第9話 ▼バミューダ海域から来たイルカ

二〇一一年三月十二日 午前六時


 朝日が眩しい。まだ生きている。波の音を聞きながら、夢うつつの中で八木真帆は考えている。

 明晰夢の世界はまだありありと思い出せた。あれは……未来の出来事だったのか。だとすればなんて暗黒の未来社会、ディストピアだ。空飛ぶ人間達、レーザー飛び交う市街戦。あまりに無残で無意味な殺りくの繰り返し。科学と魔術が混然一体となった暗黒の未来世界。真帆は、まるでそれをアイドルのコンサート会場の壮絶な演出か、映画を見ている気分になっていたのだが、フリーエネルギーを使った社会が、あんな暗い未来を作り出してしまうなんて、認めたくなんかなかった。だがそれは、たかが夢とは思えないくらいはっきりとしていた。やはり、臨死体験なのだろうか。


 周りがやけに騒がしい。朝日のまぶしさで真帆がはっきりと目を開けると、海上に沢山の大きな尾びれが見えていた。真帆はサメではないかと恐れたが、よく見るとそれはイルカの群れだった。イルカ達は、なぜか真帆の周りに集まっていた。ひどく喉も乾いていたし、お腹もすいている。何も考えられず選択の余地もない。彼らに話せば海岸まで連れて行ってくれるかもしれないと真帆は妙な期待をイルカに持った。話せばって……。

 イルカの大群に、真帆はやつれた顔で笑った。語りかけてみる。するとなぜかイルカは話が通じたように、ギーギーと声を出した。それだけではなく、「言葉」がハートに響いてくる。直接心に響くテレパシー。真帆は直感的にそう思った。いいや、そんな気がしただけだったが。

 最初は意味が掴みづらかったが、真帆は心に浮かんだ言葉を追いかけてみた。このイルカ達はバミューダ海域から来たと言っていた。

「バミューダ? バミューダ・トライアングル?」

 魔の三角地帯。そこでは海難事故が多発するミステリーゾーンである。もしそれが真実だとして、だがなぜイルカはそこから来たのだろうか。

 イルカの一頭が、意外な話をした。

「バミューダで海難事故が多いのは、一万年前の事故の影響によるものだ。アトランティスはその事故で、一日で大陸が沈んだ」

「一日で? 事故が原因で天変地異が?」

「……そう。天変地異には二種類ある。自然災害と、人為的なものとね。この日本の地震は自然現象の天災だ。千二百年前にも、この地域で同じレベルの地震が起こった。地震で海底が地滑りを起こし、大きな津波が起こったんだ。けれど、アトランティスを一日で沈ませた災害は違った。しかもその影響は今も続いている。それが魔の海域・バミューダ・トライアングルを作っている」

 この地域では、千年前にも貞観地震が起こっていた。八六九年七月十三日のこと。かつて真帆は、自身のラボで春日とガイア仮説について議論した事がある。地球は生きている、一個の生命体だという可能性についてだ。

「事故が起こったせいで大陸は一日で沈んだ。その影響で今でもバミューダ・トライアングルの時空が歪んでいる。それは、アトランティスにあった『装置』が今でも作動し続けている事が原因なんだ。だから、あそこは我々の間でも、海の魔界になっている」

 バミューダ・トライアングルのミステリーについてイルカが詳しく言及するなんて、そんな馬鹿な事があるのか。それは人間だけが信じている怪奇現象のはずだったが、「イルカ界」でも有名らしかった。

「その装置は、ツーオイ石というフリーエネルギーシステムだよ。アトランティス人はその使い方を誤り、自分たちの住む大陸を一日で打ち砕いてしまった」

 そうだ、夢の中でも確かアトランティスといっていた。

 誰かが「レオ」だと言った。そう。確か夢の中で確かに「レオの時代」と云っていた。占星術の星座時代で「しし座の時代」の事といえば、今から一万年も前の昔。アトランティス……。そうだ、アトランティスだ。アトランティスというのは、実際に過去にあった文明なのだか。それは研究員の春日が言っていた。アメリカのエドガー・ケイシーという霊能者が詳しく書き残していると。なんでも、眠れる預言者だったとか。今の時代にもよく似ているような気がするし、いや、そのまま現代の科学文明を推し進めればアトランティスのようになるのかもしれない。夢の中のアトランティスも、東日本一帯のように、いつか津波に沈むような気がした。あの女、マリス・ヴェスタはいつもその事を気にしている。

 アクエリアスの時代。一万年前のアトランティスの崩壊は、人類の未来を映し出すのかもしれなかった。それにしても星座か。大学の占い好きの友人が、カーディナル・クライマックスがどうとか云ってたっけ。……それともうすぐスーパームーンも迫っているんだって。月と地球が最接近することで、月の見た目が最大になる。これらが、もし今回の地震と関係があるのだとしたら。

 明晰夢だと思ったが、もしかするとこれは死に掛けた真帆が見た臨死体験。臨死体験による前世記憶。真帆は今日までそんな事を信じた事も、意識した事さえなかった。いや、最初は確かに臨死体験だったが、何度も目を覚まし、また目をつぶるうちに、夢の中でその続きが自然に見れるようになったのだ。まるで一度開かれた扉をくぐるように。

 アトランティス、そしてこの津波。すべてはガイアが生き物だからこそ起こった現象なのだろう。津波をかぶって以来、真帆は自然の躍動の中に地球が生命である事を何度も何度も実感してきた。

 原始のヱデンの時代には、人間は自然と共存関係を築き、あるがままの姿で生きていた。だけど人間はいつのまにかその事実を忘却し、自己本位に生きるようになった。その時すでに、人間はヱデンを出ていったのだ。自らの足で。それから……人間は苦しみと共に娑婆に生きるようになった。

「なぜあなたは、アトランティスのことを私に?」

「思い出したかい? 君の意識は時空を飛び越えた。この地域に、人間が作った発電所が津波で事故を起こした影響でね」

「事故って?」

 まさか、神江の原発第一が? しかしこのイルカは、なぜそのことを知っている?

「それは時空をゆがめる作用がある。人間は、いつも同じことを繰り返している」

 それにしても、アトランティスでは、やっぱりフリーエネルギーが凶暴化した、という事か。真帆にはまだ到底信じられなかった。そこで、生物としての地球の反動が起こって大陸が沈んだのだというのだ。

 たしかに、バミューダ・トライアングルについては真帆も一度調べたことがあった。もっとも、その時は否定的見解によるものだったが。しかし豆生田(まみゅーだ)教授の主張の通り、ミステリーゾーンの現象は全て真実だったのかもしれない。

 そこでは飛んでいたはずの飛行機の編隊が忽然と姿を消したり、あるいは何十年も前に消えた船が突然姿を現したりしたと言われている。謎の発光現象、時空の歪み、そしてUFO多発地帯……。どれをとっても、現代の科学の常識からは説明できない現象である。しかし真帆が気になったのはそれがフリーエネルギー技術の事故、誤作動によるものということである。それは巨大な大陸を一日で破壊する。しかしまさかイルカが、いきなりバミューダ・トライアングルについて言及するとは。しかもそれは臨死体験の内容を裏付けていた。

 イルカは続けた。魔の海域・バミューダ・トライアングルの中心には、アクロポリスが存在している。そこには今も、ツーオイ石が存在する。それは今も、機能し続けている。だからバミューダ・トライアングルは、闇に穢れたツーオイ石の影響で「海の魔界」になっているのだと。アトランティス時代の闇のエネルギーの影響である。そこでは依然としてアトランティスで起こった出来事の続きが行われていた。それは黒き石だという。その石は、闇の役割を一手に引き受けた存在だ。さらにバミューダ海域には幾つものクレーターがあるとイルカは付け加えた。

 一万年前の事。闇のエネルギーに乗っ取られたツーオイは海中に没し、一万年後の現在もなお浄化の最中なのだった。それを、ツーオイ石自身がイルカに語り、イルカたちの伝説として伝わっているらしい。闇のヴリルに汚染された大地の治療。イルカやクジラ達は、そこへ一万年の間立ち向かい、ガイアの浄化活動をサポートしてきた。イルカやクジラの歌やダンスは、人間のそれにも劣らない、見事な魔術浄化作用を持つのだという。それで海の浄化を助けているのだ。そうした海域は世界中に幾つか存在するらしいが、イルカ、鯨にとってバミューダ海域は特に浄化しなければならないポイントの一つであるらしい。

 バミューダでは、ツーオイ石が闇のエネルギーに汚染され、暴走している面と正常に作動している面とがある。その正常に作動している部分のツーオイの、メッセージを届けに来たとイルカは言うのである。

「聖火リレーが、とうとう間に合ったな」

 その意味は良く分からない。だが、イルカはとにかく生きろと言っているらしかった。

「ヱイリア・ドネの糸を、バミューダのツーオイ石から届けに来た。君の心にアマネセル姫が点火した火がまた灯るように」

 それが、バミューダから真帆に託すメッセンジャー・イルカのミッションだったのだという。

「私を陸まで連れて行って」

 真帆がイルカに催促すると、真帆を乗せた大黒柱と板切れは、その周りを囲んだイルカの大群によって動き出した。イルカの大群は勢いよく海上を駆り出し、岸まで向かって真帆を一気に運んでいった。

「そうだ。あきらめちゃいけない……何としても生きるんだ」

 海岸に打ち上げられた真帆を待っていたのは、三十台半ばの陸上自衛隊員である。手を差し伸べた彼は篠田と名乗った。二十万人もの自衛隊員が東北の被災地に派遣されていたらしい。そこは、神江県神江市だった。ずいぶん南まで流されたものだ。イルカが助けてくれなかったら、どうなっていたか分からない。二人はジープに乗った。篠田は防護マスクをつけていた。神江原発第一が爆発したらしい。

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