第九話 過去の街

 

 軍用列車の窓際に張りつく乗客たち。空を見上げ、巨大な怪鳥を呆然と眺めることしかできなかった。

 そんな車内に突如、轟音が響いた。乗客たちは、悲鳴をあげて、自らの鼓膜を守る。

 それは、なかなか鳴り止まない。車体の重い列車が、音と連動して大きく揺れ動いた。

 窓の外に幾筋もの閃光が走る。そして怪鳥の胴体のあちこちで、爆炎があがった。

 硝煙の匂いが、車内に漂う。


「まじかよ! あそこには、まだ人が乗っているんだぞ!」


 軍用列車から、怪鳥への攻撃が始まったのだ。

 容赦ない仕打ちに、唖然とした。僕だけじゃない。多くの乗客が、同じような思いを抱いたはずだ。

 当然だ。上空に攫われた車両には、同郷の知人が取り残されているのかもしれないのだ。

 そして、何度目かの爆発が、怪鳥の足付近で起きた。


「あっ――」

 

 衝撃で、怪鳥は足にしっかりと掴んでいたはずの蛇をとり落とした。七両の車両が『へ』の字型のまま、地表へ向かって落ちていく。

 地面と衝突する直前。僕は、窓から咄嗟に目を逸らした。


 何百トンにも及ぶ重量物が、地表に叩きつけられた。

 轟音がここまでも聞こえてきた。大きな雪煙が上がり、駅周辺部を覆い隠す。


「酷い……」

 

 エリカは下を俯いて、唇を噛んでいた。

 あちこちで、嗚咽があがる。車内は、負の感情で埋めつくされていた。


「どうやら、一斉砲撃が始まったようだね」

 

 秀人は目を離さずに、一部始終を見ていた。

 絶え間なく続く砲撃。その間隔が、さらに短くなっていく。昔の祭りの映像を思い出した。これはまるで、二十一世紀初頭に盛んだった花火大会のクライマックスのようだ。

 怪鳥の姿は、すでに爆煙に包まれ見えなくなっていた。

 車内は立っているのも覚束ないほどの揺れ。にも関わらず、秀人は小窓にしがみつき、離れようとしない。


「ヒデ、普段はトロイ癖に、こういうときは、根性あるな」

「だって、めったに見れない軍用列車の砲撃シーンだよ。見逃せないよ」

「お前――」


 一際激しく列車が揺れる。そして砲撃がぴたりと止んだ。


「どうしたんだ? 弾でもつきたのか」

「いや、もう必要なくなったんだよ」


 怪鳥を包み込んでいた煙が、風で押し流されていく。顔を出したのは、見るも無残な姿だった。


「これはもう、シルエットが違うものだな」


 四本あった足は一本を残し、途中から折れて無くなっていた。大きな翼には無数の穴が空き、向こう側が透けて見える。

 もはや飛行を維持することはできないようだ。体を斜めに傾け、地上へと沈んでいった。

 そこには、空の王者の面影は無かった。


 暫くしてから、何か黒い複数の点が、向かってくるのが見えた。

 

「あ、セイビーが戻ってくるよ」

「無事で何よりだな」


「うん。おそらく北都まで、ぼくらを護衛してくれるよ」


 そう安堵の表情を浮かべる秀人


「でも、街に取り残された人は、どうなるの」


 エリカの質問の意味することは重かった。さすがの秀人も、これには返す言葉が見当たらないようだった。

 ふと、脳裏に、おばさんの顔が甦った。いつもの、穏やかな表情だった。しかし、それは直ぐに悲惨な姿へと変わる。

 僕は頭を振る。必死になって、それを頭の隅へと追いやった。

 しかし代わりに現れたのは、近所の顔見知りの人達の顔。それが次々と頭を過っていく。どれも完全な人の形を留めていなかった。

 苦悶に満ちたその顔。彼らの目が、口が、僕に助けを求めていた。

 右手に、温もりを感じ、我に返る。


「翔、大丈夫?」

 

 腰を屈めたエリカが、心配そうに、僕の顔を見上げていた。


「ああ、なんでもない」

「なんでもなくない」


 そう言って、彼女は僕の右手を、僕の眼前に差し出す。


「これが証拠」


 右手の第二関節から、血が出ていた。どうやら、また噛んでしまっていたようだ。


「少し、休むわ」


 僕は、彼女の手を振り払う。そして、車両の床へと座り込み、下を俯いて目を閉じる。

 これ以上、弱い自分を、エリカに見られたくなかった。



 あれから、ずっと砲撃は起きなかった。軍用列車は、北都に向けて順調にひた走る。

 静まり返る、車内。乗客達の顔には、疲労が色濃く滲む。皆、沈痛な面持ちで床に座り込んでいた。街に残してきた家族や知人の事が気にかかるのだろう。


 ひきつけを起こした赤子の泣き声が、車内に反響する。とてもじゃないが、快適な旅とはいえなかった。車両自体が軍用資材を運搬するための貨物専用らしい。当然、暖房設備すら設置されていない。通常であれば、車内は凍えるような温度だろう。

 しかし、いまは耐えられないほどの寒さではなかった。車内に溢れかえる乗客の体温で温められているのだろう。

 ただ、湿度は異様に高い。秀人は頻繁に眼鏡を外し、ティシュで曇りを拭っていた。服や靴に付着し、車内に運び込まれた雪のせいだ。

 汗や体臭の混じった臭いが車内に立ちこめる。じとじとした、暗い雰囲気に包まれた車内。


 僕は腰を上げた。じっとしていると、余計に気が滅入りそうだった。

 窓際に移動する。小さな窓であったが、顔を寄せれば十分に外が見えた。外の風景を眺めて時間を潰すことにした。



「そろそろ出てから一時間か。はぁ、北都まで、あとどれくらいかかるんだ」

「ちょっと正確な速さがわからないけど……。おそらくこの調子で進めば、あと五、六時間程じゃないかな」

  

 何気なく口から洩れてしまった言葉に、隣から回答が返ってきた。気づくと、秀人も隣で窓の外を眺めていた。

 もしかして、何気に、俺の事を気にかけてくれているのか。

 いつからだろうか、窓にちらついていた雪は消えた。いまは、青空が広がっている。

 青と白のコントラストの動きは、非常に緩慢で、速度感覚が掴みにくい。


「窓の近く通り過ぎる木々の速さから、大体の速度を計算してみたんだ。おそらく、時速は七十から八十キロといったところかな。あとは、北都までの距離から想定したんだ。ただ、峠を越える際は、スピードが変わるから、もう少しかかるかもしれない――」


 その話、まだ続ける気かよ。


「そっか、そうすると深夜までには着きそうだな。お?」


 窓の外で、灰色の塊が横切った。一瞬見間違いかと思ったが、同じような物が、次第にその数を増やしていく。


「なぁ、ヒデ、ここは昔、街でもあったのか」


 元の原型を、ほとんど留めていない。が、それらは廃墟のようにみえる。

 秀人は、眼鏡のブリッジに中指をあてる。あ、スイッチが入っちゃったよ……。


「そうだね。二十年ほど前までは、あったよ」

「それって」

「そう、シェイドの襲来が本格化される前だね。当時は、自衛隊と呼ばれる軍隊の駐屯地があって、二万人程度の住民が住んでいたらしい」

「へー。そんなに大きな街だったのか」

「うん。だけど、大規模なシェイドの襲撃で、軍も街も壊滅したんだ。ぼくらの街にも軍の施設があったじゃない」

「あー。あの馬鹿でかい施設な」

「もともとは僕らの街に、軍は駐屯していなかったんだ。この街と同じように、ジェイドに襲われて撤退してきた部隊が集まって出来たんだ」


「ただ、その施設も、街も、今日で全て破壊しつくされたんだろうな」

「そうだね……」


 列車が、真っ白に覆われた川の上を跨ぐ。眼下の川は、凍てつく氷に覆われ、その上に雪が降り積もっていた。

 湯気の立ち昇る穴が、いくつか見えた。川底付近では、まだ水が流れているのか。そういえば、誰かが、鮭の遡上が、ここ数年、増え続けていると言ってたな。ぼんやりと、どうでも良いことを考えていた。


 凍てついた川を渡りきる。崩れかけのコンクリートの廃墟が、雪の合間から再び顔を出した。

 建物の前に広けたスペースがあった。むかし、大きな倉庫でもあったのだろうか。その広い雪面で、黄色と茶色の混ざった色が、不規則に動き回っていた。

 キタキツネの群れだ。子ギツネ達が、楽しそうに雪面を飛び跳ねていた。

 視界が移り変わる。商店街があったと思われる、街の中心部。駅から大通りがまっすぐ伸びていた。そこには、キツネだけでなくエゾシカの群れが闊歩していた。


「この街は、いまや動物たちの楽園だな」

「皮肉な結果だよね。シェイドは決して人類以外の動物を襲わないからね」

「まるで人類を殺すこと以外には、全く興味が無いみたいだな」



 ほぼ同じ時、同じような景色を見て、奇しくも徹たちも似たような事を感じていた。この光景を目にすると、その思いを抱くのは、仕方がないのかもしれない。

 

 人類の版図が後退すると、兎や狐、猿など、野生動物の生息域が大きく広がった。

 二十一世紀初頭、自然環境保全や生物多様性、自然との共生を声高く叫んでいた人類。その人類がいなくなるだけで、自然は速やかに、あるべき姿を取り戻しつつあった。


「な、なんだ、あれ!」

「翔くん、声が大きいよ」 


 車内の人の視線が、僕に突き刺さる。やばい、やばい、つい声が大きくなってしまった。


「仕方ないだろ。あんなの見たら」


 森の奥に広がる異様な、一本の木に目を奪われた。


「あれは、黒の大樹。樹高三百二十メートル。北部域唯一の木のシェイドだよ。進行ステージはⅤ」

「おい、それやばいじゃないか!」


「しっ、だから声が大きいよ。大丈夫。あれ単体の危険レベルはブルーワン。あの木自身は人を襲わないんだ」

「そうなのか。あの巨大な木が襲ってくるのかと思って、冷や汗をかいたわ」

 

 列車から黒い影が飛び出す。


「お、セイジだ。どうやら、あの木に向かっているようだな。あれ、襲ってこないのに、なんで、わざわざ近づいて行くんだ?」

「それが、この街を壊滅させた理由なのさ」


 くいっと眼鏡を押し上げる、秀人。

 ちょうど、巨木から何か黒いものが湧き上がった。


 それを指さしながら、秀人は説明をつづける。


「黒の大樹には、鳥型のシェイドが生息しているんだ。その数は数千とも数万とも言われているけど、正確な数はわかっていないんだ」

「数万のシェイド……」

「ある日気づいたら、あの大樹が、あそこにあったんだ」

「一日であんなに大きくなったっていうのか」


「それは、わからない。ただ、あの木から飛び立った無数の鳥が、この街を襲ったんだ。あの鳥自体は、進行ステージも低く、危険レベルも高くないんだ。少数なら大した脅威じゃない。だから最初は、軍も応戦できていた。だけど連日のように、数百羽にわたるシェイドの群れが街を襲い続けた。そして、ついには軍も街も全て壊滅してしまったんだ。『黒の大樹の鳥』というフレーズは、数の恐怖の代名詞として、今も軍関係者で使用されているんだって」


 視界の先で、セイビーが自分の体よりも少し大きな鳥型のシェイドを次々と撃墜していく。

 たしかに数が少なければ、対応できそうだ。ただ、これが数百、数千匹になった光景を、思い浮かべた。頭の中に描かれた絶望に、生唾を飲み込む。


「心配しなくて大丈夫だよ。黒の大樹は、ある範囲内に侵入した人や鉄の塊などを襲うんだ。その範囲の外に出れば、鳥型のシェイドは、もう襲ってこないらしい」


 秀人の言葉通りだった。廃墟の街を通り過ぎて数分もすると、シェイドの群れは、住処へと戻っていった。



 平地だった景色が、少しずつ変化を始める。線路を取り囲む木々の数が増えてきた。列車も、直線的な動きから蛇行へと切り替わる。どうやら、峠超えに入ったようだ。

 日も傾きつつあった。晴れ渡る青空の向こう、太陽が山肌へと落ちていく。白銀の斜面が、オレンジのグラデーションに変わり、幻想的な風景を醸しだす。

 時折、いくつか黒い影が、その雪面を踊っていた。ああ、セイビーか。列車の護衛のために、周囲を飛行しているのかな。 

 それにしても、なんで、こんなに動きが不規則なんだろう。周囲の警戒に、こんなに早く動く必要はあるのだろうか? 影しか見えないから、よくわからないな。


「しかし、彼らは、この寒空を飛行していて凍えないのかよ……」

「それは大丈夫。セイビーのプロテクトスーツには、背中のバックパックから熱供給もされているんだ。もしかしたら、いまの僕らよりも暖かいかもしれないよ」


 僕の独り言に対し、律儀な返答が足元から返ってきた。秀人は、いつのまにか床に座り込んでいた。

 こいつ何してるんだ?秀人はただ、前を見つめていた。その視線の先には、疲れ切った乗客たちか、黒地の壁しかない。

 あ、よく見ると、秀人の眼鏡の右のレンズが、いつもと違う。緑の光点が連なり、横方向に高速で流れていた。あれは、記号? いや、文字なのか。どうやら、何かを熱心に見ているようだ。たまに画面ともいえる眼鏡が曇るようだ。都度、眼鏡をかけたまま、ティッシュで拭っていた。


 その隣、エリカは壁に背を持たれた状態で座っている。軍用列車の砲撃が止んでから、ずっと無言だ。腹に両手を乗せ、俯いたまま、瞼を閉じていた。あいつ、やっぱり無理してたな。

 シェイドとの戦闘で、吹き飛ばされた際のダメージ。問題ないと言っていたが、やはりどこか痛いのだろう。

 それに……。エリカにとって、実の母親だものな。俺だって辛いのに。平気なはずがないよな。


 

 安全な場所に避難するまでは、何としても翔を守る。エリカは、その使命感に突き動かされていた。その時は、それ以外の事は考えられなかった。軍用列車に避難できたことで、とりあえずではあるが、エリカは安堵した。

 そうすると、今度は非情な現実が深く突き刺ささった。翔に悟られたくなかったので、顔には出さないように耐えていたのだ。彼女は悲しみに、圧し潰されそうだった。

 一方、クーは、空気を読んでいなかった。そんなエリカの気持ちも露とも知らない。彼女の柔らかで温かい太腿の上で気持ちよさそうに丸くなって眠っていた。


 車窓の外は、ついに完全な闇に覆われた。これじゃ、暇もつぶせない。仕方ないか。僕も、秀人の隣へ腰掛けることにした。

 相変わらず、真剣な顔で正面を凝視する、秀人。眼鏡のレンズを横から覗きみても、意味不明な記号が流れるだけだ。 内容を、盗み見することはできない。

 こういうのって、見えないと余計に気になるんだよな。好奇心が、僕の手を、秀人の顔へと誘った。


「うわっ! な、何が――。 あっ! 翔くん、ちょっと! 僕の眼鏡を返してよ!」

「おい! なんで、お前。こんなもの持っているんだ。いつのまに撮ったんだよ」


 映しだされた映像に驚いた。イソギンチャクとセイビーの戦闘シーンだったのだ。


 しかも、セイビーは徹さんじゃないか。まさに今日、駅までの避難の道中に、目の前で起きたものだった。


「そういえば翔くんには、教えていなかったかも」

「なにがだ?」

「その眼鏡は、録画機能が付いているのさ。自分が目にしたものは常時録画されるんだ。数か月前までは遡って再生できるんだ」

「この、覗きが趣味の変態少年め」


「情報の集積と解析は重要だよ。人類がシェイドに対抗する作戦を構築する上で、まさにその基盤となるからね。ま、翔くんにはその辺、理解できないのかもしれないけど」


 むっとした秀人が、僕から眼鏡を取り戻す。


「だいたい何で翔くんには、この映像が見えるのさ」

「いや、掛ければ見えるだろ」

「見えないよ! このインテリグラスは、セイジⅠ型の出生登録がされると直ぐに支給される専用品なんだよ。かなり前の大量生産品だから型式は古いけどね」

「だから、それが?」

「だから、セイジⅠ型の脳の視覚領域の特殊部位に調整されているの! 小さい頃から脳を訓練させるためにね。つまり、セイジI型でないと脳で処理できず、ただの記号の羅列にしか見えないはずなんだ。エリカちゃんも映像なんて見えないって言っていたよ」

「そんな小難しいこと、俺に言われたってわからん」


 僕は、肩を竦める。秀人は、眼鏡に映し出される映像の世界へと戻っていった。どうせ、僕とは、まともな会話にならないと感じたのだろう。

 またか。実は、気にしていた。秀人ともエリカとも異なる自分。セイジとしての特徴が、どっちつかずなのだ。

 今はそれを気にしてもどうしようもない。することが無くなってしまったので、列車の壁に背中を預ける。さすがに今日は疲れたな。信じられない、信じたくないことばっかりだった。

 ニット帽を押し下げて目元を覆う。少し休もうと、目を瞑った。張りつめていた緊張の糸が、ぷつりと途切れたようだ。

 僕は、ものの数分で深い闇へと落ちていった。

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