第四話 駅へ

 勢いの乗ったソリが、雪を跳ね飛ばして滑降する。


 腹の底に響くような、うなり声。断末魔の悲鳴。グチャグチャと、何かが潰され、咀嚼されているような音が耳に入る。


 心臓の高鳴りが止まらない。僕は、耳を押さえたい衝動を、必死に抑え込む。心を凍らせる響きが、どんどんと高まる。もう、我慢の限界だ。あまりの恐怖に叫び声を上げてしまいそうだ。

 しかし、ある地点を過ぎると、その不快音は次第に遠ざかっていった。大きな危機は脱したようだ。僕は、心から安堵した。


 跳ねるような勢いで、坂を急降下していく、ソリ。安心したところでふと思った。そういえば、このソリどうやって止めればいいのだろうか――。

 今更ながら、秀人に大事なことを聞き忘れた自分が恨めしい。ソリの滑降スピードは一向に落ちる気配はない。むしろ、いまなお順調に加速を続けている。ここまで来るとどうしようもない。手で雪面を押さえるだけでは、この暴走ソリを停止させるのは到底不可能だな。


 そもそも、上半身を起こすことすらできないのだ。両手が塞がっているのだ。振り落とされないようにソリの縁を握り締めるので精一杯だった。顔や上半身を覆っていたはずの雪もすでに存在しない。風の抵抗と振動で全て吹き飛んでしまった。


 暴れ馬のようなソリとの格闘。僕はどれくらいの間、滑降したのかなんて考える余裕はなかった。そんな僕を強い衝撃が襲った。瞬間、目の前が闇に覆われた――。

 く、苦しい。息ができない。いったい何が起きたんだ。このままでは不味い。とにかく死に物狂いで両手両足を動かした。

 なんとか、光と空気に満たされた世界に這い出した。勢いよく咳き込みながら周りを見渡す。下半身はまだ雪の中に埋没していた。どうやら柔らかい雪壁に突っ込んで止まったようだ。

 顔全体と耳がひりひりする。鼻の粘膜までもが痛い。首周りや手袋とコートの隙間の肌の露出部分。そこに雪が詰まりじんじんと痺れるように痛い。

 急いで体中の雪を振るい落とす。睫毛にまでこびりついた雪。それを拭っていると顔に雪粒が飛んできた。隣にはぶるぶると体を震わせる小さな影。クーも全身雪塗れだった。


「うわぁぁあああ!」


 ある意味、聞き慣れた絶叫が耳に入った。発生源へと目を向ける。正面から緑色のソリ。それが飛び跳ねるような勢いで迫ってくる。

 このままでは確実に僕に激突する。あれは危険すぎるぞ。木製のソリはただでさえ固くて重いんだ。それが人と雪で満たされている。衝突したら、とてもじゃないが軽傷では済まない。

 一瞬でそう悟った。慌てて雪の中に埋没していた下半身を引き抜く。そして横へと転がった。元いた場所を弾丸のような勢いで緑色のソリが駆け抜ける。そして一瞬で雪の壁へと消えていった。


「あ、あぶっねー」

 

 まさに間一髪だった。僕が滑った部分の新雪が押し固められガイドレールのようになっていた。後続のソリがそのラインをトレースして突き進んできたのだ。


「しかし、幸運だったな」


 今年は例年よりも大雪だった。大通りの車道に降り積もった雪を何度も脇へと寄せなければならなかった。除雪により歩道は消え去った。その代わりに数メートルの高さの雪壁が車道と平行に連なっていた。


 僕たちは大通りに対して垂直に滑降してきた。そしてこの雪除けの山に突っ込んだというわけだ。まさか、秀人はここまで見越してこの方法を提案したのだろうか。


「ん、なんか聞こえるな」


 一人思案していた僕はくぐもった声で我に返った。目の前の雪山が僅かに揺れている。


「あ、やばいかも」 


 秀人は未だ雪の中に埋没していた。このままでは窒息死が確実だ。


「世話の焼ける奴だな!」


 僕は急いで雪を両手で掘り起こしていく。必死にもがく腕を見つけた。


「腕だけが動く姿はちょっとシュールだな。なんて、呑気に思っている場合じゃなかったな」


 触手のように動く腕を掴み思いっきり引っ張る。見事に雪の中から秀人を釣り上げることに成功した。

 雪塗れの秀人の顔は涙と鼻水で真っ赤だった。ゴホゴホと咳き込みながら体を雪で払っている。まったく汚いな。さっきまでの自分の姿は完全に忘却の彼方だ。


「ヒデ、雪が全然落ちてないぞ。お前、そもそもそれで見えているのか?」


 彼の丸眼鏡のレンズには、びっしりと雪がこびりついていた。それに気づいた秀人は慌てて眼鏡を外す。雪のついたグローブで必死に拭い始めた。

 そういえば――。はっとして周りを見渡す。エリカがまだ見当たらないのだ。嫌な予感を背筋に感じた。恐る恐る自分が滑り下りてきた道を振り返る。予想通りだった。今度は赤色かよ。先程に負けない勢いで突っ込んでくる。


「ヒデ、動けるか? あー、駄目そうだな」

 

 答えを待つまでも無かった。秀人は未だ座り込んで眼鏡の雪と格闘中だった。僕の声も届いていなさそうだ。どう見ても、直ぐに立って動けそうには見えない。このままでは秀人に直撃だな。容易に想像がついた僕はさすがに焦った。さすがに痛いじゃ済まされないのだ。


 しかしこの予想は見事に裏切られた。赤いソリ上に人影が立っていた。高速で滑降しているにもかかわらず二本足で平然とだ。バランス感覚が半端ない。ソリの先端から伸びる紐を掴んで立っていた。それを器用に操り、僕らにぶつからないようにソリの進行方向を変えた。

 赤いソリが雪山へと衝突する。その寸前、エリカは身を少し屈めたかと思うと曲げた膝をバネにしてソリから大きく飛び上がる。そして、何事もなかったかのように地面に降り立った。無人になったソリだけが白い壁へと消えていった。


「エリカ。さすがに、それはないだろ」


 彼女の身体能力の高さには、いつも驚かされてきた。さすがに今回のは、驚くよりも先に呆れた声が喉をついた。


「無事、シェイドの脅威から、脱出した」

 

 エリカは自らのコートと髪についていた雪をさっとひと払いする。澄ました顔をしているが、あれはやせ我慢だな。きめ細やかな白い肌が赤味を帯びていた。さすがに長時間、体を雪の中に埋めていたので寒かったのだろう。


「ヒデ! さっさと準備していくぞ」

「ま、待ってよ」


 大通りを南西に向かって歩き出す僕。秀人が慌てて追いかけてくる。

 車道の端を僕らは横三列で歩く。歩道は完全に雪の壁と化しているためだ。そもそも車はめったに走らない。


「こんなことなら、他の方法にすれば良かった……」

 

 秀人は泣きべそをかきながら、とぼとぼと歩く。耳には未だ雪が詰まっているようだ。グローブを脱ぎ小指でそれを掻きだそうと格闘中だった。どうやら秀人もソリを止める手立てまでは考慮していなかったようだ。


「いや、最高にスリリングだったぞ。あれに比べれば、雪祭りの滑り台なんて子供騙しだったな。お蔭で駅まであと一キロメートルだ。一気に時間も短縮できたじゃないか」


 軽口を飛ばしていた僕の足が止まった。視界の先の空が赤く揺らめいていたからだ。かすかに銃撃音も聞こえる。嫌な予感がしてならなかった。


「翔、駅が、シェイドに、襲われている」


 エリカが現実を突きつけてきた。


「ああ、そうみたいだな。おい、ヒデ。駅に向かう以外に手はあるのか?」

「い、いや、駅で列車に乗らない限り逃げ出すのは無理だよ」


「そういうことだ。あそこに向かう以外の選択肢はないってことだな」

「駅、破壊されてたら、どうするの?」

「エリカ、そういう事は思っていても言わないで欲しい」


 一抹の不安を抱えながら。僕らは無言で燃える空へと向かって再び歩み始めた。駅まで残り二百メートルの距離まで近づいた時、耳元で突然甲高い声が鳴った。


「うわっ! うるせっ!」


 僕の肩の上に乗っていたクーだ。


「な、なにクーちゃんどうしたの?」


 秀人の問いに答えたのはクーではなかった。地響きとともに右手に見える三階建ての建物が倒壊していった。瓦礫の中から十メートル級の黒いイソギンチャクが忽然と姿を現した。


「やばいっ!」

「翔! アイツ、瓦礫に挟まって動けないみたい」

「まじか! よし、無視して走り抜けるぞ」


 シェイドを傍目に走り出す。


「駄目、止まって!」


 エリカの制止に足を止める。すぐ前方に、頭大の瓦礫がいくつも落下し砕け散った。あ、危なかった……。エリカが咄嗟に走りだした。あいつ何をするつもりだ。

 数メートル先の地面に転がっていた手の平サイズの瓦礫を掴む。そしてそれをこっちに投げつける。


「おい! 何するんだ!」


 いきなりのことに僕は避けることができない。痛みに身構えた僕の脇を瓦礫が通り過ぎる。飛んで行った方向を振り返る。

 漆黒の触手が僕と秀人に襲いかかろうとしていた。投げつけられた瓦礫に反応して触手が一旦動きを変える。こちらに向かう動きを止める代わりに鞭のようにしなった。

 そして、エリカの放った瓦礫を打ち返した。投げつけた時よりも運動エネルギーの増した瓦礫。それがエリカへと肉薄する。当たると一瞬で肉塊に成りかねない。それを焦らずに半身ずらして躱す、エリカ。瓦礫が地面に衝突し大きな音をあげて爆散した。


 一瞬の攻防だった。僕らは呆然とそれを見ていることしかできなかった。エリカは続け様に別の瓦礫を投げつけた。しかしどれも同じように触手に打ち返された。その一方で触手も一定の距離から、こちらに近づけない。間断なく飛んでくる瓦礫の処理に追われているからだ。

 そうか、これは時間稼ぎか。


「ヒデ! どうしたらいい!」


 僕は正面の攻防を見据えながら声をかける。おそらく隣で頭を捻っているであろう、秀人。彼の閃きに一縷の望みをかけた。


「も、もうだめだよ。こんなの、逃げようがないよ……」

 

 そんな期待も一瞬で砕かれた。秀人はただ恐怖に固まっていた。彼は直近で見る巨大なシェイドの迫力に圧倒されていた。


「私が――。翔を、絶対に守る!」

 

 エリカはまだ諦めていなかった。これまでのよりも大きな瓦礫を拾い上げる。スレンダーな体全体を弓なりにしならせ、それを放った。

 常人が目で追うのも困難な速さ。触手はそれを打ち返す動作に入ることもできなかった。瓦礫が直撃し、触手が後方へと大きく弾け飛ぶ。遠くで、くぐもったうなり声がした。


 これは千載一遇のチャンスだ! 秀人の腕を掴み駅に向かって走りだそうとした。何かが、目前を通り過ぎた――。

 エリカの体が数メートル先まで吹き飛ぶ。白い雪面を跳ね横向きに転がっていく。投擲直後、バランスを崩していた彼女を別の触手が鞭のように薙ぎ払ったのだ。


「エリカ(ちゃん)!」

 

 エリカは地に伏して反応しない。別の太い触手が、するすると彼女へと近づいていく。触手の先端が幾重にも別れ、手の平のような形へと変化した。

 このままでは、エリカが殺されてしまう。何とかしなければ。僕は焦った。しかし、その思いとは反対に恐怖で体が動かなかった。

 僕は、傍観することしかできないのか。無力な自分が情けない。不甲斐ない己に対する怒りが、胸の奥から湧き上がる。気持ちが昂り過ぎたせいか頭が軋むように痛む。くそ、視界までも霞んできた。


 シェイドの触手が、エリカの体を包む――。


 え!? 自らの目を疑った。彼女を掴もうとしていた黒い手は閉じることはなかった。ただ、そのまま地面へと落ちたのだ。まるで急に重力に逆らえなくなったかのようであった。

 さらに大きな音が続き地面が繰り返し揺れた。触手が次々と上空から降ってきたのだ。どれも途中で切断された短い触手だ。先端と逆側は鮮やかな切口。まるで蛸の足を包丁で捌いたかのうようであった。切断面から緑色の液体が噴き出していた。雪面を染め上げ直ぐに固まっていく。


 状況に理解が追いつかない。僕は混乱する。とりあえず、どこから触手が降ってきているんだ? 僕は空を見上げた。そこでは、黒い人影が舞っていた――。

 倒壊した建物から無数に伸びる触手。黒い手が人影を叩き落そうと襲いかかっていた。が、触手はそれに触れることすら叶わない。ひらひらと踊るようにして躱す様は、まるで本当の影のようだ。

 黒い影と触手が空中で交錯し赤い閃光が走った。光が消えた後には分断された触手。それが重力に任せて雪面へと落下していく。よく見ると人影は右手に何かを握っていた。棒状の武器もまた漆黒だった。ただ、その棒は触手と交錯する直前にだけ赤の揺らめきに覆われていた。

 あれも新手のシェイドなのだろうか。次々と切断される触手。緑色の血飛沫が舞う。その都度、倒壊した建物側から呻り声が聞こえた。苦悶と怒りが混じりあったような響きだった。


「あ、あれはセイビーだ!」

 

 空を見上げていた秀人は黒い影の正体を言い当てる。歓喜のあまり眼鏡がずり落ちそうになり、慌てて左手の中指で押しあげていた。

 救世主の登場。おかげで僕は冷静さを取り戻した。頭上で繰り広げられる戦闘を見上げながら、エリカの傍へと走り寄る。良かった。エリカの意識は問題ないようだ。

 両手を広げた格好で雪面に仰向けになり、空を見上げていた。その瞳は鮮やかな空中解体ショーに釘づけだ。


「翔。私も、ああなりたい」

「お、おう」

「奴らと戦える力が欲しい。おかあさんの仇。討ちたい。奴らを、絶対、この世から駆逐する」


 エリカの切れ長の目に涙が満ちる。堪えきれない悔しさが目尻から溢れ、白く透きとおる頬を伝う。僕はそっぽを向きながらもエリカに手を差し伸べる。普段は憎まれ口しか叩かない超強気なエリカ。そんな彼女の涙を直視できなかった。

 立ち上がらせ彼女に肩を貸す。上空の戦いを見あげて僕は呟く。


「ああ、俺らもセイビーになろう。エリカなら、あっという間にエリートだ」


 イソギンチャクの触手は残り数本。黒い影は急に上空へと駆けあがっていった。


「おい! ここまで来て逃げるのかよ」

「翔。あれは、おそらく違う」


 急速に小さくなる人影。地上からはすでに点にしか見えなくなった。一瞬の間を置く。そして今度は逆に点から人影へと大きくなっていく。その速さは上昇時と比較にならなかった。高高度から突撃した人影が巨大なイソギンチャクと交錯する――。

 

 一瞬の出来事だった。僕が気づいた時にはイソギンチャクは縦に真二つに引き裂かれていた。大量に噴き上げる緑色の血。イソギンチャク型のシェイドは建物の瓦礫とともに崩れ落ちた。


「あれ? あの人影はどこにいった?」


 すでに視界には見当たらなかった。僕は何となしに空を見上げた。遥か上空で大きく旋回している人影を見つけた。狐に包まれた気分だ。確か、あの人影は地面に衝突するとしか思えない速度で急降下していたはずだ。それがいつのまにあんな上空に移動したのか。


 人影は暫く体を大地に水平にして飛んでいた。おそらく上空から周囲を監視しているのだろう。そして安全を確認したのか、僕らの上空まで滑空してきた。頭を上に体勢を変えた。いわゆる直立の体勢だ。ゆっくりと高度を下げると雪面へと柔らかに着地した。


 近くで見ると、それが影でないことが分かった。全身は黒ずくめのプロテクトスーツで覆われている。頭には漆黒のヘルメット。燃えるような赤のラインが格好良かった。胸にも特徴的なワンポイント。金の羽を生やした一つ目のエンブレムだ。瞳の部分は緑でその中に赤字でSと描かれている。


 背には、漆黒に煌めく薄い箱型の機器を背負っていた、その両脇には二つの小さな円筒形のボンベがついている。箱からは六本の管が飛び出していた。緑色の蛇腹の蛍光管だ。うち二本は腕に残り四本は足へと向かっている。プロテクトスーツに張り付くように伸びる管の先は、漆黒のグローブの甲とブーツの足裏と踵。そこには小型のノズルがついている。背中の箱から伸びる管は全てこのノズルと接続されていた。


「お前ら、こんなところで何ぐずぐずしているんだ! 早く軍用列車に乗り込め。もうすぐ駅に到着するはずだ。ぼさぼさしていると置いていかれるぞ!」


 男の声だった。秀人が漆黒の男へと歩み寄る。


「あ、危ないところを助けてくれてありがとうございます! セイビーの方ですよね。ぼ、ぼくは秀人といいます。そこの二人は翔とエリカです」

「ああ、そうだ。俺は、第二世代軍、北都方面隊、第一特殊飛行隊のとおるだ」


「駅はまだ機能していて、北都に避難する軍用列車に乗ればいいんですか?」

「安心しろ駅は無事だ。もうすぐ軍用列車も到着する。ただ、駅の守りもいつまで持つかはわからん。軍用列車に乗客が乗り込み次第、北都に向けて出発する予定だ。だから急いで駅に向かえ」


 ヘルメットごしにこちらを見ていたセイビーの男。何かに気づいたのか秀人へと近づく。腰を落とし秀人の顔の前へ自らの顔を寄せた。そしてヘルメットのこめかみ部を指で撫でる。黄緑色のスモークがかっていたシールドがすっと消え去った。


 顔の一部しか見えないが想定した以上に若い青年だった。彼は秀人の瞳を覗きこむ。そして納得したような表情を浮かべた。次いでエリカと僕に顔を向ける。僕を見た時だけ男は僅かに小首を傾げた。なんだよ。その仕草になぜか腹が立った。


「そうか、三人も……。近い将来、再開する機会がありそうだな」

 

 目元付近しか見えないが青年はどこか嬉しそうだった。

 セイビーの青年はふたたび腰を上げる。下がっていろと伝えて僕らから距離を置く。青年を中心に強い風が巻き起こった。僕は手で顔を覆うがすぐに風を感じなくなった。手をどけると先程までと同じように頭上に人影が浮かんでいた。

 見上げる僕たちに空中で停止し敬礼のポーズをとった。そして直ぐに駅へと向かって飛行していった。どうやら駅前のシェイドを倒しに向かったようだ。


「やべぇ、まじかっこいい」

 

 あっという間にその影は見えなくなった。その颯爽とした姿に僕だけでなく他の二人もずっと目を奪われていた。

 肌を刺す寒さで我に返った。


「さあ、今がチャンスだ。急いで駅に向かうぞ。ヒデ、お前は俺と逆を頼む」

「うん。任せて」


 僕と秀人でエリカを挟む。彼女に肩を貸して小走りで駅へと向かった。

 

「こりゃまた凄いな。隙間すら無いじゃんか」

 

 駅を見た僕の第一声だ。お世辞にも大きいとはいえないこの街の唯一の駅舎。そこが街全体から逃げ伸びてきた避難民で溢れかえっていた。


 待合室に収容できないのはもとより、長いホームすらも人で埋めつくされている。みな青い顔で体を震わせ身を寄せ合っていた。雪のちらつくなか屋外での待機。確かに寒いが、それよりも現実離れした恐怖の所為であった。


「ここは無理だよ。確か、駅舎の正面の庇なら、雪くらいは凌げそうだよ」

「うお、ここも一杯だな」


 とにかく空スペースを探してその庇に沿って歩く。


「駄目そうだな、しょうがない。もう一度、駅舎の方を見て廻るか」

「あ、翔くん。あそこが少し空いているよ」

 

 秀人が庇の最端部を指さす。僅かにスペースが残っていた。なんとか庇の下に避難した三人は体に降り積もった雪を落とす。

 

「やっと、一息つけそうだね」

「そうだな、あとは軍用列車が来るまで、このまま壁に寄りかかって待つだけだな」

「ね、あそこ、見て」


 隣のエリカを振り向く。彼女の視線は駅正面から真っ直ぐと伸びる中央通りに向いていた。

 そこでは九人のセイビーが三体のシェイドと戦っていた。


「どうやら、セイビーに軍配が上がりそうだな」

「そうだね。でも、あれってほぼ一人で倒していない?」


 素人目にも一人だけ浮いていた。他のセイビーと比較して明らかに実力が異なっている。空中を駆けるスピードや方向転換のキレが違うのだ。そのセイビーが次々とシェイドの触手を切断していく。


「あれってきっと、さっきの徹さんって人だよな。他の人は新米なのかな」


 目を凝らすとそのセイビーのヘルメットにだけ赤いラインが入っていた。いつの間にか僕は徹さんの戦う姿に夢中になっていた。彼のようになりたい。なれるのであれば、どんな苦しい訓練にでも耐えてみせる。僕は改めてそう決意した。シェイドに襲われた時に何もできなかった。本当に情けなかったのだ。

 

 あとで知ったことだが僕らは大きな勘違いしていた。周りのセイビーが未熟ということではなかった。徹さんの能力がセイビーの中でも群を抜いていたのだ。熟練の隊員でも彼の動きについていくことは難しいのだ。

 当然、この時の僕には細かい動作まで視認することはできなかった。それでも、できる限りその雄姿を目に焼きつけたかった。必死でその姿を目で追いかける。



 そんな翔の横顔をエリカがじっと見つめていた。エリカは少し驚いていた。普段とは異なり、凄く真剣な顔つきだったからだ。やっぱり翔も男の子なんだな。でも、翔。心配しなくていいよ。私が守ってあげるから。そのためには早くああならないと。私もまた翔と同じように戦闘を注視する。



「徹さん、あの機械、体の一部にしてる。他の人は、全然駄目。次の動作に入る前、一瞬、反動に耐えてる。無駄な予備動作。だから、徹さんとは比較にならない。圧倒的にキレ、足りてない」

「お前、あれが見えるのかよ!」


 思わず僕は声に出してしまった。エリカの常人離れしたスペックには日頃から慣れ親しんでいる。しかし、さすがにこれには突っ込まずにはいられない。


「俺は、他の人のモーションは何かカクカクしているなって程度にしかわからないぞ」


「僕なんて早すぎて全然わからないよ。多分みんな見ているけど、誰もそんな細かい動作になんて気づかないよ。むしろ、翔くんはかなり見えている方だと思うけど」

「でも、こいつは、本職に対して、駄目出しまでしてるぞ」


 悔しいけどエリカは大物になるのかもしれない。

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