第11話 嫉妬 ――その①
「ねえ、白峰君。ちょっと話があるんだけど・・・」
その日の昼休み、僕はクラスの女生徒の1人に声を掛けられた。彼女はそのまま僕を屋上まで先導していく。
名前は確か、倉岡めぐみさんとか言ったか・・・ほとんど話した事の無いこの娘にいきなり連れ出される理由が僕には分からなかった。
倉岡さんは何か言い出しにくそうにもじもじしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「白峰君って、鈴掛君と仲がよかったよね。」
「まあ、一応・・・」
「あの・・・鈴掛君って付き合ってる人とかいるの?」
その言葉を聞いて、僕は彼女の用件を何となく察した。
「んー、どうだろう。いるって話は聞かないなぁ・・・」
「そう・・・白峰君が知らないんだったら、多分いないんだよね。」
信用してくれるのはいいが、これでもし治樹に彼女がいたとなったら恨まれるだろうか。
倉岡さんはポケットから1通の手紙を取り出した。
「これを、鈴掛君に渡して欲しいの・・・他の人には絶対内緒にしてね!」
そう言って手紙を僕に押し付けると、倉岡さんは駆け足で去っていった。
(これが噂に聞くラブレターってやつかな。)
初めて現物を見るのが配達係の立場というのは笑えるが、嫉妬しても仕方が無い。
サッカー部でエースストライカーだった治樹には女の子のファンが多い。顔立ちも今風で整っているし、僕から見ても、治樹はモテて当然という気がする。
(でも、そういえば治樹の恋話とか聞いた事ないな・・・)
考えてみると不思議な事だ。
校舎内に戻ろうと振り返ると、扉のあたりに1人の生徒が立っていた。
その瞬間、赤い髪の記憶の残滓が脳裏にフラッシュバックのように蘇り、僕は軽い眩暈を覚えた。
「だ、大丈夫?」
そこにいたのは西原だった。慌てたように僕の方に駆け寄ってくる。
「あ、ああ、大丈夫。ただの立ち眩みだよ。」
僕は笑みをつくりながらそう返す。
西原はまだ心配そうな表情を浮かべながら、控えめに問いを発した。
「さっきドアのあたりでめぐみちゃんとすれ違ったけど、一緒だったの?」
「ん?ああ、いや、たまたま居合わせただけ。」
「ふうん・・・」
倉岡さんに内緒と言われているので、誤魔化さなければいけない。僕は咄嗟に話題を変えた。
「ところで、西原はどうして屋上に来たの?」
「ちょっと、ね、風に当たりたいなと思って。」
そういえば、西原が風に当たりに来るのは気分転換したい時だと言っていた気がする。心なしか西原にいつもの元気が無い様に見えたので、訊いてみるべきかなと思い、僕は口を開いた。
「何か、あったの?」
「え?どうして?」
「いや、その、別に・・・」
あっさりと問い返されたので、僕の勘違いかもしれないと思い直し、それ以上訊ねる事はしなかった。
「それじゃ、僕はそろそろ教室に戻るね。」
歩き出した僕を、西原が「ちょっと待って。」と呼び止めた。
「ん、なに?」
足を止めて振り返った僕に、少し間を置いて、西原が問い掛けてきた。
「私の事、どう思う?」
「え、ど、どうってのは・・・?」
いきなりの問いに返答し得ない僕。西原は質問を変えた。
「嫌な奴だって思う? いい子ぶってて先生たちに取り入ってる様に見える?」
「そ、そんな事ないよ! 西原は優しくて、思いやりがあって、しっかりしてて、その・・・」
思いっきり否定する僕を見てちょっと笑いながら、西原は「ありがとう」と言った。
しかし、西原の質問は、彼女が弱気になっている証拠に他ならない。
僕は遠慮しながらも、西原に訊いてみた。
「やっぱり、何かあったんじゃないの? 僕じゃ何の役にも立たないと思うけど、聞くだけなら出来るよ。」
しばらく俯いたまま何やら思案した後、ようやく西原が口を開きかけた時に、昇降口から新たな客が現れた。
「あれ、西原さん。こんなところで何してるの?」
嫌な声だった。
事情を知らない僕にも明確な悪意を感じ取る事ができる嫌な声・・・
声を発したのは2年の森田加奈さん。確か西原と同じ合唱部だったと記憶している。森田さんは同じく合唱部の吉井雅美さんと竹中友香さんを引き連れていた。
「今の時間、音楽室には自主練してる人たくさんいるのにね。
あれかな、やっぱり優秀なソリストさんには練習なんて必要ないのかな。」
「そんな事ないよ。ただ、本番も近いし喉を休めておこうと思っただけ。」
森田さんの嫌味に対し、返答する西原の態度はあくまで普段どおりだ。
「なるほどね、でも、せっかくアルトのメンバーがソリストとの合わせ練の準備してたのに、さすがに勝手すぎるんじゃない?」
西原が、俄かに表情を変えた。
それを見た森田さんは満足そうに続ける。
「あれ、聞いてなかった?今日はソリストとの掛け合いを練習したいから、西原さんに昼の自主練参加して欲しいって要望が、アルトからあったみたいだけど。」
白々しい台詞に僕は思わずカッとなった。
「聞いてなかったじゃなくて、伝えてなかったんだろ!?」
森田さんに怯む様子はない。
「あっは、なにそれ?女の子の前でカッコつけちゃった?」
愉快そうに笑うさまは毒々しさすら漂わせている。
1歩前に出た僕を制して、西原は僕に「大丈夫だから」と呟いた。
そしてすぐさま駆け出そうとした彼女だったが、吉井さんがすれ違い際にその手を掴んで引き留めた。
「待って。合わせ練は中止になったから、音楽室に行っても無駄。」
森田さんに睨みつけられながら、目を伏せる吉井さん・・・
巧妙にも、無駄足を踏ませるまでがセットの嫌がらせだったらしい。
「それじゃ、また放課後。今の内にゆっくり喉休めてね。」
森田さんがそう言い残して、3人は屋上を去っていった。
その場に立ち尽くして後姿を見送った西原の表情は、どこかぼんやりとしていた。
そんな西原を見て、僕は背筋に冷たいものを感じた。
やるせない出来事で心が押しつぶされるのを防ぐため、自分の感覚を閉ざしていく・・・そんな逃避行動の様な精神作用を、西原の中に見た気がしたのだ。
僕自身、よくそういう状態になる事がある。中学の頃は特に酷かった。
だが、それは西原とは縁のないものに思えた。
一部ああいうのがいるとしても、いつも快活な西原は皆から慕われる存在である。僕と違い、誰とでも気さくに会話できる前向きな性格の彼女が、そういう状態になるとは信じられない。
「どうして、こうなっちゃうんだろうね・・・」
西原が独り言のように呟いた。
「私はただ、歌が好きなだけなのに・・・」
その言葉に、僕は、西原と初めて出会った時の事を思い出していた。
--------
それは、治樹と出会ってから3ヶ月くらい経った、ある日の事だった。
高校入試は追い込みの時期を迎え、治樹との試験勉強は僕の日課になっていた。
その日の放課後も、僕は治樹の家に向かって川沿いの土手を歩いていた。
暗い空からぽつぽつと雨粒が落ちる、身震いするくらい寒い夕暮れ。
(予報、当たったな。朝は快晴だったけど、信じてよかった。)
僕は傘の下で身を縮めながら、水溜りを躱しつつ先を急いでいた。
人との出会いはこんなに毎日を変えるものか・・・
それが、治樹という存在が日常に加わった僕の感想だった。
相変わらず学校に居場所はなく、相変わらず家に安らぎは無い。
灰色の人生の中で、ただ、治樹と過ごす時間だけが色彩を放っていた。
僕と治樹が目標としたのは、県では名の知れた進学校。僕と同じ中学の生徒の中でも、その高校を志望していたのは数える程だった。
僕はまだしも、治樹にはキツイかと思っていたが、治樹の飲み込みの速さは舌を巻く程だった。いかに彼が日頃勉強していなかったかが分かるというものだ。
2人一緒に合格というのも、あながち無理な話では無くなってきていた。
治樹と同じ高校ならば、学校に行くのが嫌じゃ無くなるかもしれない・・・
それは、僕の希望だった。
ともかく、試験が終わるまで気を緩めるわけにはいかない。2人一緒に玉砕なんて事になったら笑いダネにしかならない・・・
そう思いつつ歩調を速めた僕が、橋の袂に差し掛かった時だった。
心地よい音色が僕の鼓膜を刺激した。
美しい旋律を奏でる小さな声は、雨音の中でも埋もれる事なく不思議に際立っていた。
僕は、自分でも気付かない内に、足を止めてその歌に聴き入っていた。
そっと橋げたの下を覗くと、そこには1人の女の子が膝を折って座っていた。
彼女が着ていたのは陵明中学校の制服だった。僕の中学より1ランク上のその中学には、県境の地方から通っている人も少なくなかった。
繊細で儚いメロディ・・・その流れがふと途切れたとき、僕は思わず声を掛けていた。
「綺麗な、歌だね。」
女の子はビクッと肩を震わせて、驚きの眼差しを僕に向けた。
「あ、その、ごめん。つい聴き入っちゃって・・・」
バカだ、僕は・・・
声をかけた直後に、むくむくと後悔の念が湧き上がってきた。
(いきなり話しかけたりして、思いっきりあやしいヤツじゃないか。何やってるんだ。)
「その・・・すごくいい歌だったから、つい・・・」
どうにか取り繕おうとするものの、しどろもどろで弁解にならない。
そんな僕をしばらくの間じっと見やっていた彼女だったが、静止画のように固まっていたその表情は、徐々に笑顔に変わっていった。
心臓が止まるかと思うほど、まぶしい笑顔だった。
「ありがとう」
清流の様に澄んだ声で謝辞を述べると、彼女はすっくと立ち上がり、僕に向き直った。
「あはは、はずかしいとこ見られちゃったね。」
はにかみながら頭を掻く。
「今のはね、肖像画家とお姫様の愛の歌。私の大好きな曲なんだ。ロマンチックでしょ?」
照れ隠しなのか、彼女は歌っていた曲の説明をしてくれた。
「そう、なんだ・・・でもなんか、ちょっと悲しい感じがしたかも・・・」
僕の口を突いて出た疑問に、彼女はハッとしたような表情を見せた。
「・・・分かっちゃったか、失格だね、声に出ちゃうなんて・・・」
小さく息を吐いて、視線を落とす。
少し気まずい沈黙が流れた後、彼女は不意に顔を上げた。
「傘、忘れちゃったから。駅までもうすぐなのに降られちゃうなんて、ついてないなぁって。」
空を見上げながら苦笑を浮かべる女の子。
「あ、あのっ、僕は今日、傘持って来てて・・・1つしかないけど、駅は通りがかりだし・・・」
うまく言えない僕を見やり、彼女はクスクスと笑い声を漏らした。
「それじゃ、悪いけど、駅まで一緒に入れてくれないかな。」
「う、うん!」
さっきまで赤の他人だった女の子と肩を並べ、僕は砂利道を歩いた。
僕は、現実味の欠けた奇妙な感覚に陥っていた。
嫌がるでもなく、避ける様子も無く、女の子が僕に寄り添っている。
「それでね、ベーキングパウダーをやめて卵白を増やしたら、自然な風味のままでふわっと膨らませられるようになったの!」
「へぇ、そう、なんだ。」
彼女は元気にしゃべり続けた。クラスメートの話や自分の兄の話など内容は様々で、趣味の菓子作りの話ではシフォンケーキの作り方を講釈してくれた。
シフォンケーキとスポンジケーキの違いもよく分からない僕に聞かせても詮の無い話だが、弾んだ声で楽しそうに話している彼女を見ているだけで、僕の心も弾んだ。
駅の目前まで来たとき、彼女は今までと違う口調で、こう呟いた。
「私、歌が好きなの。ただ、それだけなのに、ね・・・」
独り言のようなその呟きは、返答を期待している風でもなかったので、僕は何も言わなかった。
ややあって、彼女は傘から飛び出した。そして勢いよくこちらを振り向くと、元気いっぱいに声を上げた。
「今日はどうもありがとう!それじゃ、またね!」
「うん、またね。」
挨拶を返しながら、僕は苦笑した。
(またね・・・って、さよならじゃないのは嬉しいけど、もう、会う機会なんて、ないよなぁ・・・)
そう、そのときは、本当にそう思っていた。
だから、心底びっくりしたんだ。
高校に入学したとき、クラスの自己紹介で、聞き覚えのある澄んだ声が響いたときは・・・
「陵明中学出身、西原ゆうみです!趣味は歌とお菓子作りです。皆さんよろしくお願いします!」
思わず顔を上げた僕と目が合うと、彼女はニッコリと微笑んだ。
また、会ったね・・・そう言っている様に、僕には思えた。
--------
「私はただ、歌が好きなだけなのに・・・」
2年振りのその言葉に、この日の僕は、遠慮がちに先を促した。
「聞かせてくれる?」
西原は、物憂げな眼差しを僕に向け、ゆっくりと言葉を紡いだ。
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