第6話 暁の凱旋

 黄色い月が草原をくまなく照らす夜。


 夜明け前の最も暗い時間。


「帰ってきたぞ我が故郷! チャンの氏族!」


 小高い丘の上からは碧く大きな海とそれを囲むようにして立ち並ぶ無数の携帯住宅ゲルが見えた。


 あの昏く小さな海こそが命の源“龍泉”。そして携帯住宅ゲルの集まりこそエーリッヒが生まれた旅団キャンプである。


 二人と一匹は呆気無く旅の目的地に辿り着いたのだ。


「これがエーリッヒの……」


 その住宅群の周囲にはたわわに黄色や緑の果実を実らせた果羊バロメットがゆっくり眠り、さらにそれを囲むようにして騎狼達がウロウロしている。


 騎狼は群れの十分の一が起きて見張りを、残りがゆっくりと休んでいる。


 住宅群の隅では馬の入った小屋が有り、中では何人かの人が馬の乳を絞る姿が見えた。


「あれが果羊バロメット……普通の羊も居ますね。乳馬というのはあの小屋の中の白黒まだらの馬ですか? 本当に沢山の家畜が居るのですね」


「ナライは目が良いな。もっと若かったら弓を教えてやるんだけどな」


「教えるべきは私じゃありませんよ。エーリッヒ」


「そうだな! 俺も父さんに弓を教わったんだ。今度は俺が教える番だ。そうだな子供は十人くらい欲しいな……」


「え、エーリッヒ?! いきなり何を言い出すのです」


 流石のナライも顔を真赤にする。


 現実主義者で人一倍ポジティブなだけで内面は乙女だ。


「どうしたナライ……? あ、ところで子供ってどうやって作るんだ? 羊や馬や騎狼とは違うのかな。どうなのアプロ?」


「よしよしごす、その話は後でしようか」


「そうですね、狼さんの言う通りです。ところであの大きなテントのような家は何ですかエーリッヒ?」


 ナライは携帯住宅ゲルを指差してエーリッヒに問う。


携帯住宅ゲルだね。獣機の骨格を利用して作られる組立式の家。もしも急に移動しなくちゃいけない事態になっても騎狼に引いてもらって移動できるようになっているんだ」


「あれ引っ張るの疲れるんだよなあ」


 その口調と裏腹にアプロも嬉しそうな笑みを浮かべている。


 二人と一匹がそうこうしていると、旅団キャンプの方から騎狼に乗った髭面の男が近づいてきた。


 男は勢いよく手を振りながら大声で二人と一匹に呼びかける。


「おーい、アプロ様とエーリッヒか!?」


「あ、ヘーニル叔父さん!」


 ヘーニルと呼ばれた髭面の大男は黒い騎狼から飛び降りると二人と一匹の前に近寄ってくる。


「エーリッヒ! エーリッヒなのか! 生きて帰ってきたのか!」


「久しぶり叔父さん!」


 ヘーニルとエーリッヒは固く抱きしめ合い、互いの両拳を二回ずつ打ち合わせて無事を確認した。


「少し背が高くなったな……」


「もう二年も帰ってなかったからね」


 ヘーニルは久しぶりに会った甥の成長に顔をほころばせ、その後アプロとその隣に居る女性に目を向ける。


「お久しぶりですアプロ様。ところでその別嬪さんはどなたかな?」


「ナライと申します。薬師をやっておりました」


「聞いて驚け叔父さん! 俺のヨメさんだ!」


「……なんとなんと。行商人の与太話だと思ってたが……本当に嫁なぞ捕まえていたのか」


「エーリッヒには命を救っていただきました。なにぶんこちらの礼儀を知らない身の上です。至らない点など有ると思いますが、どうぞご指導ご鞭撻いただければと」


 口をあんぐりと開けるヘーニルに向けてナライは深々と頭を下げる。


「はあ……いやはやなにがなにやら……命を?」


「この娘はオーゼイユに襲われていたんだ。おいらとエーリッヒがそこに割って入って助けた。今までずっとおとなしく姿を隠していたあいつが何故わざわざこの娘の乗る馬車を襲っていたかは分からんがね」


「オーゼイユ! ついに戦ったのですかアプロ様!」


「うむ。そしてエーリッヒはおいらと共に戦う御主人ごすずんとしての仕事を十分果たした」


「では! ついにオーゼイユを打ち倒したので!?」


「んむ。おいらの鼻にはもう奴の臭いはしない。次のオーゼイユが来るまではしばらくこの草原にも平和が戻るだろう」


「なんてこった! それなら祭りの準備をしないと! それを先に言わんかエーリッヒ!」


「えへへ、真っ先に母さんに伝えたくてさ。もうすぐ父さんの命日だし」


「そうか……そう言えば今頃だったか。エーリッヒ、お前の父親であるエーリッヒ義兄さんは立派な戦士だった。良く歌い、良く奏で、良く戦う、正しく草原の民だ。同じ名前を受け継いだお前が同じく戦ったことを俺は誇りに思う」


「へへへ。これからはまた旅団キャンプで狩人をやるよ。よろしく頼むね」


「ああ、まだ龍血を飲める男手は一人でも多く欲しい。そしてナライさんとやら、我々チャンの氏族は外から来た人間を歓迎する。特にこの辺りで活動する西方の薬師は珍しい。長のユミルもきっと喜ぶ」


「エーリッヒのお母様ですね」


「彼女は西方のことに詳しい。丁度今、龍の蒼血ブルー・ブラッドについての研究が進んでいるという話を聞いて西方の新しい情報を欲しがっていた」


「成る程、気に入っていただくためには丁度良かったみたいですね」


「ま、上手くやってくれ。そっちの方が俺もアプロ様もエーリッヒも嬉しい」


 そう言って果羊バロメットの角笛を取り出すとヘーニルはその笛を吹き鳴らす。


 そして充分に吹き終えるとすぐさまその雷鳴の如き大音声だいおんじょう旅団キャンプに呼びかける。


「我らの勇者が戻ったぞ! 宴の準備だああああああああああああ!」


 ――――ずん、と小さな海が震えた。


 すぐに携帯住宅ゲルから人が現れ、松明が灯され、楽しげな歌と音楽が流れ始める。


「暁の凱旋だ。エーリッヒよ、存分に誇れ」


「応ッ!」


 エーリッヒはナライを軽々と抱きかかえ、そのまま一飛びにアプロの背中へと跨る。


「きゃっ!?」


「大丈夫だよナライ。君はそのまま堂々としてれば良い」


「ど、堂々とって! こんな子供みたいな!?」


「嫌? お父さんの真似してみたんだけど」


「ま、まあ貴方のロマンに合わせるのはやぶさかではありません。良いのではないでしょうか。むしろこういうの……ともかく好きにして下さい!」


「ぐははははは! やるじゃないか我が甥子よ!」


 自分より遥かに小さな子ども相手にいわゆる御姫様だっこをされて、まるで御姫様のように村に入ることになるとは思っていなかった。


 恥ずかしいやらトキメクやら、本当なら自分がお姉さんの筈なのにこんな扱いをされてしまったことでナライは珍しく混乱していた。


「はっはっは! 行くぞ相棒アプロ!」


「応よごすッ!」


 迷いに迷ったナライであったが、今はとりあえずこの小さな王子様の好きにさせてあげることにした。


 アプロと共に丘を駆け下りるエーリッヒの横顔があまりに輝いていて、言葉を失い心も奪われてしまったからだ。

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