第35話 越後追放

後世『黒滝城(くろたきじょう)の戦い』と呼ばれる黒田(くろだ)秀忠(ひでただ)の謀反(むほん)は黒田秀忠方の降伏という結果に終わった。


昨年の1544年に起きた上田荘(うえだそう)の農民兵たちが長尾(ながお)景虎(かげとら)が城主を務める栃尾城(とちおじょう)に攻め込んで来た『栃尾城(とちおじょう)の戦い』。この時は俺がこの時代では少し常識外れの助言をし、景虎が軍勢の指揮を務めて返り討ちにした。戦(いくさ)の傷は決して浅くは無かったが、それでもこちらが受けた損害と相手の受けた損害を比較したら天と地ほどの差がある圧勝劇だった。


では此度の黒滝城の戦いはどうだったか。


こちらも栃尾城の戦いに比べれば損害は大きくはなったが、それでも圧勝には違いない戦果を挙げる結果になった。

戦場の現場となった黒滝城での処理は既に済ませ、残すは今回の謀反の首謀人であり景康と景房両名を殺害した黒田秀忠の処遇のみとなっていた。この最も重要と言える戦後処理を現場にいて仕置きの総大将に任命された景虎や余力の山岸村山兄弟、栃尾城の城代である本庄(ほんじょう)実乃(さねより)など戦に参加した者だけで決めるなど越権行為もいい所であり、決して決められる事ではなかった。


全ての決定権を持っているのはもちろん守護代長尾家の当主、長尾(ながお)晴景(はるかげ)その人。

加えて父、長尾(ながお)為景(ためかげ)の時に色々あったりはしたが現在では府内長尾家(ふないながおけ)で重きを置いている桃井(ももい)義孝(よしたか)。三分一ヶ原(さんぶいちがはら)で活躍し頭角を現した、柿崎(かきざき)景家(かげいえ)。奉公職としてだけではなく宿老としても活躍する内政、外交面で活躍する直江(なおえ)景綱(かげつな)など名だたる重臣たちだ。


「長尾(ながお)景康(かげやす)様と長尾(ながお)景房(かげふさ)様。このお二人の命を奪った以上、黒田秀忠の切腹はやむを得ないのではないか?」


「だが黒田家は守護家である越後上杉家の中でも重臣であり影響力が大きい。それに我々はあくまでも上杉(うえすぎ)定実(さだざね)様の臣であり長尾(ながお)晴景(はるかげ)様も黒田秀忠もそれは変わらん。いくら守護代家であったとしても家臣同士のいざこざには変わらない。黒田秀忠のこれまでの成果を考えればいくらか温情が与えられても不思議ではない」


「しかしそれでは長尾家家中で納得する者が少ないぞ!?こちらは仮にも当主の家族、一門を討たれているのだ」


「納得するか、しないか。そんな感情で簡単に決められる事ではない事くらいお前にも分かっているだろう!特に今は越後国内が先の越後上杉家の入嗣(にゅうし)の問題で揺れていた直後。不用意な行為はそのまま守護家すら危うい状況にしてしまう程の危険を孕んでいる。安易な事は出来ん」


「そんな事は分かっている。しかし仮にも俺は義弟(おとうと)を殺されたのだ。景綱殿のいう事も頭では理解は出来る……だが二人と語り合ったあの時を思うともう会えないという事実を心が理解出来ないのだ」


「加地(かじ)殿、それでも理解せねばならぬのです。加地家(かじけ)の当主である貴方なら家を守る事、その重要性と大変さを理解出来ましょう」


「……くそっ!」


言って加地(かじ)春綱(はるつな)は床を大きく叩いた。

景綱の言っているその意味を理解しているからこそ、何も出来ない自分に腹が立って仕方がないのだ。


重臣たちが居並ぶ中、大声で言い争いにも似た掛け合いをし宥めているのは家老である直江景綱。そして食って掛かっている様に見えるのは長尾晴景の妹を正室に迎え講和した加地(かじ)春綱(はるつな)である。


加地春綱と長尾晴景と景虎は義理の兄弟。晴景は義兄、景虎は義弟、そして討たれた景康と景房の二人も義弟という関係であり、長尾一門の扱いは受けずあくまでも加地家の当主という扱いだが家中では重きを置いていた。


二人の掛け合いも加地春綱の心の叫びにも似た音で決着した頃、今まで口を閉じていた他の家臣も口を開き始める。


「では結局どうするのだ?このまま黒田秀忠を降伏したからと言って許す事など出来まい」


最初に口を開き黒田秀忠の処遇を気にするのは柿崎景家だ。

カストロと呼ばれる髭を持ち鋭い眼光光るその瞳はいかにも猛将といった雰囲気を醸し出している。しかし決して脳筋なわけではなく、家内で奉公職も務める文武両道を兼ね備えた武将である。40歳に差し掛かり一層年輪を重ね、普段であれば落ち着いた空気を醸し出しているのが彼の特徴だった。


それが今はどうだろう。


少々焦っている様な。かと言って切羽詰まっているというよりも不安を抱えている様なそんな雰囲気である。


柿崎景家が何故その様な雰囲気なのか、それをこの場にいる者たちは全員が知っている。

だからこそだろう。景家の不安を少しでも解消させてやろうと桃井(もものい)義孝(よしたか)が己の考えをゆっくりとだが語り始める。


「私としては黒田一族は残した方がいいと考える。謀反を起こしたとは言え、先も言われた様にあくまで越後上杉家に仕える家臣同士のいざこざ。家格で言ってもほぼ変わらず越後国内における影響力も高い、それ故に黒田一族を処刑するとなると未だ安定していない越後では混乱が大きくなり過ぎる」


「それは確かに認めます。加えて今まで晴景様は越後国内での融和政策を中心として政策を行ってきました。ですがここで一族抹殺ともなれば今までの政策との乖離が大き過ぎ、今まで行ってきた融和に置ける寛容な措置も全て水の泡となってしまいます。自らしてきた事を全て否定する事になりかねないのですから」


「だがこのまま何の沙汰も無しでは納得できん!黒田秀忠だけでも切腹に!」


「話を元に戻すではない加地殿。黒田秀忠には過去越後上杉家に尽くした功績があるために、今までの政策方針から言ったら温情があっても不思議ではないと言ったであろう」


「桃井殿の言う通りです加地殿。どうしたとしても黒田秀忠を切腹に追いやる事は難しい」


桃井義孝も直江景綱も、二人とも加地春綱と同じく此度の謀反に対して非常に憤りを感じ怒りを内に秘めているのだ。主君の家族を守れなかった、同僚の謀反を止められなかった、仇を取れず逃してしまった。それら後悔の念が怨念ともなろうというくらいに沸々と怒りが沸き立っているのだ。

だが今がどういう状況なのか、どう動けば最適なのか、それを考えると此処で黒田秀忠を殺す事がどうしても出来なかった。


「えぇい、まどろこしい。ならばどうすると言うのだ直江殿!?」


回りくどく加地春綱を諭してはいたのだが、とうとう我慢の限界が来たのか声を張り上げて詰め寄った。


普段であればここまで怒った加地春綱を止める事など出来ない。

しかしその猪突猛進の猪とも言えるような加地春綱を止める一言が放たれる。


「黒田秀忠を越後追放にしよう。家督はそのまま息子に譲らせる、それでいいでしょう?」


「は、晴景様!?それは!」


はっと振り返る加地春綱のその視線の先、そこには今まで黙って事の推移を見守っていた府中長尾家(ふないながおけ)の当主長尾晴景その人がいた。


あまりにも唐突過ぎるその言葉の内容を一瞬理解できなかった加地春綱だったが、それでも少し止まった後にようやく内容を理解したのだろう。再起動したかのように言葉を繋ぎ始めた。


「晴景様!黒田秀忠は義弟を殺した張本人です。それを越後追放などという刑で終わらせてしまって良いのですか!?」


「春綱……僕だって思う所はある。でも黒田秀忠は越後追放、それが今回の沙汰だ。それでいいね?」


「くっ……はい。出過ぎた真似申し訳ございませんでした」


血が繋がっていない自分よりも血の繋がる晴景の方が兄弟を殺されたその痛みが強い事、それはいくら加地春綱でも理解できる。色々な葛藤がその内に秘められている事だって理解できる。

だからこそ、その人物が下した沙汰。それを尊重しようと、無理やりでも納得しようと引き下がったのだった。

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