第二十七話 兄妹

 今から二十年ほど前、遠名とおな 多喜男たきおという男がいた。


 彼は、州都にある第二世代軍本部で事務員として働いていた。同世代には、人類のヒーローとも呼ばれるセイビーの存在。一方の彼は当時まだ数の少ない『成りそこない』だった。そんな彼に周囲の風当たりは強かった。彼は自分の生まれた意味もわからず、日々悶々としていた。


 そんな彼に人生の転機が訪れた。彼女と出会ったのだ。


 一歳年下の彼女は、同じビルの受付嬢。花が大好きな彼女は、彼と同じく成りそこないだった。成りそこないのコンプレックスを抱えた者同士。出会ってから意気投合するまでに、さほど時間を要さなかった。彼女に色々と相談したし、愚痴にも付き合った。


 それからの遠名は少しずつ変わっていった。成りそこないの自分にも出来ることはたくさんある。そう前向きに考えるようになった。


 皆の嫌がる雑務を率先してこなした。そんな彼を周囲も次第に認めるようになった。遠名は成りそこないをミドルと呼ぶようにした。

 

 彼にも夢ができた。それは、ミドルの少年少女のための教育施設と就職斡旋所の設立だ。それは彼女の望みでもあり、喜んで応援してくれた。

 

 彼女との婚約も決まった。人生が充実し、やる気に満ち溢れていた。

 

 結婚式も再来月に迫っていたその日。式の段取りの打合せも終わり、二人で仲良く手を繋ぎ帰路についた。人生で最も幸せな時間だった。それが、儚くも一瞬で奪われてしまう。


 現生人類史上主義教会。当時、それは州都で会員数を急速に増やしていた。オリジナル人類以外は人ではないという主義だった。


 この世から宗教や人種対立を無くす。世界政府を組織したときの共通理念は、この十年間で忘れ去られていた。人は誰かを蔑まないと生きていけないのだろうか。自分とは違う存在を極度に恐れているのかもしれなかった。


 その協会の会員複数名が、大通りで遠名とその彼女を取り囲んだ。疎らであったが、通りを歩く人達。彼女は彼らに助けを求めた。しかし、誰も目を合わせずに通り過ぎていく。教会には関わりたくないし、成りそこないなんてどうでも良かった。


 そうする間に、二人は路地裏へ拉致された。執拗ともいえる暴行を遠名に加えた。彼らにとっても成りそこないは格好の標的だった。力も無いわりに、見た目がセイジであったからだ。


 そして彼女は、彼の目前で人としての尊厳を踏み躙られた。泣き叫ぶ彼女に、遠名は必死で手を伸ばす。だが、その手は最期まで最愛の人を捉えることはなかった――。


 遠名が意識を取り戻したのは、病院のベッドの上。

 州都連邦病院の一画に、特別病棟があった。一般人の立ち入りが固く禁じられている建物だ。

 遠名の全身は、太い鎖で幾重にも巻かれていた。その鎖は重厚な鋼製のベッドに縛りつけられている。


 彼は、あまりの憎しみに獣堕ち化したのだ。皮肉なことに、獣堕ちした彼の身体能力は、セイジすらも凌駕していた。


 彼を襲った集団はすぐに肉塊と化した。燃えさかった憎悪の火は、それでは消えることはなかった。獣と化した彼は州都に点在していた現生人類至上主義協会の拠点を次々と襲う。そこに集っていた人々を例外なく皆殺しにした。


 これにより、州都の現生人類至上主義協会は瞬く間に消失した。


 しかし、彼の憎しみは、それでも満たされなかった。今度はオリジナル人類の一般都民に無差別に牙を剥いたのだ。


 州都政府はセイジ軍を出撃せざるを得なかった。そして、犠牲を払いながらも、なんとか彼を取り押さえた。

 

 彼は直ぐに殺されるようなことはなかった。重大な症例だった。いつ誰が同じ症状に罹るかわからない。政府は原因を突きとめるとともに、対策を講じる必要があった。あらゆる検査と、多種多様な治療が施された。しかし、これといった特効薬は見つからなかった。


 そして事件の約一年後。

 遠名は歴史から忽然とその名を消す。

 

 僅かな隙に乗じて、新薬の臨床試験を担当していた若い研究者を殺害。病院から逃げ出したのだ。消息は今もって不明だ。


     ***


「ちょっとお兄ちゃん! なに野菜を脇に避けているのよ」


 翔の斜向かいから、叱責が飛ぶ。


「だ、だって――」

「毎回同じことを言わせないで。好き嫌いしないで全て食べる。じゃないと、そこのデザートには、口をつけさせないからね」

「そ、そんなぁ」


 翔の真向かいでは、対照的に情けない声。野菜を残す望夢に、妹の凜花が説教していた。肩につかない程度のショートボブ。望夢と対照的に小柄な体格だ。黒い瞳だが、はたして本当にセイジなのだろうか。

 左目が隠れているから何ともわからない。そこは白い花柄の眼帯で覆われていた。一見すると痛々しい姿だが。


「見た目と違って、騒々しい奴だな」

「は? なんか言った」


 僕らは、食堂にいる。四人掛けのテーブル二つを寄せて、一つのテーブルを作った。それを五人と一匹で囲んでいた。勿論、一匹はテーブルの下だ。


「クー。お前、今度は気をつけろよ」


 テーブルの上は昼にも増して色鮮やかな小高い山が並ぶ。ビュッフェ形式は、各々の趣向がとてもよく現れていると思う。


 僕の皿は規則性がなく雑然としている。目の前を流れる食べたいと思った料理を後先も考えずに盛った。その結果だった。

 やはり秀人は僕とは違うな。調和に満ちた皿だ。肉、魚、野菜、果物など多種多様な料理が適正な量で盛られている。

 エリカは……いう間でもないな。全て肉料理の山だ。こいつは完全な肉食系女だ。


 望夢と凜花は……。鏡に映したかのような料理構成だ。バランスもとれている。さすが双子、と言いたいところ。だが、違った。本来の望夢の皿は、テーブルの脇に追いやられたのだ。

 望夢は大の甘党のようだ。このホテルは、どんな料理も選びたい放題。望夢はスイーツ食べ放題という状況に大興奮していた。僕が見た時には全ての皿が甘味で埋め尽くされていた。凜花が、すかさずその皿を取り上げた。そして、自分の料理をバランス良く取り分けた。

 スイーツをとりあげられた際の望夢の絶望的な顔。あまりの落胆ぶりに、僕でさえも同情してしまった。


「しかし、おまえら二卵性とはいえ双子なのに、体格どころか性格も正反対だな。しかも凜花の方がしっかりしていて、姉貴みたいだ」


「お兄ちゃんは昔から私がいないと何もできないのよ。ちょっと、お兄ちゃん! 良く噛んで味わって食べなさい!」


 黙々と皿の上の料理を消費していく、望夢。ノルマをこなして、早くスイーツにありつきたいという気持ちが手にとるようにわかる。


「ところでさっき、望夢にも聞いたんだけど、二人は何で北都に来たんだ? 望夢は、もごもごとしているだけで、何を言っているか、よくわからなかったんだけど」


 僕がそう言うと、望夢の手がぴたりと止まった。顔を上げると、凜花を心配そうに見つめていた。


「セイビーになろうと思って。家が貧乏で苦労したのよ。入隊したら食事の心配をする必要がないって聞いたから。見ての通り、お兄ちゃんは食いしん坊だから。あ、ちなみに私は、お兄ちゃんとは逆に左の瞳が緑色だったの。だから、私もセイジよ」


 凛花は、望夢とは違って淀みなく答えた。ただ、何か取り繕っているような違和感を受けた。保護者の話も一切でてこないし。さらに踏み込むかどうか迷った。その隙に秀人が話を引き継いでしまった。


「そうだね。セイビーに入隊すると国から宿舎が提供されるし、朝昼晩と三食付き。給与も毎月支払われる。一般市民と違って納税の義務も免除されるなど、その特典は多いよね」


「ごはん、毎日食べ放題……」


 エリカが反応して目を光らせる。あれ、いつの間に。彼女の前の皿は、肉からスイーツの山へと切り替わっていた。


「おまえ、まだ食べるのかよ!」

「スイーツは、別腹」

 

 エリカは嬉々として、ケーキを頬張りだした。


「別の腹が出るだけだろ」


 その言葉が喉元まで出かけた。以前に似た流れで、それを口にした際のトラウマ。それが懸命にも僕の口を噤ませた。


 眼下に広がる夜の街をぼんやりと眺める。故郷の街とは違い、煌々と輝いている。この街は、二十四時間眠らないようだ。

 ノルマを終えた望夢は、まさに幸せの絶頂にあった。右手にアイスクリーム、左手にケーキを持ちながらスイーツを堪能している。見るだけで胸やけしそうだった。なので、コーヒーを片手に窓際の席に移動したのだ。

 食事をすでに終えた凜花と秀人も僕の隣の席に移動していた。これまでの状況や今後の動きについて、情報交換している。何気に楽しそうだ。

 共感するところがあるんだろうな。認めたくないが、二人とも互いのパートナーの出来が悪く苦労しているみたいだ。


     ***


 湯気の立ちこめる空間に、若い女性の高い声が反響する。


「エリカ、それで、翔とはどういう関係なの」


 凜花の直球に、エリカは一瞬固まる。


「あなた、急に、何をいっているのか、わからない」


 何とか、そう口を開いた。


「女同士、折角の裸の付き合いでしょ。本音トークでいこうよ。あいつらも今頃、風呂に入って色々と仲良くやってるでしょ」


 ホテルの最上階には大浴場があった。北都でも屈指の広さを誇る温泉だ。


「どうして、そんなこと聞くの? 翔に、限定した理由はなに?」

「あなた気づいてないの。端から見たらわかるわよ。翔を見ているあなたの視線、普通じゃないわ。まあ、鈍い男連中は何も気づいていないから、安心して」


 白く滑らかなエリカの肌が桜色に染まっていた。風呂で上せたからか、はたまた別の理由なのかの判断は難しい。口を割りそうにないエリカに、凜花はさらに畳みかける。


「あんたのその容姿。そして悔しいけど、その抜群のスタイル」


 風呂に浮かぶ自分に決定的に足りていないもの。凜花はそれを憎々し気に凝視する。貞操の危険を感じたエリカは腕でそれを覆い隠す。


「全然隠せていないわよ! 嫌味?」

「なに言っているか、わからない」

「持つ者には、持たざる者の気持ちは、わからないってことね」

「私、力持ち」

「は? まあいい、話を戻すわ。多くの人が特殊な私達を嫌っているわよね」

「よくわからない」

「あなたはそうかもね。それに北都では、故郷ほど、あから様ではなかったわね。少なからず好意的な視線もあるし。だから、あなたほどの美少女であれば、いくらでも男が群がってくると思う」

「興味ない」

「その話し方が、ぶっきらぼうでいけてないけどね。実際、このホテルで通りすぎた男達もそうだったわ。ちらちらと、あなたを見ていたわよ。しかし、男ってあれで自分が覗き見している事を気づかれていないと本気で思っているのかしら。あら、また話が脱線したわ。要するに、あなたと彼は釣り合ってないと思うんだけど」


「翔は……。私の、最後の大事な、家族」

「それ言ったら、私のお兄ちゃんだって同じよ」

「同じ……。じゃない?」

「あなたの送る視線は違うわ。あれは、女が男を見る視線よ。あいつ、たいしてハンサムじゃないし、おちゃらけているし、あなたの好みが、良く分からないわ」


 エリカは少しの間沈黙し、そして口を開いた。


「翔の胸に、大きな紫の痣、あるの」


 凜花は思わず片側しかない目を見開いた。この娘は急に何を言いだすのか。もうそういう関係にまで発展しているとは、正直、想定外だった。

「多分、勘ちがいしてる……。二歳の頃、翔が私を助けてくれた、その時に、怪我した」


 たどたどしく、エリカが話しを続ける。



 それは、私と翔が二歳の頃の話だ。故郷の街が二日間の記録的な豪雨に襲われた。その翌日、それまでが嘘であったかのように晴れ渡った。家の中に閉じ籠められていた鬱憤。それを晴らすかのように、私は翔と外を駆けずりまわった。


 家の近くに大きな川があった。普段は川幅も狭く、水深は大人の膝丈にも達しない。しかし、その日は違った。水嵩が増し、小さな堤防からは今にも溢れ出しそうだった。全ての物を飲み込むかのような濁流。翔は怖くて近づくことすらできなかった。


 私は、その頃には既に男勝りだった。しかも、当時は翔に対してお姉ちゃんぶっていたと思う。翔の静止にも聞く耳を持たなかった。いつものように橋の欄干の上にバランス良く立ち上がる。自分の勇気を翔に見せつけたかった。


 そして、私は欄干の下を直視してしまった。渦巻き、荒れ狂う黄土色の濁流。それが自分を吸い込もうとしていると錯覚した。背筋が冷たくなった。そして、これまで一度も踏み外したことのない足を滑らせた。強がっていたが、私もまた平常心ではなかったのだろう。最後に聞こえたのは、翔が私の名前を叫ぶ声。あっというまに濁流に飲み込まれ、息もできず、すぐに気を失った。


 目を開けると、白で塗りつぶされた世界だった。私は死んで天国に来てしまった。そう思った。すぐに泣き腫らした母の顔が眼前に現れた。母は私を強く抱きしめた。そこで始めて、自分が病院のベッドの上にいることに気がついた。

 母に自分がなぜ助かったのかを訊く。詳しい理由は母にもわからなかった。ただ、ずぶ濡れで気を失った私と翔が、土手の上に並んで横たわっていたと。


 少し離れたベッドに翔が横たわっていた。私よりもはるかに危険な状態だった。口には、酸素マスク。上下する胸に大きな紫色の痣があった。それが酷く痛々しかった。私は泣き崩れた。自分のしてしまった取り返しのつかない過ち。大好きな翔の命が消えてしまう。私は必死で神様に祈った。


「自分の命、あげるから、翔の命、助けてください」

「馬鹿言うんじゃありません! 翔ちゃんは、何のために、誰のために、あなたの命を救ったと思うの。あなたがそんな事いったら、翔ちゃんがどう思うのか考えなさい」


 そう強く諭されたことを今も覚えている。母はその後、私を後ろから再び強く抱きしめてくれた。


「大丈夫。翔ちゃんは強い子だから、きっと目を覚ますわ。その時には泣き顔じゃなくて笑顔で、おかえりと迎えてあげましょうね」


 涙混じりの声だった。母も神様に祈っていたのだと思う。


 翔は一週間経っても目を覚まさなかった。私はその間、一時たりとも翔から離れなかった。周囲の人達も、始めは家に帰るように説得していたが、途中から諦めた。逆に、翔の脇に私のベッドを移動し、私の分の食事まで用意してくれた。こんな時でも空腹になる自分が恨めしかった。


 そして、翔が目を覚ました。私は泣きつきそうだった。でも母の言葉を思い出した。感謝を込めて翔に微笑んだ。


「あ……。天使かと思ったよ」


 翔は、私にそう微笑んだ。私の胸がギュッと痛んだ。


「翔、助けてくれて、ありがと。そして、馬鹿なことして、ごめんなさい。こんどは、私が、翔を、絶対守ってあげる」


 私の瞳は、涙で潤んでいたと思う。翔は、満面の笑顔で頷いた。


「うん、よろしく」



 翔が三歳の誕生日。私は自分と翔の血が繋がっていない事実を知った。強い衝撃を受ける一方で、心の奥で安堵する自分にも気がついた。あの日以来、変化していく翔に対する想い。それに戸惑っていた。肉親に対するものとして相応しい感情なのかどうか。それが、わからなかった。



「ふーん。なんだ、あいつ結構やるじゃん。そりゃー、命を懸けて守られたら、女は惚れちゃうわね。いいわ、二人を応援してあげる」


「ほ、惚れてない。し、余計なこと、しなくていい。もう、のぼせたから、出る」


 凜花を睨みつける、エリカ。自分の顔が火照っているのがわかった。長風呂しすぎたようだ。ふらふらと脱衣所へ向かう。そんな彼女の背後では「素直じゃないなー」と凜花が、からかっていた。


 その頃の男風呂。噂の主は、お湯をかき分け、走り回っていた。



 開放感あふれる広大な露天風呂。僕は大興奮していた。


「ははっ、遅いぞ。俺の勝ちだな!」


 後ろから、プカプカと浮かぶ小さな影が追いかけてくる。手足と二つの尻尾を、器用にばたつかせていた。僕はクーと追い駆けっこしていた。今日の宿泊者は少ないらしく、風呂は、ほぼ貸し切り状態だった。


「ハックション!」


 大きなクシャミが出た。


「外気温は低いんだから、そんなに走り回ると風邪ひくよ」


 秀人が諫めてきた。


「大丈夫だって、秀人も一緒に競争しようぜ!」

「ああっ! 翔くん。その背中! 胸と同じような痣ができているよ」


 僕の背中を見て、秀人が驚きの声をあげた。


「えっ、そうなのか。シェイドに襲われて気を失った時に、どこかにぶつけたのかも」


 鏡に映した背中を確認する。確かに、胸と同じ紫色の痣が広がっていた。

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