4. 未来視たちの談笑 -A Futurogist and Disciples-(1)

 フィルは寮の自分の部屋へ向かっていた。牢を出てきてから休まる暇も無かったため、着替えてすらいない。持っているのはウィニフレッドが持ってきてくれた樫の杖だけ、という有様だった。そんなに物持ちではないが部屋に帰れば最低限着替えと身体を拭くぐらいのことは出来るだろう。

 レティシアもついてきていた。彼女もフィルと同じ状況だが寮に部屋があるわけではない。なのでフィルの部屋で使えそうな物があれば提供するつもりだった。

「フィル」

 人気のない廊下の途中、背後からレティシアの声がかかった。

「ん?」

「ごめんなさい」

 予期せぬ言葉にフィルは立ち止まった。背中にレティシアが柔らかくぶつかる。

「何か、謝られるようなことがあったっけ?」

「色々なことに貴方を巻き込んでしまって。私の所為で……」

 フィルは振り向かなかった。背中にレティシアの額が当たっているのが感じられた。彼女からかかる柔らかな重みが優しかった。

「そんなこと、気にしないで良いのに」

「いいえ。パーティーのときから、ずっと。私の所為なの。あのとき魔法を使うのは発動体を持っている私でなくてはいけなかった。私が冷静でいられなかったから貴方が無理をすることになってしまった。気を失うまで魔法を使わせてしまって」

「そのことについてはもうたくさんお礼を言って貰ったよ。それにその甲斐あってティアもハテム君も無事だったわけだし、ちょっと気を失ったくらい大したことじゃない」

「十分すぎるほど危険なことよ。魔力が暴走していたら、フィルだってどうなっていたか……。しかもその後に貴方の身に起きたことも全部私の所為でしょう。大叔父様に捕らえられて牢に入れられたのも今こうして危険に晒されているのも、あのとき私が魔法を使えなかったから。全部私の事情に巻き込んでしまったから」

 力ない声だった。フィルは思わず振り向こうとした。しかしレティシアの手がローブを掴んで離さなかった。背中に押し付けられる圧力が強まる。

「ティア」

 フィルは優しく呼びかけた。けれどレティシアは何も言わなかった。ただローブを掴む力が少し強くなっただけだった。

「僕はティアがいてくれて良かったよ」

 廊下に二人立ち尽くす。封鎖された学院の中、動く物は何も無かった。

「学院に合格して僕は村からルサンまでやってきた。こんな大きい街に来たのは初めてだったし、見たことも無いような物がたくさんあった。希望通りの研究室に入れたけど、メンバーは学院史上最高の天才と若手の出世頭と呼ばれている人。しかも僕は時間魔術について何も知らなかった。こんな凄いところに僕なんかがいて良いのかと思ってた」

 廊下の先を見つめながらフィルは言った。石造りのまだ真新しい建物には柔らかい魔法の光が灯っていた。

「そんなときにティアが来てくれた。実を言うと最初はちょっと苦手だった。都会育ちの良いところのお嬢様だから、僕なんかと住む世界が違うと思っていた。それに本来ならティアが入るはずだった研究室に自分が入ってしまった、という負い目もあったしね」

 フィルは初めてレティシアが研究室に来たときのことを思い出した。言葉を交わしたときには彼女の目は吊り上がっていた。口に出しこそしなかったが、自分の居場所を掠め取ったのだ、と糾弾していた。

「でもすぐに凄いなって思うようになった。僕とあまり歳も変わらないのに導師や偉い人たち相手でも堂々と渡りあっていた。時間魔術を説明して貰ったときもすごく解りやすかった。街や学院のことも親切に色々教えてくれた。こちらこそ凄く感謝してる。ティアのおかげで僕は、この街の学院の一員になれたんだ」

 レティシアは黙ったまま身動き一つしない。ローブを掴んだ手もそのままだった。

「ティアは自分の所為で巻き込まれたって言ったけど、それは違うんだ。学院長がやろうとしていることはルサンに対する反逆行為だ。もちろん学院にとっても許されるような事じゃない。だからこの戦いは巻き込まれたものなんかじゃない。ルサンの街に住む学院生として自分で戦うことを選んだんだ」

「フィル……」

 背後から少し水音が混じった声がした。レティシアのこの声を聞くのは二度目だった。その鼻声にフィルは動揺した。少し考えてから冗談めかして続ける。

「もしそうじゃなかったら、学院長を倒しに行こうなんて言わないよ。巻き込まれただけで自分の身だけが大事だったら、そうだな……、僕は今からでも牢に戻るよ。あそこなら妖魔に襲われることも無さそうだし、食事も出るしね。ちょっと寝床が固いけど……」

 背中に押し付けられた額が微かに揺れる。どうやら笑ってくれたようだ。

「そろそろ行こう。みんな待ちくたびれちゃうよ」

 フィルがそう促すと、レティシアは背中から離れた。ずっと触れていた場所が少し涼しく感じた。

「ありがとう」

 レティシアがそう微笑む。彼女が一度目尻を拭ったことには触れないでおくことにした。

 廊下を進みフィルは自分の部屋の前に立った。まだ越してきてからそう経ってはいないが、それでも懐かしい思いがした。扉を開けて部屋に入る。狭い室内には雑然と荷物が積まれていた。身慣れた光景だった。

「酷い……」

 フィルの背後から覗き込んだレティシアがそう呟いた。

「え?」

「貴方を捕らえてから部屋の中を荒らしたのね。人の尊厳を踏みにじるようなことを……! まったく、なんて恥知らずな!」

「ちょ、ちょっと?」

 怒りに震えるレティシアに、フィルは慌てて手を振った。

「えっと、この部屋は元からこの状態だったんだけど……」

「……元から? この状態?」

 レティシアが軋む音を立てそうな程にゆっくりと首を傾けフィルの顔を見据える。

「フィル。貴方ここに住んでいたのよね?」

「うん」

「他の誰かの部屋に転がり込んでいたとかそういうことではなく」

「当たり前だよ。ろくに知り合いもいないのに、誰の部屋に行けっていうのさ?」

「それは……ウィニフレッドさんとか」

「ウィニフは警邏の宿舎だよ。そんなこと、出来るわけない」

 フィルがそう言うとレティシアは一応納得したようだった。溜息混じりに部屋の中を見渡す。

「本当に、ここで寝ていたの? ベッドなんて半分くらい埋まっているじゃない」

「一人横になるくらいなら、このくらいで十分だよ」

「床も、見えている面積の方が少ないわ」

「歩くのにそんなに幅はいらなくない?」

 フィルは部屋の片隅に積まれた衣服を漁りながら言った。

「ええと、僕の服で良ければ貸すけど……?」

「……洗濯はしてあるの?」

「寮母さんがいたからね。そっちの山は洗濯済みのやつ」

 フィルは部屋の奥の方を指さしながら言った。

「こっちのは?」

「そっちのはまだ洗っていない」

「私には、二つの山が繋がっているように見えるのだけど?」

 フィルはそちらに目を向けた。レティシアの言うとおり二つの山の境目はかなり曖昧だった。

「そのへんはフィーリングで。匂いとかで判断して」

「匂いを嗅ぐ? 私が? 貴方が着たかもしれない服の?」

 酷く冷たい声でレティシアはそう言った。何の気も無しに言った自分の言葉をフィルはすぐに後悔した。レティシアは女性だったし、ウィニフレッドでも無かった。

「ごめん……」

「あ、いえ……。こちらこそごめんなさい。フィルは好意で言ってくれたのに……」

 フィルが謝るとレティシアは照れたようにそう返した。

「あの、タオルか何かだけ貸して貰えると……。身体を拭きたいの」

 フィルは洗濯済みの山からタオルを取りだしてレティシアに手渡した。

「はい。地下に水が出るところがあるから」

 タオルを手渡しながらフィルはレティシアの方を見た。牢で三日間も過ごしただけあって、衣服はやはり薄汚れている。見えないが汗などをかいたりもしただろう。

「ごめん、寮の中に女性の知り合いでもいればよかったんだけど」

「……一人だけ心当たりがあるけど」

「え? 誰?」

 フィルは驚いて訊いた。そもそも学院に女性の魔術師はあまり多くない。レティシアは寮生ではないし、そんな知己がいるとは予想していなかった。

「アリステア導師は寮住まいだったはずよ」

「……導師が?」

 それを聞いてフィルは、若い導師の中には寮に住んでいる者もいるとフォクツが言っていたことを思いだした。しかしアリステアがそうだったとは初耳だった。

「でもさすがに導師から服を借りるなんて出来ないわよね。そもそも寮に残っているかどうかも判らないし……」

「部屋まで行ってみようよ。大した手間でもないし、そんなことを気にしている場合でもない」

「……そうね」

 少し考えてからレティシアは頷いた。フィルは手早く自分の荷物をまとめた。レティシアと一緒に部屋を出て階段を上る。導師たちは最上階が割り当てられているはずだった。

 一つ一つ、掲げられたドアプレートを確認していく。さすがに寮に住んでいる導師は多くないらしく、ほとんどが空室のようだった。廊下の中程まで行って二人はようやく目当ての名前を見つけた。少し緊張した面持ちでレティシアがドアをノックする。

「どなたですか?」

 予想に反して落ち着いた声がした。

「レティシア・ブリューゲルです。その、お願いがありまして……」

「お入りなさい」

 レティシアが用向きを告げている途中で返事がある。それから錠が開く音がして、ドアが内側にゆっくりと開いた。

「……え?」

 しかし予想に反してドアの向こうには誰もいなかった。レティシアは躊躇しながら部屋の中に入る。フィルもその後に続いた。

 研究室と同じで物が少ない部屋だった。備え付けの家具以外に手を入れた様子が全くない。ベッドもきちんと整えられていた。机の上に籐の籠が置かれているのだけが、目に見える範囲にある私物のようだった。

「必要な物があれば自由に持っていって構いません」

 どこからともなく声がする。しかし導師の姿は見えなかった。まったく人の気配はない。

「どういうこと?」

「恐らく、魔法でどうにかしているんだと思うけど……」

「遠くから声だけ飛ばしているのかしら?」

「いや。多分僕等がここに来たら自動的に発動するようにしておいたんじゃないかな」

 フィルはそう言いながら、籠の中を覗き込んだ。衣服が入っているようだった。

「フィル」

「ん? 何?」

 剣呑な声にフィルは振り向いた。レティシアが腰に手を当てて見下ろしていた。その目は鋭い輝きを放っている。

「どうしていきなり部屋の物を漁っているの?」

「だって、必要な物は使って良いって……」

 フィルがそう言うとレティシアは大きな溜息を吐いた。

「許可があるからといって、女性の部屋を男性が荒らして良いことにはなりません」

「え? あ、うん……」

「私が探しておくから、フィルは先に地下に行っていなさい」

 低い声で言うレティシアにフィルは部屋から追い出された。目の前でばたんと音を立てて扉が閉まる。フィルはしばらく呆然とそれを見つめていたが、一度首を振って階段へ歩き始めた。

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