第10話 競争 ――その②

タンタタンタンタンタタッタタララララン♪


オクラホマのメロディが校庭に響く。

グラウンドには3つの輪が出来ていた。学年ごとに纏まり、音楽に合わせステップを刻む。

高校生になってまで全生徒でフォークダンスというのはどうかと思うが、ダンスを通じて生徒の一体感が高まる事で非行防止の効果があるとか何とかで恒例になっているらしい。

まあ、そうは言っても大抵クラスに1人くらいはフケてどこかに行っている生徒がいて、本当に効果があるのかは疑問だ。サボった連中は後で生徒指導室に呼び出される事になるだろう。

僕だってこの全校ダンスはカンベンして欲しい。ろくに話もした事のない女生徒の手に自分の手を重ねると、どうも落ち着かない。

この娘は僕なんかと踊って楽しいんだろうか、気持ち悪いとか思ってるんじゃないかな・・・そう思うとまともにパートナーに触れる事も出来ず、指先だけを僅かに重ねて、僕は腰の引けた無様なステップを繰り返す。


タンタタンタンタッタタラタンタンタン♪


(早く終わらないかな・・・)

パートナーを順々に換えながら、僕はこの無意味な儀式の終了を心待ちにしている・・・

つもりだった。

しかし、4人くらい先のパートナーに西原が迫ってきたときは、胸の高鳴りを自覚せずにいられなかった。

(もし、あと1人ってところで音楽が終わったら・・・)

いつの間にかそんな事を心配している自分がいた。

別に、西原とオクラホマダンスを踊ったからといって、それが何だという訳でも無い。今までの娘と同じようにそっと手を重ね、ぎこちないステップを晒して、そして次の人と換わる・・・ただそれだけの事で、平静さを保っていられない自分に嫌気がさす。


いよいよ直前の女の子と踊り終わって、僕は西原に手を差し出した。

僕と目が合うとニコッと笑って、西原は僕の手をしっかり取った。

拒絶されてない・・・

普通の人にとっては当たり前の事かもしれない。

しかし、僕には“拒絶されていない”と信じる事ができる瞬間は稀であった。まして相手が女の子となれば尚更だ。

西原は、いつだって僕にその瞬間を与えてくれる。

僕は少しだけ頑張って、及び腰にならないよう西原にそっと寄り添うようなポジションを取ってみた。

西原に触れた部分が魔法をかけられたように熱を持って、体中が温まっていく。


「ねえ、白峰君。」

不意に西原に声をかけられ、僕は少しびくっとした。

「な、なに?」

「この前の映画、面白かったよね!」

「そうだね。結構良かった。」

「あ、反応薄い。」

「そんな事無いよ。また観に行きたいね。」

「それでね、今面白そうな映画やってるんだけど、今度またあの映画館行かない?」

「うん、いいよ。いつがいい?」

思わぬ誘いで飛び上がりそうだったが、僕は務めて冷静に問い返した。

「うーん、今週の日曜はコンクールだから、その次の日曜あたりかな。」

「分かった、一応予定空けとくよ。」

そう応じた後に、僕はふと、治樹の事を思い出した。

(そういえば、治樹がこの前の映画に来られなかったのは用事があったからだって言ってたな・・・)

今度はあいつも誘ったほうがいいか・・・そこまで思い立っていながら、僕はそのアイディアを西原に伝えるのを少し躊躇った。

もしかしたら、西原と2人で・・・ほんの一瞬、そんな下らない考えが頭をよぎったからだ。

「今度は鈴掛くんも誘おうよ!」

その僅かなラグのせいで、提案は西原の口から発せられる事になった。

自分が酷く卑しい人間に思えてくる。これが治樹だったら、友達を誘う事を躊躇ったりしただろうか?

「そうだね。僕から治樹に訊いてみるよ。」

そう応じながら、僕は自問した。

自分には果たして治樹の友達でいる資格があるのだろうか・・・



フォークダンスが終わると、いよいよ3年男子による徒競走の始まりだ。

僕は他の生徒と共に、長方形の密集隊形でスタート付近に待機した。


「用意!」


パンッ!


ビスケットを少しずつ齧るように、ピストルの音と共に隊形は段々とその厚みを減じていく。

(治樹に練習に付き合ってもらった手前、一応本気で走らないとな。)

どういう訳か、この期に及んで僕は俄かに緊張を覚え始めていた。

(競走・・・か、競走するのっていつ振りだろう・・・)

中学の頃、100m走はあまり速くなかったが、50m走は割と速いほうだった。

運動全般が苦手な僕にとって珍しい長所の1つだったかもしれない。

だが、僕をいじめていたグループの1人に50m走で勝ってしまい、さんざん仕返しを食ってからは、本気で走る事がなくなった。


目の前の列が1列ずつ消えていく・・・もう逃げる事はできない。

本気の自分を晒す事への不安と不思議な高揚が、僕の中を駆け巡った。

あっという間にスタートラインまで追いやられた僕は、跪いてピストルの合図を待つ。

地に添えた手に汗が滲んだ。


「用意!」


パンッ!


人と競わず、争わず、出来るだけ他人と干渉しない・・・それが僕に染み付いた生き方。

目立たずに空気の様な存在でいれば、ことさら僕に突っかかってくる人もいない。

そうやって、出来るだけ主張せず、衝突を避けて暮らしてきた。

自分とは何だろう。

自分は一体何の為にここにいるのだろう。

そんな疑問から目を背け、何かに本気に取り組むという事を次第に忘れていった。


変わりたい。

無意味な自分から抜け出したい。

僕は切欠を探していたのかもしれない。

何の為にこんなに頑張っているのか、自分でも訳が分からなくなりながら、僕はひたすらに走った。


前方に他の走者はいなかった。先頭で風を切る僕・・・目の前に広がっているのはこれまでに僕が見た事のない景色だ。

足がきしむ、胸が焼ける・・・そんな身体の悲鳴を無視して僕は突き進んだ。

200m・・・それはとてつもなく長い距離。

やがて視界は滲み、姿勢も覚束なくなってきた。


「頑張って! 白峰くん!!」

奇妙に遠のいていく声援の中に、西原の声を聞いた気がした。


あと少し! あともう少し!!


頑張ってゴールまで辿り着いたところで、おそらく何も変わらない。徒競走の“徒”という漢字には“無駄な”という意味があるらしいが、まさしくその通りである。

だが、それでも僕は、最後まで足を緩めない事で、全力で走りきる事で、何かが変わると思いたかった。


テープを切る寸前で足を取られ、僕は文字通りゴールに転がり込んだ。

「はあ、はあ、はあ、はあ・・・」

そのまま大の字になり、息を切らしながら天を仰ぐ。

結果は、ゴール間際で後続の1人にかわされ、2位。

結局勝負には負けたが、そんな事はどうでもよかった。

よろよろと立ち上がって校舎脇の水飲み場に足を運ぶと、そこには新沼さんが待ち構えていた。

彼女は僕をじっと見つめたまま、口を開こうとしない。

「はあっ、はあっ・・・約束・・・だったね。」

その場に膝を突いて頭を垂れようとした僕を、新沼さんは強引に引っ張り起こした。

「やめろ、もういいよ。さっきあんたが無様に転ぶ姿を見たから、それで充分だ。」

新沼さんはそれだけを言うと、再び沈黙に入った。


しばらくして、僕の息が整うのを見計らったかのように、新沼さんが問いかけてきた。

「1つ、訊いていいか?」

搾り出す様な声だった。

「兄貴が・・・兄貴が先にあんたに手を出したんだよな?脇腹はそのときの傷だろ?」

「・・・」

どう答えればいいのかまるで分からない。

迂闊に答えればきっとあの時の・・・病院の廊下での失敗を繰り返すことになってしまう・・・そう考えると、僕は無言のまま固まるしかなかった。

「分かってるんだ。兄貴はあの頃ひどい連中とつるんでたし、相当無茶な事やってたみたいだから、どうせ兄貴の方に原因があるって事は。」

感情を押さえ込むかのように両拳を握り締め、言葉を続ける新沼さん。

「あたしはあんたに理不尽な事を言ってると思う。あんたがデタラメを言う様な人間じゃない事は感じてたけど、今は落ち着いてあんたの話を聞けない。

悪いが、あたしにもう少しだけ、割り切るための時間をくれ。あと何日か経ったら、あの日の事を詳しく聞かせて欲しい。あたしはそれを知るべきだって思うから・・・」


言い終えると、新沼さんはすぐに背を向けて、足早にグラウンドのほうへと戻っていった。

去り際、新沼さんは1度だけ振り返った。

「あんたって結構、足速いんだな。」

ほんの一瞬、僕は彼女の笑顔を見た気がした。


新沼さんの姿が見えなくなった瞬間、背後から突然声が掛かった。

「何もされなかったね。」

「うわっ! 涼子ちゃん。いつからいたの?」

「もしかしたら・・・」

僕の驚きを無視して涼子ちゃんが放った推測は、思いも寄らないものだった。


「あの人、ずっと龍輔さんに謝りたかったのかもね。」


「あの人って・・・新沼さんの事?」

呆れたような顔で、他に誰がいるの?と返す涼子ちゃん。

「その上で改めてお兄さんの事を訊こうと思って機会を伺ってたんだけど、実際に龍輔さんを目の前にすると気持ちの整理がつかなくて、突っかかるような態度になってたんじゃないかな。」

流石に深読みしすぎじゃないかと思ったが、確かにそうかもしれないと思い直す。

タイミングを掴もうと僕に絡んできたものの、なかなか切り出せずについ罵倒するような言葉ばかり飛び出てしまい、そこに涼子ちゃんの挑発が入って・・・

「勝負とかなんとか言ってる間は龍輔さんと関われるし、いい機会だと思ったのかも。」

(それでこんなややこしい状況になったわけか・・・)

軽い頭痛を覚えて、僕は思わずこめかみを押さえた。

「まあでも、ちょっとひねくれてるけど、ちゃんと謝ってきたし、新沼さんってそんな悪い人じゃなさそうだね。」

涼子ちゃんは満足げにそう言ったが、僕の気分はあまり晴れなかった。

本当なら、謝るべきなのは僕の方だ。

それなのにさっき僕は突っ立ったままで、新沼さんに何も言う事が出来なかった。


お兄さんがあんな風になって、どれだけの葛藤があった事か・・・にも関わらず、彼女は歯を食いしばって僕に謝罪の言葉を述べた。

そんな彼女に報いる術を持たない自分が、どうしようもなく腹立たしかった。

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