第2話『中』

 旅立ったイスティアがまず最初に向かった先、それは『門』と呼ばれる魔界でも特殊な装置がある場所だった。

 そこは地面に大穴が開いており、その中には禍々しい霧状の何かが渦巻いている。

 その渦巻く何かに飛び込めば、魔界から人間界へと移動出来るわけだが、その前に、操作係りの悪魔に言って魔法装置で座標を入力する必要があった。


 入力した座標によって、人間界のどのあたりに出るかが決まる。

 イスティアは『門』に到着すると、旅立ち前に母から渡された皮紙を確認する。

 そこには血文字で座標が書かれていた。


 何だかんだで娘を心配する母親が、いろいろと人間界について教えてくれる悪魔が住んでいるという山の座標を教えてくれていたのだ。


「座標は『おっぺけぺの、ぽぴっとな』でよろしく」


 イスティアが皮紙に書かれた文字を読みあげると、係りの悪魔が面倒臭そうにぽちぽちと装置に座標を入力していく。


「はいはいっと。入力したから通っていいよ」


 係りからのGOサインが出たので大穴へと飛び込むイスティア。

 これで人間界へと行けるわけなのだが……。


 イスティアが大穴に飛び込んだ後、係りの悪魔が入力した座標の誤りに気付く。


「げっ、間違えて『おっぺけぺの、ぽちっとな』で入力しちまった。……まっ、いっか!!」


 悪魔の仕事は結構てきとうなのである。


「ここは……」


『門』を通り抜けた先でイスティアを待っていたのは、照りつける太陽まぶしき砂漠の大地であった。


――砂の色が違う!! なんて綺麗なの!!


 一面に広がる砂の海の色に、魔界で暮らしてきた悪魔の娘は感動する。


 魔界の砂はたいてい黒や灰、深い青色をしていた。

 あの魔界の寒々しい光景に比べて、なんと美しきかな人間界。


 そうして初めて目にする人間界の光景に感動し終えると、彼女の頭に浮かぶ一つの疑問。


「でもなぜに砂漠?」


 母の話では緑深き山の近くに出るはずだった。


「山、山、山……」


 周囲を見渡してみても、目に映るは砂の山ぐらいで、緑深き山は見当たらない。


「どうやら座標の入力ミスのようね……」


『門』の座標の入力は少し間違えるだけで、とんでもないところに飛ばされる事もあるという。

 座標ミスでこの砂漠に出たという事は、近くに彼女の目的である人間界に詳しい悪魔が住むという山があるとは限らない。


「どうしよう……」


 などと、一瞬悩んでみるものの、どこにあるかもよくわかっていない山を探しようなどないわけで……。


「まっ、いっか。なんとかなるでしょ!!」


 悪魔らしい大雑把さで事態を楽観視するイスティアは『人間界に詳しい悪魔探し』は早々に諦め、行き当たりばったりな旅をする事を選択する。


「とりあえずせっかく人間界に来たわけだし、景色を楽しみながら人間探しでもしますか!! 生人間楽しみだわ!!」


 などとルンルン気分で旅を開始。



 そして……、それから四百五十年もの歳月が流れた。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「人間が見つからないわ!!」


 人間界を旅して四百五十年、イスティアは今だ一人の人間とも出会う事が出来ずにいた。


 四百五十年の間、北に南に西に東に、行けども行けども無人の地ばかり。

 砂漠、荒野、沼地、雪山あらゆる場所をまわって魔界では見られない景色を楽しみはしたが、肝心要の人間が見つからない。


 ときおり、誰かが住んでたような遺跡を発見する事もあったが、建物だけで中身はもぬけの殻か獣や魔物の巣窟になっていた。

 そこで出会った魔物達に、人間について尋ねても皆知らないという。


「絶滅しちゃったのかな」


 などと少々気落ちしながら空を飛びながらの旅を続けていると……。


「あ、あれは!!」


 森の中を会話しながら二足歩行する生物を発見する。

 オークなどの魔物とも違った貧弱そうな見た目の生き物。

 間違いない『人間』だ。


「やっと見つけたわ!!」


 ついに四百五十年目にして待望の生人間を発見したイスティア。

 しばらくその様子を遠目から観察する事にしていたのだが、やはりそれだけでは物足りない。


「よしここは人間に化けて、接触してみよう。なんだかワクワクするわね」


 そう言って魔法で自身の見た目を人間に化かすと、ボロ衣をまとって二人の人間の方に向かって歩いていく。


――こういうのは第一印象が大切よね……。なんて声を掛けようかしら。


 と、考えながら近付いていったのだが……。

 意外にも人間達の方がイスティアに気付くなり、声を掛けてきた。


「どうしたんだ、おめぇさん。こんな森の中を一人で……。しかも靴もはかずに……」


 そう言ってまじまじと見つめてくる人間の男二人組み。

 訝しむ彼らに対してイスティアは正直に答えるわけにもいかず、言葉に迷う。


「そ、それは……」

「もしかしてワケありか?」


 あると言えばあるような、ないと言えばないような。

 他に良い返答も思いつかず、イスティアは彼らの言葉に頷く。


「この辺はときどき熊や狼だって出るんだぞ。そんな格好でうろついてたら、たちまち食われるど」


 心配するようにそう言ってくるが、熊や狼など、竜をも簡単に倒してしまうイスティアの相手になるはずもない。


「大丈夫よ、たぶん」

「大丈夫っておめぇさんなぁ……」


 イスティアの言葉に呆れる二人組みが互いに顔を見合わせる。

 そしてこそこそと会話を交わした後、片方の男が切り出す。


「う~ん、まさか人を殺して逃げてきたとかじゃないんよな?」


 イスティアは悪魔だが、まだ人殺しの経験はない。

 竜ならたくさん殺してるけど、人殺しは未経験。


 なので、彼女は人間達の問い掛けに首を振った。


「人殺しはまだよ」

「まだって……、あんたそんな予定でもあんのかい。復讐とかならやめときなよ。理由はしらねぇがそんな事したって何にもなんねぇよ」


 予定……。

 悪魔の中には人殺しが好きで好きでたまらないやつもいたりするが、イスティアにはそんな欲求ありはしない。

 むしろ殺しや戦いには喜びを感じられない、魔界に住まう者としては非常に珍しいタイプの悪魔だった。


「予定もないわよ」

「えっ……、そうかい。それならいいんだけどよ……」


 どうにもしっくりこない返答を繰り返すイスティアに途惑う二人組み。

 また、ごにょにょと二人で会話を始める。


 そしてそれが終わると改めて片方の男がイスティアに問い掛ける。


「あんた、どこか行く当てでもあるんかい? この辺にゃあ俺達の村ぐらいしかありゃせんぞ」


 行く当て……。

 四百五十年前、人間界に旅立つ際に彼女の母親が教えてくれた『人間界に詳しいという悪魔』。

 そんな奴を見つけるのは『門』の座標ミスが起こった時点でイスティアは諦めていた。


 もはや当てなどない旅を、彼女は四百五十年間続けてきていたのだ。


「当ては……、別にないかも」

「当てがないって……、どうすんだあんたこれから、そんな格好で……」


 荷物もなしにボロ衣まとった裸足の女の子。

 その末路など容易く想像出来ると、二人組みの男達は考えていた。


「どうしましょ」

「どうしましょって……」


 イスティアの返答にまた互いの顔を見合わせて内緒話を男達は始める。

 その様子眺めながら……。


――人間ってこそこそ話すのが好きなのね。


 などと、イスティアは呑気に考えていた。


 そうしてしばらくたった後、男達が人に化けた悪魔の娘に提案する。


「このままおめぇさんみたいな娘っ子を森に放ったらかしってのも忍びねぇ。よかったら俺達の村にこねぇか?」

「いいわよ」


 人間の男達からの村への誘いに、イスティアは二つ返事で了承する。


 理由は単純、面白そうだから。


 危険はあまり考慮する必要もないだろう。

 万が一正体がばれて悪魔嫌いの人間達に襲われそうになったところで、そんじょそこらの奴らではイスティアに傷一つつけれはしない。


 わくわく気分で誘いに乗っかる悪魔の娘に、二人組みの男は言う。


「そうか、そうか。ただなぁ、これだけはわかって欲しいんだが、俺達の村も余裕があるわけじゃねぇ、何も出来ないヨソ者を無条件で受け入れるってわけにもいかねぇ」


 魔界で育ったイスティアは人間界の事についてあまり詳しいわけではない。

 具体的に村人達が何をイスティアに求めているかが、彼女にはわからなかった。


「条件? 何をすればいいの?」

「いや、特別難しい事をしろってわけじゃねぇんだ。普通に牛の世話だ、畑仕事だなんだを手伝ってくれたらいい。わからない事がありゃその都度教えよう」


 教えてくれるのは助かるな。

 などと、考えながら男の話を聞いていると、少々言いづらそうに彼は言葉を続ける。


「そういった事とは別に、なんつうか……。実はな、少し前に流行り病が俺達の村であって、結構死人がでちまってな」


 人間の体は悪魔と違い非常に軟弱だ。

 病気の一つ、二つでころころと死んでしまうという。


「しかも女共ばかり、ぽっくり逝っちまって。おかげで村の男共があぶれちまってなぁ……」


 男達の村は数年前に発生した流行り病のせいで女性の人口が激減。

 独身男があふれるむさ苦しい村へと変貌してしまっていた。


 つまり、そんな村で暮らす彼らが言いたい事、それは……。


「すぐにとは言わねぇよ。けど、ちょっとして落ち着いたら、早いとこ村の男の誰かしらと一緒になって欲しいのよ」

「一緒になる?」


 男達の言葉の意味を理解しきれなかったのか、イスティアが聞き返す。

 すると、彼らはもっと直接的な言葉に言い換えた。


「結婚だよ、結婚」

「ああ……」


 意味を理解したイスティアが頷き、ほとんど間をおかずに返答する。


「別にいいわよ、それぐらい」

「それぐらいって……、いや、まぁそうしてくれたら俺達としても文句はねぇんだが……」


 村人達の価値観でいえば、結婚とは乙女にとって一大イベントのはずだった。

 それをこうもあっさりと了承するとは……。


 行く当てもなく、野垂れ死にするよりはマシだとは言っても、少々のためらいぐらいはあってもいいものだろう。

 ずいぶんとあっさりとしたイスティアの返事に、男達の方が戸惑いを覚えた。


「まさかとは思うが、おめぇさん結婚するって事が、どういう事なのか、わかってないとかはねぇよな?」


 まるで小さな子供にするかのような質問にムっとするイスティア。


「馬鹿にしないでくれる? それぐらい知ってるわよ」


 魔界で暮らす悪魔にとっても結婚とは、より強い子孫を残す為に必要な儀式でもある。


 とはいえ、ここは人間界だ。

 悪魔と人間達では結婚が持つ意味も多少なりとも変わってこよう。


 けれども、彼女は知っている。

 人間も結婚してある行為に及ぶ事で、子孫を増やす生き物である事を。


 自分の持つ知識によほどの自信があるのか、イスティアは自信満々に答える。


「つまり、あんた達が言いたいのはセックスする相手を選べって事でしょ?」


 恥じらいもくそもなく答える彼女に、なんと貞操感に欠けた女だろうと男達は驚く。


「お、おう。まぁそうなんだけどよ、ずいぶんとあっけらかんとしてんな。おめぇさん、その年で経験豊富なのかい?」

「ないわよ、結婚の経験なんて」

「いや、そうじゃなくてなぁ……」


 男達の言葉にイスティアは考える、彼らが何を問わんとしているのかを。

 いったい何の経験を問うているのかを。


 結婚に関して悪魔達が求める経験といえば、やはりアレしかない。


 それは殺しの経験だ。


 より多く、より強い者を殺してきた経験こそが悪魔にとってのステータスとなる。

 殺しの未経験者など馬鹿にされ、話にならない。


 今回は人間が相手の話であるが、人間も口では平和、平和と喚きながら、なんだかんだで殺し合いばかりをしている生き物らしい。

 であるなら、人間達もまた結婚において、強者の証、殺しの経験を重要視していても驚きはない。


「ああ、そういう事ね。ふふ、安心してちょうだい。殺りまくりよ」


 自分の強さを疑われたと勘違いしたイスティアが自信満々に答えるが、もちろん村人達は問うていたのはそんなものではない。


 性交の経験を尋ねていたつもりだった村人達はイスティアの返答を別の意味にとらえた。


「ええ!! ヤりまくりって、ええ!!」


――ふふ、驚いてる、驚いてる。人間の女は特に軟弱なのが多いと聞くわ。きっと私ぐらいの見た目の年だと未経験者が多いのね。


 驚く村人達を見て、イスティアは鼻高々に笑みを浮かべている。


 だが無論、彼らは違った意味で驚いているのだ。


「なんでこいつ、こんな自信満々に答えてんだよ……」

「おい、こんな奴村に連れてって大丈夫なのか? ヤりまくりって、安心どころか、不安材料だよ……」


 こそこそと相談するように会話する男達。


「でも村は深刻な嫁不足なんだ。たとえ元娼婦だったとしても、受け入れてやろうじゃねぇか!!」

「そ、そうだな。だが神父さんにはバレないようにしないとな。あの人、こういう事にうるせぇから」


 結論が出たのか男達は相談を止めて、イスティアと向き合う。


「まぁ、その、おめぇさんの過去については不問としようじゃねぇか。だけど、村には村の風紀ってやつがあるからな。あまりそういった事は口にしないように」

「そういった事?」

「だから経験がどうとか、そういう話だよ。うちの村の神父さんはそういうのに厳しい人でな。ややこしい事になりかねん。てきとうに誤魔化すようにしてくれ」


 男達の注意をイスティアは疑問に思ったものの、彼らがそう言うならと、とりあえずは了承しておく事にした。


「わかったわ」

「よし、よろしく頼むぜ。え~と名前は……」

「イスティアよ。よろしくね」


 こうして悪魔の娘は、人間達が住む村へと付いて行く事になった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 男達に案内され、連れてこられたのは人口百人に満たぬ小さな村だった。

 そんな小さな村のほとんど全員が集められて、彼らの前に立たされるイスティア。


 そして彼女を、村の偉いさんがなんやかんやと説明した後で紹介する。


「……というわけでじゃ、こちらのイスティアさんがこの村で暮らしていく事になったでの。みんなよろしく頼む。それじゃあ、彼女に一言挨拶でもしてもらおうかの?」

「イスティアです。よろしく」


 簡単な挨拶をして、ぺこりと頭を下げるイスティア。


 挨拶といえど下等な人間、それもただの村人達に高貴なるベルモアの悪魔が頭を下げるなど、イスティアの父親が見たらさぞ怒る事だろう。


 だが、イスティアはイスティアであって、彼女の父親ではない。


 彼女は人間に挨拶程度で頭を下げる事に、抵抗など別にありはしなかった。


 イスティアに対する村人達の反応は様々であった。

 突然やって来たヨソ者に懐疑的な視線を送る者もいれば、熱心に拍手をして歓迎の意を示す者もいた。


 歓迎してくれているのは主に女不足のせいであぶれた独身男性人。

 そして、ミレアという名の少女であった。


「ミレアよ。お前さんの家でしばらく面倒見てもらう事になったでの、仲良くしてやってくれ」


 老人の言葉に少しばかり驚いた後、ミレアは嬉しそうに頷く。


「そうじゃのう、長旅でお疲れのようじゃし、まずはこの村自慢のあそこでさっぱりしてもらうとするかの。ミレア、連れてっておやりなさい」

「は~い」


 そしてイスティアの前にやってくると少女は手を差し出して言う。


「私、ミレア。これからよろしくね、イスティアさん」


 素直にその手を握り返す悪魔の娘。


「イスティアでいいわよ」

「そっか。じゃあ私の事もミレアって呼んでね」

「ええ、よろしく」

「それじゃあついて来て。この村一番の場所を紹介するから!! きっとイスティアも気に入るわ!!」


 そう言われミレアに連れてこられた先にあったもの。

 それは湯気立つ大きな温泉であった。


「じゃ~ん!! どう? すごいでしょ!!」


 温泉を前にしてミレアは誇らしげな顔を浮かべながら言った。

 しかし彼女の期待に反し、イスティアの反応はいまいちだった。


「すごい?」

「えっ……、だって温泉だよ、温泉!! お湯が自然に沸いてるんだよ!! 毎日お風呂に入れちゃうんだよ!!」

「でもお風呂なら家にあるでしょ?」

「ないよ!! そんなの!!」


 この地方で自宅に風呂を持つ者など一部のお金持ちの家ぐらいだ。

 当然、ミレアの家にもありはしない。


「もしかして……、イスティアってお嬢様だったの?」

「そんな事ないと思うけど……」


 実は魔界で暮らしたお嬢様ですなどと、素直に告白するわけもいかず、てきとうに誤魔化すイスティア。


「むむむ、とにかく!! 入ってみたら絶対気に入るはずだよ!! だって、とっても気持ち良いんだから!!」


 ミレアは目の前の温泉を必死にアピールした。

 彼女は悔しかったのだ、小さな村の唯一の自慢と言える温泉を前にして、こんなにも興味を示されないなんて……。


「お風呂なんてどれも一緒じゃないの?」

「そんな事ないよ!!」


 そう言って衣服を脱ぎ捨てると、ミレアは温泉の中へと入っていく。


「ほら、イスティアも」


 彼女の誘いに従いイスティアも身につけていたボロ衣を脱ぎ、裸となる。

 その裸体を見つめながら、ミレアが言う。


「イスティアって、おっぱい大きいのね……」


 ゆるゆるのボロ衣を纏っていたせいで、彼女は気付けなかった。

 イスティアが己には無い、たわわに実った女の武器を所持していた事に。


「そうかな?」


 魔界で暮らす淫魔には、もっと胸が大きいのがいくらでもいる。

 イスティアはこれまで自分の胸が特別大きいなどと考えた事もなかったのだが……。


 村の栄養事情のせいもあるのだろうが、確かに見てみれば、ミレアの胸はずいぶんとつつましやかである。


「うぅ、えっち……。 あんまりじろじろ見ないでよ……」


 見比べられているのを察知したのか、顔を赤らめて胸を隠すミレア。


――えぇ……、さっきまで私の胸をまじまじと見つめていたのに……。勝手な子だなぁ。


 などと思いながら、イスティアはミレアと共に温泉に浸かるのであった。


「ふぅ~。ねっ、気持ちいいでしょう?」

「う~ん、普通……かな」


 隣り同士に座り、湯に浸かりながら会話する二人。


「え~、そっか普通かぁ、残念。絶対気に入ってくれると思ったのに……」


 自慢の温泉の素晴らしさをわかってもらえないのは残念だが、いつまでもそんな事を言ってても仕方がない。

 ミレアは話題を変える事にする。


「でも、イスティアがこの村に来てくれて私、嬉しいよ」

「どうして?」

「だってこの村って女の人すごく少ないでしょ? 年の近い子ってなったら余計にだし」


 無論、イスティアは見た目が若いだけで、魔界の悪魔である彼女は人間の何世代、何十世代分もすでに生きている。

 しかしミレアがそんな事を知るはずもないし、気付く事もない。


「アリッサやマリー姉は結婚しちゃって……」


 結婚し子供が出来た村の女達はその世話に忙しい。

 もちろん畑仕事や牛や羊の世話の仕事もこなさなければならず、仲が良いといってもミレアと一緒に遊んでられる時間などほとんどありはしない。


「だから……、イスティアとお友達になれたらなって思うの……」

「私と?」

「うん、駄目かな?」


 気恥ずかしそうにイスティアに尋ねるミレア。

 友達になりたいと彼女が言うのならそれを断る理由もイスティアにはない。


「いいよ」

「ほんと!! 嬉しい!!」


 屈託のない笑みを浮かべ抱きついてくるミレアに、イスティアも嬉しくなってくる。


「私もなんか嬉しいかも。友達なんて初めてだし」


 裏切り当たり前の魔界で友情を育むなど簡単な事ではないし、ましてやイスティアはベルモアの悪魔として特訓をさせられる毎日を幼少期から過ごしていた。

 親身に世話してくれる使用人達やかわいい妹はいたものの、それは友達と呼べる関係ではない。


 ミレアはイスティアにとって初めての友。


「そうなの? ふふ、素敵な思い出いっぱい作っていきましょうね!!」


 笑顔を向けるミレアにイスティアも笑顔を返す。

 ただの湯だと思っていた温泉も、初めての友達と一緒に浸かっていると思うと、なんだか楽しく、気持ち良く感じてくるイスティアであった。


「ほんと美人よね、イスティアって。私と違って胸も大きいし、村の男共もきっとほっとかないわ」


 他愛ない会話を交わす中で、ミレアがあらためてそんな事を言い出す。


 イスティアの顔立ちが整っている事など、ミレアも彼女を一目見た時からわかっていた。

 しかし、長旅で泥や埃まみれだった汚れを落としたイスティアの白肌は彼女の美をより際立たせ、女の身である少女とて見惚れさすほどに美しかったのだ。


 イスティアに対するミレアの羨望の眼差しの中には、己との歴然とした差に対する落胆すらも見え隠れするほどであった。

 しかし、異性の事などまるで意識してこなかったイスティア自身には、彼女が何故それほどに感情を揺り動かしているのかがいまいち理解出来ない。


 ましてや、人間の恋愛観など魔界育ちの彼女が知るはずもない。


「そうかな?」

「そうよ!! きっと、そう!!」


 そう強く断言した後、ミレアはイスティアに尋ねる。


「……ねぇ、アムラ祭の事はもう聞いてる?」


 彼女の問いに悪魔の娘は首を横に振る。


「えっとね……、もう少し先の話になるんだけどね。アムラ祭ってお祭りがあってね。そのお祭りの時に、この村の年頃の女はみんな、伴侶となる相手を選んで結婚する事になってるの」

「へぇ」

「私も今年のアムラ祭には結婚する事になってて……」

「そういえば、私も出来るだけ早く村の誰かと結婚しろって言われたよ」

「そっか、やっぱりそうなんだ……。イスティアはもう十分魅力的だもんね」


 自分よりも断然美しいイスティアが、今年のアムラ祭で村の男衆の中から結婚相手を選ぶ。

 その事を知ったミレアには、この新しき友人にどうしても伝えておきたい事があった。


「あのね……、イスティアにお願いがあるの」


 ミレアがイスティアの瞳を熱っぽく見つめながら言う。


「アムラ祭の伴侶選びの時にね、エリックを選ばないようにして欲しいの」

「エリック?」

「集会の時、私の隣に座ってた金髪の……。わからない?」


 イスティアを紹介する為に村の皆が集められたあの集会で、たしかにミレアの隣りに金髪で同じ年頃の男がいた事をイスティアは思い出す。


「ああ、いたね」

「あのハンサムな彼がエリック」

「どうしてエリックは選んじゃいけないの?」


 イスティアの純粋な疑問にミレアは一瞬口ごもる。


「そ、それは……」


 しかし理由も打ち明けずに強制するわけにもいかないだろう。

 彼女は意を決する。


「あのね、私ね。彼と約束してるの、今度のアムラ祭では彼を伴侶に選んで結婚するって。私、ずっと彼の事が好きだったの!! だから、イスティアに取られたくない……」


 思い詰めたような表情を浮かべるミレアにイスティアは言う。


「そんな顔しないでミレア。大丈夫よ、あなたがそう言うなら私はエリックを選ばないようにするから」


 その言葉に安堵の表情と笑みを浮かべる少女。


「よかったぁ。イスティアはすごく魅力的だから、アタックされたら彼の心がイスティアの方へ動いちゃわないか、心配で……。ごめんね、急にこんな事言い出して……」

「いいよ、気にしないで」

「……イスティアは誰か良さそうな人とかもう見つけてたりするの?」


 ミレアに問いにイスティアは少しだけ考えるしぐさをして首を横に振る。


「そっか。まだ村に来たばかりだもんね。でもきっと次のアムラ祭までには、イスティアにとっての素敵な人も見つかるはずだわ」

「そうかな?」

「ええ。根はいい人ばかりですもの!! そりゃちょっとした欠点ぐらいはあるかもだけど……」

「欠点?」

「うん……、まぁ、ちょっとスケベな人が多いかも……」


 顔を赤らめて言うミレア。


「ここ女湯なんだけどね。時々、のぞきにくるの。その度、神父さんにお説教されるのに、ぜんぜん懲りなくて。イスティアも気をつけてね」

「気をつける?」

「イスティアも嫌でしょ? 男の人に乙女の裸をのぞき見られるなんて」

「う~ん……」

「えぇ!! もしかして裸見られても恥ずかしくないの?」

「うん、まぁ別に……」


 イスティアは性的な感性にうとかった。

 魔界の悪魔に対してもそうであるから、人間相手ならなおさらである。


「ダメだよ!! そんなの!!」

「ダメなの?」

「だって、そんなの……、男の人に裸を見られるなんて、破廉恥でいけない事ですもの……。イスティアは変わってるわ」

「村の男に裸を見られるのは、そんなにイケナイ事なのか?」


 ミレアがうんうんと頷く。


「でも、さっきからあっちでのぞいているのがいるぞ」

「えっ?」

「この場合、イケナイ事してるのはのぞいてるあいつらか? それとも、のぞかれてる私らなのか?」


 草むらの影を真顔で指差しながら尋ねるイスティア。

 彼女の指先が示した先から、のぞき魔達が慌てて逃げ出す。


「きゃああああ!! 信じらんない!! 最低!!」


 間抜けなのぞき魔達の姿に悲鳴をあげて、怒り、罵倒するミレア。


「うぅ、もう、ほんと最低よ……。でも勘違いしないでね、この村だって、あんな変態ばっかりじゃないから!!」

「でもさっきはスケベな人が多いって……」

「そ、それはそうなんだけど!! だけどほんとにそんな人ばっかりじゃないから!!」

「そうなの?」

「そうよ、エリックなら絶対こんな事しないわ!! 彼は王子様みたいに優しくて誠実で、とっても素敵な人なの!! 今まで一度たりとものぞきなんてしてないわ!!」

「じゃあ今日がその一度目なんだな」


 先ほどのぞき魔がひそんでいたのとは別の草むらを指差し言うイスティア。

 そこからまた新たなのぞき魔達が顔を出す。

 その中にはミレアの愛しのエリックの姿までもがあるではないか。


「いやぁぁぁぁ!! エリックまで!! 嘘よ、こんなの!! もう信じられない!! 最低!! 最低!! 最低!!」

「違うんだ!! ミレア!!」


 痴話喧嘩を始める二人。


「まさか、のぞきの神に愛された男と呼ばれたエリックののぞきがついに見破られるとは」

「お嬢さん、一流ののぞき師と呼ばれたエリックの術を破るとは只者じゃないね」


 エリックののぞき仲間達は逃げもせず開き直るように会話をしている。


「こら、やめろお前ら!! ミレアに誤解されるような事を言うんじゃない!!」

「誤解もくそもばれちまったんだから、見苦しいいいわけはよせ」

「そうだ、そうだ!! お前も神父さんの説教を受けろ!!」


 ミレアの純情はズタズタだ。

 王子様とまで言って恋をしていた男が、実はのぞき常習犯のスケベ変態野郎だったなんて……。


 泣きわめくミレア。

 必死に宥めるエリック。

 開き直るのぞき魔達。


 そして……。


「こらあああああああ!! お前ら、また!!」


 騒ぎに駆けつける村の人達も見える。


 とにもかくにも、その光景に、ここは賑やかな人達が暮らす村だなぁと思うイスティアでした。

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