第25話

放課後の相談部に二人目の来客者が現れる。

 一年四組の綾瀬真麻はブルマが切られたと相談に来た時よりも機嫌が悪そうに奥苗たちの前に現れた。

 奥苗が飲み物を買って戻ってきても、綾瀬の様子は変わらず、膝の上に手を置いて眉間にしわを寄せて黙っていた。

「犯人はまだ見つかってないよ」比空は申し訳なさそうに言った。

「いえ、今日話したかったのはそのことじゃないんです」

 綾瀬はそれだけ言うとまた口を閉ざしてしまった。

「なにかあったの?」比空が質問する。

 綾瀬は黙っていた。何も答えない。何も喋ろうとしない。何のためにここを訪れたのかもわからない。時間が経過する。奥苗がしびれを切らして口を開こうとしたら、比空に手で制された。

 静寂が時間の感覚を緩慢なものにする。

 綾瀬は十分すぎるほどの間を置いてから、言葉を零すように言った。

「美世のことなんですけど」

 どうやら作延の妹のことについての内容らしい。

「美世ちゃんがどうかしたの?」

 作延美世も同じ被害にあったことに心を痛めているのだろうか。

「あの、美世にわたしのことって色々言いましたか?」

「それは、どういう意味でかな?」

「えっと、わたしのブルマが切られたこととか、そういうことについてです」

 小さな違和感が頭の中に芽生える。綾瀬真麻の態度が、綾瀬真麻の吐き出す言葉が、奥苗たちの頭に違和感を増幅させる。

「わたしは美世に言ってないんです。だから、もしかしたら相談部の方が」

 綾瀬の言葉を最後まで待たずに奥苗は言った。

「ちょ、ちょっと待て。一つ訊きたいんだが、綾瀬と作延の妹は、その、なんというか、親しい友だちとかじゃないのか?」

 奥苗の問いに綾瀬は心底嫌そうな顔をした。

「わたしと美世がですか? ありえません」

 思考が揺れ動く。頭の中で半ば決めつけていた情報が崩壊して砕ける。

「いえ、たしかに前は仲がよかったです。けど、いまは同じクラスでいることも本当は嫌なんです」

「どういうことなの?」比空が会話に加わる。

「だって、美世わたしの真似ばっかりするんです。何でもかんでも、髪型でも制服の着方でも、持ち物でも、何でも同じようにしてくるんです」綾瀬は溜めていたものを吐き出すように言った。「始めはいいなって思ってました。同じペン使ったり、同じハンカチ使ったり、けど、段々めんどくさくなってきて、何か新しいものを買うたびにどこで買ったのかしつこく訊かれたり、なんで二人分買ってくれなかったのってぐちぐち言われたり、もううんざりで。無視するようになってからも、わたしと同じロッカーの鍵や、わたしと同じ美容院に行ったりして、ほんと最悪です」

 綾瀬は一気にそう言い切ると、一度息を吸い込んだ。

「それで、最近もわたしに隠れて何かしているみたいでした。また何か変なもんでも購入しているのかと思ったら、今日のお昼休みに、わたしと同じ被害にあったって嬉しそうに言ってきたんです」

 今日の昼にあった出来事を思い出す。

「わたし、美世にはそのこと話していないんです。彼氏のことだって美世にだけは知られないようにしていたのに、きっとどこかで調べられて……。だから、相談部の方から美世が聞いたのかと思ったんです」

 驚いた。確かに作延美世と綾瀬真麻がどういう間柄かは作延美世の口からしか聞いていなかったが、まさか綾瀬が美世のことを毛嫌いしているとは予想できなかった。

「悪い」奥苗は頭を下げた。「綾瀬のこと作延の妹に話しちまったのはおれだ」

 自分が口を滑らせてしまったことを再び後悔した。

「そうですか。きっと美世がしつこく訊いてきたんですよね。それはいいんです。むしろ、美世がここに来るきっかけをつくってしまってすいませんでした」

 綾瀬真麻も頭を下げる。

「いや、ごめんな」

「違うんです。ああ、もう、すいません。わたし美世のことになると苛々して、本当はこんなことを言いにきたわけじゃないんです」綾瀬は一度深く呼吸をして、再び話し始める。「わたし、美世が動物柄パンツを持っていると思えないんです」

「どういうこと?」比空は訊ねる。

「だって前に小佐内蕾ちゃんがクマさんのパンツを履いてるのを見たら、すごいバカにしてたんですよ。高校生にもなってあんなの履いてるなんてありえないって」

「その小佐内ちゃんっていうのは?」

「ああ、すいません。わたしと同じクラスのちっちゃくて可愛らしい子です。持ってるものとかも可愛いものが多くて、いっつも動物柄のパンツ履いてるんです」

「そうなんだ」

「だから、えっと、ここからが今日お話ししたかったことなんですけど。わたしには美世が下着を盗まれたとは思えないんです。きっとわたしと同じ環境に身を置きたくて嘘を言ってるとしか思えません」

「綾瀬ちゃんの気持ちもわかるけど、でも実際に美世ちゃんのロッカーの中から切られた下着が見つかったんだし」

「いや、ちょっと待て」奥苗が会話に割って入る。

 急速に様々な情報が組み合わさって一つの解答に辿り着こうとしている。

 そもそもなぜ作延の妹の下着は一度盗まれたあとロッカーに入れられるまでに時間が空いたのか。下着を手に入れたのならその場で切り刻んでメッセージを添えたほうがリスクを少なくできるはずだ。実際にこれまでの犯行はその場で下着を切り刻んでいたはず。なぜ一度持ち帰った。

 いや、そうだ。メッセージだ。

「比空、作延の妹のロッカーに今までと同じようにメッセージが書かれた紙は置いてあったか?」

 比空は奥苗の問いに目を見開いた。

「なかった」

 答えが奥苗の頭の中で組み合わさった。

 そうか。そういうことだったんだ。

 奥苗は比空を見る。

「比空は作延の妹の下着被ったとき、誰のことが思い浮かんだ?」

「それは、さっきも言ったとおり今福くんだよ」

「それ以外は?」

「それ以外って、いないよ。今福くんひとりだけ」

「ほんとに?」

「嘘をつく必要がないよ」

 比空は疑われていると思ったのか不愉快そうに顔をしかめる。

 嘘をついたわけではない。けれど、おそらく比空は無意識のうちに決めつけてしまっている事柄がある。

「作延の妹の記憶は下着の中に残っていなかったのか?」

「なに言ってんの。それは残ってたに」

 そこまで言って比空は何かに気づいたように言葉をとめた。

 そう比空は能力を使用するときに、その下着の記憶の中にあるのが当たり前になってしまっているものがある。だから、その人物の記憶が下着に残っていても意識をしたりすることがない。それは持ち主の記憶。当然と言えば当然だが、持ち主の記憶が下着に残っていても比空は気にもとめないし、奥苗に教えることもない。

「作延の妹が下着が盗まれたって言ったのはいつだったか覚えてるか?」

「……わたしと同じ日だから、先々週の水曜日」

「十二日前だな」

 そうそれは三日以上前の話だ。美世のロッカーから下着を取り出したのは比空だ。比空はそのまま下着を美世に返さずに相談部に持ち帰った。なのに、なぜ十二日も前に盗まれたと言っていた下着に作延美世の記憶があるのか。本来はないはずのものがなぜ存在しているのか。

 答えはひとつだった。

「作延の妹は嘘言ってんだよ」

 散らばっていた情報の数々が集まって繋がっていく。

 今までの情報を結合すれば、その動機も自ずと見えてくる。

「美世ちゃんは、綾瀬ちゃんと同じ環境に自分を置きたくて、自作自演をしてたってこと?」

「そういうことだな。下着を盗まれたって言っておれたちに近づいて、どうやって盗まれたかを知ったら、それを自分で実行したんだ」

 言葉では説明できてもその感情を理解することはできない。

 そこまでして誰かと同じでいるということは大切なことなのだろうか。

「ということは、今福くんが言ってたことは真実ってこと?」

「おおかた作延の妹は今福が犯人だと思って、自分で切った下着を五階のトイレに放り込んだんだろ。だからあんなに今福が犯人だって断定してたんだよ」

 奥苗は何度目かになる後悔をした。自分が口を滑らせたことがこの状況を招いたのだ。

 二人の容疑者の名前を告げたとき、作延美世は自然と自分の兄を容疑者から外し、今福誠治が犯人だと決めつけたのだ。

「いや、でもパンツをロッカーに届けるって、そんなこと実際にするの? だって、綾瀬ちゃんのときも今福くんはそう言ってたんだよ?」

 奥苗と比空ははっと気がつく。興奮して綾瀬真麻本人が目の前にいることを忘れてしまっていた。

 綾瀬は居心地悪そうに会話に参加する。

「あのー、今福くんがブルマをロッカーに届けてくれたって言ったんですか?」

「おう。そう言ってたぞ」

「そんなことって、ありえないよね?」

 そう本来ならあり得ない。作延美世の場合は自作自演によって自分でパンツを五階の男子トイレに放り込んだことが予想できるが、綾瀬真麻の場合説明がつかない。

 綾瀬は思案顔になる。そして頬を赤らめて、幾つかの躊躇を繰り返したあと口を開いた。

「あの、先輩たちはわたしと久住先輩がつきあってること知ってますよね?」

「おう。久住本人からも聞いたからな」

「えっとですね。実はわたし今福くんと五階のトイレで会ったことがあって」

 奥苗は思い出す。そういえば最初に今福が五階のトイレにいるという情報を教えてくれたのは綾瀬真麻だった。

「それでですね」綾瀬の声が小さくなる。「えっと、その、五階で今福くんに会ったときですね。その、わたしと久住先輩はですね」

 奥苗と比空は次の言葉を待つ。

「その、わたしたちイチャついてたんです」

 言葉を失った。綾瀬真麻と久住佑が以前一階の倉庫で互いの身体に触れあっていたことを思い出す。

「それで、その、もしかしたら、その時に、ブルマ忘れちゃったのかもしれないです」

 確かに下着の上にブルマを履いていて、いったんそれを全部脱いだ状態になったら、再び履くときにブルマだけを忘れてしまう可能性はある。

「だから、ですね。今福くんの言ってることは本当だと思います」

 奥苗と比空は何も言うことができなかった。

 顔を真っ赤にした綾瀬は、それじゃあ失礼します、と言ってそそくさと部屋から出て行った。

 奥苗と比空は呆然とした状態からしばらくの間抜け出すことができなかった。

「そんじゃあ、今福は最初から本当のことしか言ってなかったってことか」

「どうやら、そうみたいね」

 今福誠治の疑わしかった部分の説明がついた。

 そこから導き出される結論はひとつだ。

 今福誠治が五階のトイレに落ちていたブルマをロッカーに戻したあとに、綾瀬真麻のブルマを切った人間がいる。

 それを頭に浮かべると、奥苗は目を閉じて大きなため息を漏らした。

「はあ。そういうことかよ」

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