第8話 ▲大白魔術師オージン卿

「保安省が太陽ピラミッドを占拠するより前に、レジスタンスの伏兵が現れるなんて、あまりにタイミングが良すぎる」

 マリス・ヴェスタは用心し、市街戦に参加しないで様子を伺った。だから反乱軍が地下から出現した途端、自分はすぐ丸みを帯びた有機的フォルムのトートアヌム講堂の一室に身を隠した。茶褐色の複雑な巻き貝のような形状だ。トートアヌム大学。そこはマリスやカンディヌスら、若いマギルド・メンバー達が学ぶアクロポリスの、いやアトランティスの最高学府。

 そのいつものカンディヌス研究所。どこか雑然とした室内。シャフト保安省部員として初めてユグドラシル大本部へ赴いた時、自分の居場所じゃないと感じたが、一方でここは本当に落ち着く。マリスは一人、タロット・デバイスを操作し、モニターに次々と出現するアルカナカードを眺めている。マリスの黄金の動体視力が、無数のカードを追っていく。様々なデータを、象徴によって分析する装置だ。アルカナカードは幾つかの可能性を示していた。

 マリスは、シャフトの情報がレジスタンスに漏れている事に気付いた。マギルド及びシャフト内部の、議長に反する者たちがレジスタンスに与している事は確実だ。その彼らはこの反乱に加担し、合流している。だが依然、シャフト内部に残留しながら、一部敵と通じている者がいる。保安省は市街戦でレジスタンスを倒す事に躍起になっており、まだその事実に気付いていない。しかも、鉄の結束力を誇るシャフト保安省の中にも、スパイがいないとは断言できない。あるいは保安省自体がマヌケなら、スパイに自由に情報を差し出している事にもなるだろう。だから保安省の誰も信用できない。マリスは誰にも告げず後方へと身を隠しつつ、たった一人でスパイを探る事にした。なぜならマリスにはそれが可能だったからである。

 マリスは水晶球デバイスにインストールした索敵プログラムをシャフトのクリスタルへ向けて使用してみることにした。

 マリスが独自に開発した高等魔術ハッキングプログラム「フギン・スパイグラス」及び、「ムニン・パスファインダー」。その二つによって、シャフトのユグドラシル大本部のクリスタルにウィザードハッキングを開始する。フギンとムニンは皇帝逮捕の為に特化した魔術ハッキングプログラムだったが、これまでシャフト構成員に対して使用した事は一度としてなかった。無論その必要がなかったからだが、しかし今、マリスはそれをシャフトのクリスタルに使用し、全メンバーを洗い出していた。

 その結果浮上したのは、まさかという相手だった。マリスはその結果を、何度も何度も凝視する。

 ロード・カカ・オージン。貴族議員にして長い銀髪を持った大白魔術師。アクロポリスに隣接する広大な平原には十人の領主が支配しており、それぞれが軍隊を持っているが、その十人の大貴族の一人がカカ・オージンだ。その男が、王党派レジスタンスなどとは信じがたいほどの大貴族であり、大神官だった。元老院も兼ねているオージン卿の地位と実力は、シャフトの中でもシクトゥス議長に迫るほどだった。その大神官オージン卿は、物資やアジトをレジスタンスに横流し、アルコン達を助けていたのだ。シャフトの情報もダダ漏れである。

 事の重大さに、黙っている事など到底できないとマリスは感じた。全身の神経が過敏になっている。もし今、索敵プログラムで探っている事が敵に知られたとしら……。マリスはすぐさまフギンとムニンを停止させた。部屋を見渡す。だが、今後一体どうすればと考えあぐねる。一刻の猶予も許されない。その後、とりあえずこの恐るべき結果を、直属の上官であるカンディヌスに告げねばからないと結論すると部屋を出た。マリスはその上官が居る部屋へと向かった。

「オージン卿が?」

 カンディヌスはしばらく考え込んでいたが、

「この事は決して他言するな。……俺自身も独自に調べてみる」

 といい、マリスの勇気を讃えた。マリスはさすがカンディヌスだと感心した。しかしカンディヌスも、その著名な貴族にどう対処するべきか、考えあぐねているようだった。それだけ相手は自分たちの身にも危険が及ぶかもしれない超大物だったからである。もしオージン卿が敵だとすると、他のメンバーは誰も信用できない。シャフト内の裏切りグループはどこまで広がっているのか計りしれない。下手をすればこちらがやられるのは確実だ。一体、カンディヌスはどうするつもりなのか。

 しかし、フギンとムニンが発見し、タロット・デバイスが計算したのは、それだけではなかった。百年前のヴィクトリアの地震に関する真の情報。これまで語られて来たその通説を覆す新情報、疑問点が続々とマリスの前に沸き出ていたのだ。津波の前、天候に異変が起こっていたと云う事実と、さらに問題なのは、津波が起こる「前」にクリスタル発電所が事故を起こしていたという証拠の数々。通説では、津波の後にクリスタル発電所の事故が起こったことになっている。それらがマリスの前に確かなデータとして現れたのだった。どうやらマリスは、パンドラの箱を開けてしまったらしい。しかしこれは、カンディヌスにもいえない。

「あの事故は絶対何かおかしい。シャフトは何かを隠している。もしかすると陰謀が何かが」


「何? 王女が捕まっている? では生きておられたか!」

 ユグドラシル大本部。高さ七百メートル、カバラの「生命の樹」を壁面に持つ巨大な白亜の大摩天楼。このアクロポリスきってのランドマークの地下に、レジスタンスのアジト・「ニヴルヘイム」が存在した。しかしそこは正真正銘のシャフト本部だった。ユグドラシル本部内の、延々と続くかと思える螺旋階段上に、「アースガルド」や「ミッドガルド」等、重要な機関の数々が枝付された建物の地下階に相当する。そこには、オージンが仕掛けた強力なマジカルステルスのタリスマンの結界が四方に張られた「閉鎖領域」で、アジトの姿を隠していた。アクロポリス市街戦で使用された簡易タリスマンよりもずっと本格的なものである。シャフトもマサカ、こんな所にレジスタンスの基地が存在するなどとは想像がつくはずもない場所。このオージン卿提供のニヴルヘイム基地で、レジスタンスはまさにハウザーの言う「ニーズヘッグ」として、ユグドラシルの根をかじっていた。ヱメラリーダ命名の「地下鉄軍団」は、敵であるシャフト保安省が名付けた「ニーズヘッグ」……「怒りに燃えてうずくまる者」へと名称を変更した。その秘密の司令室に一時撤退したアルコンらは、その基地を提供したオージンの一報に驚きつつ、喜びを隠せなかった。

「アリーナに姫と皇子のお姿がお見えにならなかったのでもしや、と思っていたのだが、……まさか、本当に生きておられたとは!」

 オージン卿によると、皇帝の長男アメン皇子は、無事エジプトのサイスへ向けて飛行船で脱出した。その後、生き伸びて彼の地にたどり着けたかどうかは不明だったが、ともかく追手の追跡は逃れたらしい。一方で、十九歳のアマネセル・アレクトリア姫は行方が全く分からない。生きているかどうかも不明だったが、これまでアルコン達はどこかで生きている事だけを希望に戦い、同時にアマネセル姫を救出するため情報を探ってきた。

 オージン卿もこの頃、アマネセル姫の行方を追っていた。だが、遂に情報を掴んだのだという。そのオージンによると、同年代のハウザー長官から直接、アマネセル姫が生きているという情報を聞き出すことに成功し、さらに姫の居場所の情報をも入手したとの事だった。それは市街戦の直後のこと。アースガルドに戻ってきたハウザーとオージン卿は雑談し、話は必然的にレジスタンスのことで持ちきりになった。ハウザーは市街戦の結果に満足せず、オージンはもっぱら聞き役に徹したが、りんごのリキュールを一本空ける頃にはアマネセル姫の話が飛び出たのであった。シャフト内でも極秘ということだったが、これが切れ者のラムダ・シュナイダーだったらこんな簡単にはいかない。

「太陽神殿を守る戦いじゃはっきり言って惨敗だったけど……王女さえいれば、いけるぞ! ワルキューレは後もう一歩のところまで行ったんだ……。クーデター後だって、ゴールデンキャットガールという実例があった。彼女に出来てあたし達にできない事がある? それにライダーが運んでくれたこのヱクスカリバー。使い方はまだ分からないけど、ライダーも味方になってくれたしサ、これで姫のソプラノ・マントラの力が加われば一発逆転だよ!」

 ヱメラリーダが椅子から立ちあがって、機械の右手でガッツポーズしながら叫んだ。情熱党の技を知る唯一の生き残りとして、半ばサイボーグ化した彼女の全身がたぎっている。

 情熱党ワルキューレは、王党派の中でも急進派であり過激派ともいえるグループだったが、その党首こそ、現在捕らえられている王女なのだ。しかも姫は最年少元老院でもあった。

 アルコン・ペンドラゴンが何やら思案気なので、ヱメラリーダが突っ込んだ。

「異論ないでしょ?」

「……もちろんだ。だが」

「何よ」

「いや、確かに我々は一刻も早く姫を救出したい。陛下はもちろんの事、姫にどれだけ恩恵を受けて来たか言うまでもない話だ。そしてアトランティスの正統なる血筋を絶やさぬ為にもな。だが今、我々は壊滅的状況だ。もし姫救出となれば、相手もそこを狙ってくるに違いないだろう」

「何を今さら。あんたまさか、またアリーナの時みたいに動かないつもり? それでも男なの? あたしはやる。一人でもね。今度は止めないでよ」

「できれば俺も援けたい。だが問題は、どう援けるかだ」

「うむ……」

 オージン卿もその件についてずっと考え込んでいた。

「いい? アルコン、オージン卿も、皆聞いて。あたし達、情熱党には、秘められた計画があった。ソプラノ・マントラ計画……。それをもう一度復活させる事ができれば、この国を救える。どんなに絶望的な状況だって逆転させる事ができるんだよ」

 その極秘プロジェクトは、王党派及び情熱党の幹部を務めて来たアルコンでさえ、ほとんど知らされることはなかった。

「詳しく話してくれ」

 かつてアマネセル・アレクトリア王女が指揮したワルキューレのクリスタル計画で使用されたのが、ソプラノ・マントラでアセンド・ヴリル・エネルギーを生み出す技である。アマネセル姫は、アトランティス最高のディーバだった。

 シャフト保安省によって壊滅した情熱党は、理性中心の合理主義全盛のアトランティスにおいて、感性中心の運動を展開する戦う芸術の戦士と、人々から呼ばれた存在だ。

「情熱党の『ソプラノ・マントラ』計画は、太陽ピラミッド内で行われた複数のクリスタル計画の一環で、ドルイド僧たちと一緒に、極秘にアマネセル姫をリーダーとする情熱党が中心となって、ガイアを救う一世一代の秘儀だと言われていた」

 ヴリルや金を初めとする、様々な物質エネルギーの技術として錬金術を扱っているシャフトと違い、ドルイド僧の錬金術の奥義とは、物質レベルの応用は二の次三の次、純粋な霊的技術だった。人間とはヴリル、つまり霊的存在であり、物質界へと下降し様々な経験を経て、再び霊的世界へと戻るという循環運動をしている。つまり輪廻転生の繰り返しによって、魂の上昇と下降、霊的進化と退化を順に繰り返しつつ、人間は螺旋運動によって最終的に高次の世界を目指す。それがアセンドエネルギーである。

 大賢人トートが持っているカドゥケウスの杖には、上昇と下降を示す二匹の蛇が絡み合っており、頂点で翼を広げている。魂の物質界への下降と霊的上昇は、高次への最終的上昇運動シャフトへのバネとなる。

「上なるものは下なるものと一致し、下なるものは上なるものと一致する」

 大宇宙は小宇宙たる人間を包み込み、その人間の内部は霊的宇宙である。そうして内奥の霊的宇宙は大宇宙を包み込んでいる。つまり両者は入れ子構造になっており、創造者と被造物の本質は同一である。この「ヱメラルド・タブレット」に記された有名な一文こそ、「一体性の法則」の真髄である。

 そこで鍵となってくるのが賢者の石。またの名を「エリクサー」だ。賢者の石とは、単に魂が死後、高次の世界へと還るだけでなく、人類が未来に不老不死の神の世界へと導かれる為にある。その高次世界へと上昇する運動の事を「シャフト」と呼び、ピラミッドには下位次元から上位次元へと上昇するシャフトが存在する。そしてそれは人間の下位のチャクラから上位のチャクラへとクンダリ二―エネルギーが上昇していく背骨の意味でもある。それが本来アトランティス・シャフト、神秘科学評議会の名が持つ意味だったのである。

「ところが現実には、シャフトの支配するマギルドの錬金術は、上昇ではなく下降の一途をたどって来た訳ね。そこで登場するのが、ドルイド僧が主体となって進めていた、秘められたるソプラノ・マントラ計画」

 滅亡予言もささやかれて久しい時代だが、同時に起死回生のチャンスの時代であるとも認識されていた。占星術と天文学が一致したアトランティスの予言天文学者たち・アストロマンサーの書「アストロノミコン」が明らかにしたのは、星座時代の宇宙周期より、この頃「レオの時代」に入ったという事実だった。太陽系の周期が銀河の中心へと向く時、すなわち宇宙の門が開かれ、宇宙からアガペーの風が吹くレオの時代となる。つまりガイアが目覚めている時だ。その時に銀河の中心にあるセントラル・サン、つまり「ラー」から全宇宙に向かって、アガペーの風が降り注ぐ。

「レオの次はアクエリアスだ。実に一万年後。待つか?」

「一万年か! そいつは待てんな」

「アストロノミコンによれば、歴史上、人類の身体を構成する素材はどんどん周波数が重くなっている。ラ・レミューリアより、ムーよりも、今の方が重いが、一万年後の人類は極限まで重くなる。きっと我々の様に肉体を自由にメタモルフォーゼしたり、空を飛ぶ事もできなくなるだろう」

 ラ・レミューリアやムーは、超古代の歴史書である「ドジアンの書」に記されている。しかし未来のアクエリアスの世では、おそらく唯物主義が横行し、ヴリルを認識できなくなる。

「そりゃ大変だ。建築一つとってもヴリルの重力制御なしか?」

「ま、そういう事だな」

 つまり、アクエリアスにアセンドエネルギーが働くといっても、本当はどうなるか分からない。

「その波長へ同調するように、ソプラノ波長のマントラの波動をツーオイ石で増幅する。ツーオイ石から発せされている波動が、マントラと絡み合い、倍音を形成して強力な音波となって増幅されるのよ。『アストロノミコン』によると、宇宙とは巨大な生命体であり、人体なんだって」

 そこでみんなが連想したのは、アトラス帝の神話化された伝説、世界を支える巨人のイメージであった。

「宇宙は今も膨張している。つまり成長期に差し掛かっているって事。ガイアもその臓器の一つ。アトラス大帝が語ったアガペーの風は、宇宙の血液という訳」

 そもそもアトランティスのピラミッドは、このレオの時代の為に建設された。そこに鎮座するツーオイ石は、アクロポリス市内の情報網と中央発電の機能を併せ持っている。つまり後の世のインターネットと原子力発電所を合わせたようなものだ。

「一極集中だから、情熱党がツーオイ石にアガペーを召喚して、そこを通して国中のクリスタルに、宇宙からのエネルギーを送りこむ事ができる。そうしてガイアのヴァイブレーションを押し上げる事が可能な訳。情熱党のソプラノ・マントラは、アセンドエネルギーを生み出し、そのヴァイブレーションにガイアを乗せて、ガイアを上位次元へと押し上げていく。それはガイア自体のヴァイブレーションを変容させて、これまでにない全く新しい精妙な宇宙空間へと導く。つまり、太古の精妙な時代に戻っていく。それは、一アトランティス大陸の存続だけじゃなく、ガイア全体の進化を促進させ、さらには、大宇宙の進化に寄与するのよ。凄い話でしょう」

 元老院・ドルイド僧がこの時代のこの瞬間の為に、長い伝統を守って来た壮大なるプロジェクト。それが結果的に、アトランティスを救う事になるはずだった。情熱党のソプラノ・マントラ計画は、アトラス帝の語るアガペー次元論から出たものであり、彼らは愛(アモーレ)を唄い上げる、愛の戦士であると自認した。

 太陽ピラミッドの水晶炉は、ドルイド教団の賛同を得た情熱党の計画によって、これまでその能力が高められてきたのだ。

「あと一歩なのよ。あと一歩で、アトランティスは無論、ガイア自体も救える。それだけ、これまでツーオイ石に蓄えてきたアセンドエネルギーがある。答えが、ゴールが目前にある。だから王党派のレジスタンスは、ここで諦める訳にはいかない。たとえ陛下が殺されようと、何が起ころうとも」

「問題はクリスタルが白も黒もなく、どちらも増幅する石だという事実だ。クリスタルは透明ですからな。クリスタルは光も闇も増幅し、世界を明るくも暗くもする。滅亡か上昇か。レオの時代は紙一重だ」

 オージン卿は言った。

「そんな偉大な石が奴らの手に渡ることがアトランティスの将来にとって、どのように重大な意味を持つか、おそらくは子供でも分かる話だ」

 アルコンが応じた。

「だが今や白い石は黒い石に、黒は白にひっくり返っている。暗黒に包まれたシャフトは政府であり正義であり、こちらが悪のレッテルを張られている。もはや、何が正しくて何が間違っているのか、何が正統で、何が異端か。国民には分からない。その軽重を全てシャフトが握っている今となっては」

「ツーオイ石を想いのままに操る。それこそが、シャフトの真の目的である事は疑いようがない。シャフトを抑えていた皇帝家をなきものとし、邪魔者は誰も居ない。いいや、まだドルイド僧団がいる。だがドルイド僧団では、おそらくシャフトを阻止できないだろう。再び暴力の嵐が吹き荒れる。となると奴らが今後、ツーオイ石にどんな邪悪なエネルギーを込めようとも自由自在だな。そうしてこの国には誰一人居なくなる。アトランティス・シャフトという巨大組織を止める者は、何者も!」

 クーデターの時、党首のアマネセル姫は真っ先に逮捕され、ソプラノ計画はつぶされた。逃亡していた主要メンバーのヱイリア・ドネとエストレシアは行方知れずに、唯一の生き残りであるヱメラリーダは、アルコン直属の部下で救出されたため、反乱軍に合流した。

「姫さえ生きていれば、皇帝の教えを復活させ、アトランティスを再興できる」

 それが、情熱党唯一の生き残りヱメラリーダ・ロックバルトの目論見であり希望だ。アトラス帝の真意は、アマネセル姫が継承している。

「しかも姫には、さらなるとっておきの秘密があるのよ。姫なら、亡き帝やブルーマザーとの交信も可能なはずよ。つまり皇帝家を再興できるわ」

 これまで、姫の行方は杳として知れなかった。一方でアルコンには、もう姫は死んでいるのではないか、という不安もあった。唯一ヱメラリーダの直観だけが、姫が生きていると主張し続けていた。

「情熱党の、お前の同志たちは、みな行方知れずだ。ヱイリア・ドネ、ヱストレシア・ユージェニー。彼女達は消えた時の状況さえ分かっていない。一体、生きているのか死んでいるのか」

 彼女らに関しては、期待するべきではないとヱメラリーダでさえ思っている。だが、とっくに処刑されたと言われ続けたアマネセル姫が生きていたのだ。彼女たちだって、どこかでひょっとして。

「よし。分かった。我々の手で姫を救出しよう」

 アルコンは結論した。

「そう来なくちゃね」

「それで、今どこに?」

 オージン卿によると、姫は皇帝家所轄の「石の離宮」に幽閉されているらしい。それ以前には、シャフトが占拠したピラミッド地区の地下室に囚われていたという話だった。

「石の離宮か。よりにもよって……」

 アルコンの表情が曇っているのを、ヱメラリーダの碧眼がすばやく捉えた。

「石の離宮というと……エート、クロノス帝の?!」

「その通り。ツーロン岬のマーリンヘンジの近くにある古城だ」

「それって警備が厳重なの?」

 ヱメラリーダ自身は、まだ石の離宮に行った事はない。

「クロノス帝が、時を司ると言われているのを知っているか? 帝は、ウロボロスをシンボルとしていた」

 ウロボロスとは、蛇の頭が自分の尾を咥えているという神話の、堂々巡りの代名詞である。何となく嫌な予感がした。

「堂々巡りを繰り返すということさ。つまりだ、石の離宮は、またの名を『ラビュリントス』という」

「ラビュ……リントス……?」

「そう。内部は迷宮なのだ」

「あぁなんだ迷路か。だって、ただの城内の迷路なんでしょ? 姫の救出に手間取るかもしれないけど、ネクロポリスに比べたら全然大した事ないんじゃない」

「甘く見るな。我々は時間が限られている。当然ネクロポリスと規模は違うが、難攻不落の迷宮として有名だ。我々は、その限られた時間で速やかに姫を発見し、救出し、脱出しなければならないんだぞ」

 それは敵の侵入を防御するためとも、魔術的な理由とも噂されていたが、城の秘密を完全に解明した者はこれまでにいないとアルコンは言った。そのせいで好事家の研究対象ともなっているが、それでも誰一人歯が立たないらしい。

「だってさオージンがその迷宮の地図持ってるんでしょ?」

 その言葉にオージンは頷いた。が、その表情はややあいまいに見える。

「さっそく姫を救出に行こうよ。あいつらがコーヒーブレークしてる今のうちにさ」

 ヱメラリーダは右腕に翠の飛行石をセットした。

 別にハウザー達は寝ている最中でもなかろうが、とライダーのマリンブルーの目が物語っている。

「そうだな、今戦闘は小康状態だ。いつ掃討作戦が始まるや分からんが、やるなら今しかない。けど、このままアクロポリスを脱出したとしても見つかってしまうだろうな。私の部隊はアクロポリスに残り、陽動作戦を指揮する。お前たちはその隙に救出に向かえ」

 死なないでアルコン。ヱメラリーダの碧眼がそう訴える。この場合どちらにリスクがあるかといえば、アクロポリスの市街戦で目を着けられている以上、あえて敵中に飛び出して陽動する方だろう。クラリーヌに続いて隊長までも失ったらと思うと、ヱメラリーダは気が気でなかった。

「ふぅん……隊長、勇敢じゃん? じゃあやっぱあたしも残るわ。『隊長』を死なせる訳にいかないからね。じゃライダー、あんたに姫の救出任せたよ」

 そのライダーとオージンがさっきから睨み合っている。

「何よ? あんた達。仲悪そうね。何か言いたい事でも? オージン」

「いいえ……別に」

「ほぅ? 大公殿。言ってみろ」

 ライダーが挑発した。

「貴公が、ヱクスカリバーを我々の手元に渡してくれた事は評価する。私からも感謝しよう。しかし貴公が我々の一員であると、レジスタンスの正統性に疑問が生じる」

「ちょ、ちょっと今さら何言ってるのよオージン」

「この男が使う赤魔術を、私は認める事ができない。そういうことだ」

「フン、貴様に感謝などされる筋合いではない。俺には俺の目的があって行動を共にしているだけ。それは、シクトゥス4Dの首を獲る事! 貴様らの上品な白魔術ではとても心もとないのでな。だからこそ、今日のような事態に陥ったのではないか。俺のような者の力を恐れるばかりに。それでひ弱な貴様らにヱクスカリバーをくれてやったという訳だ」

「よろしいかライダー殿、白魔術は一体性の法則に則り、大生命に貢献するために働く。黒魔術は己の欲望のために力を使い、他者を踏みにじる。黒魔術はもちろん論外だが、赤魔術は、ただ力の強さを誇示するために力を使う。たとえそこに悪意はなくとも。魔術は白でなければ、我々はこの戦いの正当性を失う。貴公とシャフトのクーデター勢力の魔術を、一体どう区別しろと? やっている事は破壊につぐ破壊という点では同じ事ではないか!」

 白魔術師のオージンにとって、オージンの使う赤魔術は黒魔術に転じる危険な代物でしかなかった。

「な、何言って。そんなの差別じゃん! 神の掟の仲間なんだよあたし達さ」

「俺が他者を軽視するというのか? キサマもどうせ、あのシャフトと同じくキメラたちの魂を認めておらんのだろう」

「何だと……!」

「俺は共に戦ったから分かる。キメラ達には魂が存在することがな。もしそれを認めるなら、連中の気持ちに寄り添い、彼らと共に立ち上がるべきだったのだ。彼らは同胞たちが、シャフトのくだらない戦のための道具、戦争の兵器と化し、連中に手を貸して罪を犯して死んでいくのが許せなかったのだ。所詮は、ギャラリーだな! 大生命に貢献などと、美辞麗句を並べるだけの大貴族のキサマには永久に分からん」

 ライダーはまるでキメラたちの守護神を自負しているようだった。

 それはオージンにとって不本意な物言いだった。アトランティスを治める十人の大貴族の一人オージン卿の領地では、間の子・キメラは奴隷ではなく、労働者として人間同様に扱っている。賃金も支払っているし、休暇も取らせている。その他教育を授けるなど数々の援助を行っていた。かといってライダーからすればそれでも他の奴隷について放置しているように見え、彼らの苦しみに共感を覚えるなら共に戦うべきだと考えているらしい。しかしオージンにしてみれば性急な暴力が逆にキメラ達の立場を苦しめたことにしかならない。目的は同じでも、両者の言い分は真っ向から対立していた。

「待てオージン卿、言いたいことは分かるが、彼を受け入れたのは私だ。ヱメラリーダではない。確かに、キメラ暴動の是非についてあなたには言いたい事がたくさんあるだろう。それは分かる。だが今、我々の勢力は数少ない。このヱクスカリバーをレジスタンスに渡してくれた彼を私は信じる。我々の窮地を救うためにわざわざ来てくれたんだ。だから私はライダーを仲間として受け入れたのだ。仲間割れは絶対に認めん。ここはライダーと共に救出隊に参加してくれ」

「俺の力を恐れるふりをして、よもや行動できないと言い出すのか上品な白魔術師よ。無駄話をしている暇があったら、さっさと行動に移ろうじゃないか?」

 ライダーは不敵に笑い、立ちあがった。オージン卿は珍しく不機嫌そうな、苦虫を噛んだような顔で立ちあがった。

 アルコン率いる陽動部隊が市街へと出ていった直後、彼らが決死のかく乱作戦を実行している内に、オージン率いる救出隊はユグドラシル地下のニヴルヘイムから、密かにアクロポリスを脱出すると、急いで西のツーロン岬に建っている石の離宮へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る