第十七話 外周部

 冷気が床伝いに浸入し顔を包み込む。鼻を刺す痛みに僕は小さく呻き、体を起こす。毛布をどかすと視線が合った。お腹の上から円らな瞳がこちらを見上げていた。

 小さな鳴き声があがる。うーん。不機嫌そうだ。


「おはよう」


 寝ぼけ眼を擦りながら短く挨拶する。答えは返ってこなかった。

 クーは冷気に体を震わせると僕の胸元へと駆け上がる。そして首筋から僕の服の中に潜り込んだ。どうやらクーは未だおはようの時間ではなかったようだ。


 乗降口の扉が開き、そこから朝日が降り注いでいた。

 うーん。結構長いこと眠っていたようだ。この毛布の肌触りのせいだな。


「翔くん、おはよう」


 隣から秀人の声がかかる。すでに毛布を綺麗に畳み、その上に座っていた。


「相変わらず、早いな。ちゃんと眠れたか。って、おい。エリカ、お前、酷い顔してるぞ」


 エリカも毛布の上に座っていた。だが、色白なエリカの目の下には大きな隈ができていた。明らかに一睡もしていない感じだ。

 唯一の肉親であった母を亡くしたのだ。そのショックはどれほどだったか計り知れない。


「大丈夫」

 

 エリカはそう儚げに微笑んだ。戸惑った。これまで見せたことのない表情だった。普段饒舌な口なのに、いざという時に役に立たない。


『皆様、おはようございます。昨夜はゆっくりとお休みできましたでしょうか』


 タイミングよく車内アナウンスが流れた。 


『本日は、これから審査施設に赴き、指定の係官との面談をしていただきます。家族、友人などのグループで受けることも可能です。降車口にて番号札をお受け取りになり、誘導員の指示に従って面談場所までお進みください』


「やっと北都を拝めそうだな」

「うん。楽しみだね」


 乗客達が次々と車外に出ていく。僕らもすぐに身支度を整え、降車口へと進んだ。


「お、連番か」


 僕らはグループで申請した。手元の札には百二十三と書かれていた。


「うお、眩しい――」


 車外に降り立つと光に包まれた。雪面が朝日を照り返していた。朝一番の冷気が肌を刺す。一瞬で頭が冴える。

 両隣の客車からも続々と乗客が降りていた。係員の指示に従い二列に整然と並んでいる。

 僕らもその列に混じった。秀人が隣でエリカが後ろだ。


「それでは出発します。列を乱さないでついて来てください」


 乗客全員が車外に出揃うと列が少しずつ前に進みだした。


「馬鹿でかいな」

 

 まず、線路の右手に沿って伸びていた道路へと降り立った。


「道幅は三十メートル位ありそうだね」


 広い道の左端を二列のまま進んでいく。乗って来た列車を左手に見ながら歩く格好だ。


「あれ? おいヒデ」

「なに?」

「出発した時は一号車からだったよな。見てみろよ」


 一番前方の貨物車両には『10』と書かれていた。


「しかも先頭車両も乗ったときとは違う形の砲台だぞ」

 

 それは僕の記憶とは異なっていた。一瞬考え込む、秀人。

 すぐに何かに気づき表情を歪ませた。しかし何も答えずに押し黙った。


「まさか……」


 そんな秀人の仕草に気づいてしまった。

 旭日前線基地で寝ていた僕が起こされるほどの大きな揺れ。おそらくあの時だ。故郷の駅を出発した時と同様の悲劇が再現されてしまったのだろう。


「これで同郷の生き残りは僅か数百人かよ」

「たった、一日で」


 背中からぽつりと呟く声。エリカも気づいたのだろう。後ろを振り返ると下を俯き唇を噛んでいた。

 欝々とした空気が嫌だった。気分を変えよう。僕は列から体をはみだし列の向かう先へと目を向けた。


「おわっ! なんだ、あれ!」


 視界が数百メートル先で完全に遮られた。白い大地と青い空。その間に巨大な闇。シェイドではない。


「ほ、北都の外壁だよ。高さは約二十メートル」


 表面は艶々とした光沢を放っていた。見たこともない材質だ。継ぎ目は一切見当たらない。その代わりではないが蛍光緑色の幾何学的模様が壁全体に描かれていた。

 壁の左右を見渡す。途切れることなくどこまでも伸びていた。


「都市全体がこの高い壁で覆われているんだ」

「あの棘みたいなのは……」


 壁には一定間隔で多くの開口部が設けられていた。そこから細長い筒が突き出ていた。


「軍用列車よりも少し小さいけど同型の砲身だね」

「な、なんなんだよ。ここは」


「だから要塞都市北都」

「それはわかってるよ!」


 秀人が眼鏡をずり上げる。

 

「人口は約七十万人。日本州では州都、西都に続く第三の都市。都市内で自給自足が可能。職業軍人は十万人を超える。あの外壁ができてからは都市内へのシェイドの侵攻を一度も許していない。北部域に住む人たちにとっての憧れの地。安全かつ安心な大都市だよ」

「いや、説明を求めていたわけではなかったんだが……」


 秀人は興奮しながらまだ喋っていた。眼鏡のガラス越しに緑の記号が筋状に流れていた。単に自分が知りたいだけか。


「皆様、止まらないでください。列を乱さずに真っすぐ進んでください!」


 外壁に圧倒されて立ち止まる避難民。その背中を拡声器からの声が押していく。

 壁に近づくにつれ道路沿いの家屋の数も増えてきた。どの家も窓は固く閉ざされている。シャッターもしくは鉄格子で覆われていた。まるで外界からの接触を完全に拒否しているようだな。


「なんだ、みんな顔つきが暗いぞ。これじゃあ、普段の俺らの街と変わらないじゃないか。これのどこが憧れの地なんだ」


 道端で雪掻きする住人の目は一様にくすんでいた。


「あ、違うよ。彼らは北都の市民じゃないんだ」

「え、どういうことだ。ここは北都じゃないのか」


「あの外壁の内側が北都。で、ここは移住が認められなかった人達が勝手に住み着いているのさ」

「いや家の数が半端ないだろ」


「そうだね。外壁の周囲の住民は、二十万とも三十万とも言われているんだ」

「多すぎだろ。俺らの町の何個分だよ」


「でも治安も悪くて窃盗とか暴行などの犯罪も日常茶飯事なんだって」


 確かに目つきが悪いかも。無意識に背負っていたバックパックの肩紐を掴む。


「あ、そんなに心配しなくて大丈夫だよ。あの門へと続く道沿いは比較的治安がいいんだ」

「そうか。平和なら良かった」

「ただ……」


 言い辛そうに言葉を濁す、秀人。


「ただ、なんだ?」

「認可されなかった人の一部が諦めきれずに無理やりその門をくぐり抜けようとするんだ」


「そりゃ入りたいよな。通してやればいいじゃないか」

「警備兵の警告を無視した結果、銃殺される人が絶えないらしいんだ」


「は!? ありえないだろ!」

「か、翔くん! 声が大きいよ」


「なんで街に入ろうとするだけで、殺されないといけないんだよ! 痛っ!」


 右肩に強い圧迫感を感じ後ろを振り返る。


「翔、落ち着いて」

「お、おう……」


 鋭い眼差しだった。一瞬、僕が睨まれているのかと思ったが誤解だった。エリカは北都の門を憎々し気に見つめていた。そして秀人に顔を近づける。


「で、ヒデ、説明して」

「そ、そ、そ、そ」

「おい、ヒデ。いったん深呼吸しろ。エリカお前それ恐喝しているようだぞ」


 息を大きく吸い込む秀人にエリカが頭を下げる。


「ヒデ、ごめんね」

「ううん。もう大丈夫だから」

「じゃ、ヒデくん、説明よろしくー」


「多分なんだけど。人口を一定以下に維持するための苦渋の決断なんだと思う」

「なんで人を増やせないんだよ」


「都市の食料生産を超えると、今度は皆が飢えて死んでしまうよ」

「ふーん」

 

 納得がいかない。北都に入れる人とそうでない人を誰が区別するのか。どんな基準で。くじでも引くのか?人の生死に関わる事を人が決めていいのだろうか。

 もやもやと考え込む。そんなとき視界の端を何か大きな物が横切った。


「なんだあれ。あれも列車か? なんて長さだよ」


 道路を挟んだ反対側を台車状の車両が連なって進んでいた。三十両はあるんじゃないか。


「しかも、全部貨物車両なのか?」


 荷台の幅も長さも僕らが乗って来たコンテナ車の二倍ほどあった。そして全ての車両に黒い瓦礫が山のように積まれていた。


「しかも、あれも浮いてる」

「確かに。駆動車両もないのにどうやって動いているんだ」


 エリカの指摘した通り荷台の下には車輪がついていなかった。車輪のない台車。いや、車輪がないからただの台と呼べばいいのか。それが地面からわずかに浮いていた。


「音がまったくしないのな。全然気づかなかったわ」


 物音を立てずに進む様はまさに異様だった。道路を歩いていた避難民たちも背後から近づいてきたのに全然気づかなかった。

 おい解説まだかよ! 僕は秀人の方を振り向く。

 インテリグラスに緑の記号が流れていた。どうやら秀人も知らなかったようだ。


「あれは新しい輸送システムみたいだね。詳細までは未だ確認できていないからわからない。けど、浮かんでいる原理は僕らが乗って来た軍用列車と同じだね」

「いや、でもそれでどうやって進むんだ」


「うん。違うのはまさにその動力だね。あれは線路というか輸送道側に特殊な仕掛けが組み込まれているみたい。あ、これは凄い! 荷台の一つ一つが識別されて制御されている。積み込んだ場所から目的地まで自動で運ばれるらしいよ」


 いつの間にか秀人の声は上ずっていた。新しい情報に興奮しているのだろう。


「あと、あの岩石はどこかで見覚えない?」

「シェイドだった、もの?」


「エリカちゃん大正解! あの輸送道は旭日前線基地と北都を結んでいるんだって。シェイドの残骸を北都に運びこむものらしい」

「おいおい、なんでそんなものをわざわざ持ち込むんだ」


「ごめん。そこまでは、まだ。でも、どうやらシェイドの残骸が、この都市を維持するための貴重な資源になっているみたい」

「資源ねえ……」


 僕は気のないような声をあげる。正直そろそろ頭が限界だった。故郷の街を出てから想像を絶する事ばかりだ。


 これは翔だけに限った話ではなかった。多くの避難民が同様だった。外壁や目の前を通り過ぎる高度な技術に声を無くしていた。

 全球的超災害は世界の多くの地方都市の文明を大きく後退させた。翔たちの故郷もその例に漏れない。

 一方、中央都市の一つである北都は災害前よりも技術が高度に発達していた。あまりの文明格差。誰しもが、このような反応となるのは当然の帰結だった。


 圧倒されているうちに外壁の下に着いた。


「こうやって見ると異様だな」


 道路を巨大な門が遮っていた。毒々しいほど真っ赤な色。返り血がついても目立たないようにしているのかと勘ぐってしまう。

 その両側には大勢の軍服の兵士たち。道路に沿って横一列に並んでいる。


「さっきの洒落にならないヒデの話。あながち嘘ではなさそうだな」


 兵士達は肩から自動小銃を下げていた。鋭い目つきで不審者がいないか監視している。


「皆さま、こちらになります」


 避難民の列は門まで進まずに左へと誘導された。

 大通りから少し離れた場所の、大きな二階建ての建物。入口に掲げられた看板に『避難民受入対策本部 第一難民審査所』と書かれていた。


「うお、なんちゅう広さだ」


 一階は数百人は収容できそうな大ホールだった。部屋の両端に上階へと昇る階段が延びていた。ホールには長椅子が整然と並んでいた。が、そこに座れないほど多くの人でごった返していた。

 ここまで誘導してきた係員が斜め上を指さす。二十四個の玉が浮いていた。


「あの玉の上部に記載されている数字が面談する部屋の番号です。玉の中央にお手持ちの番号札の数字が表示されましたら、二階へと上がりその番号の部屋の前までお進みください。そこにそれぞれ担当の係官が居りますのでその指示に従ってください」


 淀みなく説明を終えると、係員は満足そうな表情を浮かべた。一礼すると踵を返す。自分の職務はこれで終わりだと、建物の外へと足早に消え去った。

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