第3話 ▲ラグナロック―幕開け・世界最終戦争―

紀元前八〇八七年八月七日


 処刑から一週間が経過した夜明け。朝からラー(太陽)は姿を見せない。

 早朝、曇天の下、シャフト・クーデター政府が樹立した。シャフト独裁政権。クーデターを実行したのが七日前の夜で、翌日に裁判・公開処刑が行われ、新政府誕生が今朝という猛スピードだ。

 惨殺が行われた皇帝のアリーナは、すでにきれいに整地されている。そこに今朝集められた約一万人の兵士たちを前に、勤勉なシクトゥス4D議長が「すべてを見通す目」の前に立ち、演説をしている。まだ足元にはつい先日の記憶も生々しい王家の人々の死体が眠っている。しかしその事についてシャフトも兵士たちも、何も感じてはいないようだった。そこが理知性が発達した一方で、感性を捨て去ったアトランティス人たちの奇妙な特性である。

 さてアクロポリスの東部には、東西五百三十キロ、南北三百五十キロの広大なアヴァランギ平原が広がっている。広大な平原には、網の目のように灌漑水路網が張り巡らされて、肥沃な土壌に植えられた遺伝子組み換え植物の広大な農地には無数のキメラが働いている。全部で十人の大貴族が十の領地に分けて支配し、各領地は六万の小区画に分類されている。そこには豊穣な田園風景が広がり、ヱメラルドなどの緑系クリスタルが配置され、植物を育てるヴリルを放射していた。それぞれの領地には百万を超す兵士がおり、シャフトはアトランティス全土から最大で千二百万人の兵士を招集する事が可能だった。まさに史上最大の軍事大国である。

 シャフト最高議長によれば、この大軍を前にした演説と、一週間前の皇帝の裁判には重要なつながりがあるという事らしい。アトランティスには永年の宿敵が存在した。それこそが東のヘラス共和国、すなわち古ギリシャ国家である。後にサントリーニ・カルデラと呼ばれる事になる大火山島に、その首都アクリティアがあった。当時はテラ島と呼ばれている。彼の国とアトランティスは長い事紛争を続けてきた。

 アトランティスには重大な課題として、危機に瀕した領土の保全問題が存在している。第一の大洪水、第二の大洪水以後も、アトランティス大陸は依然として沈みつつあった。それは徐々にではあったが、以後も国土は休みなく沈んでいた。国を挙げて原因究明を急ぎ、シャフト内ではこれまでにも様々な原因が論じられてきた。この国土の保全と同時に、植民地への移住が検討された。その結果として、アトランティスは天変地異による国土縮小という危機に見舞われつつ、周辺国を脅かす超好戦的な軍事大国でもあったのだ。その脅威に周辺の国々は恐れをなし、多くは戦わずして服従した。そのアトランティスの帝国主義に唯一立ちはだかったのが、ヘラス共和国だった。

 東の民主国家ヘラスは、巨神メルカルトの柱(現・ジブラルタル海峡)より以東のアトランティス帝国の軍事侵略を阻止してきた。巨神の柱にはタルテッソス王国(現・イベリア半島南部)があり、ヘラスと同盟を組んでいる。タルテッソスは共和制ではなかったが、民主的な選挙で選ばれたユリシーズ大統領を頂点とするヘラスの民主制に対しても寛容な国家だった。その「柱」の向こうへの門たるガデイラはヘラス軍が駐在する難攻不落の要塞都市であり、アトランティスの侵入を阻んでいる。そこはウェールズの城塞都市カールレオンと共に有名である。もう一つの有名な要塞都市は同心円都市アクロポリスだ。その他にもヘラスと元々敵対してきたアマゾン海(黒海)の女戦士の国アマゾネスや、巨石文明で知られるマルタ、エトルリア(古イタリア)、汎ヨーロッパを支配しているガリア人など、地中海国家群はアトランティスを共通の敵同士とし、平和的なネットワーク国家を形成していた。それらは、ヘラスあってこその連合だった。

 ヘラス共和国は戦において強く、科学力においては劣るもののアトランティスと拮抗できる唯一の国家である。海軍を統率するバーソロミュー元帥は、長くカールしたあごひげを蓄え、筋骨隆々の赤銅色の肌を持つ百戦錬磨の名将として名高い。また彼の右腕アンゲロス・パパデウス大将は知将として知られている。かくてこれまで東へのアトランティスの遠征は、ヘラスによってことごとく阻まれたのだが、その中においてもアトランティスにとって重要なエジプトにある植民地は、何としてもヘラスに取られる訳にはいかない秘密が隠されていた。

 エジプト。ケムの地とも呼ばれる国はかつて大遠征した「時を司る」クロノス大帝の治世から今日まで、アトランティスの植民地だった。後にクフ王のピラミッドと呼ばれるものは、アトランティス時代から存在したものである。エジプトの都「ヘリオポリス」には、推定数億年前から存在するという古代遺跡ヱデンが地下深く眠っていると伝えられている。そのヱデンには、アトランティスの危機を救う「何か」が眠っていると、シャフト内では長年予言されてきた。しかしシャフトは依然としてヱデンの発見には至っていない。永年の発掘事業でそれを手に入手しようとしてきたアトランティス帝国にとって、その近隣に存在する新興国ヘラスは最大の障害だった。過去の戦いの中でも、エジプトでの攻防戦は苛烈を極めた。度々ヘラス共和国に戦で負け、幾度の紛争を経て、とうとう巨神の柱はヘラスによって海峡封鎖された。その結果、エジプトにあるアトランティスの植民地は孤立した。国民の間に長く続く戦争に対する、厭戦気分、反戦意識が広がっていた。国民は疲れ切っていた。

 それがアトラス大帝の代になって、アトランティスとヘラスは停戦した。「敵をも愛せ」と語った皇帝はヘラスのユリシーズ大統領との平和的対話を進めた。それはシャフトにとって不可解な出来事だった。民主国家ヘラスには、王家どころかマギルドの様な官僚組織さえもなく、彼らは世界同時民主革命を推し進めていた。それは皇帝家にとってもいいニュースであるはずがなかったが、なぜかアトラス皇帝はそれを容認した。それは、帝の進める上からの革命の一環だったからだ。

 クーデターによって皇帝家を打倒したとはいえ、アトランティス帝国は依然としてシャフトを頂点とするピラミッド社会であり、一方で水平的なネットワーク国家群を実現したといわれるヘラスは、その存在自体がアトランティスの脅威だった。シャフトが実権を握って来たはずのアトランティスにおいて、単なる象徴的存在に過ぎなかったはずの皇帝家がヘラスと結託した事は、シャフトにとって実にゆゆしき事態だった。

 シクトゥス4D最高議長は皇帝裁判に引き続き、アトラス帝がヘラスの世界同時民主革命派と結託した証拠を次々と上げ連ね、アトランティス国家に混沌と無秩序がもたらそうとしていたのだと明かした。

「なぜアトラス帝は退廃的な、平等主義を説いたのか? その元凶はヘラスの影響にあった。ヘラスは皇帝を操った。ヘラスこそが悪の元凶だったのだ。彼らのせいで、陛下は道を踏み外し、我々はやむなきクーデターを決行せざるをえなくなった。我々の皇帝を操り、国家を危機に陥れた元凶たるヘラスを打倒せねばならない。彼らは、この偉大なるアトランティスが拓いたヴリルのクリスタル文明の時代に、未だ人間が脳と細胞の塊であるという、原始的で稚拙な世界観に凝り固まった野蛮人である。すなわち唯物論者の国家だ! その者共が、物質的平等主義のイデオロギーの毒を世界中にまき散らそうとしている。このアトランティス社会で起こった出来事が証明した通り、現にその危機は、着々と進行しつつある!」

 我々の皇帝、か……。今更何を言う。マリス・ヴェスタは、ヘラスの民主革命の脅威を切々と訴える最高議長の演説を拝聴しながら、さらなる展開を想像していた。シクトゥス4Dは一連の事件によって、人々のヘラスに対する恐怖を煽っている。恐怖心を煽ることで、国をまとめる手法だ。今のシャフトなら、まず恐怖をあおれば何でも正当化できるだろう。かつての巨大怪獣討伐時代から一貫して変わらない、近代アトランティス人の伝統的手法だ。だから、戦は免れない。

「今日、地についたアトランティスの栄光を再び、この宿敵との戦いによって取り戻す。かつての黄金時代のように。皇帝亡き後、我らは今日、停戦条約を破棄することを宣言する! 今こそ宿敵に勝って世界を危機から救い、孤立せしエジプト植民地を救う秋(とき)。それは、アナーキストのヘラスの民主革命に対抗する、アトランティスの世界支配体制の橋頭保となるはずだ」

 それをシャフト、いいやシクトゥス4D議長は本気で考えているらしかった。

 だが、ヘラスが「唯物論の国」というのはただの偏見に過ぎない。アトランティスから低級な思想の持ち主とされているヘラス人は、多神教アニミズムだ。無論、それもシャフト神学のラー一神教からすると劣っている事に変わりはないのだが。

 こうして停戦条約は一方的に破棄され、ヘラス再戦がいとも簡単に決定した。マリスは皇帝逮捕時の高揚感とは違って、すっかりシラけていた。明らかに、シャフトはエジプトを狙っていた。そこに眠るヱデンを。一連の騒動は、最初からそれが目的だったんじゃないか。キメラの乱以来、何でもかんでも利用しているのは明白である。だがすでに、市民もその事実に気付いているに違いない。が、世論は恐怖政治に沈黙した。保安省は、また戦争反対を唱える市民グループを次々逮捕していった。ラムダ大佐による魔女狩りは、依然として続いていた。皇帝の教義への不信はゆるぎなく、シャフトの正義を信じていたが、マリスの中で次第に疑問が膨らんでいる。

 ヘラス共和国との戦争は、長い停戦状態が続いていただけで、終戦していた訳ではなかった。生前皇帝はそれを、終戦まで持っていくつもりだったらしい。だがクーデターによって政権がシャフトに奪取されると、その死により、帝の停戦条約はシクトゥス議長によって一方的に破棄されることになった。

 演説から三十分ほど時間が経ち、正午に差し掛かると、シクトゥス議長は一万人の兵士を前に「柱」の向こうへの進軍を命じた。

「今も国土が沈みつつある我がアトランティスにとって植民地戦争は、我が国の急務である。なおかつ神の民であるアトランティス人は、その高度な科学と魔術の力によって、世界の人々を幸福へと導かなければならない、その使命があるのだ! そして新時代を切り開く。それこそパックス・アトランティカだ!」

 世界統一国家の建設か。そんなの世界のいい迷惑なのに。とマリスは心の中で呟いた。

「それに対してヘラスの世界民主革命などまやかしに過ぎない! 恥知らずな無知とアナーキズムの混沌を世界にまき散らそうとする勢力を阻止せねばならん。そしてこれよりガデイラを落とし、我々は巨神の柱の向こうへと赴く。ヘラスを初めとし、ガイウスのガリア人など地中海に巣くっている悪の枢軸国を打ち破る、ヱデン奪還の聖戦が始まる。そう、兵士諸君、英雄諸君。今度こそ我らアトランティス人の最期の戦い、ラグナロック作戦の始まりだ!」

 ようやく雲間が晴れ、次第に日が差し込んでいく。ラーの力によって太陽神殿が見る見る黄金色に輝き出した。それは艦隊のヴリル・エネルギーを順々にチャージしていった。多くの船はガスによる飛行船で、街中のパワーステーションたる「ステラクォーツ発電所」のピラミッドというピラミッドからさらにヴリルが送信されてくる。各ピラミッドは、電波塔の役割を果たし、飛行船はそれと波長を合し、エネルギーチャージしている。

 作戦を拝命したフリュム・ワーロック大将は一礼し、大軍を引き連れる旗艦ナグルファルに乗り込んだ。この大艦は、今日のラグナロックの為に製造されたといっても過言ではない。

 悪の枢軸……そして聖戦か。どれもばかばかしい。頭の天辺から足の先までマギルドの世界観にどっぷりと浸かったマリス・ヴェスタでもそう思える。国民も同様だろう。一体誰がこの馬鹿な演説を字義通り受け取るだろうか。

 ラグナロック、神々の黄昏。史上最大の軍勢と兵器軍を誇るアトランティス海軍が、宿敵・ヘラス共和国との停戦条約で決められた境界線上に位置する要塞島へ向けて出兵していった。その先の巨神の柱の、さらなる向こう側を目指して。

 その日の午後、アクロポリスの上空にグライダーほどもある巨大なオオワシが姿を現した。それは、このところ頻繁に出現しているゴールデン・キャットガールを探しているようでもあった。


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