農神《ロノ》の星

 アタシたちは雪山を目指して旅をスタートした。


 西の海岸に面したフアフアの村から、緑豊かな森と草原の坂を登っていく。やがてフィールドは、荒野の広がる中央台地に切り替わる。


 出現するモンスターも地形に応じて変わる。森では、色鮮やかな怪鳥や巨大な虫、食人植物。草原には、タカやトカゲ。荒野では、おなじみのモオキハが厄介この上ない。


 北に向けて、登山路に入る。高度が上がるにつれて、気温が下がった。生きているモンスターの姿が少なくなった。悪霊系のモンスターがうじゃうじゃ出始めた。


 一層目の雲に突っ込む。視界が悪い。まとわりつく霧雨は体を冷やして敏捷性を奪う。そこを悪霊系のモンスターが襲ってくる。


 ニコルは普段から魔術師のローブで暑さ寒さに強いけど、アタシとラフは身軽な装備で動き回る戦術だ。


「空気遮断系のジュエル、山ほどゲットしといてよかったぜ」


 ラフが言うとおり、重たい防寒具を装備せずにすんでるから、バトルで苦労しない。


「でも、アンタ、ますますガラが悪く見える」

「しゃーねえだろ」


 嘘よ。


 尖ったデザインのピアス、すごく似合ってる。チョーカーもブレスレットも。呪いの紋様のせいもあって、迫力あるけど。


 一層目の雲を抜けてホッとしたのも束の間、二層目に突っ込んだ。氷のつぶてがアタシたちを襲う。みるみるうちに髪やまつげが凍った。


「お姫さまもラフも、ちょっとストップして。このままじゃ、じわじわヘルスポイントが削られちゃう」


 ニコルが二重三重に防御魔法をかけて、寒さを防いだ。凍傷を警告する表示が消えた。敏捷性のステータスも元に戻る。


 再び歩き出そうとしたら、マップを開いたニコルが汗のマークをポップアップさせた。


「磁場が狂ってるみたい。磁石がぐるぐる回って、方角がわからない」

「マジか? 楽しいハイキングとはいかねえな」

「とりあえず斜面を登っていけば、山頂に着くでしょ」


「足下に崖が落ち込んでる可能性もあるわけだけどね」

「やべえな。誰が先頭を行く?」

「便利屋ニコル、アンタがなんとかしなさいよ」


 ニコルは小首をかしげて、ちょっとの間、考え込んだ。それから緑色の目をきらめかせると、ローブのポケットから一枚の葉っぱを取り出した。もふもふした柔毛がびっしり生えた葉っぱだ。


「高山植物だよ。ぬいぐるみっぽいでしょ」


 ニコルが杖を一振りすると、もふもふの葉っぱは姿を変えた。得意の使役魔法を使ったみたい。


 みるみるうちに、長身のラフよりも大きなずんぐりむっくりのシルエットが現れた。緑色のテディベアだ。ニコルは、もふもふ緑のテディベアによじ登った。


「この子なら、生まれ育ったこの山のことをよく知ってるよ。安全な道で雲の上へ出るように命令した」

「グッジョブよ」



***



 雲の層を抜けると、フィールドは晴れ渡った。山道はまだ続くけど、空の中にいるみたいな景色だ。


 夜。

 星は、こっちへ迫ってきそうなくらいまばゆい。うっすらと白く流れる天の川。


 山を登り始めてから、ニコルの料理はスープ系が多い。体を温めて、スタミナポイントを回復させる料理だ。


 食事の後、アタシたちは焚き火を囲んだ。


「星が光る音が聞こえてきそうな景色ね」

「こんな星空、現実の日常じゃ、なかなか見られねえよな」

「星空だけじゃなくて、雪山も南国も熱帯雨林も火山もだよ」

「ほんと、こっちの世界が現実だったらいいのに」


 ラフとニコルがアタシの顔をのぞき込んだ。


 焚き火に照らされるシャリンの顔は、きっと、不機嫌そうな無表情だ。アタシはどんな顔すればいいかわからないから。


 ピアズのヴィジュアルになじむようにデフォルメされてるとはいえ、シャリンの顔は風坂麗に似ている。だって、シャリンの顔は麗の3D写真から作ったんだもの。


 ラフも同じだったらいいのに。ラフの繊細で端正な顔立ちもユーザに似せて作ってあれば、町ですれ違ったとき、アタシはラフに気付ける。


 ニコルはどうかしら? でも、もし写真を使っているとしても、小さいころのものだ。ユーザの実年齢は絶対、ニコルの外見よりもずっと上のはず。


 小首をかしげたニコルが、遠慮がちにアタシに言った。


「お姫さまは現実の世界がイヤになってるんだね」

「イヤでイヤで仕方がない。全部ぶっ壊したい」

「この前メッセージで話してくれた件?」


 そう。アタシはついに話した。ラフとニコルに、現実のアタシのことを全部。


 特異高知能者ギフテッドとして受けてきた扱い。誰にも言わずに隠してきた学校生活。退屈で憂鬱な日常が一人の女によって破られたこと。悪の証明と、凄惨なパフォーマンスと、揺るぎない真理。殺されかけて、生きたいと願ったこと。引きこもって絶望的な、今。


 ピアズの世界でたった四時間、楽しく過ごすために、残りの二十時間を暗闇の中で眠って、やり過ごしている。


「変よね、アタシ。現実のほうでは誰にも話してないの。兄と同居してるんだけど、兄にも何も言ってない。本当は真っ先に言わなきゃいけなかったのに」

「……ボクは、それでもいいと思う。シャリンが話せるようになってから、おにいさんに話せばいいよ。今は立ち止まってても、大丈夫なんじゃないかな?」


「兄には迷惑かけてる。最近、兄の顔を見れないの。自分が情けなくて」

「それは、迷惑っていうより心配だね。すごく心配してる……と思う」


 アタシは深呼吸した。リップパッチが、深呼吸の音を拾った。スピーカから自分の吐息が聞こえた。


「ほんと、おかしいわ。アタシ、なんで顔の見えない相手にこんなプライベートな話をしてるの?」

「顔の見えない相手だから、話せるんじゃないかな。もちろん、誰にでもなんでも話すのは危険だよ。でも、ボクはシャリンの役に立てたら嬉しい。ボクはなんでも聞けるよ、シャリン」

「でも、それって、どこまで話していいんだかわからない。誰が危険で、何を話すのが危険?アタシはどうやったらアタシを守れるの? 怖いわね」


 ラフが口を開いた。


「怖いって? 近付きすぎるのが怖いってことか?」

「怖いわ。だって、普通こんなにベラベラしゃべれない。ここでは、言葉がどんどん出てきてしまうの。アタシ、目の前に人間がいて、その人間に向かってしゃべるときには、身構えるの。アタシはうまく言葉を使えないから。言葉、探すのが難しいときがある」

「誰だってそうさ。目の前にいる人間を傷付けないために、言葉を探すよ」


 じゃあ、どうして? どうしてアタシの感覚は他人の普通とは違うの?


「アタシは、相手の表情や言葉から計算したり推測したりする。頭を使うの。反射的にまともなことを言えない。本能的に当然の言葉を返せない。だから」

「そうやって自覚して、頑張ってんだろ?」


「それでも理解できない場面があって。たくさんあって。失敗ばっかりで。アタシが答えを間違っても怒らないのは、兄だけ。それ以外の相手は一回間違えたら、アタシを変人扱いする」

「オレは、シャリンが一回間違えたくらいで、変人だとは思わない」


 ラフもニコルも、今はアタシを、お姫さまじゃなくてシャリンって呼んだ。でも、あたしは、本当はシャリンというキャラクターじゃない。


「ピアズでは、アバターの仮面をかぶれる。アタシは素のままのアタシじゃなくて、シャリンになりきってて、話したいことを話してる。相手の表情を見ないまま、頭を使ってコミュニケーションの最適解を求めもせずに」

「話せよ。大丈夫だよ。そんなに不安になるな」


 優しくされると嬉しくて、そして怖い。


「三十年くらい前は、こういう通信型ゲームばっかりだったのよね? トラブルも犯罪も起こりまくったって、よくわかるわ。知らない相手を信じすぎてしまうの」


 ラフとニコルに「会おう」と言われたら、アタシはのこのこ出かけていく。たとえ二人に下心があったとしても、アタシは見破れない。


 ニコルがポツリとつぶやいた。


「知らない相手、か」


 アタシは、ラフとニコルを交互に見つめた。静かなBGMに、焚き火が爆ぜる音が混じる。


「なんでアンタたちはこっちにしかいないの?」


 理不尽な質問。現実の空間を超越できるピアズの世界だからこそ、アタシは二人と出会えたのに。


 アタシは、泣きそうに震える声で続けた。


「こっちが現実ならいいのに。仲間がいて、一緒に戦ったり笑ったりできて。こっちの世界のほうが、現実なんかより、よっぽど健全よ」


 そんなこと、当たり前。健全で当然。健全であるように設計された世界なんだから。そのために、徹底的に管理されてる世界なんだから。


 健全すぎて、安全すぎて、嘘くさいところもある。不公平で、特別すぎると感じることもある。作り物だって、露骨にわかっちゃうときもある。


 でも、アタシは今、非現実の世界だけを望んで生きてる。リアルな日常なんていらない。


 ラフがそっと言った。


「オレだって、いつも思ってるよ。これだけ自由に走り回れりゃ楽しいだろうなって。たかがゲームだ。虚構の世界だ。だけど楽しい。全身全霊で楽しんでるよ、オレは。シャリンの気持ち、わかるよ」

「ラフ……」


「あのさ、ちょい古い話な。オレの親父がオレくらいだったころ。オンラインゲームの全盛期には、ネット上に別人格を持つのは一般的だったんだって。オンラインの国際法も整備されてなくて、めちゃめちゃに荒れてたらしい」


 西暦二〇二五年。各国の政府は、野放しにされていたネットの世界に猛烈な規制を加えた。理由は、SNSやオンラインゲームを悪用した大規模な犯罪。売春と臓器売買が世界的にまかり通っていたのを、徹底的に排除した。


 その後、政府の対応に仕返しをするように、一班ユーザから見れば追い打ちをかけるように、世界的なSNSのサーバが同時多発的にサイバーテロによって破壊された。


 破壊からの復旧は、意外にも素早かった。創造のための破壊だと、最初から予定されていたかのごとく。


 今のオンライン空間は、旧体制とはまるっきり違う。完全に管理され、規制された世界。現実のIDカードがなければ、オンラインの戸籍に名義登録できない。逆に、オンラインのIDカードがあれば、現実での身分証明も可能だ。


「その昔話がなんなの?」

「オレは昔話の中の世界に憧れてた。戦国時代ってわけだろ。オレ、のし上がって天下を取る自信があったぜ。ネット上に国を建てるくらいの腕はある。プログラミングもハッキングも得意でね。でも今は、無理だと感じてるよ」


「どうして?」

「思い知ったんだ。どんなに荒れた虚構の世界でも、そこで出会う相手は生身の人間だってことを」


「生身の人間……」

「向こうさんも、オレと同じだ。頭脳と精神と感情だけの無防備な姿で、この世界に存在してる。ちょっと書き換えれば支配できちまうコンピュータプログラムと一緒にしちゃ、ダメだよな。簡単に制圧できるだなんて、思い上がりもいいとこだ」


 ラフの端正な顔に表情はない。ピアズのスタンダードなオプション感情は八種類。喜怒哀楽の四要素が、それぞれ二パターンずつだ。ラフのユーザは今、どのパターンをも選んでない。


 足りないんだ。たった八パターンじゃ、人間の心は表現できない。ミニゲームの景品で手に入れた変顔なんか、こんなときには役に立たない。


 アタシは、だけど、笑ってみせた。冗談っぽく、軽い口調をつくってみせた。


「ラフって意外にまじめなのね。博愛主義っていうのかしら? 世の中の人間みんながアンタみたいだったら、地球の未来は平和だわ」

「なに言ってんだよ。オレはむしろ、刹那主義に生きてる大バカ野郎だ。だから天下を取ってやろうなんて憧れを持ったんだ」


「でも、今は違うんでしょ?」

「オレは変わったよ。アンタのせいだぜ。アンタに出会わなけりゃ、オレはつまらない野心を捨てきれずにいた」


 スピーカ越しの低いささやきに、あたしの心臓がギュッとつかまれる。動揺した指先は、反射的にコントローラを操った。シャリンが苛立ちの表情をつくる。


「なにそれ? 意味わかんない」


 ラフは静かに微笑を浮かべた。


「アンタを守りたいと思った。理屈じゃねえよ。オレがこの虚構の世界を揺るがしたらさ、アンタ困るだろ? 今、アンタは現実でうまくいってない。この世界のためだけに、人格と命を保ってる。そうだろ?」


「……うん」

「だったら、ほかの人間なんか関係ない。オレはアンタの存在だけを理由に、自分の野心を投げ出せるよ」


 やめてよ、って言ったつもり。でも、声にならなかった。息ができないくらい、胸の鼓動が膨れ上がってる。


 南国風にアレンジされた星空のBGM。焚き火の薪が爆ぜる音。


 優しく微笑んだラフ。右のほっぺたの傷。すっと通った鼻筋と、薄い唇、両目は、焚き火を映し込んで、黒くきらめいている。


 そのキレイすぎるCGに、誰かの真心を秘めた絵に、アタシは吸い込まれそうになる。

 沈黙が落ちて。


 突然、ラフは微笑の種類を変化させた。ニヤリと、からかうような微笑。ラフはウィンクして、自分の胸元を親指で差した。


「お姫さま、忠告しとくぜ。オレがカッコいいこと言っても、オレに惚れるなよ」

「なっ……バ、バカ!」


 アタシよりも素早く動いたのはニコルだった。


「さすがに今のは聞き捨てならない」


 ニコルは足下の小石を拾ってラフに投げつけた。


「すまん、許せ! 口が滑った」

「助太刀ありがと、ニコル」


 アタシもラフに小石を投げる。恥ずかしくて、しょうがない。


「ちょっ、やめろやめろ! マジでヘルスポイント減るから! 料理食って全快したばっかなんだぜ。やめてくれ、おい、ふざけすぎたオレが悪かったってば!」


 ラフはついに立ち上がって逃げ出した。


 アタシたちは笑い出す。アタシもラフもニコルも、どうでもいいことがおもしろくて楽しくて、笑ってる。


 やっぱりこっちの世界がいい。アタシは、ずっとここで生きていたい。



***



 唐突に、焚き火が消えた。

 ふっと、フィールドが暗くなる。闇と星影がのしかかってきた。


“SOMEONE COMING”


 気配が現れた。アタシたちは武器に手を掛けた。


「敵か?」

「とにかく、お姫さまもラフも、構えて!」


 消えた焚き火を中心にして背中をかばい合う。三人で、ぐるっと全方向を警戒する。


「どこから来るのよ?」


 くすくす、と誰かが笑った。


「客人とは珍しい」


 女の声がした。アタシの、ラフの、ニコルの、背中側で。

 アタシたちは飛びのきながら振り返って、武器を構えた。


 焚き火が燃えてたはず場所に、純白の女が立っている。白い髪、白い肌、白いドレス。瞳まで白い。星明かりを浴びながら、女は自ら淡い光を発している。


「アンタ、何者?」


 アタシの問いかけに、女はにっこりした。思いがけず、優しげな印象になった。


「我が名はポリアフ。雪山を統べる者。このような場所を訪れるとは、人の子にも強き者がいることよ」


 ニコルがまたまた解説を加える。


「雪山の女神ポリアフ。ハワイの神話で、火山の女神ペレと対をなす存在だよ。ペレの火山の熱は、ポリアフの雪にかなわない。だから、気の強いペレもポリアフを苦手としてるんだ」

「相変わらず、変なことには詳しいわね」

「神話だけじゃなくてね、フアフア村の釣り人たちから、この世界での情報ももらったよ。銀剣竜ケアが守護する宝剣を創ったのはポリアフだって」


 ポリアフの長い髪は、風もないのになびいている。サラサラ、キラキラ。


「ヒイアカの婚姻の話は聞いている。ホクラニ『農神ロノの星』を持ってゆけ。長らく借り受けてすまなかった、とヒイアカに伝えてほしい」


 ニコルが代表してホクラニを受け取った。ポーチにしまい込む。

 ポリアフは首をかしげた。


「して、汝らは何ゆえに、我が宝剣を欲してケアに挑むか? 蛮勇のためか?」

「違ぇよ。理由があるんだ」

「ケアは何者にも容赦せぬ。やつは、この雪の白に飽き、人の血の赤を求めておる。心せよ、戦士たち」


 アタシはポリアフに尋ねた。


「アンタはアタシたちの敵ではないのね? でも、アタシたちの味方でもないのよね?」

「ワタクシは誰の味方もせぬ。誰の邪魔もせぬ。この白き峰に合して、運命の行方を見守るのみ」


 そして、ポリアフの姿はスッと消えた。アタシたちは、構えたままだった武器を下ろした。


「ホヌアのキャラの中で、いちばんの美人さんだったな。でも、おそろしく色気がなかった」

「そう? ボクは嫌いじゃないよ」

「いや、やっぱヒイアカだな。ペレのボディコン衣装もよかったけど」

「ヒナも神秘的で、かわいかったね」


 新しい女性キャラが出るたびにこうなんだから……。


「アンタたち、ほんっとにバカね」

「ん? でも、お姫さまがいちばんキュートだぜ」

「な、なに言ってんのよ!」

「っていう反応が、いいんだよな」


「からかわないで!」

「お姫さま的には、誰がいちばんイケメンだと思う?」


 ラフのニヤニヤ笑い。アタシの答えがわかってて訊いてきてる?


「言わないわよ、バカ!!」


 言ってるのと同じよね、これじゃ。ということに、言った後で気付いた。アタシもバカかも。

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