第二章 北都

第十八話 心の闇

 蓮夜は四歳の誕生日を来月に控えていた。彼の最近の日課は子供とは思えないほど忙しい。午前中一杯と昼食後の一時間は勉強。メイド兼教育係の静香から一般教養を学ぶ。

 腹が落ち着いたところで午後は体力づくり。屋敷の周囲を約一時間ランニングする。その後、剣道を二時間。剣道は将来セイビーでのブラッドを用いた近接戦を見越してであった。このために、わざわざ屋敷の中庭に小さな練習場まで建てたのだ。街の道場の師範代を毎日家に招いている。

 父親は投資を惜しまなかった。夕食後に風呂に入り、就寝前に一日の活動を父親に報告する。最後に、父親から訓話を受けて就寝する毎日だ。


 とても小さな子供が送るような生活と思えないが、蓮夜は充実していた。あの日の映像で自分の目標が明確になったのだ。知識も力も積極的に吸収する努力を惜しまなかった。


「父上、いくら何でも、それは――」

「何度も言っておるだろう。セイジ以外の下賤な人類は奴隷として扱うべきなのだ」


「申し訳ありませんが、そのお考えには納得できません」

「なぜわからん。お前はセイジだろ」


「父上や静香だってオリジナルの人類じゃないですか」

「静香のような阿婆擦れと儂を一緒にするな!」


「な――」

「さすがに無から有は作れないからな。儂は、お前を生み出した尊い存在として全人類から崇められる存在になるだろう」


「父上の存在は別としても、静香を貶めるような言葉は謹んでください」


 就寝前の父親の話は蓮夜のためになる話も少なからずあった。ただ、毎日のようにセイジではない人間は奴隷にすべきだという考えを押しつけられた。これにはさすがに同意ができなかった。

 確かに街には、蓮夜に対して蔑んだ視線を浴びせてくる者が居ないわけではない。しかし少なくとも静香は違った。彼女は物心ついた時から蓮夜に温かい愛情を注いでくれた。今でも優しく丁寧に勉強を教えてくれるのだ。


「ふん。誑かされおって。いいか、あいつも母親と同じだ。いつかお前を捨てて逃げ出すに決まっている。その時に苦しむのはお前だぞ」

「そんなことは決してありません。静香は僕を決して裏切らないですし、僕は大きくなったら逆に静香を守ってあげます」


「もういい! 今日はもう部屋に戻って寝ろ!」


 このまま話を続けても無駄であった。機嫌がさらに悪化することはわかりきっていた。蓮夜は就寝の挨拶をして父親の書斎をでた。


「馬鹿な奴め」


 父親は荒々しく机の上に置いてあるブザーを押す。数分ほどして扉がノックされた。顔を出したのは若い青年。その表情は青白く亡霊のようであった。父親の第一秘書の沖田直人おきたなおとである。


「市長、ご子息とのお話は終わりましたか」

「ふん。相変わらず冴えない面構えだな。まぁいい。まずは、定例報告をしろ」


 不機嫌そうに秘書に報告を促す。蓮夜の父はこの街の市長だった。


「こちらが、今週の売り上げと、石炭の採掘量になります」


 秘書は二つの書類を差し出す。市長の親戚筋が経営していることになっている商社の業績と、自らが所有する鉱山の採掘状況だ。


「ふん、銃器の売り上げはまずまずだな」

「ええ、こんな時代だから市民に人気の商品となっています」


「相変わらず馬鹿な奴らだ。シェイド相手に銃なんて骨董品はちっとも役にたたないのにな。藁に縋っても溺れるだけだ」

「お蔭で我々は二束三文で仕入れてきたものを高値で売りさばくことができます」


「まあ、金の使い方もわからん愚民どもだ。汗水垂らして働いた金を儂に貢いどけばいいか」

「ええ、仰る通りです」


「石炭の方はこれでは足りん。来月から発電所が本格稼働に入るからな。いくらあっても飛ぶように売れるぞ。まあ買うのはうちの商社で財源は税金だがな」


 にやにやと銭勘定をする、市長。


「かしこまりました。それでは炭鉱夫を増やして対応いたします。それと、次の市長選の立候補予定者の件です」

「儂にたてつく不届き者たちか」


「それにつきましては第三者を通じて金で雇ったごろつきどもを向かわせました。前の立候補予定者と同じ道を辿っていることでしょう」

「当然の報いだな」


 その後、些細な内容について沖田が市長に報告を続ける。


「定例の報告はこれで終わりだな。次は愚息のことだ」

「はい、いかがしましたか」


「お前の報告書通りだ。あ奴はあの女狐に誑かされているわ。」

「やはり」


「やはりではないだろうが! そもそも子守りを探していた時に、あの女を紹介したのはお前だぞ!」

「それにつきましては誠に申し訳ございません。私の不徳のいたすところです。まさかこんなことになるとは。それで、いかがいたしましょうか?」


「報告書に記載されていた内容の真偽は、確かだろうな」

「はい、間違いございません。ということは、報告書で提案させて頂いた対応を進めても宜しいということでしょうか」


 市長は何も言わずただ、脂ぎった顔を歪める。醜悪な笑みだった。



 蓮夜の誕生日を一週間後に控えたある日の夕方。


「くー、思った以上に重い」


 蓮夜は食堂に向かって長い廊下を歩いていた。両手は大量の食材で満たされた紙袋で塞がっていた。通常であればこんな所にいるはずがなかった。この時間は剣道の修練にあてられていたからだ。


 剣道の練習を開始して二十分ほどした頃。一人の男が顔をだした。街に買い出しに行っていた使用人だった。使用人は師範代に駆け寄り何かを報告した。師範代の血相が変わる。街の道場に通う有望な教え子が事故に遭遇し、重体で病院に運ばれたとのことだった。

 師範代は着替えもせずに道場着のまま病院へと駆け出そうとした。それを使用人の男が留めた。買い出しが完了した所なので車が使える。病院まで車で行った方が断然早い。だから購入した食材を厨房まで運び終わるまで待っていて欲しい。使用人は師範代にそう告げた。


 それを聞いた蓮夜は自分がその食材を代わりに運ぶと進言した。坊ちゃんにそんな事はさせられない、と使用人は慌てた。恩師でもある師範代を一刻も早く病院まで送って欲しい。そう言って蓮夜は半ば強引に使用人から荷物を奪ったのだ。


「しかし、毎日こんな量の食材を使っているとは思ってもいなかったな。家って使用人が何人いるんだ。あと二回は往復しないといけなさそうだ」


 蓮夜は若干、息を切らせて荷物を運ぶ。長い廊下だ。最悪なことに厨房は玄関の反対の最奥だった。ついつい愚痴が口をつく。

 普段は台車に載せて荷物を運んでいる。不幸なことに蓮夜はそれを知らなかった。


「ああ、運がいい」


 普段は閉まっている厨房の入口が空いていた。もしかしたら食材を運び込む時間帯は常に扉を開けているのかもしれない。荷物を一旦降ろさないで済むことに安堵した。

 扉をくぐり、食材の置き場所を探す。厨房なんて蓮夜はほとんど入ったことがない。当然運んできたものを、どこに置いて良いのかもわからない。誰かに尋ねようと広い厨房で人を探す。

 そんなとき、耳に聞き慣れた女性の声が飛び込んできた。目を向けると地下へと伸びる階段があった。そこから再び声が聞こえてきた。


「へー厨房にこんな場所があったのね」

「全ては上の冷蔵庫には入らないからな。ここは野菜などの保管室だ。あとはあれだ」


 料理人が指さした先は部屋の最奥。そこには鋼製の大きなタンクが鎮座していた。


「何よあれ。一つで樽数個分は入りそうね。それが三つも。しかも随分と物々しいわね」


 タンク周りは計器や配管などで固められていた。近づくと低い機械音がした。


「これは秘書様のご趣味だ」

「え、沖田の?」


「彼は、ワインが大の好物みたいでな。どこからか大量に仕入れているんだ」

「ワインなんて、最近めったに手に入らないのに。しかも、ボトルどころか樽サイズはあるじゃないの」


「これは酸化して品質が劣化するのを完全に防ぐ冷蔵タンクなんだとさ。バルブは全て電子ロックがかかっていて秘書様にしか解除できない」

「え、旦那様でも無理なの」


「というか、旦那様はこれのこと知らないんじゃないか」

「え、そうなの。確かにあの豚は厨房になんて来ないわね」


「俺も最初は何の容器かわからなかったんだ。たまたまだ。秘書様がテイスティングのために樽からグラスに注いでいるのを見かけてな。その際に聞いたのさ。声を掛けた時の秘書様の顔はトラウマだよ」

「そんな気持ち悪い顔してたの?」


「普段は優しそう、というか倒れそうなのにな。この人からワインをくすねたら命に関わると思ったよ。身震いするほど怖かった……」


「ふーん。あいつにそんなご大層なご趣味があったとわね。ところで本題は?」

「ああ実はな、俺は近くこの家を出ることにした」


「えっ!」

「だから俺に連いて来て欲しい。やっとだ。これまでずっと辛抱してきたんだ。夢を叶えるチャンスを見逃しくない」


「でも、まだ開業資金は足りていないって、この前、言っていたじゃない」

「昨晩、旦那様に呼び出されたんだ。酒も入っていて随分と機嫌が良さそうだったぞ。十年間奉公を続けたご褒美だといって特別ボーナスをくれたんだ。一年分の給料と同額だ」


「あの守銭奴が……」

「それもぼろぼろの紙幣じゃなくて金貨でだ! これならどこでも使える。俺だって正直信じられない。いつ気が変わって返せって言われるかわからない。だから、今しかないんだよ」


「でも、こんな急に言われても私にだって心の準備があるわ」

「明後日だ。北都から月に一度の定期便の貨物列車が来る。それに乗り込むんだ」


「ほんとに北都に行くの?」

「ああ、前にも言ったが、あそこには兄貴が暮らしている。兄貴を頼れば入都手続きも問題ない。あんな欲望に塗れた男のためだけに自分の料理の腕を奮うのは、もう耐えられない」


「その気持ちはわかるけど」

「小さくても構わない、北都で二人の料亭を開こう。俺が料理を作って、お前は女将さんだ」


「ま、待って! あなたの気持ちはとても嬉しいわ。でも、一日、一日だけ考えさせて」

「あいつか。静香にとっては息子のようなものだものな」


「そういうわけじゃ……。あの子はもう私が居なくても平気よ。むしろ最近は私の方が耐えられないこともあるし」

「どういうことだ? あいつは、あんなに静香、静香っておまえに懐いているじゃないか」


「それが、嫌なのよ! やっぱりあの子は少し変なのよ。体も心も成長する速度が異常なの。全然子供らしくないわ」

「たしかに、最近は信じられないほど大人びているよな」


「今度の誕生日でやっと四歳なのよ。それなのに、たまに私の体を舐めまわすように見るの。あの不気味な緑の瞳で。旦那様に洗脳されて最近は私の話も聞かないし。私はあの子の所有物じゃないのよ。やっぱり蛙の子は蛙なのかしら」

「それじゃあ、なんで躊躇するんだ? まさか俺とじゃ嫌なのかよ」


「馬鹿いわないで。私はあなたに全てを捧げたの。私そんなに軽い女じゃないわ」

「ならどうして」


「私だって、ここに奉公してもう四年にもなるわ。屋敷でお世話になった人にけじめをつけてスッキリした気分で辞めたいの」

「そういうことならわかった。じゃあ明日の夜十一時に玄関で待っている。その時間なら旦那様もすでに就寝しているだろ」


「うん」

「街の知り合いに車の手配も頼んでおく。ただくれぐれも――」

「わかっているわ。旦那様にばれる訳にはいかない。皆にはなるべく何気なく挨拶するようにするわ」



「そ、そんな……」


 蓮夜は愕然としていた。一連の会話を全て耳にしてしまった。両手に抱えていた食材を落とさなかっただけでも僥倖だ。

 数日前の父親の言動が頭の中で繰り返される。静香も実の母親と同じようにお前を捨てると。胸の中に黒い気持ちが湧き上がる。


「それじゃ、私、そろそろ戻るわ。色々と準備しなくちゃ」


 足音が階段へと近づいてきた。話も終わり厨房に上がってくるようだ。まずい、このままでは見つかってしまう。蓮夜は我に返った。何も悪いことはしていない。それでも今は顔を合わせるわけにはいかなかった。

 とりあえず正面の調理台の上に両手の荷物を置いた。台の上にあった物がたまたま目に入った。無意識にそれを掴んでしまった。そして厨房を飛び出すと二階の自室へ飛び込んだ。


 その日、蓮夜は部屋に閉じ籠って出てこなかった。夕食も父親との夜の定例報告も、具合が悪いと断った。

 翌日の朝食時も蓮夜は食堂に顔をださなかった。午前の勉強会。静香は蓮夜は勉強ができるような状態ではないと思っていた。それでも念のため学習室に顔をだした。


「えっ。坊ちゃん!」


 想定外にも蓮夜は机に向かって座っていた。静香が入室したのに気づいて振り返る。


「駄目じゃないですか! 顔が真っ青ですよ。無理せずに部屋に戻って今日はゆっくりと寝てください」

 

 蓮夜の目の下には大きな隈。瞳が赤黒く充血していた。


「いいんだ。少し静香と話がしたくて。それが済んだらちゃんと休むよ」

「お話ですか。私で宜しければいつでも相談に乗りますよ。何かまた旦那様から言われたんですか?」


 静香は優しく蓮夜に微笑みかける。蓮夜は堪えきれず静香の胸に飛び込んだ。静香は一瞬戸惑ったが少年の頭を優しく撫でる。


「ああ、静香の匂い。安心する。辛い時や悲しい時にこうすると気持ちが安らぐんだ」

「私で良ければいつでも胸をお貸ししますよ」


 蓮夜の体が震える。静香の胸から顔を上げると彼女をじっと見つめる。


「ほんとに? これからもずっと? いつまでも側にいてくれる?」


 静香の瞳が一瞬揺れる。


「最近の坊っちゃんはしっかりしていますよ。私がいなくても、もう大丈夫――」

「静香がいなきゃだめなんだよ! ぼくと、ずっと一緒にいてよ!」


 諭すような声を打ち消すように蓮夜は悲痛な叫び声をあげた。静香の瞳が再び揺れる。そして困ったような表情を浮かべる。このままでは蓮夜の癇癪は収まらないだろう。とりあえず安心させなければ。彼女はそう思った。


「坊ちゃん、わかりました。静香はずっと側で見守りますから安心してください」

「ほんと! 約束だよ! これからは我儘も言わない。静香のいいつけも守る。いい子になるから、だから、だから、僕を見捨てないで……」


「坊ちゃん……。ええ、勿論ですとも。これまでと変わらず側でお仕えします。静香がいないと坊ちゃん、おかしな道に進みそうですからね。心配で放っておけません」


 その言葉に蓮夜はやっと胸の支えがとれたようだ。


「ありがとう」

 

 満面の笑みだった。その表情は安心しきっていた。静香の胸に再び顔を埋める。彼女は黙って蓮夜の頭を撫でる。

 数分もすると寝息をたてはじめた。思い詰めて余程疲れていたのだろう。静香は蓮夜を抱え上げようとした。以前と比べて随分重かった。いつのまにか体は随分と成長したようだ。そう思いながらも静香は介護用サポートスーツを着用して蓮夜を自室まで抱えて運んだ。

 ベッドに寝かせ布団を掛ける。静香は暫く蓮夜の寝顔を見つめる。その顔には様々な感情が入り混じっていた。


「ごめんね」


 そう小さく呟くと部屋を後にした。



 その日の夜の十時半。使用人の彼は、玄関に立っていた。待ち合わせの時間よりもだいぶ早く来てしまった。落ち着いて待っていられなかったのだ。いまかいまかと、静香が来るのを待ち侘びていた。すでに友人の車は屋敷外に待たせてある。

 暗闇の廊下の向こうから足音が聞こえてきた。早めに来て良かった、と彼は安堵した。自分について来てくれる彼女を必ず幸せにしよう。改めてそう心に誓った。


「残念だけど、静香は来ないよ」


 期待を裏切る冷たい声が玄関に響いた。暗闇から姿を現したのは彼の待ち人ではなかった。両手を後ろに回した姿勢で悠然と使用人の前に立つ。


「ぼ、坊っちゃん! なんであなた様が、ここに……」

「静香は僕と一緒にいてくれるって約束したんだ」


「そんな馬鹿な!」

「きみ一人だと寂しいでしょう。だからこれをあげるよ!」


 蓮夜は左手に隠し持っていたていた物を下からすくい上げるように投げ上げる。料理人の頭上から大量の紙幣が舞い落ちた。投げつけたのは札束だった。


「な、坊っちゃん何をしているんですか! あ、ぐぅ――」


 使用人は紙幣に気をとられて頭上を見上げていた。そこに蓮夜が体当たりした。蓮夜が離れたとき。使用人の腹には包丁が突き刺さっていた。

 使用人は腹を押さえて床に膝をつく。そこに蓮夜が再び近づく。そして、腹に刺さっていた包丁を勢いよく引き抜いた。

 鋭い痛みに悲痛な呻きが上がる。使用人は信じられない思いで蓮夜を見上げる。


「ああ、旦那様と一緒だ……」


 そこには底冷えするような醜悪な笑みがあった。蛙の子は、蛙。最期に頭を過ったのは静香の言葉だった。躊躇なく包丁が振り抜かれた。そして使用人の顔へと突き刺さった。


 静香は後ろ髪を引かれる思いで廊下を歩いていた。愛した人と幸せな家庭を持つチャンスは今を逃すとないだろう。あの旦那様に奉公していても決して良い未来は見えてこない。でも……。色々な思いが駆け巡る。が、もう決めた事だと頭を振り払った。


 玄関は真っ暗だった。どうやら彼はまだ来ていないようだ。しかし何ともいえない匂いが立ち込めていた。嫌な予感を感じつつも静香は玄関灯のスイッチを押した。

 血の海だった。静香は何が起きているのか理解できなかった。血の海の中心。そこに彼女の愛する人が沈んでいた。悲鳴が喉をつく、その瞬間。腹に強い衝撃を覚えた。彼女は恐る恐る下を向いた。


「え……。なんで――」


 銀色に光る刃が自らの腹から突き出ていた。包丁の取手には小さな手が添えられていた。その先をゆっくりと目で追う。


「ぼ、坊っちゃん、何でこんなこと……」


 涙を流して静香を見つめる、蓮夜がいた。


「信じていたのに。ずっと一緒だっていったのに!」

「ちが――」

「お前が、お前が悪いんだ! お前もあいつと同じ裏切り者だ!」


 蓮夜が玄関にいたのは偶然だった。彼は使用人の死体をどう処理して良いか悩んでいた。

 静香がここに来るとは想像すらしていなかった。今日の言葉を完全に信用していた。そして彼女を信頼していた。蓮夜は気づいた時には静香の胸を刺していた。


 実の母親に捨てられた過去。それは蓮夜の心に深い闇を生み出していた。静香という光が、その闇を心の奥底に一時的に追いやっていたに過ぎない。彼女にまで捨てられたという、新たな事実。それは彼の心を再び闇で覆った。それは以前にも増して黒く深かった。

 

 この日より、蓮夜はそのどす黒い闇をその身に育てていく。彼の心の闇に光をあてる人は、この世にはもういなかった。

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