18 約束は守らない

 虐殺者ユキの来訪により鐘塔正門の見張りがいなくなったことを確認したウィルは、その隙に鐘塔の内部に侵入し、上層階に向かって階段をひたすら駆け上がった。


「ハァ……ハァ……右腕の持ち主は!?」

『まだ上です』


 鐘塔の一つの階の面積はかなり広いが、上層へ続く階段はすべて一箇所にまとめられている。そして塔だからなのか、上層に上がれば上がるほど階の面積は狭くなっていった。6階に到着した頃には、一目で階層の全域を見渡せるほどの狭さになっている。


『ウィル』

「なんですか!?」

『10階ぐらいのところでしょうか……“右腕”の動きが止まりました』

「今は7階か……なら後少し!!」


 上を見上げたウィルは決意を新たにし、再び階段を駆け上がっていった。この塔の一つ一つの階層はかなり高さがある。上層階に上がるにはかなりの階段を駆け上がらねばならない。ウィルは鍛え上げられた自身の膂力を最大限に活かし、恐るべきスピードで階段を駆け上がっていった。


 正門の見張りがいなくなった時……鐘塔周辺がにわかに慌ただしくなり、残党の一人の『虐殺者が来た!!』という悲鳴に近い報告が上がった瞬間、ウィルの頭には“宵闇の礼拝堂”での部下たちの仇を取るという行動に衝動的に走りそうになった。だがその瞬間。


『なりません!』

「……!?」


 ウィルは自身の身体が背後から誰かに抱きとめられる感触を感じた。自分の腹部を見る。そこには、薄っすらと見える女性の小さな右腕が、ウィルの腹部を抱きとめているのが見えた。


『なりませんウィル』

「なぜだ!? ヤツは部下を惨殺した! 仇を取らねば部下に合わせる顔がない!!」

『あなたには、他になすべきことがあるはずです!!』

「……あなたの復活ですか?」

『やるべきことを前にして、私情を挟んではなりませんッ!』

「……」


 自身の腹部に人のぬくもりを感じたウィルの心が葛藤する。もう一度、自分の腹部を必死に抱きしめる右腕を眺め、そして触れた。


「これが……あなたですか……」

『そうです。私です』

「あなたはこんなにも……小さかったのですか」


 ウィルは、聖女リーゼは大人の女性だと思っていた。各地に点在するリーゼの石像……それらは成長しきった女性の姿をしていた。お伽話に聞くことが出来る聖女リーゼの優しさや慈愛にあふれた姿から、ウィルはずっと彼女を大人の女性だと思っていた。


 だが今、ウィルの身体を必死に抱きしめ、ウィルを制止しようとするこの手は……少女の手だ。時に大人のように背伸びをし、大人の世界に順応しながらも幼さ故の過ちを起こし、後悔し……そして人生の素晴らしさを謳歌するはずの、小さくて幼い少女の手だ。


 こんな小さな手をした少女がリーゼだったのか。こんなにも年端のいかない少女が人々を献身的に助け、縁のない村を化物から救うために自身の命を散らせたというのか……


『……私にも、あなたの気持ちはわかります。ほんの少しですが、あなたの仲間と共に過ごしました。あなたの大切な仲間と時間を共有しました。出来るなら、私もあなたに仇を取らせてあげたい。私も、あなたの敵討ちの手助けをしたい』

「……」

『でもどうか……どうかあなた自身の使命を忘れないでください。聖女としてではなく、同じ時間を過ごした友としてお願いいたします。どうか……どうかこらえてください』


 そして、こんな年端もいかない少女が、使命の重要性を説いていた。頭に血が上った自分を必死に抱きとめ、必死に制止していた。そのことがウィルの頭を冷静にし、リーゼに対する意識を少し改善させた。


「……エミリオがこの状況に遭遇するかもしれません」

『大丈夫です。彼らなら、この状況を回避するでしょう』

「そんなことは分からない。エミリオがこの状況を回避できるかなんて……」

『私はあなたを信じています。ですから、あなたが今唯一信用しているその方を、私も信じます』

「……」

『ですからどうか……ウィル、どうかお願いします』


 ウィルの耳に届くリーゼの懇願。改めてリーゼの声を聞くと、その物言いは大人びてはいるものの、声色は少女のそれであったことに気付いた。


「……わかりました。あなたの言うとおり、私も彼を信用するべきなのかもしれない」

『ありがとうございます。ウィル』

「あなたの復活に関しては正直まだ疑問は残ります」

『……』

「ですがどちらにせよ、“右腕”は取り返さなければならない。そして“右腕”は今、鐘塔を上っている。そうですね?」

『その通りです』

「ならば鐘塔に侵入します。そして“右腕”を奪取した後、あなたのことに関してはじっくり考えます」

『わかりました。ウィル、ありがとう』

「礼を言うのはまだ早い」


 ウィルは自分の腹部に回されたリーゼの右腕を取り、その手を掴んだ。ウィルは他の男性に比べ身長が高く、その分体格もいい。そのウィルの手に比べ、リーゼの手は華奢で、とても小さい少女の手だった。この手がさっきは必死に自分を引き止めたのか……。


「先程は私を冷静にさせてくれてありがとう」

『いえ。仲間ですから。あなたもありがとう』


 それが数分前。その後、エミリオより先に鐘塔に突入したウィルは、そのまま上層に向かっているであろう“右腕”の持ち主を目指し、全速力で階段を駆け上がっている。


 9階に到着した。ウィルはここで一度歩みを止めた。


「ハァ……ハァ……」

『ウィル……次の階です』

「ハァ……わかっています……ハァ……」


 息を整え、ソーンメイスを手に取った。法術“叫喚の折檻”を発動させ、ソーンメイスが明るく輝き始める。肩で息をしていたのが次第に収まってきた。一切の準備が整い、ウィルは万全の態勢で最上階に上がる準備が整った。


「では……行きましょう」

『ええ』


 法術の力が込められたソーンメイスを構え、一歩一歩を踏みしめながら階段を上るウィル。やがて最上階に到達したウィルを待ち受けていた光景は、床と天井一面に描かれた預言者ユリアンニの物語の一端とその壁画。床に直接立てられた無数のろうそく。そして……


「来たか聖騎士」

「ユリウス……ッ!」


 部屋の中央にある上層へと続くハシゴの前で悠然と立つユリウスだった。


「信仰は捨てたか?」


 ユリウスのふざけた質問には答えず、手に持つソーンメイスをユリウスに向けるウィル。この男はリーゼの右腕を持っている。取り返さねばならない。これ以上、この不信心者に聖女リーゼを汚させる訳にはいかない。ソーンメイスの輝きが増し、その威力が跳ね上がったことをユリウスに伝えた。


「……見たところ貴様はリーゼの“舌”と“心臓”を持っているな?」

「……」

「貴様は何のために各部位を集めた? 理由は?」

「……」

「まぁ聖騎士団なら……表向きは聖女の復活のために動くだろうな。その後は知らんが」


 ユリウスの言葉には多少の疑問は残るが……概ねその通りだとウィルも思っていた。だが今は違う。すべてを見極め自分が否と判断した場合は、ウィルは容赦なくリーゼの部位を再度封印するつもりでいる。


「……だが自分自身はまだリーゼの封印をどうするか決めかねている。といったところか」

「すべてを見極めた後、私自身の判断でリーゼの扱いを決める」

「ほぉ……信仰を捨てたわけではなさそうだが……随分と意思が固く、それでいて融通も効くようになった」

「おかげさまでな」

「……なるほど」


 ウィルは臨戦態勢に入ったが、一方でユリウスは実にリラックスした姿勢でウィルと会話を繰り広げている。ウィルは周囲を確認する。魔術に利用できそうなものは何もない。戦う姿勢すら取らないユリウスに対し、なぜそこまで平静でいられるのかを疑問に感じながらも、ウィルは警戒を解かない。


「私が“南部修道院”に放置してきた書物は読んだか?」


 ウィルの頭が困惑に包まれた。“南部修道院”で戦闘を行った時、確かにこの男は傍らに一冊の大きな書物を持っていた。だが、それが今何の関係がある? なぜ今、そのような質問をする?


「その様子だと読んではいないな」

「……その話が何か関係があるのか。いま必要な話なのか」

「ということは中身も知らんだろう」


 読んですらないものを知るわけがないだろう……とウィルの心が反発する。こちらの質問には答えず一方的に会話を続けるユリウスに対し、次第に苛立ちが募ってくるウィルであったが……


「では教えてやろう。かつての教会……現法王庁の欺瞞と身勝手さに翻弄された研究者と、その助手と聖職者……そして一人の少女に襲いかかった悲劇の話だ」

「なんだと?」

『聞いてはなりません。無視しなさいウィル』


 リーゼの警告がウィルの頭に響き、その言葉にウィルの身体が反応してしまった。その様をユリウスが見逃すはずがない。


「貴様、誰かが憑依しているな?」

「……ああ」

『ダメです。私の事を話してはなりません』

「どうも“南部修道院”での時から貴様の様子が妙だと思っていた……誰だ。その、貴様に憑依している者は」

「……聖女リーゼ。今回の事件の鎮圧と自分の復活を、私たち法王庁に直々に懇願された」

『ウィル!!』


 ここまで来て、自身に聖女リーゼが憑依していることを隠す理由はない。そう判断したウィルはユリウスに対しそう告げた。リーゼからの非難の怒号が聞こえたが気にしない。それが正しいことだと判断したことに対して、今のウィルは揺るぎない。


「なるほど……私も彼女と話をしてみたかった」

「……それと貴様に、何の関係が!?」

「私の話を聞いた後、その真偽を直接本人に聞いてみると良い」

『いけません! 知ってはなりませんウィル!!』

「……話せ。その話とやらを聞かせろ」

『ウィル!!』


 その後、ユリウスはオズの書物の内容を簡単に、しかし詳細は分かりやすくウィルに聞かせた。一人の研究者が魔術を発明したこと。その魔術の力を教会が欲したこと。そして教会内の行き過ぎた魔術信仰は、自身の身体的欠陥に悩む研究者の弱みに漬け込み、禁忌の方法で一人の少女を生み出したこと。


「……」

『もう……やめて下さい……』


 やがてその少女は強大な魔術の力を自在に使いこなし、聖女として不幸な人々を助けて回ったこと。教会が魔術を『法術』と称して研究者の努力を踏みにじったこと。そしてその少女は次第に教会にとって都合の悪い存在となり、教会によって抹殺され封印されたこと……ユリウスは、すべてをウィルに語って聞かせた。


「バカな……」

「当然だが、“古き赤黒い獣”なぞ存在しなかった。すべては教会の欺瞞であり、死してなお彼女を利用し尽くすという唾棄すべき思惑の結果が、今日の聖女リーゼのお伽話だ」

『……』

「このことを今の法王庁が把握しているかどうかは知らんし興味は無い」

「……」

「だが貴様がその自慢のソーンメイスで守っていたものは神への信仰ではない。汚泥に塗れた教会の権威そのものなのだよ」

「……ッ!」

「そしてそのために貴様が使っていたその法術も、一人の偉大な研究者が血の滲む思いで編み出したものを、教会が奪取したものだ」

「バカなッ……」

「人々の苦しみの元に成り立ち聖女の血に塗れた、汚く醜い幻……それが貴様が守っていた神であり教会であり、法王庁だ」

「ウソだッ……そのようなウソで私を惑わせるのはやめろッ!」

「そう思うなら、貴様に憑依した聖女様に問いただすといい」


 ウィルの心を、かつてない衝撃が襲う。自分が所属していた法王庁……聖女リーゼの物語……それらがすべて根底から覆された。ウソであって欲しい。これは、自分の脆弱な精神を揺さぶるためのユリウスの方便であって欲しい……そんな一抹の希望を込め、ウィルはリーゼに問いただした。


「リーゼ。いまの話は……」

『……』

「真実なのですか……?」

『真実……です』


 今までウィルを支えてきた信仰心という城塞に、強烈な衝撃が何度も襲いかかる。自分が命をかけて守っていたものは神ではなかった。聖騎士団は……法王庁は神の教えを守護し、人々を守る清廉な組織ではなかった。自分は一体今までなにをしていたのだろうか……疑問がぐるぐると頭の中を回り始める。聖女リーゼは人々を守るために命を捧げたのではない……教会の薄汚い思惑のために命を落とし、その死すら利用された……


「バカな……私は……」

『だから……だから聞いてはならないと言ったのです……』


 “法術”とは、神の奇跡を人々が模倣するための尊い技術ではなかった。法王庁がかつて魔術を盗み、それを“神の奇跡”として流布して回ったものだった……幼い頃から信じて疑わなかったものが今、事実という砲弾によっていくつも致命傷を与えられていた。


 ウィルは今、何を信じていいのか分からない状況に陥っていた。神への信仰は捨ててはいない。だが、自身が所属する法王庁と聖騎士団への恭順は揺らぎつつある。法王庁のすべてが信用出来ない……一人の少女を都合が悪いからと殺害し、その死すら利用して今日まで人々を騙し続け、少女たちの存在を陵辱しつづける忌まわしき組織……膝から崩れ落ちたウィルは、がっくりとうなだれた。


「……」

「神への信仰は捨て切れん。だが組織への恭順は無くなった。概ねそういったところか?」

「……」

「……まあいい。事実を知った今の貴様だからこそ、出来ることがある」

「……何をだ。お前は私に何をさせたい?」

「させたいのではない。貴様が選ぶのだ」

「……」


 ウィルの耳元で、チャリンという音が鳴った。ウィルは顔を上げ、その音の発生源に顔を向ける。真っ赤な宝石が埋め込まれたペンダントをぶら下げたユリウスがそこにいた。ユリウスはペンダントをウィルの目の前にぶら下げ、真剣な面持ちでウィルをジッと見据えていた。


「貴様は腐りきった法王庁の尖兵として、聖女とその周囲の者の存在を今日まで陵辱しつづてきた。その罪は許しがたい」

「……」

「だが事実に目覚めた今なら出来ることがある。貴様には今、教会に陵辱され続ける哀れな聖女を救う手だてがある」

「……」

「貴様は今、“舌”と“心臓”のペンダントを所持しているな?」

「……ああ」

「そしてこの“右腕”のペンダントは貴様にくれてやる。これをどう扱うかは貴様の自由だ。好きに使え」


 ユリウスが自分に何をさせようとしているのかが、ウィルには分かった。教会がほどこした封印から聖女を助け出せ……そうすれば、今までリーゼたちの存在を犯し続けてきたその罪を償える……ユリウスの眼差しはそう言っている。


 ウィルの目に光が灯った。ユリウスの手からペンダントを右手で奪い去り、ソーンメイスを左手で握ったウィルは、悠然と立ち上がった。


『ウィル……』

「ユリウス。血は……リーゼの血はどこだ?」

「そのハシゴを上った屋根裏部屋に銀の水槽がある。それがこの街の最後の封印だろう」

「分かった」


 ソーンメイスを背中に担ぎ、ユリウスから受け取った“右腕”のペンダントを首にかけ、ウィルはハシゴに手をかけた。上を見上げる。今日だけで二度感じた、暗く湿った淀んだ空気が、屋根裏部屋から流れてきているのを感じ、ウィルに血の封印の存在を伝えていた。


「ユリウス!」

「行くがいい。そして成すべきことをなせ」


 ウィルは頷かない。だがシッカリと上を見据え、力強くハシゴを登っていった。この最上階の天井は高く、大人の身長の6倍ぐらいはあるように感じられる。その長いハシゴを一弾一弾、足を踏み外さないよう慎重にウィルは登っていった。


「リーゼ」

『はい』

「あなたを救い出す。それが私の贖罪だ。私たち法王庁の……教会の罪を贖う」

『ありがとう……ウィル……』


 一方、エミリオは鐘塔に侵入し5階から今まさに6階に足を踏み入れようとしていたところだった。基礎体力が高く膂力に優れたウィルに比べ、エミリオは自警団員として最低限度の体力しかない。ウィルに比べ、踏破するスピードはどうしても劣る。


「今何階!?」

『次が6階です!』

「他の奴らは!?」

『“舌”と“心臓”、“右腕”が最上階からさらに上に上ってるみたいです!』

「“目”以外は全部揃ったのか……!」

『ほら急いで下さい男の子!』

「わかってるけど!! 男の子は関係ないッ!!」


 リーゼに煽られ、自分の身体に鞭打って階段を駆け上がる。6階を踏破し、7階に足を踏み入れた時、そこに佇むユリウスと遭遇した。


「あなたは……」

「遅かったな。だが来るとは思っていた」


 ユリウスは8階に続く階段からちょうど降りてきたところだった。初めて出会った時と同じく、殺気もなければ戦闘する気もなさそうな、実に穏やかな顔をしている。ウィルと対峙している時とは別人のような……まるで旧来の友人に出会った時のように、穏やかな顔をしていた。


「ユリウス、あなたに聞きたい」

「……答えようか」

「あなたはリーゼの右腕が封印されたペンダントを持っていたはずだ」

「ああ。確かに」

「それはどうした?」

「少し前に訪れたあの聖騎士に渡した。聖騎士は……恐らくだが、聖女リーゼの封印を解き、彼女を復活させるつもりだろうな。私もそう炊きつけた」


 穏やかな顔のままユリウスはそう答えた。そばにある柱の出っ張りに腰を下ろし、リラックスして話すそのユリウスの態度には少しの後悔もない。その目はエミリオに『当然だろう?』と語りかけていた。


『え……そんな……エミリオさん急いで!』


 エミリオに憑依したリーゼはそうエミリオを急き立てたが、エミリオは動かない。エミリオ自身不思議に思ったが、ユリウスの『当然だろう?』という無言の問いかけに対し、『確かに』と無言で肯定していた。


「聖騎士には……ウィルには、すべてを話したのか?」

「あの書物のことか? 話した。すべてを嘘偽りなく」

『エミリオさん! 悠長に話なんかしてる暇ないです!』

「そんな質問が出てくるということは、キミはあの書物を読んだんだな」

「……読んだ」

『エミリオさん!』


 リーゼは必死にエミリオを急き立てていたが、エミリオは動かない。急ぐ気になれなかった。それは、リーゼの母オズの手記を読んだその時からエミリオの心に芽生え少しずつ膨れ上がっていた、リーゼに対するある気持ちのせいだった。


「そうか……キミも真相を知ったか」

「ああ」


 ユリウスは顔を上げ、天井を遠い目で見上げた。自身の人生を振り返りその走馬灯を見ているような、そんな郷愁のような気持ちをエミリオに伝えていた。


「聞いてくれるかエミリオ。キミは、神を信仰しているか」

「熱心にじゃないけど……聖女リーゼの物語は信じていた。今も大好きなお伽話だ」

「そうか……」

「小さいころは、聖女リーゼと会ってみたい……話をしてみたいとずっと思っていた」

「……あの聖騎士はリーゼと話が出来るらしいぞ。キミはどうだ?」

「小さいころの自分に聞かせてやりたい。リーゼは明るく朗らかで……だけど俗っぽい、普通の女の子だと」

「そうか。……羨ましい限りだ」


 一瞬だけうつむき、クックッと鼻を鳴らして笑うユリウス。それにつられ、エミリオも少しだけ笑みがこぼれた。リーゼは先程からエミリオを急き立てるが、エミリオはまったく動く気配がない。


『エミリオさん! 早く!!』

「なぁエミリオ・ジャスター。聞いてくれたまえよ」

「……」


 ユリウスは再度、天井を見上げる。気恥ずかしさが浮かんだようで、その顔は少しだけはにかんでいた。


「エミリオ・ジャスター。私はな。あの書物を読んだ時……彼女を……リーゼを救いたいと思った」

『え……』

「今回の都市占拠……効果の程はどれだけあるかは分からないが……正直、我々の要求が通るなどと思ってない。都市と引き換えに法王の辞任と議会の解散が出来るだなんて思ってなかったが……現状に楔を打てれば、それでいいと思ったのだが……」

「……」

「私は信仰心を持たない。故に聖女リーゼの物語には懐疑的な立場だった。だから最初にリーゼ大聖堂を占拠し、封印を破った。聖女リーゼなぞ存在しない。すべては法王庁の作り話だ。それを証明するため、私は封印を破ったんだ」


 ユリウスが破った“右腕”の封印の小部屋で見つけたもの。それは、ペンダントと件の書物を大事そうに抱えていた一人の亡骸だった。元々探究心の強いユリウスはそのペンダントと書物を手に入れ、近くの建物内でその書物を読破した。


「私はな。神なぞ無能の塊だと思っている。法王庁なぞ民衆を欺く最低の組織だという気持ちは今も変わらない。そしてこれからもきっと変わらないだろう」

「……」

「だが、あの書物……魔術研究者ハインツとその助手オズ……聖職者ソフィ……そして少女リーゼ……彼らの人生を知った時……そしてリーゼが未だ封印されているという事実を知った時……心の底から思ったよ」

「……」

「彼らを救いたい……聖女リーゼを救い出したい」

「……そうか」

「あの時から、私の行動目的はリーゼの救出になった。一介の組織の長としては情けない話かもしれないが……」

「……いや、私財をすべて投げ打って福祉施設を建てたあなただ。その気持ちに嘘偽り無いのはわかるし、その気持ちは正しいものだよ」

「そうか。……私も、彼女と話をしてみたかった」


 そう言いながら上を見上げたユリウスの顔には、ほんの少し寂しさが写っていた。


「……だからこそ、こんなことはやめて欲しかった」

「?」

「この都市の占拠だよ」

「……そうか。キミは自警団だったな」

「あなたがこの都市を占拠したせいで、自警団が全滅した。俺の仲間や先輩たちが……」

「言い訳はせんよ。今回の事件の責任はすべて私だ」

「……」

「分かってくれとはいわん。恨むというのなら、恨んでくれて構わない」


 この事件、元々エミリオはこの街を占拠したユリウスたち『人の使徒』から街を取り返し、自警団の仇を取ることを目的として動いていた。そのことは今も変わらない。目的の相似からリーゼと力を合わせてはいたが、エミリオの目的はあくまでこの街の奪還だった。リーゼの封印を守るというのも、その延長線上に街の奪還があるからだと判断したからだ。


 本当なら、この事件の首謀者を前にした時……エミリオはその首謀者を殺すつもりでいた。だから初対面の時、頭に血が上ってユリウスを斬り殺そうと頭に血が上ったのだ。奇しくもそれはリーゼに諌められたのだが、あの時、目の前のこの男に対して胸に浮かんだ『仲間の仇』という気持ちは、今も変わらない。


 だが、今は不思議と穏やかな気持ちでいられた。この男が、たとえ今回の事件の元凶であったとしても、自分と同じ目的の元に動いていた男だと知った今……確かに仲間の仇であり、憎むべき相手であることは確かなのだが……ある種のシンパシーのようなものを感じてしまっていた。ゆえに、初対面の時のような気持ちは、今のエミリオには湧き上がらなかった。


 突如、鐘塔の上の階層から轟音が響き、鐘塔全体を大きく揺さぶった。


「……ッ!?」

『ひゃっ!?』

「始まったか……」


 エミリオとユリウスは再度天井を見上げた。おそらくこの上層階には、4つのペンダントのうち3つを所持したウィルがいる。そして恐らくは、今まさに聖女リーゼが復活せんとしているはずだ。今の轟音と振動が、それを物語っている。


 柱に腰掛けていたユリウスは立ち上がり、階下へと続く階段を見た。その後埃がパラパラと落ちてくる天井を見上げると、エミリオの顔を真剣な面持ちで見た。


「与太話は終わりだ。行けエミリオ・ジャスター。キミが何を成そうとしているのかは知らないが、上にはあの聖騎士とリーゼがいるだろう。キミの目的はそのはずだ」

「……あなたは?」

「キミたちがここにいるということは、外を警護していた私の同志たちは無事ではないということだ。ならば私は組織の立て直しをせねばならん。ここに居続けては私の身も危ない。あとはキミたちにすべてを託して私は去る」


 ユリウスはこの街を去るという。これで、エミリオの『街を取り戻す』という目的は達成した。たった一人の絶望的な状況下ではじまったが……エミリオはなんとか街を取り戻すことが出来た。


 だが、エミリオにはまだもう一つ、やるべきことが残っている。そしてそれは、リーゼとの約束ではない。


「私の選んだキミたちが選ぶ選択を、私も無条件で受け入れよう。それから……」

「?」

「明るく朗らかで俗っぽい普通の女の子……キミのリーゼによろしく。私は何も出来なかったが……まぁ満足だ。最後にキミやあの聖騎士のような、優しい男に出会えてな」

「……あなたは、ウィルを嫌っていると思っていた」

「嫌いだよ。だがあの男の優しさは評価している。嫌いだから辛辣に接するがね」


 そう言いながらエミリオにニヤリと笑いかけるユリウスの顔は、その年齢に不相応な、イタズラ盛りの少年のような印象をエミリオに与え、階下へと去っていった。


 ユリウスと別れ、エミリオは再度階段を駆け上がる。目的の最上階まではあと少し。


『エミリオさん』

「ん?」

『一つだけ。一つだけ文句を言わせてください』


 あと少しで最上階に足を踏み入れるという時、リーゼがエミリオにそう声をかけた。表情豊かなリーゼだったが、イライラが篭った彼女の声というのを、エミリオは初めて聞いた。一度足を止め、階段の途中でリーゼとの会話に集中することにする。


「なに?」

『さっきの話です』

「ぁあ、ユリウス?」

『はい。私、エミリオさんに散々急いでくれって言いましたよね』


 確かにそう言っていた。ユリウスとの会話に夢中でリーゼの声に気が付かなかった……わけではない。エミリオは、リーゼの声をワザと無視していた。


「言ってたね。聞こえてたよ」

『ひどっ……だったらなんで急いでくれなかったんですか!?』


 顔こそ知らないが、リーゼがほっぺたを膨らませてぷんぷんと怒っている光景が目に浮かぶ……そう思ったエミリオは苦笑いを浮かべながら、歩をすすめることにした。最上階が目前のためか、先程から聞こえる轟音が大きくなり、揺れも次第にひどくなってきた。


「急ぎたくなかった」

『なんでですかッ! 私は自分の封印を守るのが目的だったのにッ!!』

「……」

『確かにエミリオさんの目的の“村を守って取り戻す”ってのは、さっきの人がこの村から離れるってことだから達成したようなものですけど……だったら私の目的はどうなるんですか!? 自分の目的さえ達すれば、“あんな貧乳女との約束なんかどうでもいいぜヒャッハァー! ”て感じなんですかエミリオさんはッ!?』

「だから言ってるだろう胸の話は余計だって」

『だってそうじゃないですかッ! 私と約束したのにッ!!』


 一歩一歩、ゆっくりと階段を上がる。その間ずっと聞こえるリーゼからの非難や罵倒をすべて受け流し、最上階にたどり着いたエミリオは、その様子を静かに観察した。


「約束を破ったのは謝る」

『もう遅いですよッ! うう……一体私は何のために……』


 最上階は、大量の瓦礫が床に敷き詰められていた。どうやら天井が落ちてしまい、天井裏のものが全て上から落下してきたようだ。


「……さっきのユリウスが言ったこと、覚えてる?」

『話をはぐらかさないでくださいよッ!』

「はぐらかしてなんかない。大切なことだ。覚えてる?」

『そら覚えてますよ! あの騎士の方を炊きつけたとか……』

「それじゃなくて」


 最上階をよく見渡す。微弱な揺れが常に発生しつつある状況で、天井からは……いや大穴が空いて鐘塔の巨大な鐘と星空が見えているが……まだいくつかの瓦礫が落ちてきている状況だった。


「ユリウス言ってたろ? キミを救いたいって」

『それとこれとどんな関係がッ! あるんですかッ!!』

「俺もね。オズさんの日記を読んでから……キミを支えた時から思ってたみたいだ」

『何をですかッ! しょうもないことだったら許しませんよッ!?』

「キミを助け出したいと思った」

『はい決定! エミリオさんあとでお仕お……はい?』

「キミの封印を守るんじゃなくて、キミを封印から……このふざけた運命からキミを救い出したいと思った」

『……』

「だから謝る。キミとの約束は守れない」

『……エミリオさん、ズルいですよそれは……』


 階層の中央には銀の水槽が転がっている。水槽からはたくさんの真っ赤な血液が止めどなく流れ出ているようだ。その傍らには2人の人間がいる。一人はウィル。もう一人に首を掴まれて持ち上げられており、ソーンメイスを持つ手に力が入っていない。


 ウィルのそばにいる背の低い人間……頭から大量の血液を被ったかのように全身が真っ赤に染まったその人物は、血だらけの右手でウィルの首を掴み、そのまま持ち上げていた。


 全身が真っ赤な人物をよく観察する。水槽から流れでた血液が足元に集まり、それらが身体を這い上がって身体中の穴から体内に入り込んでいるようだ。胸の部分に緩やかな膨らみがあるから、性別は女性に見える。その女性が掴んでいたウィルを振りかぶり、エミリオに向かって投げつけてきた。ウィルの身体はやすやすと宙を舞い、エミリオと女性のちょうど中間点ぐらいのところで落下し、床の上を転げた。


 エミリオは“魔女の憤慨”を手にとった。切っ先が青白く光り輝き、切り札“聖女の寵愛”の射出準備が完了していることをエミリオに告げている。準備は整った。“魔女の憤慨”を構えたまま、走って先ほど投げ出されたウィルの元に向かう。


「ウィル!」

「ゲフッ……ゲホッ……」

「あれが?」

「ああ……グホッ……ゲフッ……リーゼだ……」


 先程まで相当な力で喉を潰されていたようで、ウィルは咳き込みながら大きく息を吸い込んでいた。嗚咽に近い状態の咳をしながら、目の前の血塗れの女性をエミリオと共に睨む。


「ゲフッ……エミリオ……ゴフッ」

「ん?」

「私を責めないのか……ゲフッ……」

「なぜ?」

「キミを無視して、ゴフッ……リーゼを復活させた……」

「……俺も同じ事を考えてた。彼女は助けなきゃいけないと思った」

「そうか……ゲフッ……キミも全部を知った……ゴフッ……のか」

「ああ。だからあなたを責めない。だけど……」


 徐々に女性の全身にまとわりついていた血が引いていく。大量の血の下に隠れていた純白の肌が顕になった。頭には美しい銀色のショートカット。背は低く、年端もいかない少女のように見える全裸の女性の身体は眩しい光に包まれ、次の瞬間純白のワンピースを着ていた。


「「ウィル……あなたには、心からお礼を言います」」


 純白のワンピースを纏った少女が口を開く。二人はその声を知っている。エミリオとウィルの頭のなかにずっと響いていたリーゼの声だ。だがその声は同じ人物が同時に声を発しているかのごとく二重に重なって聞こえた。


「「おかげで私は……やっと復讐が出来る……」」


 ウィルは、自分に憑依していたものの正体がやっと理解出来た。自分に憑依し導いていたのは、紛れもなく聖女リーゼだった。


 そしてエミリオはやっと理解した。自分に憑依したリーゼが、なぜ自分の封印を守ろうとしていたのか……なぜ自分の自由よりも、自分の封印を優先していたのか。エミリオはやっと理解出来た。


 ここに来て、二人ははじめて自分に憑依した人物の顔を見ることが出来た。ウィルにとっては、この任務が始まってからずっと自分を導いていた存在。そしてエミリオにとっては、“始業の教会”の地下で出会ってからずっと、共に力を合わせて戦ってきた仲間にして、小さい頃から会いたいと思っていた長年の夢。そして絶望の色にまみれた宿命から助けださなければならない少女。


 だが。


「「私たちを裏切った教会……いいように私を利用したこの村の住民……聖女の物語を盲信し教会に踊らされた愚かな人々……」」

「リーゼを救うのは骨が折れそうだ」

「ああ……ゲフンッ……ゴフッ……」

「「あなたのおかげで、残らず虐殺出来ます。間違いなく確実に、一人ひとりに充分な苦痛を与えて緩慢に……大勢を気付く間もなく一瞬に……あらゆる手段で殺すことが出来ます」」


 復活したリーゼは、憎悪に狂っていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る