4. 未来視たちの談笑 -A Futurogist and Disciples-(2)

 濡らして絞った布で身体を拭く。三日間も着替えずにいたために身体はかなり汚れていた。布がすぐに真っ黒になってしまう。

 ルサンに来て驚いたのは、街の人は外で水浴びをしないことだった。トラムなら若い女性であっても川や泉で水浴びをする。そんな光景を幼い頃から見ていたので、それがどこでも普通のことだと思っていた。

 街の人は慎み深いようだ、とフィルは実感していた。村ならフィルがウィニフレッドやフォクツの部屋を少しくらいいじっても、きちんとした理由があれば怒られはしない。少し気をつけなくてはいけないな、とフィルは改めて反省した。

 手早く身体を拭き終え衣服を着替える。身体を洗って着替えただけでかなりさっぱりした気分になった。

 身支度を整え終わったところで、扉がノックされた。

「入っても大丈夫?」

 聞こえて来たのはレティシアの声だった。もう怒っていないようだったので、フィルは少し安心した。

 返事をするとレティシアが入ってくる。手には籐の籠を持っていた。先ほどアリステアの机の上にあった物だ。

「向こうに水が出る場所があるから」

 フィルは衝立の向こうを指さした。魔法の力で引かれた上水道があるのだ。学院長が設えたものだと聞いている。

「それじゃ、僕は上で待ってるね」

「待って」

 フィルがそそくさと部屋を出ていこうとするとレティシアが引き止めた。いつの間にかローブの袖が握られている。

「ここにいて」

「え、でも……」

「また妖魔が現れたらどうするの」

 少し不安そうにレティシアは上目遣いでそう言った。少し首が傾げられ眉が下がっている。彼女には珍しい甘えたような仕草だった。

「解った」

 フィルは頷いて近くにあった椅子に腰かけた。レティシアがほっとしたような顔を浮かべる。彼女は少し疲れているようだった。

 衝立の向こうにレティシアが歩いて行く。すぐに衣擦れの音が聞こえてきた。フィルは自分の荷物に視線を落とした。特に目新しいものはない。やがて水音が聞こえて来た。

「ねえ」

 飛沫の音に混じってレティシアの声が地下室に響く。石の壁に反響して普段とは違うように聞こえた。

「……何?」

 フィルは返事をした。少し声が上擦ってしまった。

「魔法って何なのかしら?」

 突然の質問にフィルは咄嗟には答えられなかった。独り言のようにレティシアは続けた。

「この水も魔法で湖から汲み上げてここまで引いているんでしょう? ここの灯りだってそう。魔法は人の生活の役に立っている。だけど一方で、大叔父様のように妖魔を召喚することだって出来る。戦いの時には攻撃魔法を使って相手を傷つけることだってある」

 響き続けていた水音がふと止まる。

「怖いの。魔術の力の大きさが。正しく使えば人を幸せに出来る力だって解ってる。でもほんの少しの事故で、多くの人を巻き込んで酷い事故を起こしてしまうかもしれない。そんな目に見えない力が、怖い」

「ほとんどの力は目に見えないよ」

「そうね。でも……」

 レティシアは一度言い淀んだ。

「さっき、私は人を殺した。ミニョレ門下の魔術師を攻撃魔法を使って無惨に焼き殺した」

「それは……。でも、あの状況じゃあ他にどうしようも無かった。むざむざ捕まって、街に妖魔が放たれるのを見ているわけにはいかないよ」

「ええ。それは解っているの。でも必要だったから、仕方がなかったからって簡単に割り切る事は私には出来ない。私が行使したのは剣や弓矢と同じような、他人を害することが出来る力」

 レティシアの声は小さかった。石壁に反響する水音にかき消されそうなほどに。

「彼らは、なぜ妖魔を召喚しようとしたのかしら」

「さあ……」

 フィルは天井を見上げた。

「何故人は魔法を行使しようと考えるの? 何のために、一生を捧げてまでも研究するのか。改めて考えると解らなくなってしまうわね」

「ただ一つ言えることは、今回の学園長やミニョレ導師たちの召喚は大発見だった」

「大発見?」

「だってそうじゃない? 今までの魔術の常識では妖魔を簡単には召喚できなかった。だけど今はあんな風に妖魔を使役して利用している。多分研究に大きな前進があったんだ。それこそ、魔術の歴史に名を残せるような」

「それはそうかもしれないけど……」

 釈然としない声でレティシアは言う。

「今の学院長たちは間違っているとは思う。だけど彼らの研究が後にとても役に立つ可能性だってあるんだ」

「時を創る、ね……」

 レティシアはアリステアの言葉を引用した。しかしその口調は大きく異なっていた。

「私には解らない。導師の言うとおり、魔術の研究は百年後の未来に役立つのかも知れない。だけど今のこの時代に生きている人たちには何の為にもならないものなのかも。むしろ大叔父様のように害を為してしまう。いいえ、私たちだって国の補助があって研究出来ているのだから、結局搾取しているだけの存在と見られても文句は言えない」

 フィルは何も答えなかった。一面的にアリステアの意見は正しいのだろう。しかしレティシアの懸念も的を射ている。魔術師という存在のあり方は変わらないのだ。ただ見ている視点と解釈が異なるだけだ。

 身体を拭き終わったのか、水音が止み衣擦れの音が聞こえてくる。フィルは緊張しながら待った。やがて衝立を回って現れたレティシアは先ほどまでとは違う服を着ていた。アリステアの部屋から拝借してきたのだろう。細かい刺繍が施された白いチュニックとシンプルな青いスカート姿の彼女は普段より幼く見えた。髪はいつもと同じように、白いレースのリボンで高い位置に留めている。

「不思議」

「何が?」

「私、導師より身長が高いのに、この服はぴったりなの。両方ともさっきの籠に入れてあったのだけど。まるでこれを使うように言われているみたいに」

「……ふうん」

 フィルは曖昧に頷いた。先ほどのことを思い出してみる。アリステアはレティシアが部屋に来たら扉が自動的に開くように魔法をかけていたようだった。彼女が訪ねてくることを予期していたのだろうか。

 二人並んで階段を上る。先ほどまで話していたロビーに入ると、ウィニフレッドが笑顔で出迎えた。

「あ、着替えたんですね! すごく似合ってますよ」

「え、ええ……。アリステア導師にお借りしました」

「導師がいたのか?」

 フォクツが眼を瞬かせる。フィルは小さく首を振った。部屋であったことを説明するとフォクツも難しい顔になった。

「それにしても、導師はどこにいるのやら」

「寮にいないんだから学院の外に出たんじゃないかな。他の魔術師と一緒に」

「そう考えるのが自然だけどな。街中に出るアリステア導師ってのも想像し難いが」

「ベナルファさんのところにでも泊まっているんじゃないかしら?」

 レティシアが口を挟む。彼は新市街に家を持っているとのことだった。

「さて、これで準備も整ったか?」

「ちょっと待って!」

 ウィニフレッドが慌てた声をだす。小剣を見ながら肩を落とす。

「折れちゃったんだよ。これ、警邏の備品なんだけど怒られるかなぁ」

 小剣は鍔のすぐ近くで折れていた。武器としての使用はとても見込めない。

「他に武器はないの?」

「弓矢ならあるけど」

 ウィニフレッドはそう言って背中に括り付けた短弓を見せた。村にいたころから使っていたもので、フィルにも見覚えがあった。かなり使い込まれているが、しっかり手入れはされているようだ。

「でも建物の中で弓矢だけってのは無理があるなあ。ただでさえ魔術師ばかりなのに、近づかれたら対抗できないし」

 窓の外にそびえる象牙の塔を見上げながらウィニフレッドはそう呟いた。

「ウィニフレッド様。よろしければこちらをお使いください」

 いつの間にかフローレンスが近づいてきていた。腰に差した剣のうち、短い方を鞘ごと差し出す。

「あ、ありがとうございます!」

 ウィニフレッドはそう言いながら剣を受け取った。鞘から刀身を引き抜く。

「綺麗……! それに凄く軽い!」

 ウィニフレッドはそう言って嬉しそうな笑顔を見せた。

 フィルもその剣を横から覗き込んだ。真っ直ぐに伸びた銀色の細い刀身は淡く光を放っていて、何らかの魔法が付与されているのが見て取れた。柄と鞘には黒い鴉の羽と白い百合の意匠が彫り込まれている。儀礼用かと思われるほどに装飾に手間をかけた逸品だった。しかし魔術がかけられていることから、美しいだけではなく実用性もきちんと考えられているのだろう。ウィニフレッドは気がつかなかったようだが、鍔の近くに見知った銘が刻まれていた。

「こんな良い物、お借りしても良いんですか!?」

「はい。恐らく今日は使うことは無いと思います。普段からお守り代わりに持っているだけです」

 フローレンスは真顔で頷く。それから言いにくそうに付け足した。

「ただ、あの、その」

「?」

「折ったりしないで頂きたいのです。いえ、その、戦いの中でどうしてもそうなってしまうことはありますし、ウィニフレッド様のお体に代えられるものでもありません。それは解っているのですが、何と言いますか、少しお気遣いいただけますと……」

 もじもじとフローレンスはそう言った。彼女にしてはとても珍しい態度だった。

「えっと、それはもちろんですけど……」

「とても大切な頂き物なのです。わざわざ私のために作って下さった……」

「えっ! そんな、そんな大事な物をお借りするわけには!」

 ウィニフレッドは慌てて剣を返そうとする。しかしフローレンスは首を横に振った。フォクツは床に視線を落として微動だにしなかった。

「いえ、良いのです。今はウィニフレッド様の身の方が大切です。それに剣とは身を守るためのものです。お守りとして持っていたところで、本領を発揮することはありません。こんな状況ですからどなたかに活用していただいた方が……」

「でも、そっちの剣が折れちゃったりしたときには……」

 なおもウィニフレッドは剣を差し出すが、フローレンスは頑として受け取らなかった。

「いえ。この剣が折れるような場合には、私はもう立っていないと思います」

 フローレンスはさらりとそう言って腰に差した長剣を抜いた。こちらは装飾など一切施されていない直剣でやはり青白く光っている。実用一点張りのようだが無骨な印象は無く、優美な印象さえ感じさせる。その洗練された姿はフローレンスに似ていた。

「これは飛竜の鱗から削りだして作った剣ですから」

「飛竜!?」

 フィルは驚いて声を上げた。

 最強の幻獣、ドラゴン。一体で軍の一隊を軽々と全滅させられるほどの、地上で最も強い生物。その牙や爪は鋼鉄の鎧を紙のように切り裂き、鱗はどんな剣や魔法でも弾くと言われている。さらに高い知性を持ち魔法を使いこなすことも出来るという。

「そんなものをどうして……」

「ご先祖様が使っていたようです。祖父から受け継ぎました」

 フィルはまじまじと剣を見つめた。たしかに金属ではないようだった。魔法がかかっている様子もないのに淡い燐光を放っている。飛竜の持つ魔法性に起因するものだろうか。

 先ほどの妖魔との戦いをフィルは思い出した。フローレンスは妖魔の剣を横から切り飛ばした。一体どれほどの硬度と速さがあれば、あんなことが可能なのだろう。

「それにしても、フローレンスさんって凄く強いですよね」

 フィルは素直に感想を言った。フローレンスは困ったように頬に手を当てた。

「いえ、私などは……」

「フィル。貴方、まさか……」

 一方、レティシアは呆れたように額に手を当てていた。

「フロウ様のことを知らなかったの?」

「え?」

「ルサンの剣術大会で四連覇中の、剣聖の再来を」

「……そうなんですか?」

「……いえ、剣聖だなんて、そんな」フローレンスは恥ずかしそうに俯いた。「私などは試合ばかりで。実戦の経験はほとんど無いので……」

 フィルからするととてもそんな風には見えなかった。慌てて言葉を紡ぐ。

「すいません。全然そんなことを知らなくて……。最初に会ったときの印象が先行してしまっていて。とてもお綺麗な方だったので、もっとこう深窓の令嬢のような感じかと」

「最初? いつ会ったの?」

 フィルはレティシアにロイクの屋敷で会ったことを説明した。別れ際の会話については伏せておいた。

「ふうん……」

 あまり納得していない様子でレティシアは頷いた。フィルの方を横目で見ている。かなり不満そうだった。

「その言い方だと、まるで深窓の令嬢では無いみたいだね!」

「ええ。女だてらに剣など振るってはしたないとよく言われます」

「すいません。そういう意味ではなくてですね……」

 ウィニフレッドとフローレンスが会話する。フィルは縮こまった。

 それにしても。フィルは疑問に思った。どうしてはじまりの七家の直系であるフローレンスが、族長家とはいえデルディヨク家で使用人などをやっているのだろう。何か複雑な事情があるのかもしれない。

 フィルはフローレンスの剣に目を遣った。ご先祖様というほどなので、恐らく初代タヴァーニアが使っていた剣なのだろう。

「竜の鱗でこれだと、牙や爪で作ったらもっと凄いんでしょうね」

「残念ながらそんな武器は存在しません」

 フローレンスは微笑んで首を横に振った。

「竜の爪や牙は硬すぎるんだそうです。とても剣の形に加工出来ないんだとか。この竜鱗の剣も、非常に長い時間と高度な魔法技術によって加工されたと聞いています」

「ふうん……。色々あるんですね」

 少し残念そうにウィニフレッドは頷いた。フローレンスは元の通り剣を鞘に収めた。

「じゃあ、こちらはお借りします」

「はい。ご遠慮なく」

 フローレンスはそう小さく微笑んだ。その表情に、堪らずフィルは口を挟んだ。

「大丈夫ですよ。折れても絶対もう一本作って貰えますから」

「そうでしょうか……」

 フローレンスは少し不安そうに言った。

「でも我が儘を言わせて頂けるなら、剣よりも指輪か何かを贈って欲しいのですが……」

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