おためしのキス


「いらっしゃいませ! あ、津村さん! いつもありがとうございます! 良かったら奥の個室どうぞ!」


 カウンターの中にいる大柄な青年はどうやらこの店の店長らしく、器用に焼き鳥を焼きながら人懐こい笑顔を見せた。


 赤提灯あかちょうちんに美味しそうな焼き鳥の匂い。

 仕事後のサラリーマン達でごった返す店内。

 こんな所で込み入った話ができるのかとアオイは心配になったが、奥の個室に入ってみるとその心配は幾分解消された。



 入店して小一時間。

 酒も焼き鳥もほどほどに進むが、津村はキョウスケのことを話題に出してこない。

 とうとういたたまれなくなったアオイが、思い切って切り出した。


「あの、何も聞かないんですね」


「まぁ、もうちょい酒が入ってからとは思ったんだけどな。なかなかオープンには話しづらいだろうし?」


「はい、まぁ。そんな胸張って言えることでもないんで……」


 アオイはポツリポツリと話し始めた。

 自分のヒナタに対する鋭い勘や、男の子達にしてきたことは他人には理解しがたいと思いあえて伏せる。


 ふとしたキッカケで一度だけキョウスケとキスしたこと、それから兄であるキョウスケを意識していること、欲情してしまうことも言った。


 焼酎を片手にじっと黙って聞いていた津村が、重い口を開いた。


「俺もそこそこ生きてきてるから、同性愛者にだっていっぱい出会ってきた。ゲイの友達もいる。お前が男を好きだと言うんだったらそれを応援したいと思ってる。ただ……」


 津村は持っていた焼酎をグイと一口飲む。


「ただ、お前の場合相手は自分の兄貴だ。普通の恋人どころか想いを伝えることもできない。それでも、ずっと側にいて好きでいる自信と覚悟はあんのか?」


「自信と、覚悟……」


 俯き呟いたアオイは考えること1分、突然バッと顔を上げて津村を見据えた。


「津村店長! オレと、その……キスしてみてくれませんか?」


「はぁ?!」


「いやあの、考えたんです。兄貴だから好きだと思ってたけど、もしかしたら根底にはただ単に男が好きっていうのがあるのかもしれない。津村店長とキスして、もし少しでもときめいたらオレは男が好きなんだと認めます。そして兄貴を諦めて他の相手を探します」


「はぁ〜、真面目なやつが壊れると何言い出すかわかんねーな。お前完全に酔ってるだろ」


「はい、酔ってます! 酔いに任せてどうかお願いします!」


「…………。キスすれば、俺がした質問の答えが出るんだな?」


「はい。きっと」


 俯いた津村は、考えること2分。意を決したように了承した。


「いいか、激しいのすんなよ。軽いやつだぞ、軽いやつ。もうオッサンなんだから無理させんなよ?」


「わかりました」


 立ち上がり津村の隣に移動したアオイの目は至極真剣である。


 肩を掴まれた津村は思わず気迫負けしそうになるが、年上と店長の威厳を保つためにも余裕を見せなければならない。

 津村は、リードするつもりで自分からアオイに顔を近付けていった。


 2人の唇がゆっくりと重なる。


 どちらともなく「……ん」と声が漏れたが、その後はしばしの沈黙。アオイは言いつけを守って、ただ触れるだけのキスをしている。

 決して舌を絡ませたりはしない。


 目を閉じている津村は少し焦っていた。


(確かに軽いけど、長くね……?)


 唇を重ねたままこっそり薄目を開けてみると、これだけ近くてもわかるほどの端整な顔がそこにあった。


 こんな男前でも恋愛で悩んでたりするんだなとぼんやり考えている時に、スッと唇が離れた。


 一息おいて、津村が口を開く。


「で? 答えは出たか?」


「はい……正直……何も感じませんでした……。本当すいません」


「謝んなよ。なんか俺が振られたみたいになってんじゃねーか」


「兄貴とキスした時は、頭が沸騰するんじゃないかってくらいドキドキしてなんかこう、心の隅々まで満たされるって感じがしたんです」


「それは〝兄貴だから〟?」


「そう、だと確信しました」


 自分の中でひとつの答えが出たにもかかわらず、アオイはどこか浮かない顔だ。


「まだ迷ってんのか?」


「……いえ。覚悟、決まりました」


 アオイは、氷が溶けて薄くなったレモンサワーを一気に飲み干した。

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