第十九話 入都審査①

「あ、でた!」


 その声に反応して僕は顔をあげた。正面の奥の方に秀人とエリカ。そしてクーもいた。エリカの肩の上にちょこんと座っていた。

 皆、揃って一つの玉を見上げていた。秀人の指先を追う。三と大きく光る玉の中央に「123」という数字が点灯していた。

 やっとか。それにしても長かったな。僕はあくびをする。優に一時間は待ったぞ。


 ホールに入ってから二十分ほど経過した時。


「ふぅー、やっと座れるか」


 ようやく目の前の長椅子に空きができた。


「翔」


 座ろうとした僕に後ろから声がかかった。振り返ると何故かエリカが睨んでいた。


「なんなんだよ。あ――。どうぞ」

「坊や悪いねえ。ありがとう」


 壁にもたれかかっていた近くの老人に席を譲った。そうしろという視線だった。何のために口がついているのか。あいつはそれをわかっているのだろうか。そう思ったが、懸命な僕はそれを口にはしなかった。


「はあ、仕方ない。俺は向こうで座って待つとするわ」


 一人部屋の隅に移動すると床に座り込んだ。壁にもたれかかって休むことにしたのだ。

 ん、背中と臀部がやけに暖かいな。あれ、そういえば。僕はあることに気づいた。

 外は雪が降り積もる極寒の世界だ。にもかかわらず、この部屋は適度に暖かかった。大きなホール全体が一定の温度に保たれているのだ。でも、ストーブのような器具は目につかない。


 実はこれ、ホールの壁や床さらには天井の全てが温められていた。建物全体を温めることで快適な空間を創出しているのだ。翔の靴の裏にこびりついていたはずの雪も溶け、すでに乾いていた。


 長時間温められる体。そして待つ以外には何もすることがない。僕が睡魔に耐えられないのも仕方のないことだった。



 僕は重い腰をあげる。


「あーだるい」


 ふらふらと玉の元へ近づいた。


「また寝てた。少し位、じっと立って待てないの。だらしない」

「どっかの脳筋と同じにしないでくれ。んで、ヒデ。どうするんだ」

「とにかく二階に上がればわかると思う」


 それを聞いて真っ先に階段を駆け上がっていった。


「え、何でクーちゃんが……」

「深く考えるのはよそうぜ」


 何故、クーが言葉を理解できたのだろうか。疑問は尽きないが踏み込んではいけない領域だ。黙って二階にあがる。何事も考えすぎは良くないのだ。


 鋼製の分厚い扉が一定間隔で四つ並んでいた。それぞれの扉の上には六つのルームナンバーが記載されていた。


「あ、この扉だね。ここに番号札をタッチすればいいのかな」


 右端の扉に目的の部屋番号を見つけた。秀人は扉の脇に掲げられた操作手順に従って指定箇所に番号札を翳す。


「うお! 気持悪っ!」


 鋼製の扉が音もなく消え去った。意味がわからない。


「もしかしてこれ! 質量を付加したホログラムなのかな」

「いいからいくぞ」

「え、いや、だって!」


 興奮する秀人を引きずって進む。このままでは、ここで暫く動かなくなること間違いなしだ。


「しかし暖房もそうだけど、この建物って無駄に金かけてないか」

「いや、お金の問題じゃないよ。僕らの街ではいくらお金があってもこんなの作れないよ。


「確かに……」

「でも、エリカちゃんは流石だよね。何が来ても驚かないもんね」


 隣では澄まし顔で歩く、エリカ。確かに、一見すると全く動じていないようである。


「そうかねぇ」


 艶のあるストレートの前髪。その先端に細長い人差し指を絡めて弄っていた。エリカが心が乱れているときの癖だ。僕にはばればれだ。無論、あえてそんな危険な指摘はしない。

 扉の奥へと幅三メートルほどの広い通路が伸びていた。


「突き当りは行き止まりのようだな」

「そういえば、昇っていく人達は見かけたけど、降りてくる人は見なかったね。どうやらここは一方通行のようだね」


「おそらく審査が終わったら別の出口から外に出るんだろうな」

「たぶんそうかと」


「不合格の場合は銃殺とかないだろうな」

「いやいや、さすがにそれはないよ。あ、そうだ。クーちゃんは念のため、翔くんの服の中に隠した方がいいと思うよ」


「わかった。クー、ほらこっち来い」


 クーを捕まえ服の中に押し込める。その瞳は不満そうであった。

 通路の両脇の左右にそれぞれ三つずつ部屋の入口があった。それらのドアは千鳥で配置されている。 そして、それぞれのドアの脇には自動小銃を肩から掛けた軍人が立つ。これが係員なのか。


「ほんとに銃で撃たれたりしないんだろうな」

「大丈夫だって。あ、あそこで待つんじゃないかな」


 ドアの向かい側の壁際に長椅子が置いてあった。

 三番の部屋の前まで進むとそこには先客がいた。禿頭の脂ぎった顔をした中年男性だ。そいつが軍人に話しかけていた。一つ前の面接者なのだろう。軍人が僕らに目を向けた。


「あ、こんにちわ。百二十三番の面接者です」


 秀人が番号札を掲げると軍人は無言で椅子を指さした。


「不愛想な奴。まるで誰かさ――。痛ぇ!」


 背中を蹴られた。口より先に足が出る女ってどうなのよ。僕と秀人は長椅子に腰掛けた。エリカは座らずに腕を組んで壁にもたれかかる。腹立たしい事に、その姿は様になっていた。

 中年男が軍人に囁きかける。目の前なので否応なしに会話が耳に入ってしまう。


「で、いくらなんだ? もったいぶるなよ。話は他から聞いているんだよ」


 中年男は見るからに必死そうだ。対して、軍人は何も反応しない。ただ黙って中年男を見つめていた。

 突然、女性の甲高い声が聞こえた。目の前の部屋から漏れ出たようだ。


「なんでよ! なんで入れてくれないのよ! しかも、娘だけなら許可するなんて話にならないわ! 見てわかるでしょ。まだこんなに小さいのよ。私がいないと生きていけないわ。ちょ、ちょっとまだ話は終わってない! やめてよ、触らないで――」


 叫び声が遠ざかっていった。おそらく部屋の外に締め出されたのだろう。やはり出口は入口とは別にあるようだ。


「おい。早く教えろ!」


 中年男が軍人の肩を両手で掴む。女性の悲鳴は他人事ではないのだろう。次はそいつの番だ。男は精神的に追い込まれているようだ。軍人はあい変わらず無言で男を見つめ返すだけだ。


「ちっ、そういうことか」


 男は自らのコートに手を入れる。取り出された手には金貨が一枚握られていた。それを軍人の胸ポケットに突っ込む。え、あいつ何をしているんだ。


 翔の住んでいた田舎街では一般市民は紙幣を貨幣としていた。しかし北都ではそんな田舎の紙切れは価値がない。対して金貨の価値は確かだ。それ一枚で四人家族が一月程度は優に生活できるのだ。


 しかし、それでも軍人は顔色一つ変えなかった。

 

「糞っ! がめつい野郎が。だが、背に腹は変えられねえ!」


 さらに金貨一枚を取り出すと同じように軍人の胸ポケットに乱暴に突っ込んだ。ここで、それまで沈黙を貫いていた軍人の口が唐突に開いた。


「相場は十枚。二十枚出せば確実だ」

「な、なんだと、足元を見やがって! ……絶対だろうな」


 あまりの金額に男は軍人の胸倉を掴みかける。


「九十九番の札をお持ちの方、入室してください」


 ドアの上の嵌め込み式スピーカーから、女性の声が流れる。男は体を震わせると扉から後ずさった。コートの胸に手を突っ込み、ハンカチを取り出して顔を拭う。いつのまにか男の顔は脂汗に塗れていた。汗を拭きとるその手が小刻みに震えていた。

 軍人は早く部屋に入れと顎で示す。中年男はコートのポケットに手を突っ込み、何かを確認する。そして意を決したように扉を開けて中に入っていった。


「おい、どういうことだ。俺、金貨なんて初めて見たぞ。もしかして金が必要なのか?」

「そ、そんなはずないよ。ちゃんと検索して調べたから。そこには面接による厳格な審査に基づいて市民としての適正を評価すると書かれていたよ……」


 下を俯く秀人の語尾は掠れていた。


「現実は、違うってか」


 慣例としての賄賂が横行していたようだ。軍人が提示した相場を支払えば審査結果を覆すことができるようだ。


「でも、そんなことすると、お金のない一般人の入都審査はさらに厳しくなっちゃうよ」

「またこれか。街から避難する時もそうだった」


「豚市長……」

 

 エリカがぼそっと呟く。


「ああ、市長とお供だけで列車一両をまるまる占拠していたもんな。あいつも駅の係員に何かしていたよな」



「じゃあ、私たち、お金ないから、入れない」

 

 エリカは両手のコブシを握り締め、部屋の扉を睨みつけていた。


「ううん……。僕らは大丈夫だと思う」


 俯いたまま秀人がそう呟いた。それは二人の予想とは違った。


「どういうことだ?」


 秀人に説明を求めようとしたがスピーカーに遮られる。百二十三番の入室が促されたのだ。


「おい。早すぎるだろ」


 前の面接とは違い男の面接は既に終わったようだ。僕らの次の面接者は未だここに着いてもいない。


「糞っ! なにが厳格な面接だ。やっぱ金だったな。ふざけやがって。こうなったら、どうとでもなれだ。こんな腐った都市になんかに入れなくたって絶対生き延びてやる!」

「ちょ、ちょっと、翔くん! 落ち着いて。喧嘩腰で話さなければ、きっと大丈夫だよ」


 秀人の静止を無視し、勢いよくドアを開けて部屋の中に乗り込んだ。

 真っ先に目に飛びこんだのは椅子だ。入口を背にして三脚が二列に並ぶ。正面の一段高い所に三つの机。そこに三人の男性が座っていた。歳は五十から六十歳といったところ。みな似たようなシルエットだった。紺色の制帽と制服。そしてその制服がはちきれんばかりの腹だ。

 右側の長机には女性が一人座っていた。先ほどのスピーカーからの声の主のようだ。その後ろの壁際には自動小銃を抱えた三人の軍人がいた。


「番号札を右手の事務員に渡して、その椅子にかけろ」


 上段中央の席から太く威圧的な声。裁判で被告人を相手にするかのように命じてきた。

 秀人が事務員の女性に番号札を渡す。女性はその番号札を長机の上の機械に翳した。


「それぞれ、姓名と年齢を申告せよ」

火鷹ひだか翔、五歳だ」

兵藤ひょうどうエリカ、同じ、五歳」

「あ、新井あらい秀人です。お、同じく五歳です」


「ふん、それで五歳か。やはり、貴様らは異常な成長速度だな。まあいい、ところで保護者はどうした? 一緒ではないようだが」


 反射的にエリカの顔を横目で伺う。母親の事にエリカが取り乱さないか心配だった。

 彼女はただ黙って面接官を睨みつけていた。どうやら大丈夫そうだ。ほっとして正面に向き直る。


「ふん、その汚らわしい瞳で、こちらをあまり見るな!」

「なんだと――」

「か、翔くん!」


「まあ、貴様らの街の状況から考えると無駄な問いだったか。ところでここには親戚はいるのか?」


 なぜか僕らの街の情報は審査官に伝わっていた。もしかしてさっきのあれか。先程、事務員が番号札を何かに翳していた事を思い出す。


 翔の予想は当たっていた。その機械は番号札から避難経緯などの情報を読み取っていた。しかも、それらの情報が制帽を通して瞬時に審査官の脳に送られていた。


 三人の審査官からの見下した視線。僕は氏名以外の質問には答える気が一切なかった。どうやら隣のエリカも同じようだ。秀人は緊張のあまり喉から声がでていないようだ。


「そうか。身請け人がいないとなれば……。なにかしら特別・・な事情がない限り入都の許可はできないところだが」


 審査官は沈黙する三人を特に気にも留めなかった。特別という部分を強調し、嫌らしい笑いを浮かべる。その意図は明白だ。僕は立ち上がって審査官に掴みかかりたい衝動に駆られた。しかし、エリカの目が止めろと制止してきた。

 僕は膝の上で拳を握りしめる。ただ黙って審査官を睨みつけることしかできなかった。


「ふん! 餓鬼に期待したのが間違いか。もういい! さっさといけ! 入都を許可する」

「は?」


 想定外の結論だった。審査官は不機嫌そうにその理由を続ける。


「貴様らのような化け・・・は、全て受け入れろとの上からのお達しだからな。入都後、速やかに街の中心部にある北都防衛軍に出頭するように!」


 すでに僕らに興味を失ったようだ。審査官は追い払うような仕草をする。

 事務員の女性が立ち上がり番号札を秀人に返した。女性に案内され、部屋の奥の左側の扉から退室した。部屋の右側にもあった扉。あれは恐らく入都を認められなかった人達が通される扉なのだろう。僕は苦々しい思いだった。


「とりあえず入都の許可がおりて良かったね」


 安堵する秀人にエリカは無言で頷く。

 僕は憮然とした面持ちで黙々と通路を歩く。腐った審査官と審査内容。お前らに人の人生を左右する権利も資格もない。そう言ったところで何も変わらないだろうし自分には変える力がない。自分があまりに無力で惨めだった。

 途中から通路の幅が一段と広くなった。後ろを振り返ると四つの通路が見えた。他の部屋からの通路がここに繋がっているようだ。通路の両側の壁には緑色に光る大きな矢印。矢印内には入都受付と描かれていた。


「しかしやたらと長いな、この通路」


 直線で百メートルはあるんじゃないだろうか。前方を複数の人影が固まって歩いていた。


「おそらく、この通路の方角と長さからすると今はちょうどあの巨大な外壁の中かな」

「長いトンネルってことか」


 突き当りの階段を下りると広大なホールが待ち受けていた。


「おいおい入都審査の待合ホールも大きかったが。ここはその数倍はあるんじゃないか」


 面接を通過した人が蛇行した長い列を作っていた。列の所々に大型の機器が見える。列の隙間を縫うように移動する係員達。彼らは変わった乗り物に乗っていた。僕の視線に気づいた秀人が説明する。


「あれは小型立ち乗り移動機、ホバーポーターだね」

「なんか最近の流行は浮くことなのか」


「北都では短距離移動の手段として良く使用されているみたいだよ」

「俺も乗ってみたいな。しかし、凄い人だけど、ここでは一体何をしているんだ?」


「これが入都の最終手続きだよ」

「さっきの面談で終わりじゃないのか?」


「ここはね。様々な個人情報を吸い上げて登録するんだ。あと、犯罪歴がないかどうかを検査し、あった場合は北都内の牢に投獄するらしいよ」

「なんで先に犯罪歴の検査をしないんだよ。面接する時間が無駄だろ」


「それをすると、検査対象者の数が膨大になって審査に時間がかかるからじゃないかな」

「そういうもんか」



 秀人の理由は正論に聞こえる。が、実際は正しくはなかった。犯罪歴の検査にはさほど時間を要さないのだ。ではなぜ事前にその検査をしないのか?

 それは犯罪歴のある者を事前に弾くと審査官の都合が悪いからだ。賄賂収入が減るのだ。犯罪者の方が圧倒的に賄賂を包む確率が高かった。


 そして犯罪者と判明した者は北都の外へ追い出す方が楽なはずだ。しかしそれはしない。犯罪者を世に放つわけにはいかない、というのは建前だ。賄賂を渡しても犯罪歴があると入都できない。その事実が広まるのを防ぐためだった。賄賂を支払う確率の高い犯罪者が北都に寄りつかないと審査官の懐が痛むのだ。

 さらに犯罪歴があっても入都を勝ち取る強者つわものもいた。審査官に賄賂を払うのは当然。それだけでなく入都手続きの全検査官にまで多額の賄賂を握らせるのだ。


 まさにこの入都手続きは、賄賂の温床といえた。

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