第3話 雇い主と対面

「まさかの日本家屋・・・!」

 黒塗りの高級車で連れて行かれた先は、見事に大智の想像を裏切っていた。金持ちの家と言えば、西洋の宮殿か城のような西洋風建築物かもしくは超高級タワーマンションの最上階などを勝手にイメージしていたからだ。友人に借りた漫画などではその傾向が非常に高かったから彼がそう想像していたのも無理はない。

 通されたのは美しく整えられた庭園やら獅子脅しやら一匹数百万の錦鯉が何十匹もいそうな馬鹿でかい池やらを散策しながら通り過ぎた先にある離れだった。渡り廊下は反応式の自動廊下で二度びっくり。

「ここが、今日から大智様のお部屋になります」

 嬉しそうに、月代自らが先頭に立って案内していた。顔にひっかき傷やら赤痣が残っているのは大乱闘の名残だ。そばに侍る紅葉も髪の毛はほつれ、ところどころ打ち身を作っている。仲がいいのか悪いのか、本当の兄弟姉妹みたいな間柄だと半分感心半分呆れながら大智は思ったものだ。

 案内された部屋は本当にここに住んでいいのかと心配になるくらい立派だった。質素ながら備え付けられた桐ダンスや机は見るからに高級感と木のいい香りが漂っている。

「申し訳ございません、今すぐにご用意できる部屋がここしかなくて」

「い、いえ。充分です。充分すぎます」

 これを部屋だというのなら、今まで自分が住んでいたところは部屋じゃない。小さいながらもキッチンと風呂・トイレまでもが完備されたこの場所と比べてしまうと、今まで世話になった感謝の気持ちを含めたって相手にならない。

「そういえば、言われるがまま来ちゃいましたけど。僕の部屋にあった荷物とか、部屋の解約とか手続きは・・・」

「その辺はぬかりなく。すでにこちらから話はつけております。荷物も、まことに勝手ながら箱詰めし、すでに運び込ませております」

 こちらに、と紅葉が指した方向には段ボールが二つ。

「あるものすべてを詰め込ませていただきましたが、もし何か足りないようでしたらお言い付け下さい。部屋のクリーニングの時に伝えておけば、見つけられるはずですので」

「あ、いえ、そんな大した物があったわけではないので」

 むしろ破棄してもらっても構わないようなものばかりだった。百均でそろえたプラスチックの皿をこんな丁寧に梱包されて逆にいたたまれない。同じくワゴンセールでそろえた衣服を何百万もするような反物か高級ブランド製品以外お断りと言いだしそうなタンスにしまえと申すか。どうしよう、いろんな意味で住み辛い。

「この部屋にあるものは全て自由に使っていただいて結構です。何かご入用の際は私にお申し付けください。なんでも一時間で用立てて見せます」

 月代が胸を張った。一時間は無理だろう、とは言えなかった。やりかねないと思わせるだけの何かを彼女たちは持っていた。

「いえ、大丈夫です。それよりも、これじゃあ立場が逆じゃないですか。普通、そういう努力をするのは雇われた僕がするものでは」

「そんな、大智様にお手を煩わせるようなことなど何一つございません。そのお気持ちだけでどんぶりご飯が三杯いけます」

 バランスよい食事をとった方が、と大智はひきつった笑みを浮かべた。

「では、これからのことをお話ししましょう」

 紅葉が慣れた作業でちゃぶ台にお茶を用意してくれた。大智と月代はそれぞれ用意されたお茶の前に座る。

「まずは旦那様にご挨拶ですね」

「初っ端からハードル高ァ!」

 思わず悲鳴を上げた。

「使用人として雇われるのですから、雇用主に最初に挨拶するのは自然だと思われますが?」

「そりゃそうなんでしょうけど。僕、曲がりなりにも月代さんにストーキングされてたんですよね」

「曲がるどころか、真正面からストーキングですが、それが?」

「その、自分で言うのもなんですけど、多少の好意を持たれていると」

「多少どころか、同じ墓に入りたいくらいの狂愛ぶりですが」

「娘さんの父親って、一般的にそういう、娘にまとわりつく男という害虫を払う傾向にある、と聞いたことが」

「ああ、まあ、そうでしょうね。おそらく旦那様も例外ないかと」

「一般家庭の父親なら、一発ぶん殴られるとか、ねちねちと言葉で責められるとか、その程度のことだと思うし、それなら何とか耐えられるんじゃないかなあ、とは思うんですよ」

「はあ、なら問題ないではありませんか」

「それが弘原海の当主とかとなると話は変わってくると思うんですよね。たぶんヤクザ屋さんやマフィアのボスと面談するレベルだと思うんですよね失礼ながら忌憚なく言わせていただきますと」

「はは、そんなことですか?」

 大智の危惧を、紅葉は鼻で笑った。

「そんなことはありませんよ」

「本当ですか?」

「ええ。ヤクザもマフィアも道を譲るほどの旦那様のレベルがその程度の訳ありません。旦那様と比べられては、暗黒街の方々に失礼かと」

「あ、そっち? そっちなの? 後何気に紅葉さん雇い主にも容赦なく毒吐きますよね」

 ますます大智の状況が悪化していく。


「君が、杉下大智君だね?」

 そう言ってにこにこほほ笑むのは、四十代半ばほどの穏やかな紳士だった。甚平を粋に着こなし、背筋をぴんと伸ばして正座するその姿は、古の茶人を思わせる。喋り方も決して高圧的でもなければ冷たいものでもなく、人情味のある、暖かなものだった。百人この人と話せば、百人は親しくなれるとアンケートで答えるだろうこの人物こそ、今、この国を牛耳っていると言っても過言ではない男、弘原海雄大である。チャームポイントは右の額から顎の左側にかけて走る地割れの様な一本傷だ。このナイスミドルを前にして、大智は大量の汗をかいていた。

 あの後、話はとんとん拍子に進み、普通なら面会予約一年待ちでもマシな方と噂される雄大に十分で面通りするに至った。

「私が月代の父、弘原海雄大だ。どうぞ、楽にしていい」

 楽にしてやる、という意味合いかと大智に緊張が走る。ひた走る。

「ずっと正座だと痺れるよ。私も足を崩させてもらうから」

 そういう意味か、と理解した。相手が崩すのを見てから、恐る恐る足を組み替える。

「はは、まあそう固くならずに。ほら、お茶でも飲んで」

 そう笑う雄大は、顔の傷のせいで迫力はあるものの、言動やそこから溢れる空気はまさしく紳士そのもので、大智の警戒心も徐々に溶け始めていた。

「さて、こうして我が家で働くというのだから、腹を割って、素直に話そうじゃないか」

「は、はいっ」

「ふふ、まだ緊張がほぐれていないようだね。では見本として私から、君に対して素直に話そう。

 私は、君のことが大嫌いだ」

 大智は耳を疑った。このナイスミドルの口から似つかわしくない言葉が飛び出したように聞こえたのだ。

「ふむ、良く聞こえなかったのかね? 若いのに。仕方ないからもう一度だけ言おう。

 私は、君が、大嫌いだ」

 聞き間違いではない、と大智は判断した。同時に、引っ込んでいたはずの汗が再び噴出しだした。

「ええ、と。うん、はい。聞こえてはいました。弘原海さんは、僕のことが嫌い、と」

「違う違う。嫌いではない。大嫌いだ」

 笑顔のまま、雄大は湯呑の茶を啜った。表情と言葉に含まれる意味がまったく一致しない。

「私の愛しい愛しい月代の心を奪い、それだけに飽き足らずこれから一つ屋根の下で暮らす? はは、万死に値するよ?」

 値するよとにこやかに言われましても、と大智は愕然とした。もうすでに彼の中では目の前の紳士は紳士ではない。圧倒的な力を持つ敵だった。吞まれ、一言も発せず身動きもとれない状況だ。

「娘と、娘が信用し私も厚い信頼を置く紅葉君の太鼓判がなければ絶対に認めなかったんだけどねえ。この家に親族以外の男が出入りするなんてことは。せっかく君専用の小屋を作っておいたのに」

 からからと快活に笑いながらじめっとしたことを言う人だ、と感想を心の中でだけ呟いた。

「雇用はする。要求があれば可能な限り応えよう。契約通りの給料も払う。成果が上々であれば色も付ける。その代り、可及的速やかに仕事を終え、辞職していただきたい。いつまでも私が、このような笑顔で対応できるとは思わないほうがいいよ」

「・・・肝に銘じておきます」

 かろうじてそれだけ言い残し、大智は退席した。自分が退出した部屋の方から、物が盛大に破壊される音が響いてきたのは間もなくのことだ。


 当主との息の詰まるような面談を終え、大智は再びあてがわれた部屋に戻ってきた。月代と紅葉は用事があるとかでいったん退出している。後一時間程度は戻ってこれないらしい。

 敷布団を敷き、その上にボフンと倒れ込む。

 濃密な時間だった。逢う人間逢う人間全員のインパクトがでかすぎる。世界に数人レベルの人間が数人いた。しかも一人が歪んだ愛情、一人が純粋な敵意を向けてきたからたまったものじゃない。

 布団に打つむせたまま、すうぅっと大きく鼻で息を吸う。布団の匂いが鼻腔に満ちる。布団に染みついた自分に匂いがリラックス効果となって大智の心を落ち着ける。これからしなければならないことを脳内に思い浮かべて順番を付けていく。

「何はともあれ、仕事は仕事、か」

 気を取り直す。何はともあれこれまでよりも破格の待遇で迎え入れられたのだ。きちんとこなさなければならない。それが、彼の仕事に対する姿勢だ。それがどんな仕事であっても完璧にこなす。それが彼のポリシーだからだ。

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蓮の花 叶 遼太郎 @20_kano_16

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