流れ落ちる涙


 覚悟を決めた。

 兄と離れる、覚悟。


 好きでいる自信はあった。

 だけど弟としてずっと側にいて、何も感じないフリをする自信はなかった。


 一旦気付いてしまえば、本当に好きで好きでたまらない。

 いつかこの気持ちが溢れてしまった時、近くに兄がいたらきっとぶつけてしまう。

 もしかしたら、理性がもたなくなって襲ってしまうかもしれない。


 そうならないうちに家を出よう。そう決めた。




 時刻は夜の0時を5分ほど越えたところだ。キョウスケはもう寝てるだろうから、家を出る旨を今日説明しなくてもいいことにアオイは少しホッとする。


 シーンとした玄関を抜け、できるだけ静かにリビングのドアを開けた。

 と同時に、驚きで体がビクリとはねた。


「び、っくりしたぁ、兄貴か」


 真っ暗なリビングとつながっている真っ暗なダイニングキッチン。そんな中で、冷蔵庫のあかりに照らされキョウスケが立っていたのだ。


「遅かったな」


 一瞬だけアオイに目線を向け、ミネラルウォーターをコップに注ぐ。


 リビングの電気をつけながら、アオイはキョウスケが居たことに内心緊張していた。


「ああ、店長と飲んでたから」


 キョウスケの眉根がかすかに寄ったが、アオイはそれに気付かない。

 今言うべきか悩んでいたからだ。


 先延ばしにしたら決心が揺らぐ気がして、今しかないと自分に言い聞かせた。


「あの……兄貴、オレさ、家を出ようと思う」


 ミネラルウォーターを飲んでいたキョウスケの手が止まる。


「……そうか」


「そうかって、え、それだけ……?」


「もう子供じゃないんだ。自分で決めたことだろう」


「そう、だよね。……あ、オレ風呂、入らないと」





 何を期待してたんだろう。

 キョウスケが引き止めてくれること?

 いや、少しでも動揺してくれるだけでよかったんだ。


(ホント、何を期待してたんだ……)


 ふいに流れ落ちる涙は、シャワーに流され消えて無くなった。



 ◇◆◇◆



 キョウスケに避けられているかもと気付いたのは、出て行くことを宣言した日から4日目の朝だった。

 つまり、ここ最近キョウスケの顔をまったく見ていない。


「今日もキョウスケお兄ちゃん先に会社行ったの?」


「そうみたいだね」


「お仕事、忙しいのかなぁ」


「そうみたいだね」


「キョウスケお兄ちゃんから何か聞いてる?」


「そうみたいだね」


「アオイお兄ちゃん? どうかした?」


「えっ?! いや、何もないよ」


 避けられている理由をぼんやりと考えていたら、フライパンの上のスクランブルエッグが少し焦げてしまった。


「今日カスミ先輩に展覧会用の絵を見てもらうから、お泊まりに行ってもいい?」


「え、そんな急に泊まりに行って向こうのお家は大丈夫なのか?」


「うん! 先輩のお母さんともすごく仲良くなって、いつでも泊まりに来てって言ってくれてるんだー」


 泊まりに行けることがよほど嬉しいのか、ヒナタからは幸せオーラが出ている気がする。


 お花を背負しょったヒナタを見ながら、アオイはずっと気になっていたことを聞いてみた。


「ねぇ、ヒナは何でカスミちゃんを好きになったの?」


「ど、どうしたのいきなり」


「ずっと気になっててさ」


「んー。前にお泊まりに行った時にカスミ先輩にキスされて……。その時はびっくりの方が大きかったんだけど、女同士とか関係なく気が付いたら私も好きになってたの。それで私から告白したんだ」


 わずかに赤くなった頰を両手で隠すヒナタ。

 アオイは、自分の妹ながら可愛いなぁと思う。


 恋してるんだな、なんてしみじみ眺めていたら、無性にキョウスケに会いたくなって胸がキュウと締め付けられた。

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