第五話 徹

 想定外の収穫だったな。

 斎藤徹さいとうとおるは昨日からの出来事を、そう振り返った――。


 日本州北部域の西寄りに、この地域で唯一の都市の北都がある。

 その西方は日本海を隔ててロシア、中国といった大きな州があった。一方、北面の数キロ先は海だ。


 このため、陸地からのグリーズの襲来は、必然的に北都の東もしくは南側となる。そのような背景から、北都防衛のための前線基地は、都市の北東部と南東部に築かれていた。そして、海を隔てた南方には日本州本土が控えている。

 結果、グリーズの襲来が最も多く激戦地となるのは、決まって北東部に築いた基地となった。

 北都から北東へ約百五十キロメートルの地点にある、旭日あさひ前線基地。日本州最大かつ最北端に位置する最重要の防衛拠点だ。


 その上空千メートルを、徹は飛行していた。

 彼の所属する第一特殊飛行隊の本日の任務。それはこの基地周辺の索敵だ。なかでも徹の中隊の担当エリアは、基地東方の地上部と上空であった。


 午後の任務も、そろそろ中盤といったところだろうか。あと二時間もしたら日も暮れるだろう。

 すでに索敵範囲の東端に差し掛かかっていた。ここまでの間、俺も部下の隊員も一切の異常を確認していない。そろそろ引き返そうか。そう考えていた。

 そんな俺の頭のなかに、突然、けたたましい音が鳴り響く。直後、頭の中に強制的に情報が流れ込んできた。これは――。

 旭日前線基地から、直線距離で東に約百四十キロメートル。そこに人口二千人程の小さな街がある。その街に、たった今、グリーズが襲来したとの知らせだった。


「こちら、1-1中隊の徹だ。本部、応答せよ」

『本部より応答』


「我が隊は現在、対象地点の西方約百二十キロメートルを索敵中だ。我々が最も対象に近いと思われる。これより現場へと急行する」


『了解しました。現在、確認されている大型のSは十体。海棲生物型です」

「レベルとステージは」

「危険レベルはイエローファースト。進行ステージはⅢと推定されます。さほどの脅威ではありませんが十分に注意してください。最新の詳細情報を送信します』


「了解。その程度であれば我々の中隊だけで支障ない。状況に応じて支援要請する」

『おい徹、油断するなよ』


 別の声が頭に響く。


「大隊長、承知しています」

『最近の東部は、おかしなことばかりだ。つい数か月前にも、その辺りの街が例の一夜事件で消滅しているんだからな。第二中隊を後詰めとして、旭日前線基地の上空に待機させる。何かあったら直ぐに応援を呼べ』


「わかりました。必要に応じて依頼します」


 これらの通信が脳内で一瞬のうちに完了。そして、すぐに別の情報が頭の中に直接流れ込んでくる。現場の詳細な状況や出現したグリーズに関する情報だった。


 脳情報通信システムはすでに確立し、各種分野で運用されていた。軍でも本部と兵士間の主要な通信手段として採用されている。

 例えば、まず本部でデジタル情報が暗号化される。それが軍事衛生を経由して兵士のヘルメット内の端末に受信。デコードされたデジタル情報は各個人に最適化される。

 人それぞれ脳構造は僅かに異なる。このためヘルメット内で演算、各個人に最適化するのだ。その後、ヘルメットから脳内の対象領域の神経細胞へと各種信号が送られる。


 このシステムの導入効果は非常に大きかった。末端の兵士でも本部と同様の詳細な情報を速やか得ることができるようになったのだ。しかも情報量も極めて多い。自らが直接立ち会っていない事象であっても、当事者とほぼ変わらないのだ。五感情報として得られるのだ。

 逆に、兵士の視覚や聴覚等の情報をデジタルデータに変換し、本部に送ることも可能だ。自らの脳に情報を送ることをライティング。脳から情報を取り出すことをリーディングと呼ぶ。


 急がないと不味いな。俺は高度を維持しつつ速度をあげる。隣に副長が寄ってきた。飛行姿勢のまま、親指で後ろを指した。


『中隊長、飛行速度が速すぎます。あいつらも必死でしょうが、距離が少しずつ離れています』


 シールド越しに副長の口元が動いているのが見えた。


「構わん。俺らの到着が遅れる分だけ住民の死傷者が増えるんだからな。あいつらは戻ったら鍛え直さんと駄目だな」

 

 俺もヘルメット内で口に出して、それに応える。


 ブレインリーディング。それは、人の思考や感情までも読み取ることが可能だ。しかし、これは倫理的にも情報量的にも大きな問題があった。このため、実際には口に出した情報のみが通信に乗る。つまり、口に出すという脳行動をしたものだけが、リーディングされるように調整されているのだ。ただ、欠点もある。独り言はNGだ。小さく呟いても音量は小さくはなるが、相手に聞こえてしまうのだ。


「あと五分で対象と遭遇する。副長は他の隊員の合流を待ち、街の中心部へと向かえ」

『中隊長は、どうするのですか』

「決まっているだろ。俺は先行して、住民を襲っている悪を滅するだけだ」

『また、隊長一人で無茶するつもりですか……』


 副長の呆れた口調が脳に流れ込む。空気抵抗をものともせずに隣でオーバーリアクションしていた。それでも飛行体勢を乱すことはない。相変わらず器用な奴だ。


「ただのヒトデモドキだ。あんなのは脅威でもなんでもない」

『いや、それは中隊長だけ――』

「よし! 市街地が見えてきた。ここで別れるぞ。新人のお守りは任せた」


 俺は副長に対して右手を上げ、街の中心部を目指し加速した。


「ま、確かに今回はさほど危ない敵ではないですが。でも、どんなシェイド相手でも脅威じゃないって言ってますよ。そんなの、あんただけですよ」


 通信を切った副長が、ため息を零す。そして別の相手へと通信を繋ぐ。


「おい、お前ら聞こえるか。1-1中隊は、これより中心街へと向かう。住民の安全確保が最優先だ。急がないと中隊長からの特別訓練が待っているぞ!」


 副長は隊員へと指示を送り、後方を振り返る。遠くに見える複数の黒い人影。その飛行姿勢が、あからさまに大きく乱れた。中隊長からの特別訓練。そのキーワードが動揺を与えたのは明らかだ。

 彼らは直ぐに体勢を整える。そして、猛スピードで副長のもとへと向かって来る。はあ、これは近日中に特訓が確定だな。副長はヘルメットの中で再び深いため息をついた。



 ふん、呆気ないもんだな。お、あそこにもいたか。しかし、こいつらは動きがとろいな。俺は手に握った武器を一閃する。黒いヒトデ数体が同時に縦に裂けた。

 まあ、性質たちは良くないか。ヒトデ型はそれ単体の脅威は小さい。しかし、単純に切断しても断片から次々と分裂して増殖するのだ。

 それでも俺には関係ないけどな。そう思いながらヒトデをさらに細切れにしていく。対グリーズ専用特殊武器、ブラッド。この武器で細断すれば体の内部まで破壊が可能だった。細かく刻まれたヒトデは、他のグリーズ同様に石化するだけだ。


『隊長、我々にも活躍の場を残しておいてくださいよ』

「おまえらがトロすぎるんだ。このヒトデレベルじゃねーのか」

『それは、さすがに酷いですよ』

「いいから、すぐに生存者の捜索を開始しろ!」

「了解!」


 街の中心部に部下が集まっていた。新米の部下は特訓の成果を見せたかったのだろう。ヒトデの残骸をみて口惜しそうにしていた。こんな雑魚で自信なんかつけて調子に乗られてもな。自信過剰になられても困る。ちょうど良かったか。

 捜索を開始して、二、三時間で完全に日が暮れてしまった。


「今日は、ここまでだ。明日、捜索を再開する。野営の準備をしろ」


 翌朝、太陽が昇るとともに生存者の捜索を再開する。


「馬鹿野郎! ヘルメットを外すと本部に情報が送れないだろ!」

 

 経験の浅い若い隊員がヘルメットを外して道端で嘔吐していた。


『無理もないです。さすがにこれは酷いですよ』


 副長がそう宥める。


「確かに俺でも目を覆いたくなる光景だがな。死の街としか言えんな」

『本部がレーダーでシェイドの出現を確認。その後、我々は旭日前線基地から一時間弱でここに辿り着いています。なのに街の人々は一人残らず殺戮されています。こんなことってあるのでしょうか』


「いや、明らかにおかしい。俺が着いた時には、既にどのヒトデも死人を食していた」

『それは変ですね』

「ああ、奴らは通常、生きた人をそのまま食べる。そして首だけポイだ。これはどちらかというと、別の奴に殺されて放置された死体を後片付けしているように思えるな。見てみろ、ヒトデに喰われていない死体を。どれも四肢が切り刻まれているだけだ」


『しかし、レーダーにもひっかからない小型サイズということですか? これほど狂暴なグリーズは世界中探しても未だ報告されていませんよ』


「わからん。もし、新種のシェイドが現れたんだとしたら、かなりやっかいだな」


 捜索再開から数時間が経過した。しかし発見されるのは無残な亡骸ばかりだ。生存者も、この惨劇を引き起こしたであろう犯人の痕跡も一切掴めない。隊員はみな、気が滅入り誰も言葉を発しない。

 このままでは新入りは持たんな。そう思って口を開く。


「おい、そろそろ休憩を――」


 その言葉が昨日と同じ警報で掻き消される。


『こちら北都防衛本部。1-1中隊、応答願います』

「こちら1-1中隊。何の警報だ!」

『新たに別のGが出現。街が襲われています』

「どこだ! ユニット通信ということは我々の近くか」


『中隊展開地点より、西に約二十キロの街です』

「詳細を頼む」


『レーダーに反応しているグリーズは七体。海棲生物型です。危険レベルはイエロースリー。進行ステージはⅢもしくはⅣと推定されます』

「住民は無事なのか!」


『現在、第一種災害警報に基づき、駅へと避難しています』


 最新の情報が頭に流れ込んで来た。良かった。まだ生存者がいるようだ。           


『おい、徹! 旭日前線基地から、そっちに応援を送ろうか』

 

 聞き慣れた声が頭に割り込む。

 

「大隊長、その必要ありません。この程度、他の中隊が駆けつける前に片付けます」

『また、お前は……。いいか、くれぐれも無理をするなよ!』

「了解」


 通信をユニット内に切り替える。


「おい、お前ら行くぞ!」

 

 その指示とともに漆黒のセイビーが一斉に空へ飛び立つ。今度は間に合ってみせる。俺は西へ向かって疾駆した。



「くそっ!」 


 苦虫を潰したかのような表情で眼下を眺める。

 街のほぼ中央に位置する運動公園の周辺。そこで二体のイソギンチャク型のグリーズが暴れていた。周辺の民家など、建物の多くはその姿を残していない。灰色のキャンパスには鮮やかな赤の斑点が散りばめられていた。救助すべき住民はそこには一人もいなかった。その代わりに恐怖に引き攣った物言わぬ顔が転がっていた。俺はまた間に合わなかったのか。


 ん、なんだあれは。雪面の一部に緑色の染みがあるな。シェイドの体液が飛び散った跡か。戦闘があったのか。でも遺骸は見当たらないか。眼下のグリーズか別の個体のものだろうな。いずれにしろ眼下にのさばるイソギンチャクもどきを生かしておく理由はない。


「おい、俺はとりあえず下の奴らを葬ってくる。お前らは副長と一緒に駅周辺の安全を確保しろ」

『了解。隊長も、お気をつけて!』


 副長以下、十名のセイビーが駅へと向かった。

 仇は討ってやる。俺はイソギンチャクへ向かって突撃した。



「ふん、手ごたえのない奴らめ。もう他には居なさそうだな」


 上空を旋回し周辺を索敵する。すでにジェイドの始末は終えた。他にシェイドがいないか、そして生存者がいないかを確認していた。そこに副長から通信が入る。


『中隊長、駅周辺部において三体の対象を発見。このままでは軍用列車が来る前に駅が破壊され、住民が避難できなくなります』

「ちょうどいい。小隊の数と同じだ。それぞれで攻撃に当たらせろ」

『はっ!』

「副長は、戦況を俯瞰、それぞれの全体の指揮をしろ」

『了解。中隊長は交戦中ですか?』

「馬鹿言え、あんなの数分だ」

『あいかわらず、むちゃくちゃですね」

「俺もそちらに急行する。くれぐれも無理はさせるな」


 駅までの道中。眼下に広がる惨状に今朝の光景を思い出してしまう。違うのは、ここの死体は全て首だけだ。もう、この街は引き払わないと無理だな。

 駅まであと僅かというところ。視界の端に気になる影が映った。副長に少し遅れると連絡し直ぐに方向転換する。

 やはり、シェイドか――。


「水素ブーストオン!」

 

 反射的にそう口にしていた。黒い触手がまさに一人の少女に襲い掛かる瞬間だった。スカイムーブのノズルから、それまでとは比較にならない量のガスが噴出する。両手足に強い負荷がかかる。常人ならば、耐えられない。おそらく膝の骨が折れるだろう。その代わり、強力な推進力を得ることができる。

 

 俺は目標に向かって突っ込んだ。触手が少女を掴むよりも早く切断に成功した。ふう、何とか間に合ったか。胸を撫でおろす。あとは焦らずに普段通りの戦闘でシェイドを始末した。

 しかし、何故こんな場所に子供だけが取り残されているんだ。ちょっと確認してみるか。地上に降り立ち、早く避難するように呼びかけた。驚いたことに、三人ともセイジだった。

 これが、今回の唯一の救いだったと言える。多くの住民が犠牲になった。あの街の惨状を見るに助けることができたのは、ごく一部だろう。それでも、セイジの子供たちを助けることができたのは大きかった。出生率が極めて低く政府の保護対象なのだ。何より自分と同類だ。

 

「おい、お前ら! なにこんな雑魚に手間取っているんだ」

『中隊長! いや、触手の動きが案外早くて不規則なんですよ』


 部下の不甲斐ない戦いに呆れてしまった。大人数で何をやっているんだ。しかも、二名が軽く負傷して戦闘から離脱していた。


「どうやら、甘やかしすぎていたようだな。今夜は覚悟しておけよ!」


 頭に隊員たちの悲鳴が木霊した。非難ともつかない叫び声だった。


「お前ら、煩いぞ! それ以上騒ぐと特訓メニューを倍にするぞ」


 一斉にシンと静まった。こいつら……。まあいい。まずは奴だ。俺はシェイドへと突っ込んだ。

 戦闘中にもかかわらず、先ほど出会った少年の顔が思い浮かんだ。あの翔という少年は少し残念だな。しかし、どこかで会ったような気がする。親近感を覚える理由がわからない。傾げた首の脇を漆黒の触手が通り過ぎて行った。

 邪魔だな。淡々とイソギンチャクもどきの触手を切り刻む。俺にとっては最早ルーチンワークだ。残る敵は後一体か。さすがに、これはあいつらだけで殺らせるか。訓練させていたフォーメーションを実戦で試してみるか。


「おい、お前ら――」


 本日二回目となる、けたたましい音が徹の脳を揺さぶる。だから、何故いつも俺の話の腰を折るんだ。


「今度は何だ!」


 俺は、いらいらしながら本部に確認する。

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