「何で、来理さんが二人いるの?」

 アキは古典的感情表現であるところの、両手で強く頬を挟む、というポーズをとった。よほど混乱していたのだろう。

 だが、それも無理はなかった。

 四人の前には、まったく同じ姿をした佐乃世来理が二人いた。両方とも縄で後ろ手に縛りあげられ、二つ並んだ鉄棒にやや距離をとってつながれている。目隠しはされていなかったが、猿轡をかまされて声は出せない状態だった。

「どっちかが偽者なんだろうな、やっぱり」

 ナツは間違い探しでもするように、慎重に二人を見比べる。

「ええ、例のサクヤって子の魔法でしょうね」

 フユも目を凝らしながら言った。

 二人の姿はまったくの同一で、少なくともこの距離からでは違いを見わけられそうになかった。服装も同じで、動きも制限されている。声が出せないのだから、何らかの質問を加えるというわけにもいかなかった。

「とにかく、ロープをほどかないと……」

 と言ってアキが近づこうとするのを、ナツが手を出して制した。

「下手に近づくのはまずいだろう」

「何で?」

 アキは不満な顔をする。

「――そうね」

 けれどフユは、ナツに同意した。

「何をしてくるかわからないのだから、ただ接近するだけというのでは危険すぎる。それに私たちより、偽者のほうが佐乃世さんに近いわけだし……」

「でも――」

 と、アキがなおも言い募ろうとするのを、ナツは押さえた。

「これは連中の時間稼ぎだ。とりあえず、この状態なら何も起こらない。一番厄介なのは、偽者が佐乃世さんを連れてまたどこかに雲隠れすることだからな」

 アキは不服そうな顔のまま、一応は黙った。とはいえ、状況はまったく変わっていない。

(私の魔法でなら、一人だけは拘束することができるけど――)

 と、フユは考えていた。〈断絶領域〉で不可視の壁を作れば、どちらか一方を閉じこめてしまうことは可能である。けれど、この魔法で作れる壁の面積には限界があって、完全に密閉するとなると一人分がいいところだった。

「ハル君なら、わからないかな?」

 そう、アキは相変わらず無茶なことを言った。これだけの距離があると、まばたきの様子すらろくに見えないというのに。

(――絶対に、わかりっこないわね)

 四人の前で、サクヤは密かにほくそ笑んでいた。〈妖精装置〉による変身は完璧で、現在の姿でもそのまま真似ることができる。ついさっきできた傷跡や服のほつれがあったとしても、それは同じだった。

(とにかくこうしていれば、ニニのやつは目的を達成できるはず)

 サクヤはただこのまま、捕まった佐乃世来理のふりをし続ければいい。

「……うーん」

 と、ハルは考えている。この距離で、なおかつ言葉や動作に頼らず本物の来理を見極める必要があった。

 ハルは不意に、ポケットから〝感知魔法〟のペンダントを取りだす。

「なるほど、魔法で変身してるなら揺らぎがあるはずだもんね」

 アキはぽんと手を打った。が、

(無理ね――)

 とサクヤは冷静に思っている。変身中に比べると、変身後の揺らぎはごく小さい。これだけの距離があれば、〝感知魔法〟程度では揺らぎを発見することはできなかった。

 確かに、それはできないはずだった。

 けれど――

 サクヤはすぐ近くから、魔法の揺らぎを感じた。何の形も作らずに、ただ世界をかすかに揺らすだけの波。静かな子守唄にも似た、ゆるやかなリズムを持った――

「……!」

 まずい、と思ったときには遅かった。ハルにはもう、本物がどちらなのかがわかっている。

「左のほうが、本当の来理ばあちゃんだ」

 言うのと同時に、フユの魔法が飛んだ。

 〈断絶領域〉による壁が、偽者の四方を囲む。

 わずかの差で、サクヤは間にあわなかった。変身を解き、元々縛ってなどいなかった縄目をほどいて逃走しようとしたが、鼻の差で追いつかない。透明な壁に強かぶつけて、サクヤは頭を抱えこんだ。

「もう大丈夫よ――」

 フユは言う。だいぶ距離はあったが、十分に魔法の効果範囲だった。偽者はどこかの魔神みたいに、完全に瓶詰め状態である。

「でも、どうしてわかったの?」

 その場にいた全員の中で、アキだけが不思議そうに言った。

「魔法の揺らぎで信号を作ったんだよ」

「信号?」

 ハルはうなずいてみせる。

「昔、訓練のついでにそんな遊びを考えたことがあるんだ。モールス信号みたいに、揺らぎで合図をしあうっていう」

 ハルが〝感知魔法〟を使ったのは、来理の作った揺らぎを感じるためだったのである。

 ともかくも、四人は来理のところへと向かった。サクヤは見えない壁を蹴ったり叩いたりして悪態をついていたが、音も遮断されているのでそれらは一切聞こえてくることはない。何となく、壊れた玩具を連想させる眺めでもあった。

 四人は苦労してロープをほどくと、猿轡を外した。来理はさすがに憔悴した様子だったが、存外元気そうに笑っている。

「まさか、あなたたちに助けられるとは思ってなかったわね」

「室寺さんはちょっと忙しかったんだ」

 ハルは来理が無事なことを確認して、さすがにほっとした顔をしている。

「そう、人形と遊ぶのでね」

 とアキが冗談めかして言うと、「人形?」と来理は怪訝な顔をした。が、ナツがそれを押しとどめている。

「その話はあとでいいから、今は用事を先にすませちまおう」

「用事って?」

 アキの表情にとぼけたところはなかった。

「……室寺さんに、佐乃世さんの救出を伝えなくちゃならないでしょ」

 フユは珍しく、少し疲れたような声で言った。

「ああ、そっか」

 特に懲りた様子もなく、アキはうなずく。

 それからの準備は、ナツの仕事だった。ウエストバッグからいくつかの物を取りだす。紙の筒、ゴムボール、小さく丸く切りとったダンボール。ボールには、短い糸がセロハンテープで貼りつけられていた。それらに、ナツは〈幽霊模型〉で必要な記号を描きこんでいく。

 魔法によって記号が現実化されると、ナツはまず紙筒を地面に埋めこんだ。〝レンガ〟の模様で強化してあるので、足で踏むとすぐに半分ほど土に埋まる。次に火薬として〝ドクロマーク〟の描かれたダンボール紙を筒の底に敷き、〝花火〟の絵がついたゴムボールをそこに投入する。

「みんな、ちょっと離れてくれ」

 と、ナツは手で距離をとるよう指示した。

 周囲の安全を確認すると、ナツはマッチを擦って火をつけた。これは、本物である。スープに塩でも入れるみたいに、ナツはその火を紙筒の中に放りこんだ。

 途端に、鋭い炸裂音がしてボール玉が打ちあがる。

 それと同時に火のついた導火線が、ゴムボールに描かれた記号にしたがって空中で爆発を起こした。空の低いところで火花があがり、色とりどりの原色が着いた煙が広がる。音だけは夜と変わらない響きようで、あたりの空気を乱暴に打ち鳴らした。

「……何だか、できそこないのクラゲみたいだね」

 耳をふさいでいたアキは、空中に広がった煙を見て感想をもらす。煙は風で段々と形を崩しつつあったが、しばらくのあいだは空に浮かんでいることだろう。

「とりあえず、これで室寺さんも気づくだろう」

 ナツはその批評には反論せずに、色の着いた小さな雲を眺めながら言った。

 その隣では、古い映画みたいな格好でサクヤが無音のまま騒ぎ続けている。


 おそらく、知らず知らずのうちにだろう。鷺谷は身を乗りだすように窓ガラスの外を眺めながら、唇を尖らせていた。スフィンクスみたいに表情そのものに変化はない。が、目の前の事態をどう思っているのかは明確だった。

(――おやおや)

 と、烏堂は内心でくすりとしている。苦虫をかみつぶしたとき、この男はそんな顔をするらしい。

 烏堂の手元にあるモニターでは、室寺と人形たちの戦闘が佳境を迎えつつあった。

 人形たちの残存数は、数十体ほどにまで減少している。スタジアムにはそこら中に白い破片が散らばり、死屍累々というところだった。

 室寺はスタンドの壁を背にして、人形たちの攻撃を迎え撃とうとしている。その場所でなら背後を気にせず目の前の敵に集中できるからだったが、同時にそこまで追いつめられているということでもあった。疲労は蓄積し、魔法の力は枯渇しかけている。

 人形が二体同時に襲ってくるのを、室寺は機械のような冷静さで時間差を見極め、まず一体を破壊した。それから相手の拳打を半ば受けつつ、もう一体の頭部を一撃する。もはや無駄な動作をするほどの余裕も残されていない。

「このままだと、スタジアムの人形は全部倒されそうですね」

 と、烏堂はつぶやいた。疲労困憊の態だったが、それだけの力はありそうだった。ようやく故郷にたどり着いてから、不埒な求婚者どもを一人残さず射殺すくらいには。

「人形はここにあるもので全部というわけではありません」

 鷺谷はすぐに反論した。少々、ヒステリックな調子でもある。

「そのために苦労した仕かけです。いずれはあの男だって力尽きることでしょう」

「でも、ほかの場所にはそれほど人形の数はありませんよ」

 別に逆なでするつもりはなかったが、烏堂は肩をすくめて穏当な意見を口にした。

「私は与えられた仕事は必ず成功させる人間です。報酬の分は働く、それがまっとうな人間としては当然というものです」

 白鳥の断末魔というほどではないにしろ、鷺谷は小さく叫んだ。

 まっとうでもまっとうでなくても、うまくいかないときはうまくいかないものですよ、と烏堂は慰藉しようとした。

 ――その時である。

「二人とも動かないでください」

 いきなり、声がした。

 二人が驚いてそちらを見ると、いつのまに入ってきたのか、部屋の入口には一人の女性が立っていた。をかけ、手には拳銃らしきものを構えている。子供の頭に乗ったリンゴを狙うようなその目つきと雰囲気からして、的を外すような期待と心配は無用のようだった。

 ほとんど反射的に、二人は手を挙げる。樽に刺さった剣が当たりを引いたみたいに。

「私は魔法委員会の者です。あなたたち二人を魔法の不正使用の疑いで拘束します。委員会には魔法使いの捕縛、及び生殺与奪の権限が認められています。怪我をしたくなければ、下手な動きはしないよう気をつけてください」

 言いながら、彼女は二人のうちの一方に見覚えがあることに気がついた。

「――確か、烏堂有也さんでしたね?」

 烏堂は両手を高く挙げたまま、苦笑いを浮かべる。

「ええ、その通りですよ。千ヶ崎朝美さん」

 朝美は油断なく銃を構えたまま言う。

「まさかもう一度あなたと会うことになるとは思っていませんでしたね。雨賀さんはどうしたんです? 今日はパートナーがいつもとは違うみたいですが」

「……みんなそれを聞くんですね」

「は――?」

「いえ、こっちの話です」烏堂はもう一度苦笑した。「あの人は出張中で、今は物語の外側にいるんですよ」

「よくわかりませんが、ここにいるのはあなたがた二人だけのようですね」

「残念ながら――ところで、あなたのほうこそどうしたんですか? 視力でも悪くしたんですか。前はそんな眼鏡、かけてませんでしたよね」

「これはいわゆる、伊達眼鏡というやつです」

 朝美は笑いもせずに言った。

「……女性がおしゃれをするのはいいことです」

 皮肉かどうかよくわからない口調で、鷺谷が言った。そんな軽口もきくらしい。

「私がどうやってあなたたちを見つけたと思っていますか?」

 そんな鷺谷の相手はせずに、朝美は続けた。

「それと、その眼鏡に関係があると?」

 烏堂は唇を尖らせる。鷺谷の癖がうつったのかもしれない。朝美はうなずいて言った。

「この眼鏡は今、片方が〝サーモグラフィー〟になっています。もちろん、私の〈転移情報〉によるものです。それで、この場所に窓からのぞいている人間がいることに気づきました」

 なるほど、と烏堂は鷺谷のほうを見る。その視線の意味に気づいたらしく、鷺谷は憮然とした表情を浮かべた。

「この部屋にも人形を配置しておくべきでしたね。そうすれば、こんな無様なことにはならなかったでしょう」

「あの人形を動かしているのは、あなたの魔法ですか?」

 朝美は銃口の向きをわずかに変えた。

「その通りです」

 抵抗はせずに、鷺谷は答える。

「別の場所にあったものは、動かないようでしたが?」

「条件が違うからです。ここにあるもの以外は、特定の人物が接近したときにだけ反応するように仕組んであります」

 自分の仕事に欠陥があると思われるのは気に食わない、というふうに鷺谷は言った。

「つまり、室寺さんがいるときにだけ動きだす、と?」

「ええ、そうです」

「では――」

 と、朝美が口を開こうとしたとき、異変が起こった。

 公園いっぱいに大砲のような音が響きわたったのである。空気の震えで、窓ガラスが軽く揺れる。放送室からは光も煙も見えなかったが、この音に気づかないはずはない。

 もちろんそれが何なのかを、千ヶ崎朝美は知っていた。

(さすが、あの子たちね――)

 朝美は心の中で、静かに賞賛する。さすが完全魔法の持ち主だけのことはあった。

「何なんですか、今のは?」

 窓の外をうかがいながら、鷺谷は神経質そうに訊いた。

「佐乃世さんが保護されました」

 と朝美は澄ました顔で告げる。

「まさか?」烏堂は半信半疑といった様子で言った。「執行者はもうほかにいないはずですよね。誰が彼女を助けられるっていうんですか」

 朝美は、彼女を助けた四人のうちの一人はあなたもよく知っている相手です、と言おうかと思ったが、やめておいた。特に言う必要のあることでもない。

「そんなことより、あなたたちにはやってもらうことがあります」

 再び銃口を向けて、朝美は言った。二人は慌てて、手を挙げなおす。いいかげんに、この格好も疲れはじめていた。

「今すぐ、人形たちを停止してください。ここだけじゃなく、公園全体の」

「あー……」烏堂はちらりと鷺谷のほうをうかがう。

「できない、とは言わせませんよ」

 朝美はにこりと笑った。はじめての笑顔のわりに、その表情が今までで一番凄惨な感じがしている。

「……仕方ないでしょう」

 鷺谷はため息をついた。ここで、できないと言うほどの度胸と演技力はなかった。それほどの義理と報酬も。あくまで公平に取り引きをすることが、鷺谷聡の信条でもある。

 人形の停止条件は、あらかじめ組みこんであった。鷺谷は機器を操作して、公園内に放送をかける。しばらくすると、スピーカーから音楽が流れはじめた。ゆったりとした落ちついた曲だったが、朝美には何の曲なのかはわからなかった。

 効果は、すぐに現れている。

 フィールドでは室寺の前にいた人形が動きをとめ、眠りにつくように、あるいは夢から覚めるように地面へと頽れていった。まさしく、糸の切れた人形である。誰かが手を離してしまえば、もう自分では立つこともできない。

 とはいえ、その場にはすでに二体の人形を残すのみとなっていた。もしもそのままだったとしても、室寺が片づけてしまっていただろう。

 その室寺はというと、人形といっしょに地面に倒れこんでしまいかねないほど疲れきった様子をしている。背後の壁にもたれ、かろうじてまだ立っているという状態だった。しかし、まだ立ってはいる。

(あの人ならきっと、いい準備運動になったとか何とか、そんなことを言うのだろう――)

 そんなことを考えて、朝美は少しおかしかった。だがいずれにせよ、事態はこれでほぼ決定的である。

「――どうやら、私たちの勝ちみたいですね」

 千ヶ崎朝美は一人、密かに勝利宣言を行った。


 その少し前のことである――

 照明塔の上にいたニニは、誰よりも早く異変に気づいていた。ナツが合図の花火をあげる、その前にである。

 ニニの〈迷宮残響〉は、あらゆる振動をコントロールすることができる、というものだった。声とは、空気の振動にほかならない。だからこの少年は、遠く離れた人物の音声でも正確に聞くことができる。

 ただしある程度の距離があった場合、それはかなり難しくなった。振動の特徴をうまくとらえ、増幅してやることができないからである。ラジオの周波数をあわせられないみたいに。ニニがそれをできるのは、実のところサクヤ一人に限られていた。同じホムンクルスであるせいかもしれないし、ほかに何か理由があるのかもしれない。

 いずれにせよ、ニニはその魔法でサクヤの身に何かが起こったのを察知した。彼女からの振動が完全に途絶えてしまったのである。まるで、空間そのものが断絶してしまったかのように。

(サクヤ……!)

 次にどう動くべきかの選択を迫られたとき、ニニの心に迷いはなかった。迷う必要も。どこかの王女のくれた糸がなくとも、どこに向かうべきかはわかっていた。

 スタジアムでは、風船の空気が抜けるみたいに室寺の力は底をつこうとしていた。もう少しすれば、あの超人を確実に倒せるようになるかもしれない。それが、今回もっとも優先すべき目標でもあった。

 けれど――

 ニニには、やはり迷いはない。光が常に空間にそって直進するのと同じで。それは造物主である鴻城希槻に対する忠誠心とは別に働く、彼が持つ数少ない感情の一つだった。


 ――その感情が何と呼ばれるものなのか、この少年が最後まで気づくことはなかったのだけれど。

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