第28話 絶望

結果だけ言おう。

成果は上々どころか文句なしの結果であった。


夜襲を仕掛ける、一言でそう言っても実際に今回行った事は殆ど奇襲と言っていい攻撃だった。

内容は単純。暗闇で先が見えなくても、あちらこちらで寝ている農民兵がいる広場へと矢を放つ、ただそれだけ。


広く開けている森の中の広場に設営されている上田荘(うえだそう)の農民兵と何処かの将たち。

彼らは現代の整地された道路を休憩無く歩き通しで歩いたとしても約10時間は掛かるであろう距離を1000人以上の規模で歩いて来た。山間部にあって出来るだけ平地を選択して歩いたとしても、時には高低差が200メートル以上にもなるような場所を通って来たのだ。


まして今回は現代でも豪雪地帯として名高い新潟県の数メートルは降り積もるであろう越後(えちご)の中でも雪深い地域からやって来たのだ。冬の間は備蓄した食料だけで過ごすのは大変だが、かと言っても外で兎などの獲物を取ることも深い雪に足を取られて難しい。

そんな時はどうするか。当然、白湯(さゆ)でも飲んで我慢するしかない。


そして冬が明けてようやく食事で満足出来る程度まで満腹感を得られる事になった春。遠征中の食事を理由に兵の召集があった。

同然農民の彼らは進んで参加し、長い距離を歩いてここ栃尾城(とちおじょう)までやって来た。


太陽が沈み切る前、腹が減っては戦は出来ぬの言葉の通りに現地で振舞われた豪華ではないが腹を満たすには十分な食事。

冬の間飢えていた農民兵の彼らは我先にと貪り、疲れからくる眠気に誘われて森の中であるにも関わらず熟睡を貪っていた。


そこへ俺たちは攻撃を仕掛けたのだ。


見張りとして立てられていた兵もいたが、所詮は訓練もしたことが無い農民兵。

焚き火で照らされる範囲にも限りがあり、到底俺たちが潜んでいた周囲の森の中まで照らす事など出来はしない。

森には獣だって徘徊しているだけではなく、風による木々のざわめきだって聞こえてくる。そこら中に気配が溢れているのだ。


大体気配を感じる、という事自体普通の人になど出来はしない。

現代に生きている日本人の中にどれほど気配を感じることが出来る人がいるというのか。漫画やアニメ、小説の中には一般的に溢れ出ては来るが、聞いたりするのと実際に行うのは違うのだから。


案の定見張りの兵は俺たちが伏した事も感じ取ることは出来ず、俺たちの夜襲とも奇襲とも言える攻撃が成功した。

しかも俺たちの損害はゼロ。それはそうだ。

矢で攻撃を仕掛けたといっても実際に撃ったのは一人当たりたったの5本。5本撃ったら即撤退、それを徹底して一緒に夜襲に行った仲間へと伝えたからだ。夜襲に行った仲間だって死にたくはないし、俺だって数か月とはいえ一緒にいた仲間の死に顔を見たいとは思わないからこそ。


即撤退を二つ返事で了承した彼らは、夜の闇に紛れて普段は見せない速さで持って来た矢を放つと霧散した惨敗兵の如く素早い足で城の方へと走った。


後に残るのは矢を受けた上田の農民兵や将。

熟睡している所にそんな攻撃が来たらどうなるか。当然混乱するに決まっている。それもただの混乱ではなく大混乱の争乱である。

巻き起こった周囲の争乱によりある者はその場から一刻も早く逃げようと走り、ある者は放たれた矢で即死し、ある者は矢の当たり所が悪く蹲る。中には交戦に出ようと槍を手にした者もいたが周囲は自分たちを率いて来た将の怒号や同じ農民兵の恐怖溢れる悲鳴だけ。


敵が何処にいるのか、いつ襲ってくるのか。

そんな訳も分からない状況が彼らを包み、やがては自らの内にある恐怖をも増幅させていく。兎に角自分の安全を確保しようと周囲を見回る様に、武器を振り回し見えない闇の中で少しでも恐怖を振り払おうとする。

しかしそこは味方が縦横無尽に悲鳴を上げながら走り回る争乱の地。敵である栃尾城の兵などとっくに撤退しており当然味方しかいない。

振り回した槍は逃げ回っていた味方の腕を裂き、腹を抉り、足を貫いた。溢れる血による鉄の匂いが余計に恐怖心を煽り、振り回す腕が速度を増していく。


それは太陽が地平線から顔を出す明け方まで続いた。


太陽が昇り徐々に周囲が明るくなった頃、そこにあったのはまさに地獄だった。


大地を染める赤は蹲るように死に絶えている上田荘の農民兵の生きていた証。そしてそれは自らの手で引き起こした業(ごう)の証。人の命を奪ったという罪の印。


腕が切り落とされていたり首が取れかかっていたり、中には逃げ惑う同じ上田荘の農民兵によってグチャグチャに踏み抜かれている者もいる。

運よく生き残った者もそんな光景を見て手にしていた槍を投げ捨てて逃げて行く。


明け方、景虎率いる俺たち栃尾城の兵が見たのはそんな悲惨な光景だった。


だがここで俺たちは手を緩めるわけにはいかない。景虎の初陣(ういじん)として徹底的にそして圧倒的な勝利で彩らなければならない。それは今後の中郡(なかごおり)の郡司(ぐんじ)としてきっと役に立つから。


史実の通り後方からの奇襲と前方からの強襲でこの戦いに臨んだら、きっと壊滅させる事が出来ただろう。でもそれじゃあ駄目だ、まだ足りないのだ。


突撃部隊の本隊として広場に集結した栃尾城の兵(つわもの)たち。向かうは壊走すらしている上田荘の農民兵。

やる気十分の訓練された兵の中、鎧を身に纏い先頭に立つ景虎に本庄(ほんじょう)実乃(さねより)殿がそっと近づいて行く。


「景虎様、突撃の号令をお願い致します」


「うむ、分かった」


そう言って大きく息を吸い込み声を張り上げる。


「全軍突撃!」


長尾(ながお)景虎(かげとら)、後に上杉(うえすぎ)謙信(けんしん)と呼ばれるその男は後世『軍神(ぐんしん)』と呼ばれる戦術の天才。戦国最強の武将に名を挙げられるほど戦に強く、圧倒的なカリスマを持った男。


だからこそ、その初陣は他には真似できない語り継がれる様な結果を残さなければならない。

越後国(えちごのくに)を平定する為にも、周辺の国を抑える為にも、後世に無事越後を繋ぐためにも。


だから始めよう。越後に置ける上杉謙信という将の最初の戦いを。

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