴。


「お゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

「「いい声してます。……いい……こ……」」

「……!?」


 リーゼ本体の様子がおかしい。声がとぎれとぎれになり、その表情が違和感を覚えて歪み始めている。


「「バカなッ……まだ……取り……え……エミ……」」

「……?」


 エミリオの頭部を締め付けるリーゼ本体の力は緩まない。エミリオは苦痛に耐え、意識が遠のいていくことに耐えながら、リーゼ本体の目を見た。


「殺して……下さい……」

「リー……ゼ……か?」


 リーゼ本体の両目の充血が引き、赤黒かった瞳孔が美しいグリーンの瞳へと変貌を遂げた。その美しい瞳は両眼から止めどなく澄んだ涙を流し始め、真っ直ぐな眼差しをエミリオに向けた。


 エミリオには直感で分かった。自分の頭を締め上げる両手の力は緩まないが、この美しい瞳でこちらをまっすぐに見つめているのは、自分のリーゼだ。


「殺……して……下さい……」

「……ッ」

「イヤだよ……もう大事な人には……苦しんでほしくないよぉ……」

「リー……」

「お父さんもお母さんたちも苦しんで……エミリオさんまで苦しめて……」

「……ゼェエッ……!!」

「だからお願いします……今のうちに、“魔女の憤慨”で」


 リーゼがエミリオに懇願したこと。それは自身の殺害だった。


「バカなッ……俺は……ッ!!」


 あまりの頭部の激痛にさいなまれ、身体の自由が効かない。だがエミリオはかろうじて動かせる右手でリーゼの頬に触れ、涙を拭いてあげた。リーゼが目に涙を一杯に貯めてエミリオの目を見つめる。


「俺は……キミを……ッ」

「……」

「たす……ッ!!」

「「愚かですが、いい心がけです」」


 エミリオを見つめていたリーゼの瞳が再び充血し、赤黒くなった。エミリオのリーゼは再びこの忌々しい女に囚われたようだ。


「「チャンスだったんですけどね」」

「ガッ……アガッ……!?」

「「愚かでしたねエミリオさん。本当に」」


 リーゼ本体の意識が完全に戻ったようだ。エミリオの頭部を締め上げる力が増した。


「アガッ……ガッ……カッ……!?」

「エミリオ……ッ!!」


 ブシュッという音と共に、エミリオは自身の鼻から血が吹き出たことを感じた。頭部の圧迫に耐えられなくなったエミリオの身体は、鼻腔から出血して圧力を逃がそうとしているらしい。だがそれすら焼け石に水。エミリオはリーゼの頬から右手を離し、そして左手とともに自身の頭を締め上げるリーゼ本体の両手を引き剥がそうと渾身の力を込めた。


「カハッ……ガ……ガ……!?」

「「おいたをした“目”にも折檻が必要ですね」」


 エミリオは必死に抵抗するが、リーゼ本体の力は信じられない強大な力でエミリオの頭を締めあげており、微動だにしない。そのリーゼの両手が、エミリオの頭部を自身の顔の直ぐ目の前まで持ってきた。あと少し距離が近ければ、互いの唇が触れていたであろうほどに近い距離だ。


 リーゼ本体の目が再びグリーンの……エミリオにとってのリーゼの目になった。しかし様子がおかしい。リーゼ本体は必死に目を閉じようとしているように見える。


「リーゼェエエッ……ガアッ……!?」

「「目を背けずキチンと見なさいッ! 私達が何をされたのかッ!!!」」


 意識が遠のきつつあるエミリオから見ても、リーゼの様子はおかしかった。リーゼはまるで必死に目を閉じようとしつつ、それに抵抗するように目を見開いていた。目の奥は澄んでいる。これは自分のリーゼの目だとエミリオは認識した。


「リーゼッ……リーゼェエ……アガァアアアッ!?」

「「私たちは! こんなことをされたのですよ!! お父さんとお母さんたちは……こんなふうに苦しみ抜いて死んでいったのですよ!!!」」


 自身のリーゼに触れられるほどの距離で見つめられるエミリオの両目から、血が流れ始めた。ついに頭部にかかる圧力が目からの出血をも促したようだ。リーゼの目は必死にエミリオから視線を外そうとするが、それすらリーゼ本体は許さず、リーゼの目の動きを力ずくで制御しているように、視線がズレては再びエミリオに焦点を当てることを繰り返していた。目からは澄んだ涙がとどまることなく流れ続けていた。


「「思い出しなさい!!! あなたのエミリオさんが潰される様を見て!! 私たちが教会にされたことを!! 私たちの無念を!!!」」


 エミリオの鼻と口から吹き出た血がリーゼ本体の顔にかかり、左目に入った。それでもリーゼ本体は目を閉じなかった。エミリオがもがき苦しむその姿をリーゼに見せつけあざ笑うように目を大きく見開いて、ピクピクと動きながらもエミリオから視線を外さず、ジッと見つめ続けていた。エミリオには、その瞳の向こうに悲痛な表情で泣きながらこちらを見つめる自分のリーゼの姿が見えた。


 ウィルは満身創痍の自分の身体に鞭打って、なんとか立ち上がりエミリオを助けようとした。だが身体が言うことを聞かない。


「エミリオ……今、い……ぐぁぁああアアアッ!!!」


 そして、それでも無理に体を動かそうと身体に力を入れると、その度にナイフで傷口をえぐられるかのような激痛が全身を襲う。動けない。身体を動かせない。


「すまない……エミリオッ……」


 武器もない。武器にする身体も動かせない。何も出来ない。聖騎士の本分を全う出来ない。ウィルは今、無力だった。生まれたばかりで泣き叫ぶことしか出来ない赤子のように、この場においてウィルは無力だった。寝返りを打ち、悲鳴を上げながら今まさに頭部を潰されようとしているエミリオを見守ることしか出来なかった。


「……!?」


 突如、周囲の空気がさらに硬質になり、温度が若干下がったことをウィルは感じた。


 この気配は身に覚えがある。敵意のない殺気。リーゼの言葉を借りれば、遊戯を楽しむ子供のようなこの無邪気な殺気は、覚えがある。


「あなたたち……」

「貴様ッ……」


 ウィルの視界に、新雪のように純白できめ細かく、それでいて新鮮な血液で汚れた足首が入ってきた。極東の様式で作られたサーベルを両手に一振りずつ携え、極東の民族衣装に身を包む一人の女性。彼女が自身の敵へと向けるものは、まっすぐな信頼と純粋な愛情。そして彼女の信頼と愛情が行き着く先は容赦ない惨殺。


「……なに……してるの?」

「「……?」」

「んふ……楽しそう」


 二本のサーベルには、今しがた誰かを惨殺してきたのだろうか……まだ乾ききってない血がべっとりとついていた。その返り血を浴びた美しい顔でスンスンと鼻を鳴らし、周囲の匂いを嗅ぎとりながらその女性は、フラフラとエミリオとリーゼ本体に近づいていった。


「あたしも一緒に楽しみたい……」

「「あなた……誰でしたっけ」」

「んふふー……あなた、楽しそう……」


 女性に気付いたリーゼ本体は、エミリオへの締め付けを中断し、その手をエミリオから離した。エミリオの身体はぐしゃりと崩れ落ち、そのまま床に倒れ伏した。


「んふ……んふふ……まぜてよ……あたしもまぜてよ……一緒にイかせてよ」


 三人の前に姿を見せた虐殺者ユキは、頬に朱を差し、恍惚な表情でリーゼ本体を見つめながら、鼻をスンスンと鳴らしフラフラとリーゼ本体に近づいていた。



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