第十話 災害

「お母さん、大丈夫?」


 急に話が途切れた母親を訝しみ、少女は母親を見やる。母の顔は青褪め、唇が震えていた。


「え、ええ、ちょっと昔を思い出して、胸が苦しくなっただけよ」

「お母さん、無理しないでね」


 少女の隣で、少年が心配そうに母を見上げる。少女の兄だ。といっても双子だから歳はかわらない。


凜花りんか望夢のぞむも優しいのね。ありがとう。お母さんは、大丈夫よ。とっても大事な話だから、二人に最後までしっかりと聞いてもらいたいの」


 母親の瞳には、強い決意が宿っていた。二人は真剣な表情で頷く。

 目を瞑り声を震わせながら、母親は話を再開させた。その内容はあまりにも凄惨。

 この時の事を一生忘れないだろう。凛花と望夢は、子供ながらにもそう思った。


   ***


 ――西暦二〇五〇年。日本時間、十二月三十一日、午後十時。

 各種情報端末が、けたたましい音を奏でた。地震警報の発報だった。それが人々の耳に入るのと、ほぼ同時だった。列島全体が突き上げるような大きな衝撃に見舞われたのだ。

 横揺れで始まり、その振幅が急激に増加していく。そして人類がこれまでに経験したことのない規模へと発展していった。


「お、お母さん! こ、こわいよ!」

「千春! 大丈夫。大丈夫よ!」


 母親は、ベッドに横たわる少女を抱きかかえる。とにかく娘を連れて外に避難しないと。


「きゃぁあああ」


 そう思っている間に、家が倒壊した――。


 このとき、母子ともに、二階の子供部屋にいた。娘の千春を寝かしつけるためだった。これが幸いした。

 一階部分は押潰されたが、二階部分はそのまま残った。余震が続いていた。母親は千春の手を取り、窓から外へと飛び出す。

 すぐに、隣の家から火の手があがった。そして、すぐに自宅に引火する。


「ああぁぁ! お、お父さん!!」


 父親は、一階にいたのだ。倒壊した建物の下敷きになったままだ。


「た、助けてください! まだ家には人が!」


 母親が、近くを走り去ろうとする男性に縋りつく。


「何を言っている! あれはもう無理だ」

「お願いします!」

「馬鹿野郎! あんたらも今すぐ逃げないと焼け死ぬぞ! 今は娘のことを考えろ!」


 逆に避難するように諭された。確かにそうだった。物凄い勢いで火の手が広がっていく。このままでは娘の命が危ない。誰がこの小さな娘を守ってあげられるというのか。母親はすぐに思い直す。


「千春、逃げるわよ!」

「でも、お、お父さんが!」

「お父さんはもしかしたら、先に避難しているかもしれない。だから、行くわよ」


 母親は、ありえない嘘をついた。おそらく、娘も信じていないだろう。

 涙混じりに娘の手を強く引いて駆け出した。目指すのは、災害時に避難所となっている体育館だ。


「なんて酷い……。ここが私達の街だっていうの」


 避難の道中。母親は愕然としていた。視界に入る建物のほとんどが倒壊していた。


「お、おかあさん。熱いよぉ……」


 そして、辺り一面、火の海だった。


「大丈夫よ、もう少しの辛抱だからね」


 怖い、熱いと泣きじゃくる娘。それを宥めながら、母親は必死で避難所を目指す。街は深夜にもかかわらず明るかった。夜空が真っ赤に照らされていた。


 これとほぼ同様の光景が、世界中で広がっていた。

 地球上のプレート境界の数百箇所で一斉に発生した地震。マグニチュード九、十クラスの巨大地震であった。低層、高層など、もはや関係なかった。多くの建物が積み木崩しのように連鎖的に崩れさった。そして、瞬く間に世界の都市が、業火に呑まれていったのだ。


 母親と千春は、なんとか避難所の体育館に辿り着いた。体育館内に入ると、壁一面に何かが投影されていた。それを見た瞬間、千春が母親の体にしがみつく。


「お、お母さん! な、なにあれ……。みんな流されてる! 流されているよお……」

「千春っ! 見ちゃダメよ! 目を瞑っていなさい!」


 青褪めた顔でスクリーンを凝視する、避難民。

 地震発生直後から、世界中の沿岸に津波が押し寄せた。高いところでは七十メートルを超える巨大津波だった。気候変動で、普段から潮位が高い事も災いした。それは人類を含めた数多くの生物を区別しなかった。全ての命を悉く刈り取っていく。

 映像が、次々と切り替わる。


「あ、あれは不味いだろ! 四十年前の繰り返しになる」

「いや、これはそれより酷くなるだろ。日本、いや、全世界が危険だぞ!」

「あんな人の手に負えないものに頼るからだ。ああ、もう終わりだ……」


 ある画面に切り替わった時、避難所の一角で、騒ぎが起きていた。超巨大地震と大津波は、未曾有の規模であった。つまり、原子力発電所のリスク対策の想定範囲を、遥かに超えていた。

 当然ながら、世界各地の原発は制御不能に陥った。そのうち、数百基は暴走を止めることに失敗。炉心溶融し、水素爆発や水蒸気爆発を引き起こした。

 周囲に拡散する甚大ともいえる放射性物質。それは、逃げ遅れた近隣住民を短時間で死に至らしめた。急性放射線障害だった。さらに、広範囲の住民たちも相当量被ばくした。これは晩年に障害が発生するほどの線量であった。

 そして、大気中に放出された放射性物質は気流に乗る。世界中の大気、土壌、海洋、地下水の全てが放射能で汚染された。勿論、そこに生息する動植物も全てだ。

 これが長期的に、人類の健康に甚大な悪影響を及ぼし続けることになる。


「お、お母さん! ま、また地震だよ!」

「千春、安心して。ここは大丈夫よ。でも、この地響きは何? 揺れがずっと鳴りやまないわ」


 娘を抱きかかえながら、母親も困惑する。


「おい、外が、外が大変なことになっているぞ!」


 体育館の外で、男性が叫んでいた。避難民たちが何事かと出口へ駆け寄った。外に出た瞬間、みなが我が目を疑い呆然と立ち尽くす。夜の闇に太い火柱が浮かびあがり、天を突いていた。

 その方角にあるのはただ一つ。霊峰富士が、噴火していた――。


 超巨大地震発生の数時間後。世界の数百箇所の活火山で、マグマ噴火が相次いだ。灼熱の火砕流が、麓一体を死の大地へと変えた。

 灰色の噴煙は、莫大な量の火山灰と火山性有毒ガスを大気中に放出した。放射性物質と同様に、それは気流に乗る。これが世界を穢していく。灰黒色で覆われた空が世界を永い闇へと誘った。そして有毒で強酸性の黒い降雨が、大地へと降ぐ。土壌、森、川、湖沼そして海洋で、多くの生き物たちが苦しみながら死んでいく。

 地球上は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。


「お母さん。今日も、これしかないの?」

「ごめんね。これでも、なんとか配給してもらえたのよ。」

「うええ、美味しくないよぉ」

 

 プロテインバーを右手に泣きそうな顔の千春。母親はそんな娘の頭を優しく撫でる。


「我慢してね。お母さんの後の人達の中には、何も貰えなかった人もいたのよ。ほら、お母さんのチョコ味を半分あげるから、我慢してね」

「うん……」


 仮設集合住宅とは名ばかりのプレハブ小屋。部屋の端のスクリーンでは、世界の惨状が日々、垂れ流されていた。

 二次災害が本格的に人類を追い詰めていた。有毒な降雨は畜産業や養殖業に甚大な被害を発生させた。


「お母さん、白いご飯はいつになったら食べれるの」

  

 死活問題だったのは、穀物や野菜など農作物の被害だ。


「千春ちゃん。お米が育たないから、暫く我慢しないと駄目なんだよ」


 千春の疑問に答えたのは、母親ではなかった。四歳年上の少年。プレハブ建物に共同に暮らしている家族だった。


「なんで育たないの?」

「道路に灰が積もっているよね」


「うん。毎日、掃いても掃いても次の日に溜まるんだもん。嫌になっちゃう」

「そうだね。あの灰は酸性でね。植物にとっても有害で、育たなくなっちゃうんだ」


「そうなんだ。じゃぁ、毎日、あの灰を落してあげる」

「残念だけど、それだけじゃ駄目なんだ。ほら、空を見てごらん」


 あの日以来、変わらない灰色に覆われた空だった。


「これが致命的なんだ。太陽の光が、地面に届かないんだよ。お米は、いや、麦もそうだけど。植物なんだ。光がないと育つことができないんだよ」


 世界各地で、農作物を含めた植物が枯死していた。この年の農作物の収穫はまさに壊滅的だった。


「でもね、千春ちゃん。まだ、僕たちは、ましなんだよ方だよ。災害用の保存食のこれがあるからね。世界中で食べ物が獲れていないんだ。毎日、多くの人が飢えで亡くなっているんだよ」


 少年の手にも、プロテインバーが握られていた。


「一生これしか食べれないの?」


 千春は、泣きそうになった。


「いや、もう少ししたら、きっと雲が晴れて、太陽が顔を出すから。それまでの辛抱だよ」

「わかった。頑張る……」


 そんな、千春の前に、コップが差し出される。少年の父親だった。


「ほら、水分もちゃんと取りなさい。安全な水も、いつ配給が止まるかわからない。病気が流行っているから、気をつけないとな」

 

 世界は混乱と混沌を極め、ライフラインなど都市機能は寸断されていた。状況はさらに悪化する。猛烈な寒波と、新型インフルエンザが北半球を襲った。南半球では、致死率と感染率が極めて高い新手の伝染病が発生した。

 災害直後の世界の衛生状態は、極度に悪化していた。復旧も、ままならない状態。そんななか新型ワクチンの開発や予防接種、地域隔離策など、政府が適切な処置を行えるはずもなかった。必然的に、伝染病は瞬く間に世界中に蔓延する。大飢饉や感染病など、二次災害の死者が後を絶たない。

 最終的に、その数は、地震による直接死者の数十倍から数百倍へと膨れ上がった。


 その反面、この感染病が蔓延しなかった場合、人類の全ては餓死していたとも考えられる。

 伝染病は震災直後から爆発的に蔓延し、世界人口の大半を瞬く間に削りとった。つまり、食い扶持は、激減した。これにより翌年の大飢饉にあっても、備蓄食料などで細々と食い繋ぐことができたのだ。この時、多くの人が生き抜いていたら、備蓄食料は一瞬で枯渇していたに違いなかった。



「国民の皆さま。すでに、ご承知の通り、我々人類は史上類のない未曾有の危機に瀕しています」


 壁のスクリーンに映っているのは、この国の首相だ。


「国は、被災直後から自衛隊を総動員して復旧に奮闘しています。食料事情も未だ深刻です。非常事態宣言も未だ撤回できる状況にはありません。しかし、この危機。この困難な局面を乗り越えれば、必ずや人類は復興を成し遂げることができます。文明を取り戻しましょう! そのためにも、国民の皆さま一人一人が希望を捨てず、手を取り合って頑張っていきましょう!」


「一年前とは見違えるような顔だな」


 国民を鼓舞する首相は痩せこけて白髪に塗れていた。重圧は相当なものなのだろう。


「しかし、あれから、もう一年か。まさか、世界で六十億人も犠牲になるとは……。無力な、自分が情けない」


 ため息を吐くおじさん。プレハブでの共同生活も、もうすぐ一年だ。おじさんもまた、一年で随分と痩せてしまった。千春はそう思った。


「お父さんは毎日、頑張ってるよ。僕は弱い人の味方の、お父さんを心から尊敬しているよ。僕も将来は、お父さんのようなるのが夢なんだ」

 

 お兄ちゃんの励ましに、おじさんは「ありがとな」と笑いかける。腰のホルスターには、常に拳銃がぶら下げられていた。職業は警察官らしい。

 街は混沌とし、治安も悪化していた。おじさんは、外に出掛けて数日帰ってこないこともざらだ。帰ってきたときは、疲れ切った顔ですぐに寝てしまうのだ。

 千春は自分の母親を見やる。お母さんも同じだ。震災前とは比較にならないほど老け込んでいた。


「日本なんて、もっと悲惨よ。いまや、たったの二千万人よ。八割もの人が亡くなったわ。このままだと、日本は滅亡してしまうわ」


 世界的にみても活発なプレートが沈み込むサブダクション帯で囲まれていた日本。地震や津波、そして噴火の被害は、他国と比較して比べものにならなかった。

 高度な耐震技術を誇っていた災害大国ニッポン。それをもってしても、列島の四方から押し寄せる津波には、抗うことはできなかった。

 

   ***


 母親の幼少の頃に起きた、大災害。

 到底、信じられるものではなかった。いや、信じたくなかった。望夢は、涙目で震えていた。

 一方の凛花は、どうしても疑問があった。


「お母さん。その頃はいまよりも、技術が発展していたんだよね?」

「そうね。災害前まで電気は使い放題で夜も街は煌々としていたわ。欲しい物は、お家コンシェルジュに頼むだけでいいの。何でもすぐに揃えてくれたわ」


「お家コンシェルジュ?」

「AI、人工知能のロボットよ。移動もね、国内であれば車に乗ってコンシェルジュに目的地を告げるだけ。あとは向かい合わせの椅子で食事したり、お話したり、寝てても着いたわ」

「凄い!」


 いまの生活では考えられないような遠い未来のような世界。先程までの事を忘れたかのように、望夢は目を輝かせる。


「国外も小型のファミリープレーンに乗れば、どこにでも連れていってくれたわね。そもそも、バーチャルツアーで世界中のどこにでもすぐに観光に行けたのよ。あれは凄かったわ。その日、その時の、その場所の五感情報を皆が同時に味わうことができたのよ」


「まるで夢の世界のようだ!」

「そうね。あれは夢だったのかしら……」

「ねえ、食べ物は!?」


 食べるのが人一倍好きな、望夢ゆえの質問だ。


「残念だけど食料だけは駄目だったわね。今と似たような感じで不足していたのよ。食べたい料理を伝えるだけで、食材の調達から調理まで自動でしてくれるのだけど。生憎、その料理を作るための食材がなかなか手に入らなかったのよ」


 望夢は残念そうに肩を落とす。母親は子供の頃を思い出したのか嬉しそうだ。


「で、お母さん」

「あ、そうね。凛花は、それで何が聞きたいの? 大好きなお花の話かしら」


「違う。そんな凄い技術があったら、直ぐに元通りにできなかったの? その災害は、もう何十年も前の話だよね。なんで今も、こんななの?」


 凜花のこの疑問は当然ともいえた。


「そうね。自然災害だけだったら、きっと今頃は平和な世の中に復興していたわね」


 天井を見上げる、母親。その表情は一転して、険しくなった。

 未曾有の全球的超災害は、あくまで滅びに向けた序章だったのだ。

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