5. 魔神の顕現 -The Incarnation of Devil-(1)

 五人と二匹は研究棟の中に入っていた。警戒していたのだが見張りはおらず、あっけなく侵入できてしまったためむしろ拍子抜けだった。塔の中もやはり人気がない。すべての部屋を調べたわけではないが魔術師は誰もいないし、妖魔でごった返しているような事もない。そのおかげでフィル達は誰からも見咎められることなく建物の中を進んでいる。

 目指しているのは最上階の学院長室だった。十二階建ての象牙の塔はルサンで最も高い建物だが、学院長はそのフロアをすべて一人で使っている。学院長がいればそのまま戦うことになるだろう。もし不在の場合には学院を取り囲む結界魔法を解除して、リルムを飛ばす計画になっていた。

 レティシアの記憶によると、十二階は中央を長い廊下を通っていて、突き当たりに大きな書斎がありドワイトは普段そこにいることが多いという。他に幾つか部屋があるはずだが、内部については誰も知らなかった。

 階段を上りきり扉の前で魔法を唱える。アクセラレーションとリパルション、それに攻撃魔法を軽減するアレヴィエイションを魔術師三人で手分けして全員にかける。

「準備は良い?」

 全員が無言で頷く。それを確認してウィニフレッドは扉を押し開けた。薄暗い廊下が真っ直ぐに続いている。フローレンスとウィニフレッドが並んで走り出す。フィルたちもそれに続いた。幸いにも横の扉からは誰も出てこない。ウィニフレッドが書斎の扉に飛びつく。ノブを握って一気に引き開けた。

 魔法の灯りが廊下に漏れ出てくる。黒檀の机の向こうに学院長が悠然と座っていた。その脇にはミニョレ導師。そして部屋の中央の床には儀式に使われる魔法陣が描かれている。

「学院長!」

「ふむ……」

 部屋に入ってきたフィルたちを見て、学院長はおもむろに立ち上がった。

「なるほど。こちらに来るとは予想外だった。何者かが学院に侵入してお前たちを助け出したのは知っていた。しかし学院の外に向かうと予想していたのだがな。戦力を門に集中させたのが仇になったか」

 そう言って学院長は二度、拍手をした。

「大叔父様! なぜこんなことを!」

 レティシアが叫ぶ。しかし学院長は意に介さなかった。

「レティシアよ。お前はとても優秀だ。銀狼の民の、いやルサンの民の将来を託すのに相応しい」

「何を……、何を言っているのです!?」

「学院の外に出ていたのでは間に合わない。そう思ったからこちらに来たのだろう? 素晴らしい判断だ。手元の断片的な情報を組み合わせ、相手の行動を予測し、最善の方策を模索した」

 混乱するレティシアを学院長は穏やかに評価した。

「それがどうしたと言うのです! 父を殺し、ハテムを傷つけたのは貴方の差し金でしょう!」

「何のことだか解らんな……」

 激高するレティシアに学院長は冷ややかに返した。

「恥を知りなさい!」

 レティシアは冷静さを失っているようだった。一方で学院長は不気味なほどに落ち着いている。フィルたちがここまでやってくるのは想定外のはずだった。人数は二対五で眷属もいる。状況的には圧倒的に不利なはずなのに、焦っている様子は微塵もない。

 フローレンスが一歩前に出た。対抗するようにミニョレが杖を構え直す。しかし学院長は腕を上げてそれを制した。

 フィルは部屋の中を観察した。学院長室だけあってかなり広い。剣を交えることも十分に可能だろう。しかし気になるのは部屋の中央に描かれた巨大な魔法陣だった。妖魔を召喚するためのものだろう。かなり高度な術式であることが見て取れた。恐らく儀式はほとんど済んでいるのだろう。濃密な魔力が充満しているのが感じ取れる。

「何故こんな……、妖魔を使ってまで国を混乱させようとするのですか? そんなことをして何の意味があると言うの!?」

「レティシアよ。この国の政治についてどう思う?」

「政治?」

「ルサンは合議制を取っている。議員たちの話し合いによって政策が決定されるのだ。各部族から代表者を出し、その部族全体の代弁者として話し合いが行われる。民の信頼を損なえば代表であり続けることは難しい。まさに民のことを第一に考えた、民の意見が反映される画期的な体制ではないか」

「それがどうしたと言うのです? 魔術師が国を独りで支配するよりはよっぽど理に適っているでしょう」

 レティシアが反駁する。しかし学院長は哄笑した。豪奢な室内に笑い声が谺する。

「お前だって気がついているのだろう? 愚かな民草を政治に関わらせてはいけないことを。奴らはまともな判断力など持っていない。言うことはいつも同じだ。税金を安くしろ、それでいてもっと暮らしやすく安全で、他国から侵略されない国を作れ。まるで夢物語だ。そんなことが可能ならば諍いなど起きはしない。長期的な視野など何処にもない、ただその場だけの反射しか奴らは持ち合わせない」

「なっ!?」

 学院長の物言いにレティシアが気色ばむ。しかし学院長は手を上げて制した。

「何、私とて、民衆が愚鈍で価値のない者だなどと言うつもりはない。彼らは食料や道具を作り流通させ生活を営んでいる。彼らが彼らの仕事をしている限りそこには十分な価値がある」

 学院長はそこで言葉を切った。フィル達を一人一人、品定めするように見渡す。

「しかしだ。愚かな者たちをを政治に携わらせてはならぬ。ルサンという国全体を長期的に発展させるためには、枝葉末節に拘泥するわけにはいかぬ。国全体を見渡す能力を持った者に任せるべきなのだ」

 レティシアは何も言い返さなかった。ただ下唇を噛んだだけだった。

 フィルは机の向こうの老人に問いかけた。

「だから、魔術師が国を支配する、と?」

「その通りだ。それが最善だ。この地に偉大なる魔法王国を建国するのだ。それこそがすべての国民のためだ。千年続く理想の王国こそがこの国の歩むべき未来!」

「そのために、そんなことのために妖魔を召喚し街中で戦うと言うのか?」

「致し方あるまい」学院長は鷹揚に頷いた。「お前が何を懸念しているのかは理解している。私とて無用な犠牲を出したくはない。しかし議会が聞く耳を持たぬ以上、こうするより他に手立てが無いのもまた事実。恨むなら無能な族長を恨むのだな」

 学院長はそう言い放つ。フィルは戸惑った。老人の喋っている内容は現状からあまりにもかけ離れている。夢物語と呼ぶのも烏滸がましい、狂気に満ちた妄言だった。しかし話の内容以外に異常なところは見当たらなかった。瞳は理性的な光を保ち口調にも淀みはない。何より床に描かれた魔法陣がそれを示している。こんな複雑な術式が狂人の妄執で完成させられるはずもない。

「若き魔術師たちよ。どちらにせよ、我らの道が交わることなどあるまい」

 しかし老人は一方的に話を打ち切る。そして魔力を込めた一言を発した。

「インヴォケイション!」

 魔法陣が詠唱に応え、紫紺の光を放ち始める。桁違いの魔力が充填されているのが判る。

「―――っ!」

 フローレンスが駆ける。魔法陣を迂回して学院長へと向かう。机を飛び超えながら剣の柄に手をかける。同時にウィニフレッドが矢を放った。一直線に部屋の奥へと飛んでいく。

 唐突に光が消え失せる。高い金属音が響いた。

「なっ!?」

 部屋の奥、机の上に異形の生物が立っていた。二本の足で立ち人間のような姿に見える。少し大柄な人間と変わらない体格だ。しかし頭部は山羊のような形をしており、角が二本突き出ている。胴体は毛むくじゃらで、手足には褐色の鋭利な爪が伸びている。長い尾にはいくつもの突起がついていて、背には蝙蝠のような真っ黒な皮翼が生えていた。

 その妖魔が、手にした大剣でフローレンスの剣を受け止めていた。大剣は禍々しいまでの漆黒に塗られていた。その足下にはウィニフレッドが放った矢が落ちている。放たれた矢を空中で叩き落としたようだった。

 妖魔が大剣を押し込む。フローレンスはそれをいなしながら飛び退った。妖魔は人の身長より長い重厚な大剣を片手で軽々と振るっていた。

「見よ! これこそが妖魔の王だ。かつて七人の英雄によって滅ぼされた妖魔たちの偉大なる王。荒野の支配者にして漆黒の為政者」

 学院長は高らかに言った。

「私は成功したのだ! 妖魔の王を召喚し使役したのだ! これこそが、この国を支配するに相応しい力だ!」

 妖魔王が吠える。それを合図にしたかのように背後で扉が開いた。フィルは慌てて振り返る。廊下には大柄な妖魔が次々と出てきていた。アスコットが雄叫びを上げる。フォクツが悪態を吐く。

「くそっ! やっぱりいやがったか!」

「ウィニフレッド様は後ろへ! 妖魔たちを防いで下さい!」

 フローレンスが妖魔王を見据えたまま叫ぶ。

「でも!」

「妖魔王は私が食い止めます」

 竜麟の剣を正眼に構えたままフローレンスは抑えた声でそう言った。その言葉を理解したのだろうか。妖魔王は口を歪めて笑うような素振りを見せた。

 フィルは戦局を確認する。敵味方それぞれの立ち位置と行動を俯瞰しながら戦略を立てる。それぞれの状況と思惑が流れ込んでくるようだった。

 状況は最悪だった。フィルたちは部屋に入ったところで前後に挟まれている。部屋の奥には学院長とミニョレが並び、それを庇うように妖魔王が立っている。廊下からは妖魔の群れが迫ってきている。妖魔王がどれくらいの能力を秘めているのかは想像もつかないうえに、学院長とミニョレ導師は高いレベルの魔術を使えるはずだ。一方、妖魔たちは先ほど庭で戦ったのと同じ種族のようだ。

 先に廊下の妖魔たちを何とかしよう、とフィルは考えた。レティシアと目が合う。視線をちらりと飛ばし同じ事を考えていることを確認する。小さく頷きあってから二人は詠唱を開始した。

「イヴァキュエイティッド・カッタ!」

「フレイムド・ヘイル!」

 フィルは大急ぎで呪文を唱えた。レティシアもほぼ同時に詠唱を終える。妖魔が部屋に入る前に広範囲の魔法を叩き込む。廊下に真空の刃と炎の雹が降り注ぎ、妖魔たちの濁った悲鳴が室内に届く。しかし致命傷にはならず再び突撃してくる。

 ウィニフレッドは矢を番え廊下に向かって放った。それから弓を背に戻し、剣を鞘から引き抜く。隣にはアスコットが体勢を低く構えている。妖魔は数が多く、室内に入り込まれたら囲まれてしまう。部屋の入り口に陣取り、室内への侵入を防ぐことにする。二体の妖魔が並んで襲いかかってくるが、それ以上は廊下が狭くて前に出てこられないようだ。ここを破られなければ、フィルたちが何とかしてくれると信じていた。

 妖魔が力任せに剣を振るう。ウィニフレッドは魔剣でそれを受け流した。武器が軽い魔剣に変わったため、身のこなしは格段に良くなっている。しかし戦闘の経験不足は否めず、妖魔の剣を受け流すのが精一杯だった。しかも庭での戦いより場所が狭く、すぐ後ろにフィルたちがいるため、あまり位置を変えることが出来ない。

 アスコットはウィニフレッドと並ぶように大柄な妖魔と対峙した。身を沈めて斬撃を躱し、がら空きになった胴に牙を立てる。腕が振り下ろされる前に肉を咬み千切り、また距離を取る。先ほどの庭での戦いで動きは大体掴んでいた。冷静に距離をとって戦えばまずやられることはない、と解っていた。

 フローレンスは床を踏みしめた。フォクツたちを背後に庇うように妖魔王と対峙する。既に四合、剣を合わせている。魔法の援護もあって速さと身のこなしでは勝っているものの純粋な筋力となると妖魔王の方が圧倒的だ、とフローレンスは感じていた。しかも向こうは片手で剣を振るっている。しかし学院長たちに使役されているのは事実のようで二人を庇うような位置取りを崩していない。

 魔法陣を踏み越えて妖魔王が近づいてくる。剣は右上段に構えられている。口から覗く真っ赤な舌が醜悪だった。フローレンスは彼我の距離を測る。速度で勝っている分、踏み込みと同時に突きを放てば勝てると踏んだ。間合いに入ってくるまで微動だにせずに待ち構える。一歩、また一歩と妖魔王が近づいてくる。フローレンスは剣を握り直した。妖魔王が口をカッと開く。

「ガアァッ!」

「なっ!?」

 しかし次に来た攻撃はフローレンスの予想からかけ離れていた。口から放たれたのは橙色に燃え盛る炎だった。慌てて左に飛ぶ。熱気が肌を撫でていく。ステップしたフローレンスに合わせるように、妖魔王が一気に踏み込んでくる。狙っていた突きを入れられるような体勢ではない。

 右上段からの斬撃。斜め下から剣を合わせるのが精一杯だった。落ちてくる力を外側に逃がしながら右に半歩ずれる。次いで真横から切りつけてくる大剣を真下に向けた剣で受け止める。左手を柄から離し刃に添え支えた。しかし筋力と体重の差は如何ともし難かった。衝撃で身体が一瞬宙に浮く。踏鞴を踏んで一歩下がる。さらに上段からの斬撃を二度、剣を合わせて左右に跳ね返す。妖魔王の体勢も崩れていたため、威力は高くなかった。

 背後にフォクツたちを庇う余裕など無かった。剣を捌きながら右側に回り込む。上段に構えた剣が真っ直ぐに振り下ろされてくる。これまでに無いほどの速度と威力だった。しかしすでにフローレンスは体勢を整えていた。身体全体を沈めながら右下から剣を跳ね上げる。僅かに軌道を変えた妖魔の大剣は、フローレンスの髪を一房断ち切った後に、部屋の床にめり込んだ。

 裂帛の気合いと共に、フローレンスは突きを放った。妖魔王のがら空きの胴に吸い込まれるように竜麟の剣が刺さる。そのはずだった。

「―――ッ!」

 一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。それでも無意識のうちに飛び退っていた。右の肩に鋭い痛み。しかし漆黒の大剣はまだ床に刺さっている。妖魔王はフローレンスを見て、にたりと笑ったように見えた。左手の爪に真紅の液体が滴っていた。妖魔の大剣が持ち上がり、また上段に構え直される。

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