後編:Kaming Soon

 思えばこの教室で鷹山とひと悶着を繰り広げたのもこんな眩しい夕方だった。

 あれからまだ一月と経っていないはずだが、随分と懐かしく感じるのはそれだけ印象が強かったからか、それとも早く記憶から消し去りたいからか。


「どうした鷹山。何で残っているんだ?」

「少し演劇部に用事がありましたので、その寄り道ついでにコレがちょっと気になりまして」


 鷹山は俺の育毛剤【Super Bushy】を手にしながら話す。

 やはり鷹山もカツラの下はあんな頭だからなのか、育毛剤には興味あるようだ。


「そう言えば、あの日も俺の育毛剤を持ってたよな。その…カツラをはずして」


 俺はそのことに触れてよいものか少し悩んだが、あの時のことを訊ねる。


「そうですね。確かあの日も演劇部に寄ってまして、忘れ物を取りに教室に戻ったら…その、鷲頭君の育毛剤が見えたので…もしかしたら私も生えるかもしれないって思い…つ、つい魔が差してしまいました」


 鷹山は今さらながら申し訳なさそうに言う。

 それは別に構わないが、神仏に仕える尼の鷹山が ” 魔が差す ” というのは何とも皮肉なものだ。


「あの時、私の秘密がバレたのが鷲頭君じゃなくて、他の人だったら…。もし、バレなかったとしても演劇や遊園地でどうなっていたか…」


 まあ、どれも偶然で乗り切ったことで連鎖したトラブルだがな…。


「そう言えば、ひとつ聞きたいことがあるんだがいいか?」

「なんでしょう?」


 俺の突然の願いに首をかしげる鷹山。


「お前のカツラがバレたら自害しなけれならないって家訓だが、一言一句、正確に教えてはくれないか?」


 俺は色々と疑問にケリをつけるためにも鷹山に確認したいことがあった。


「家訓の内容ですか?ええっと…。鷹山家に生まれた女子である者がカツラを身につけて生活する場合、親族以外には絶対に知られてはならない…」


 そこまでは以前聞いたとおりだ。


「…その秘密を他人に知られた場合は、鷹山家の当主指定の小刀を用いて自らの命を絶つこと。ただし、それが叶わない場合は本家に戻り介錯を受けること……以上です」


 鷹山の説明に俺は「なるほど」と口にしながらうなずく。


「つまり、お前は原則死ぬことが許されないってことだな」


 俺はそう言いながら、手に持っていた紙袋からある物を取り出す。

 それは、あの日の翌日、持ち物検査で没収された鷹山の小刀だった。


「そ、それは私の…。そうです。家訓により、私はその小刀以外で死ぬことは許されません」


 鷹山は少しだけ悲しそうに言った。

 それを聞いた俺は軽く溜め息をつく。


 やはりそうか。俺はすべて納得がいった。

 ホラーハウスで鷹山は『お父様、お母様…私はもうすぐそちらへ向かいます』と言っていた。


 最初は両親を故人扱いした鷹山のボケかと思ったが、返された小刀を見て俺はそのことに疑問を持った。


「ほら。大事に持っとけよ」


 俺はそう言いながら鷹山に小刀を渡す。

 鷹山はそれを両手で受け取ると、俺の顔と小刀を何度も交互に目をパチクリとさせながら見つめる。


「いいんですか?私にこれを返してしまって。もちろん鷲頭君には迷惑はかけないつもりですが、イザとなったらこれで死ぬかもしれませんよ?」


「ん?俺がお前を必ず守るって約束したのに無責任な奴に思えたか?」

「そんなことないです。むしろ私を信用してくれているのかな…って」


 そう嬉しそうに話す鷹山だが、実はお前のカツラはバレても問題はない。

 なぜなら、のだから。


 鷹山はもちろん、俺も先ほどまで知らなかった。この小刀が本物ではないことを。

 これはよくお芝居などで使われる、押したら刃の部分が柄に収納されるタイプだ。もちろん刃もない。


 鷹山は家訓の後半で『小刀で死ぬことが叶わない場合は本家に戻り介錯を受けること』と話していた。


 介錯と聞くと、歴史ドラマや時代劇などの切腹の手助けを思い浮かべるが、実は『世話をする』という幅広い意味もあると聞いたことがある。


 つまり、鷹山はカツラがバレても死ぬ必要はない。

 カツラがバレてもちゃんと帰る家があるのだ。彼女の両親は娘の命よりも家柄を大事にする人物ではなかった。


 じゃあ、今までの俺の苦労や犠牲になった毛根たちは何だったんだ?とも思えるが、そんなことはもうどうでも良かった。


 俺は…どうやら少なからず鷹山のことを意識しているようだ。

 これが恋愛感情かは分からない。だが、俺と似て非なる悩みを持ち、その秘密を共有しながら俺を頼りにしてくれる彼女に友情に近い何かが芽生えていることは間違いない。


「私…鷲頭君と出会えて、何度も助けてもらえて本当に良かった」


 鷹山はそう言いながら、両手を頭にやると静かにカツラを外す。

 当然、俺はそれに驚く。なぜなら鷹山が自らの意思でカツラを外すのを見るのはこれが初めてなのだから。


 夕陽をバックに頭を照らしながら微笑む高山。その姿はまさに後光が射しているという表現が相応しかった。


「お、おい鷹山。誰かに見られたらどうするんだ」

「ふふふ。大丈夫ですよ」


 鷹山はそう言いながらも、そそくさとカツラをかぶる。どうやら少しばかりからかわれたようだ。


「でも、私は鷲頭君と二人きりなら素直で正直な自分でいられそうです」

「そ、そうか?」


 目線を落としつつも、照れるように時折り上目使いを見せる鷹山。

 またしても、これまで何度か経験した胸の周りの緊張と高鳴りを覚える。


 やはりこの感情はもしかして…。俺は鷹山のことが…


「実は困ったことになりました」


 …………ん?

 俺は鷹山のその聞き慣れたひと言に現実に帰る。


「来月、体育祭がありますよね」

「そうだな。まだ少し先だが俺は実行委員として参加している」


 何だか嫌な予感がする。


「私、また演劇部のお手伝いをすることになりました」

「ほほう。ダンスによる応援か何かか?」


 それくらいなら、またカツラ留めのカチューシャかティアラでも準備してやろう。


「いいえ、鶴見さんから、部活対抗騎馬戦のお誘いを受けました」

「騎馬戦ってあれか?くんずほぐれずの状態でハチマキを奪い合う」


 お前まさか…。

 

「それで私に騎手をやってほしいと頼まれてしまいまして…」


 鷹山は片手を頬に当てながら困った素振りを見せる。


「どうしても断れませんでした。それでまた鷲頭君の力を貸してほしいんです。お願いします」


 人に頼りにされると同時に人も頼りにする。流石は鷹山…

 って、アホかぁああああああああああ!!!!


 俺は逆立つ髪もないのに怒髪天を衝くような怒りが込み上げる。

 肝心なことを忘れていた。鷹山は天然級の命知らずだった。

 

 一瞬でもトキメキそうになった俺が馬鹿だった。

 この感情はあれだ。幾度となく訪れたピンチを乗り越えたことで生じた一種の吊り橋効果ってヤツだ。そうに違いない。


 俺が色々と思いを巡らせていたその時だった。


「おーっす!美桂ここにいたか~!おや、鷲頭君もいるじゃん!」


 突然、教室の扉が開くと同時に軽快な声が聞こえてきた。


「ようデコパチじゃないか」

「だから、私のことはツルピカって呼んでねっていつも言ってるじゃん」

 

 鶴見はそう言うと、自分のおでこに夕陽が当たる位置まで移動してわざわざ反射させる。


「実は来月の体育祭のことなんだけどさ…」

「ああ、鷹山から聞いたよ。今度は騎馬戦で大活躍させるつもりのようだな」


 俺は自分でも分かるほどに青筋を立てながら鶴見に言う。


「そうなんだよ。それで美桂と一緒に鷲頭君も演劇部の有志枠でエントリーしといたからね。美桂と同じチームで一緒に頑張って!」


 鶴見は親指を立てながらしてやったり顔を見せる。


「何を勝手に決めとるんだお前は!」

「今度の部活対抗騎馬戦での経験を次の脚本に活かそうと思ってね。奇跡の男、鷲頭君がいればきっと凄いドラマが巻き起こると思うんだよ」


 鶴見はそう言いながら腕を組んで遠い目を見ていた。だめだ。完全に芸術を追い求めて周りが見えなくなっている。


「ってなわけで、私は今から壮大な物語の脚本とそのドキュメンタリーの準備に忙しいから。じゃあね!」


 鶴見はそう言うと、電光石火のごとく教室から飛び出していった。


「鶴見さん、部員も増えて凄くやる気になっていますね。羨ましいです」


 鷹山。だからお前はどうしてそう危機感がないんだ…。

 この天然とあの芸術馬鹿の二人をどうしたものかと思っていたその時、俺のズボンのポケットからコール音と振動が鳴り響く。どうやら着信のようだ。


 こんな時に誰だと思いながら、俺はポケットからスマホを取り出し覗くと画面には『着信:鷲頭 茶敏さとし』と表示されていた。ハゲチャビンの親父からだ。


 万が一緊急事態だったらいけないので、俺は気力を振り絞って電話に出る。

 いや、既に色んな意味で緊急事態な気もするが…。


「どうした親父」

「おう、眩輝!ちょいと母さんに急な用事が入ったから晩飯は俺が作るぞ!男の料理を準備して待ってるからな!」


 ガチャン…ツーツー。

 

 親父は要件だけを告げると、一方的に通話を切った。

 冗談じゃないぞ!またあの、頭皮の皮脂に悪影響を及ぼす飯を食わされてたまるか!


 くそ…どうしてこうも俺の周りにいる、頭を光らせる連中はこんなのばかりなんだ。こんな奴らに付き合っていたら、俺の髪の毛が何万本あっても足りたもんじゃない。

 

「鷲巣君」

「なんだ?」

 

 頭を抱える俺の傍らで鷹山が俺に声をかける


「これからも、よろしくお願いします」


 鷹山は黒真珠のような輝きを持つ黒髪のカツラを輝かせながら、これまでにないとびきりの笑顔を俺に見せてくれた。

 こいつ、もしかしてワザとこの状況を楽しんでいるんじゃなかろうか…?


 俺は鷹山に小刀の秘密と両親の本音を教えようと思ったがやめた。いっそのことカツラがバレて、一度くらい死ぬような思いをすればいい。


 昔から言うだろう。ハゲは死ななきゃ治らないってな。


「…ああ、俺に任せとけ。何とかしよう」


 この台詞も何度目だろうか。二度と言いたくないが、やはり男として一度交わした約束は貫き通さねばなるまい。


 俺は全力で鷹山の秘密を守る。だが、それと一緒にいつか髪の毛だって必ず生やしてみせる。


 まだまだ続く高校生活。これからどんな苦難が待ち受けようとも必ず乗り越えてやると、俺はこの頭に賭けて誓うが、ひとつだけ思うことがあった。


 俺たちの青春は輝きすぎて困る。


 ワカハゲ・メモリアル (完)

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ワカハゲ・メモリアル 鯨武 長之介 @chou_nosuke

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