第3話『後』

 人口百人に満たぬ小さな村で暮らし始めたイスティアは、ミレアの家で世話になりながら、村での生活に欠かせぬ基本的な事を学んでいった。

 仕事の事から、道徳的な事や慣習的な事まで、魔界で暮らしてきた彼女にとって知らぬ事は多くあった。


 そして、それを少しずつ学んでいく事はイスティアにとってあまり苦な事ではなかった。

 むしろ新鮮で興味深く楽しさすら感じていた。


 その楽しき学びを続ける中で、大きな存在となったのは他ならぬ初めての友、ミレアである。


 ミレアはよく笑う。

 そして、笑顔がよく似合う少女だった。


 イスティアが困っていると、そのよく似合う笑顔で嫌な顔一つせず、助けてくれる優しい少女だった。


 ある日の事、ミレアにイスティアが尋ねた事がある。


「私が困っているといっつも傍まできて助けてくれる。何の得にもならないのに、どうして?」


 純粋に疑問に思い、口にした彼女の言葉にミレアは少しばかり戸惑いながら答えた。


「どうしてって……、友達だからだよ。困ってる友達を助けるのに理由なんて必要ないわ」


 その言葉が何故だかひどく嬉しく感じた事をイスティアは覚えている。


 そうしてミレアとの楽しき日々が数ヶ月経過して、季節も変わり、アムラ祭の日が近付いてきた。

 それはミレアが結婚する日であり、イスティア自身も伴侶となる男を選び結婚しなければならない日である。


 イスティアとミレア。

 一つ屋根の下、まるで仲良き姉妹のように暮らしてきたその日々が終わりを迎えようとしていた。


 そんな日のある夜、ベッドに入り寝ようとする頃になって、ミレアがイスティアに言う。

 それはいつも明るい彼女にしては、不釣合いな寂しげな口調であった。


「ねぇ、イスティア。起きてる?」

「なに?」

「もうすぐ私達、結婚するのよね」

「そうね」

「なんだか不思議」

「不思議?」

「小さい時からずっと大好きだったエリック。彼のお嫁さんになる事が私の夢でもあったのに、どうしてかしら、いざその日が近付いてくると無性に苦しくてたまらなくなる時があるの……」

「エリックと結婚するのが嫌になったの?」


 のぞき事件の後ひどく怒ったミレアはエリックとは口をきくのも拒むほど、二人の仲は最悪となっていた。

 それでも、必死で謝るエリックの成果もあってかしばらくして仲直りし、このまま彼と問題なく結婚する事になっていたはずなのだが……。


 やっぱり彼との結婚が嫌になったのだろうか、とイスティアは考えた。

 しかし、ミレアはそうではないと否定する。


「まさか違うわ。ただ寂しいの」

「寂しい?」

「家にはお父さんやお母さん、それにイスティアがいる。外に出たらアリッサやマリー姉、村の皆がいる。そしてエリックがいて……、私は彼に恋する一人の女の子だった」


 自分の不確かな苦しみを必死に言葉に変えるようにして吐露するミレア。

 それをイスティアは黙って聞いていた。


「でももうアムラ祭を迎えてしまったら、そんな女の子のままではいられない。それがなんだか寂しくて、悲しくて……。おかしいわよね、村を出るわけでもないのに、こんな事を言い出して……。私、変になっちゃったのかな?」


 不安げに尋ねる彼女にイスティアは言う。


「ミレアはミレアよ。結婚したって、してなくたって、変になっても、ならなくてもミレアはミレア」


 器用とはいえない悪魔の娘なりの励ましの言葉。

 それでも十分、彼女の思いは伝わる。


「ふふ、ありがと。ねぇイスティア」


 あらたまりミレアはイスティアの顔を見つめた。

 そして二人の乙女が静かに見つめあい、約束を交わす。


「結婚しても、何があっても、ずっと友達でいましょうね」

「ええ、もちろん」




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 アムラ祭当日。年に一度、村での最大の祭りの日。


 広場には大きなテーブルが凹字に並べられ、その中央には舞台が設置されている。

 人々はテーブルの上に用意された料理を食しながら、舞台上で繰り広げられる仲間達の一芸を興がる。


 出し物は様々。

 簡単な劇から楽器の演奏、くだらない芸まで、みんなこの日の為に空いた時間を使って練習してきたのだ。


 そうして朝から昼まで存分に楽しんだ後、ついにこの祭りの主役達の出番となる。


 結婚する事になる村娘達、イスティアとミレアの花婿選びの時間だ。


 まずはミレアが神父から舞台上に呼ばれた。

 この晴れ舞台の為に用意した衣装に身を包んだ乙女が村の人々に前に立つ。


 そして神父に問われる形で、彼女は自身の伴侶となる男を一人選ぶ。


 乙女ミレアが頬を赤らめながら口にする名は無論、愛しのエリック。


 光栄にも乙女から選ばれた花婿エリックも舞台上へと上がり、二人は村中の人々から祝福され、夫婦となる事を認められる。

 そして夫婦として認められた二人に、神父から最初の小さな試練が与えられる。


 ミレア達に与えられた試練。

 それは村外れの小池まで奉納品を届けよという簡単なものだった。


 こういった小さな試練は、この村で結婚する誰もが通る儀式であり、もちろんイスティアにも小池とは別の場所へ向かわされる試練が用意されている。


 新婚の夫婦が人気のない場所にわざわざ向かわされたその先で、何を語り合い、何が行われるのか……。

 悪魔の娘もその意味を村の人から事前に教えてもらってはいた。


 小池に向かうミレアとエリックを見送ると、次はイスティアの番である。


 二人目の乙女が舞台上へと呼ばれると、俄然、村の独身男性人は盛り上がった。

 ここまではある種の出来レース。ミレアがエリックを選ぶ事など村中の誰もが知っていた事。


 だがイスティアは違う。


 村の独身男達はこの日の為に、彼女が村に来てからの数ヶ月、必死にアピールを続けてきた。

 けれども、イスティアが特定の誰かを選ぶような事はついになく、このアムラ祭で、誰が選ばれるかは未知数であった。


 言いかえれば、誰にも等しくチャンスがあるという事。


 彼らは期待した。

 美しい花嫁を自分のモノに出来る事を。


「イスティアちゃ~ん、俺を選んでよ!!」

「俺を選んでくれたら絶対幸せにするぞ!!」

「俺だ、俺を選んでくれ!!」


 男達が騒ぎ立て見守る中、神父がイスティアに伴侶にしたい男の名を問う。


 村で暮らし始めて数ヶ月、多少なりとも村の男達の人となりを知った彼女の選択、それは……。


「う~ん、別に誰でもいいかな」


 滅茶苦茶てきとうだった。


 正直、魔界で暮らす悪魔からみれば人間は下等生物であり、悪魔の一般的な感覚からすれば畜生を相手するのと変わらない。


 村で数ヶ月お世話になったイスティアは、さすがにそこまで見下してはいないものの、特別恋愛感情を抱けというのはやはり無理があったのだ。


 もとから恋など知らず、興味も持てない彼女にとって、人間相手に結婚など、多少顔が良かろうが、性格が良かろうが同じ事。

 どの男が花婿になろうが、どうでもよかったのだ。


 しかし、イスティアがそうであっても、村側としてはそれでは困る。


「あなたにも異性の好みというものがあるでしょう?」


 問い掛ける神父に困惑気な表情を浮かべるイスティア。


「好みと言われてもなぁ、別に……、あぁ、そうだ」


 何やら思いついたらしい。


「一番強い男がいいかも」


 魔界で生きる者にとって強さは重要だ。

 それが全てと言っても過言ではない。


 イスティアも強い男と結婚し、強い子を産む事こそが魔界の女の幸せだと両親から聞かされ育った身である。

 悪魔である彼女から見れば、人間の強さなどたかが知れているが、それでもあえて条件を出すならやはり『強さ』しかないだろう。


 イスティアの要求に、村の人々は考える。


 強い男と結婚したいとはいっても、殺し合いは論外として、喧嘩で決めるなんてわけにもいかない。

 どうしたもんかと思っていると、相撲で決めようという声がどこかしらからかあがる。


 相撲ならば死人や怪我人が出る恐れも少ない。

 祭りの余興にもなろう。


 という事で、独身男性人参加による相撲大会が急遽催される事となった。


 当初、勝ち残りのトーナメント方式で行う事を考えていた村の人々だが、村一番の怪力の持ち主グリゴールが提案する。


「そんな決め方じゃ俺が勝つのがわかりきってるぜ、面白くない。丁度いいハンデだ。俺が全員相手してやるよ!!」


 怪力男は少しでもイスティアに良いところを見せようとしていたのだ。

 他の参加者としてもまともにやったら勝ち目が非常に薄い事を理解している。

 グリゴールの提案を断る理由はなかった。


「よ~し、まずはどいつからだ!!」


 やる気満々のグリゴールに、他の参加者は顔を見合わせるばかりで、なかなか声があがらない。


 彼らが考える事は同じ。

 みんなグリゴールが疲れ始めたところを狙って勝負しようと思っていたのだ。


「おいおい、なにびびってんだ!! とっとと始めようぜ!! ……ったく情けねぇ。俺の不戦勝って事でいいんだな!!」


 そこまで言われて、ようやく一人参加者が先陣をきる。


「俺がいくぜ!!」

「よぉ~し、きやがれ!!」


 グリゴールの一戦目。


「うおぉおりゃ!!」


 それはあっと言う間の勝負であった。

 無論、怪力グリゴールの圧勝である。


「よ~し、次だ、次だ!!」

「今度は俺だ!!」


 そして二戦、三戦と連勝を重ねていき、勝つたびに笑顔でガッツポーズしてイスティアにアピールするグリゴール。


 だが勝ち続ける怪力男を眺めるイスティアの反応は芳しくない。

 それもそのはず、村一番の怪力と言っても、しょせん人間の内の話で、イスティアから見れば、とてもレベルの低い相撲勝負であったからだ。


――はぁ……、わかってたけど、やっぱりへぼばっかりね。まぁいいけど……。


 そんなこんなで相撲勝負は進んでいく。

 そして連戦につぐ連戦で、さすがに疲労の色も見えてきたグリゴールだったが、見事最後の一人となるまで彼は勝ち続けた。


「なんだよ、最後の相手はお前かよ、リューク」


 相撲勝負の最終戦。

 その相手は村一番の腰抜け、リュークであった。


「最後の最後までびびって、残ってるなんてお前らしいぜ。けど結果は見えてんだ。怪我するだけだからやめときな」


 馬鹿にするように笑うグリゴールだったが、リュークの方とて黙って引き下がるわけにはいかない。


 イスティアほどの美しき女性を、花嫁に出来る機会など生涯一度あれば幸運といえる。


 他の男達がそうであるように、リュークもイスティアに一目惚れしていた。

 相撲勝負をやりもしないで、諦めるような事を彼とてしたくなかった。


「そんなのやってみないとわからない……」

「ああ、はいはい。じゃあ怪我の一つや二つする事になっても、逆恨みすんじゃねぇぞ!!」


 いくら疲労があろうとグリゴールにとってリュークは負ける気のしない相手だった。

 子供の頃からリュークとの力の差は圧倒的で、イジメまがいの事もさんざんやって、からかってきた相手だ。


 大人になった今でもそれは変わらない。いや。むしろ力の差はより開いたとすら言える。


 最後の対戦カードに、村の人々もイスティアの花婿はグリゴールで決まりだと考えていた。


 実際勝負が始まってみれば、その優劣は明らか。


 堂々たる怪力男に対して、リュークはその場に立っているだけでも精一杯の有り様で、体格がまるで違う相手にたいして、立ち向かっていける勇気を彼は持てずにいた。


「えらそうに言って、結局びびって動けねぇかよ。情けねぇ、一発で決めてやるぜ!!」


 立ちすくむリュークに、グリゴールから仕掛ける。

 その一発目で勝負は決まってしまった。


「あっ痛!!」


 突進しようと足を踏み出したグリゴールが途中で滑って転んでしまったのだ。


「……おい、これって」

「おいおい、なんだこれ」


 勝負を見守っていた村人達がざわつく。

 滑ろうがなんだろうが足の裏以外の部分が土俵に触れた時点で負けは負けである。


 つまり……。


「リュークの勝ちだ!!」

「まじかよ!! あの腰抜けが勝っちまった!!」

「ラッキーな野郎だぜ!!」


 間抜けな幕切れにさわぐ村人達。


「待て!! 今のは違う!! 足が滑っただけだ!!」


 必死に言い訳するグリゴールだったが、まわりの人間はそれを認めてくれない。


「言い訳すんなぁ!!」

「お前の負けだグリゴール!!」

「ざまぁみろ!! 威張りくさってるから罰が当たったんだ!!」


 普段からグリゴールの事をあまり良く思ってない連中はここぞとばかりに囃し立てた。


「くそぉ!! てめぇら!! 俺はハンデとして全員相手してやったんだ!!」


 がなる怪力男。


「一回の仕切り直しぐらい許してくれてもいいだろうが!!」


 それでもまわりの村人達が仕切り直しを認めてくれないと見るや、対戦相手のリュークに脅すように詰め寄るグリゴール。


「おい!! リューク!! 仕切り直しだ!! いいだろ!!」


 しかしリュークもこんな奇跡的な勝利が続かない事はわかっている。

 転がり込んできた幸運を手放すような真似を彼だってしたくない。


「勝負は勝負、一回きりだ!! 俺の勝ちだ!!」


 声を少し震わせながらもリュークは断言した。


「てめぇ!!」


 それでも掴みかかって仕切り直しを認めさそうとするグリゴールに村人達が慌てて止めに入る。


「見苦しいぞグリゴール!!」

「そうだ!! 負けは負けだ!!」


 そして五人、六人がかりで取り押さえられる怪力男。

 彼は最後の悪あがきとばかりに叫ぶ。


「てめぇらがどう思おうが勝手だがな!! 問題は肝心の花嫁様がどう思うかだろうが!! イスティアは強い男と結婚したいって言ってんだ!!」


 グリゴールがイスティアを見て言う。


「こんな腰抜け野郎と結婚なんて嫌だよな?」

「いや全然」


 すがるように問う怪力男に対して、イスティアの返答は素っ気無い。

 彼女としてはいちおう条件を出したものの、そこまでこだわりがあるわけでもなかった。


 どっちが花婿になろうが悪魔の娘にとっては同じ事であり、ラッキーだろうがなんだろうが、リュークが勝ったのならリュークでいいと考えていたのだ。


「ぎゃはははは。花嫁様がああ言ってんだ。これで文句なしにリュークが花婿に決定だな!!」


 村の人々がグリゴールの痴態を笑い、リュークの幸運を祝福する。

 そんな中、村の人々のもとへ一人の男が慌てて駆けてやってきた。


 彼は相撲観戦に興味を示さず別行動をしていた村人の一人であったのだが、どうも様子がおかしい。

 顔色を青くしながらその男は叫ぶ。


「大変だ!! 魔物が……、魔物が出たぞ!!」




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 男がもたらした突然の魔物襲来の知らせに村人達は大慌て。


「魔物って、何が出たんだ!!」

「オークだ!!」

「オークなんて俺がぶちのめしてやるぜ!!」

「馬鹿言え、すげぇ数なんだよ!! とてもじゃないが相手に出来るような数じゃねぇ!!」

「ロバルの街が魔物に襲われて壊滅したって聞いたけど、まさかそいつらがこっちにも流れてきたんじゃ!!」

「ちくしょう、祭りは中止だ!! はやく逃げねぇと!!」

「決まり通り裏山に避難だ!!」

「急げ、急げ!!」


 テーブルの料理も食い散らかしたままに、村の裏山へと人々は逃げ出していく。

 そんな人々の中にあって、イスティアだけはいつも通りの平常心であった。


――オークの群れ程度でこの慌てようかぁ……。人間は大変だなぁ。


 慌てふためく村人達を舞台上からぼうっと眺めていると彼女の腕を掴み引っ張っる者がいる。


「イスティア!! 俺たちも逃げなきゃ!!」


 それはイスティアの花婿に選ばれたリューク。

 彼は己の花嫁が途惑い動けなくなっていると勘違いしていたのだ。


 もちろん彼女の秘めたる戦闘力からすれば、オーク如きから逃げる必要などまったくないのだが、人間として潜み生活していくのなら、ここで勝手な単独行動をするわけにもいかなかった。

 そのまま引っ張られるようにしてリュークと共にイスティアも裏山へと避難する。


 そして、裏山へと避難した村人達が不安がったり、すすり泣いたり、神に祈ったりする中、誰かが思い出したかのように言った。


「ああ!! そういやミレアとエリックがまだ来てないぞ!!」

「本当だ!! あいつら試練の為に村はずれの池まで行ったままだ!!」

「まずいぞ!! 知らせにいかなきゃ!!」

「ダメだ!! もうオーク共はそこまで来てるんだ!! 下手に動いて見つかったらこの裏山まで来られて全滅だぞ!!」

「だけど!!」


 ミレア達を助けにいくかどうかで揉め始めた丁度その時、村人の一人が叫んだ。


「ミレアとエリックだ!!」


 その男が指差す方を見れば、池の方から駆けて来るミレア達の姿があった。


「よかった!! あいつらも気付いたんだ!!」


 しかし村人達のその喜びは長く続かなかった。


「おい、様子が変だぞ!!」

「なんであっちの方に!!」

「大変だ、あいつら道を完全に間違えてるぞ!!」


 ミレア達の逃げる方向が裏山への道からずれてしまっていたのだ。


「いいや、違う!!」


 その原因を察した男がいち早く叫ぶ。


「あいつらもうオーク達に見つかっちまったんだ!! 見ろ!!」


 ミレア達が逃げる反対方向から追いかけるオーク達の姿が見えた。


「なんて事だ、これじゃああいつらもう……」


 オークに見つかってしまったミレア達はもう村の皆がいる裏山に逃げる事は出来ない。

 そんな事をすれば、ここにいる村人達も巻き添えにしてしまうからだ。


 ミレア達は絶体絶命の危機に陥っていた。


「ああ、かわいそうに」

「せっかく二人が一緒になれためでたい日だったというのに……」

「ああ駄目だ!! ミレアが転んじまった!!」

「追いつかれるぞ!!」


 裏山の村人達は口々に嘆くばかりで、誰一人と逃げるミレア達を助けに行こうとしなかった。

 ミレアの両親すらも魔物に追われる娘達を見て、泣いて嘆くばかりである。


 そんな村人達の様子にイスティアは少しだけがっかりした。


 この人達も同じだと。

 魔界の者達と同じで、我が身可愛さに彼女を見捨てようとしているのだと。


――あれほど仲良く暮らしていたのに……、あんなにいい娘なのに……。オークの群れに追われている程度で見捨ててしまうね。


 だが、そうやって村の人々に落胆するイスティア自身はどうなのか。


 己の正体がばれるのが嫌で、ここに身を隠している自分自身は、彼らと何が違うのか。

 魔物に怯え震えるだけの村人達と、魔界で暮らす身勝手な者達と何が違う。


 その事に気付いた時、イスティアはミレアの言葉をふと思い出した。


――『困ってる友達を助けるのに理由なんて必要ないわ』。


 あの時、そう言って微笑んでくれた彼女ならば、こんな時きっと……。


 体が勝手に動いていた。

 イスティアは一瞬にして裏山からミレア達のいる場へと移動してしまう。


 そしてそのまま、まさにミレアに襲いかからんとするオークを素手で殴り飛ばす。

 まるで巨人にでも殴り飛ばされたかのように吹っ飛ぶオーク。


「あれ、なんでイスティアがあんなとこに!?」

「さっきまでここにいたのに!!」

「しかも今あいつ素手でオーク殴り飛ばしてたよな!?」


 ついさっきまで裏山にあったはずのイスティアの姿がミレアのもとに移動している。そしてオークを相手にしている。


 村人達には何がなんだからわからない。

 いったい何が起こっているのか……。


 その混乱は助けられたミレアも同じである。


 どうして彼女がここに?

 どうして危険を顧みず助けに現れたの?

 どこから?

 隠れていたままなら危ない目にあわずに済んだかもしれないのに。


 色々な疑問が浮かんでくると同時に、感情も混乱する。


 自分を助けてくれた喜び、そして友の身にも危険がせまる事に対する申し訳なさや、悲しみ、無茶をしようとしている友に対する怒り。


 そんなごちゃ混ぜになった感情のままに、ミレアは大声をあげる。


「イスティア、どうして!!」

「『困ってる友達を助けるのに理由なんて必要ないわ』、でしょ?」


 そう言って笑うと、イスティアは人の身の姿のまま次から次へと襲ってくるオーク達を相手に無双し始める。


「すげぇ!! あいつ一人でオーク共を倒しちまうんじゃ!?」

「なにがどうなってんだ、人間業とは思えねぇ!!」

「イスティアって実は有名な武術家様だったりするのかい?」


 イスティアの戦いに人々は目を丸くした。

 オークの屈強な肉体に比べれば、ずいぶんと華奢にみえるイスティアの体付き。

 なのに圧倒しているのはそのイスティアの方なのだ。


 まるでオーク共が相手にならない。


 何の武器も持たずに、素手でオークを屠っていく美しき娘に驚くのは助けられた側のミレアとて同じであった。


「信じられない……。イスティア、あなたそんなに強かったの?」

「話はあとよ」


 イスティアはミレア達を守るようにして戦い続け、数十体のオーク共を倒してしまう。


 だが、戦いはそこで終らない。


 ドシン、ドシンと大地を揺らしながら現れたのは角を生やした巨大なオーク。

 この村を襲ったオークの群れのボス『ドラゴンオークキング』だった。


「うわああああ、ドラゴンオークキングだ!!」

「間違いない。ロバルの街を滅ぼしたっていう、あれが噂の火を吹く巨大なオーク!!」

「いくらイスティアが強いたって、あんなのに勝てるわけがないよ!!」


 絶望する村の人々。

 イスティアもこのままではミレア達を守りきれないのかと思ったのか、彼女は急ぎエリックに命じた。


「エリック、ミレアを連れてみんなの所へ早く避難してちょうだい」

「えっ、でもそれじゃあみんなの居場所が魔物にばれちまう」

「いいから早く!!」


 指示に戸惑うエリックをにらみ命じるイスティア。

 その鋭い瞳に、エリックは根源的な恐怖を覚え震えた。


 怖かった。

 オークよりもよほど恐ろしい何かを感じた彼は、その恐怖に衝き動かされ指示に従う事にした。


「わ、わかった!!」


 イスティアを心配するミレアを無理矢理にでも引っ張ってエリックは裏山の方へと向かい駆け出す。


 そうして戦いの場に残されたのはオーク達の骸と、部下を殺された事に怒るドラゴンオークキング。

 それとたった一人の娘。


 巨大なオークを前にして彼女は言う。


「私はすごく怒ってるのよ。たかがオークの分際で、私の完璧な計画を邪魔しないでもらえるかしら? このまま大人しく帰って、もうこの村には手出ししないって約束してくれるなら、特別に許してあげてもいいわよ」


 これ以上戦わずに済むならそれに越した事はないと、和解を提案するイスティア。

 だがその返答は炎の息吹となって、彼女に浴びせられた。


「イスティア!!」

「うわぁぁ直撃だ!!」

「あんなのまともに食らったらもうあいつは……」


 ドラゴンオークキングが吐いた炎に呑まれるイスティアの姿に、人々はこの一撃で勝負が決まってしまったと思い込んだ。


 しかし、そうはならなかった。

 炎の中で影が揺らめき、そこから美しき娘が無傷で姿を現す。


 だがその姿は、村人達がよく知るイスティアの姿とは異なっていた。


「えっ、嘘だろ……。おいあれって……」


 角を生やし、羽と尻尾を持つその体は、教会の神父達が伝える、悪魔そのもの。


 イスティアの正体に騒ぐ村人達。

 そんな彼らの様子を微塵も気にする事無く、イスティアは巨大なボスオークをにらみつけて言った。


「あまり調子に乗るなよ、豚野郎……」


 怒るイスティアに気圧され、たじろぐドラゴンオークキング。

 しかしそれでもすぐに気を取り直して、巨大なオークは手にした鈍器を悪魔の娘目掛けて叩き付ける。


 家一軒すらも粉砕しそうなその一撃を、イスティアは軽々と受け止める。


 それも片手どころか、指一本でだ。


「なにそれ……、その程度?」


 冷酷な眼差しを向けながら、悠々と発言するイスティア。

 対してドラゴンオークキングは彼女を押さえ潰そうと筋肉を隆起させ、必死の形相を浮かべている。


 だが、びくともしない。


「ねぇ、いたぶるのは趣味じゃないから一発で終わらせてあげる」


 その言葉の直後、イスティアの姿が巨大オークの前から消える。

 そして……。


――ドーン。


 爆音のような大きな音を立てて、ボスオークの体は四散する。


 一瞬の決着劇。

 イスティアの圧勝であった。


「勝っちまいやがった……」


 その光景に、ただただ驚く村人達。

 そして生き残りのオーク共はボスの死に、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


 追いかける必要もない、これほどの力を目にして、再びこの村を襲うような馬鹿な真似はしないだろうから。


「さてと……」


 魔物達を倒したのにというのに少しばかり憂鬱な気分になるイスティア。

 それもそのはず、悪魔嫌いの人間達の前でその正体を晒してしまったのだ。


 人間に化けたまま無双しただけならまだ言い訳も出来ようが、角付き羽生え、尻尾の悪魔スタイルとなると、これはもう厳しい。


 このまま何事もなく、仲良く暮らしましょうとはいかないだろう。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 案の定、村を救ったイスティアの扱いについて、村人達は騒ぎ揉めだす。


「あいつは悪魔だったんだ!! 俺たちを騙してたんだ!!」

「大変だ、こんな事が外の連中にばれたら我々まで疑われるぞ!!」

「追放しろ!!」

「火刑だ!!」

「追放だ、火刑だって、どうやってやるつもりだ? 見ただろ、あんな強い悪魔だぞ」

「もうお終いだ!! みんなあいつに食われちまうんだ!!」


 パニック状態の村人達の多くはイスティアの正体について好意的な反応をみせなかった。

 彼女を庇ってくれようとしたのはミレアなど一部の人間だけ。


「みんななんて事を言うの!! イスティアはそんな子じゃない!! 今だって魔物を追い払って私達を助けてくれたじゃない!!」

「悪魔は狡猾だ!! そうやって恩を売ったようにみせかけて、俺たちを利用をする気なんだ!! あのオーク達だってあいつが呼んだに違いない!!」

「考えすぎよ!!」


 言い争う村人達はどんどんと険悪な雰囲気になっていく。

 オーク共がやってくるまでは、みんな仲良さそうに祭りを楽しんでいたのに……。


 それほどに人間の悪魔嫌いは深刻なものだった。


 その醜き争いをしばらく空よりながめていたイスティアは決意する。


――仕方がない。


 そして彼女は村人達に言う。


「みんな揉めてるところ悪いんだけど、私もうこの村に飽きたし、他に行くわ。丁度正体もばれちゃったしね、じゃあね~」

「待って!! イスティア!!」


 あっさりと去っていこうとする悪魔をミレアが呼び止める。


「他に行くってどこへ行こうっていうの?」

「てきとうにぶらぶらとかなぁ」

「そんな……」


 イスティアのいい加減な返答に言葉を失いながらも、それでもなんとか引き止めようとミレアは説得を試みる。


「行きたい場所があるならともかく、そうじゃないのならここに残るべきよイスティア」


 ミレアの発言に村人達がどよめく。

 何て勝手な事を言い出すのかと、憤る者達もいた。


 そんな中で悪魔と村娘の会話は続けられる。


「どうして?」

「だって、あなたは悪魔なんでしょ?」

「そうね」

「だったら他の村や街の人に見つかったら大変よ!! 火あぶりにされてしまうわ!!」

「捕まらなければどうってことないわ。大丈夫よ、人間って弱ちいし」

「そうかもしれないけど……」

「ミレアは心配性ねぇ」

「心配にもなるわよ、友達だもの」


 悲しげに震えるミレアの瞳。


「私にはわかるの。イスティアは悪魔かもしれないけど、悪い悪魔なんかじゃないって!!」

「あなたはそう思ってるのかもしれないけど、他の人達はそうでもないみたいよ」


 イスティアに好意的な人間は決して多くはない。

 彼女がここに残る事を良く思わぬ者の方が圧倒的に多いのだ。


「皆にもわかってるもらえるよう私が説得するわ!!」


 健気に訴えるミレアだが、イスティアの決意は変わらなかった。


「必要ないわ。最初からある程度お邪魔したらどっか行くつもりだったしね。あながち皆の言う事も間違いじゃないの。私はこの村の人達を騙して利用していた」

「そんな事ない!! 考え直してイスティア!!」

「悪いけどもう決めた事よ。お別れね。皆も喧嘩なんかしないで仲良く暮らしなさいよ~」


 そう言い残し悪魔の娘は宙を飛び村から去っていく。

 もう彼女を止める事は出来なかった。


 遠ざかっていく悪魔の後姿にミレアは叫ぶ。


「約束したじゃない!! 何があってもずっと友達だって!! イスティアの馬鹿!! 嘘つき!!」


 その叫び声を耳にしながらイスティアは心の内で、本心での別れを告げる。


――さようなら善き隣人達。そしてまたね、私の初めての友達。


 村を離れ、ひとり行くイスティアは新たな旅立ちに少々感傷的な気分になっていった。

 過ごしたのはわずか数ヶ月の間であったが、振り返れば些細な事すら愛しく思えるような思い出ばかり。


 そうしてぼんやりと考え事をしながら、当てもなく宙を行く彼女を……。


「お~い!!」


 誰かが呼ぶ。


 ミレアの声ではない。

 若い男の声だった。


 誰かと思いイスティアが声のする方を見ると、そこにあったのは必死に走るリュークの姿。


「リューク?」


 何故彼が自分の後を追ってきたのか彼女にはわからなかった。

 村での暮らしの中で特別親しい仲でもなかったのに……。


「どうしたのよ、リューク」


 息を切らしながら追いかけてきた男のもとに降り立ち、イスティアは尋ねた。


「どうって……、君が勝手にどっか行っちゃうから……」

「仕方がないじゃない。正体ばれちゃったんだし」

「それはそうなんだけど……。だけどいくら何でもこんなあっと言う間になんて、あんまりだよ……」


 落ち込むリューク。

 沈んだ表情を見せたまま彼はイスティアに問い掛ける。


「イスティアはその……、ミレアも言ってたけど、悪い悪魔なんかじゃないんだよね? 俺たちをオークから守ってくれたんだし」

「う~ん。悪いの基準がよくわかってないしなぁ」

「俺たちを食べようだとか、そういうひどい事をする為に村にいたんじゃないんでしょ?」

「まぁね。ちょっと利用しようかなって思ってただけ」

「その利用って具体的には何なの?」


 不安げに尋ねるリュークにイスティアは素直に彼女の目的を教える。


「人間がどんな暮らしをしているのか間近で見て知りたいないなぁと思って」

「どうしてそんな事を……」

「どうしてっておもしろそうだからよ」

「お、おもしろそうだから?」

「うん、それだけよ。私は魔界が退屈なところだったから人間界に遊びにきたの。だから人間界のいろんな事を知りたい、体験したい。特に人間はすごく興味深いわ!!」


 悪意のない表情だった。

 まるで純朴な少女のような笑みを浮かべるイスティアに、リュークは安堵する。


「そっか……。よかった」

「なによ、急に嬉しそうにニヤけちゃって」

「ううん、別にいいんだ、気にしないで。イスティアが思った通りの人で嬉しかっただけだから」

「人じゃなくて悪魔よ」

「あっ、うん。ははっ、そうだね」


 そう言って笑うリュークにイスティアは呆れながら言う。


「というか、あなたそんな事を聞く為に、こんな所まで私を追ってきたの? とんだお馬鹿ね。まだオーク共の生き残りがその辺うろついてるかもしれないのに、危ないわよ」

「いやっ、それだけってわけじゃないんだけど」

「他にも何か理由があるの?」

「うん、まぁ……」

「言っておくけど説得して連れ戻そうっても無駄よ」

「それはわかってる。そうじゃなくて、その……」


 何度も口ごもるリュークにいい加減苛立ち始める悪魔の娘。


「もう、はっきりなさいな」


 その叱咤にリュークは覚悟を決め、己の思いをイスティアに告げる。


「イスティア、俺も君の旅に、一緒に連れてってくれないか!!」


 予想外の展開だった。

 気弱な男が何を思ってそんな事を言い出すのか、イスティアにはまったく見当が付かない。


「連れていけって、どうしたのよ急に」

「急にじゃないよ!! 俺、イスティアと結婚出来てすごく嬉しかったんだ!! それなのにもう離れ離れになるなんて、俺嫌なんだ」

「ああ、そういえば結婚したんだったったけ」


 イスティアは今日の出来事だというのにリュークとの結婚などすっかり忘れていた。


「う~ん。でもなぁ、あの結婚は村で暮らす為にやった事だし、今となってはもうどうでもよくない?」

「ひどい……」


 ある程度予想できた事だが、面とこうまで興味なさげにされると、さすがのリュークも傷ついた。


「それにリュークも弱ちい人間だし、正直旅の足手まといになるだけでしょ。悪いけど連れて行くのはちょっとなぁ……」


 容赦のないイスティアの言い様にもリュークはめげずに言い返す。


「足手まといなだけなんて、そんな事ないよ!! ほら、イスティアはまだ人間社会の事あまり知らないでしょ? 俺ならわかる事も多いだろうし、きっと役立つよ!!」


 実際は辺鄙な村で暮らしてきただけの男が知る事などそう多くはない。

 それでも彼はイスティアと一緒にいたいが為に必死だった。


「う~ん。そうかな?」

「そうだよ!!」

「でもリュークは本当にいいの? 急に村を飛び出したりなんかして」

「家族はもう流行り病のせいでいないし。村での友達が多いわけでもない。俺にとってはイスティアといる事の方が大切なんだ」


 その熱意が伝わったのか、それとも単に役立つと判断したのか、あるいはその両方か。


「んじゃあ、まっいっか」


 イスティアはリュークの頼みを了承する。


「本当に?」

「うん」

「やった!!」


 喜ぶリュークにイスティアは言う。


「一応言っておくけど途中で死んでも自己責任でお願いします。まぁ出来るだけ守ってはあげるつもりだけどさぁ」

「はい……、死なないように頑張ります」



 こうしてイスティアはリュークとの二人旅を始めるのでした。

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