第5話 ヴーアミクッキング!

 簡単な木組みのソリを売ってもらった一行。アプロはその草原用ソリを引き、エーリッヒとナライはその隣に並んで草原を歩いていた。


 先ほどとは異なり、ナライは朱色の狩旗袍チコイデールを着て乳馬ウバ革の靴を履いた騎狼族ヴーアミの装いである。


「だいぶ儲けちゃったな! ナライのお陰だよ! これで一ヶ月はのんびり暮らせるぞ!」


「うふふ、良妻ですもの」


 ナライの交渉は見事な手際だった。


 最初はエーリッヒとの仲を語って相手の警戒心を緩め、(多少脚色の入った)身の上話を語って相手の同情を引き出し、更に惨劇の証拠として馬車まで案内して積み荷を見せ、ほろほろと涙まで流して行商の情に訴えかけたのだ。


 とはいえ運ぶ手段が無いという弱みも有ったので、ナライは相場よりもかなり勉強した値段で馬車の積み荷を売りつけた。


 しかし結果としてはそれが行商からの好感に繋がったのだから悪くない結果である。残されていたナライの仲間達の死体の簡単な埋葬まで手伝ってもらってしまったのだ。ナライとしては百点満点の結果だ。


「でもナライ、折角ならもっと良い服とか買わなくて良かったの? 確かにその朱色の狩旗袍チコイデールはそこそこ丈夫だけど……」


「今は非常時です。贅沢を言っている場合ではないでしょう。サイズの合うものがあっただけでも幸運です。思ったより女性物も多いんですね」


「女の人でも狩人やるからね」


「ということは蒼の龍血ブルー・ブラッドをお使いになるのですか?」


「何を言ってるの? 当たり前だよ」


「妊娠の可能性がある場合、体質の変化や胎児に及ぼす影響を考えるとあまり勧められた行為ではないのですが……まあ仕方有りませんね」


「ねーちゃん、ここはねーちゃんの居た西方とは常識が違う。あんまり細かいこと考えても無駄だぞ?」


「確かにデータの無い状態で何を言っても憶測にしかなりません。エビデンスの有る医療を心がけてこそ薬師です。特に騎狼族ヴーアミの皆様の身体については私も知識不足ですから」


「えびでんす……?」


「ああ、根拠ということですよエーリッヒ。使う薬が効くという証拠、使ってはいけない薬が危ないという証拠、それを誰もが納得できる形で示して選択しなくてはいけないのです。ですからデータです。データをとにかく沢山取りましょう。特に龍血に関しては騎狼族ヴーアミは我々西方の人間と似て非なる反応を示すと聞いています。それがもしかしたら素晴らしい発見に繋がる可能性も……」


「ストップ! ねーちゃんストップだ! エーリッヒが知恵熱を出すぞ!」


「あらごめんなさい。いきなり話しすぎて驚かせてしまいましたね。大丈夫ですよエーリッヒ、少し勉強すれば貴方もすぐに理解できます」


「勉強するの?」


「させます。勉学こそ人間の最も人間たる働きです」


「えー……」


 二つの意味で弓を引いている方が誰よりも好きなエーリッヒにとって、勉強は面倒で退屈で嫌なものでしか無い。


 今まではその才能と役目から様々な勉強をサボることが許されていたが、旅団キャンプに帰ればそうもいかない。


 どうせ勉強をするならナライに教えてもらうのが一番良いのだが、嫌なものは嫌。エーリッヒは苦い表情を浮かべていた。


「ナライみたいに薬に詳しくなるの?」


「いえ、いきなり専門性は求めません。要は健康管理全般に関わる基礎的な知識ですわ」


「ナライって薬師だから薬の専門家じゃないの? 健康管理とか勉強するの?」


「健康全般、それに社会の変化や様々な仕事、特に狩人については詳しく学ぶ必要がありましたから。後は会計とかも少々」


「それって薬師の仕事に役に立つの?」


「立ちます。身近な狩人を例にとってみましょうか。近年は龍血についての龍血の使用量を調整することで狩人の現役期間を伸ばすのも薬師の仕事の内とされています。そういった仕事を行う薬師はハンティングファーマシストと呼ばれていますね」


「西方の文化って進んでいるんだなあ」


 それを聞くとナライは曖昧に微笑み、広い広い緑の草海原を見渡す。


「ですが今のところこの大草原には無力です。この土地が持つ大いなる力、強靱な生命、いずれも私達では足元にも及びません」


「そうなのか? 俺達は普通に暮らしてきた場所なんだけど……」


「普通に暮らしを……あら、そういえば忘れてたわ。エーリッヒの昔話を聞いてませんでした。どんな経緯であそこに来ていたのかも、どうして助けてくれたのかも」


「長い話になるぜナライねーちゃん」


「何時か聞くことですもの。たとえ長くたって気になりませんわ」


「じゃあそろそろお話の時間も兼ねてお昼ごはんにしようか! そのついでに話すよ。さっき行商さんから分けてもらった保存食も色々有るしね」


「そうですね、考えてみれば私も朝ごはんを食べた記憶が有りません。忘れただけかもしれませんけど」


 そう言ってナライはクスリと笑う。


 エーリッヒにはそれが、何処と無く虚ろに見えた。


********************************************


 五分後。


 二人と一匹は適当な岩陰を見つけると、そこで火を起こしてさっそく料理の準備を始めた。


 エーリッヒは小さな鍋を火にかけて、其処に乳馬ウバのミルクから作った馬乳酒を入れる。鍋一杯のミルクに対して塩と茶葉を上から散らしたら後は蓋を乗せて放置だ。


「理に叶っていますわね。アルコールを飛ばして子供でも飲みやすくして、更にミネラルとビタミンの補給ですか」


「アルコール? ミネラル? ビタミン?」


「あら、ヴーアミの言葉ではありませんでした。その内説明いたしますわ」


「そっか。ちなみにどんな意味?」


「栄養のことです。ヴーアミの方々は食事を取る時にどういう食べ方をすると健康に良いと考えているのですか?」


騎狼族ヴーアミは飯を二種類に分ける。すなわち赤い飯と白い飯だ。人間はこの二つによって生きているって考えるんだな」


「二種類ですか?」


「うん。赤はこの干し肉を始めとした肉全般! 龍泉の近くで取れる塩を使って干し肉にするのが俺は一番好きだ!」


「塩分とタンパク質の摂取は運動の為には理にかなっていますね。ですが水分やビタミン、それに糖質脂質といったものは……」


「エンブン? タンパク? ビタミン?」


「ああごめんなさい。薬師の専門用語みたいなものです。白い飯というのはどんなものですか?」


乳馬ウバの乳から作った馬乳酒だな! あとチーズとかバター!」


「どちらも保存が効くのですね」


「時々嵐や寒波が来て狩りもできなくなっちゃうからね」


「では料理はそれほど盛んではないのですか?」


「ところがどっこい! ヴーアミステーキって名物が有る! これは乳馬ウバの肉と苔鹿の背脂をナイフで切り刻んで混ぜ込んだ後、生卵を乗せ、岩塩と胡椒とナツメグと乾燥させた苔鹿の苔を振りかけて食べるものなんだ。子供は火を通して食べるけど、やっぱり生で食べるのが本当に美味しくて……」


 そう言ってエーリッヒはソリに乗せていた乳馬ウバの肉を取り出そうとした。


「ちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっと待ったぁ!?」


 大声に驚いたアプロはビクリと体を震わせる。


「ど、どうしたねーちゃん?」


「アプロさん! 貴方エーリッヒに手洗いを教えてないのですか!」


「何言ってるのさナライ。大草原だと水は貴重で――――」


「シャラップ! 衛生! 清潔! 手洗い! 殺菌! レッツゴー健康生活! 生ならなおさらです!」


「どうしようアプロ!」


「ここでずっと暮らしているお前は大丈夫だが、よく考えたらお姉ちゃんの方は腹壊すかもしれないな」


「腹壊す!? なんでさ!? 大人でしょう!?」


「分かっているのですねアプロさん! 手洗い大事ですよね!」


「待てねーちゃん。騎狼族ヴーアミは免疫ができている。この大草原の中だけならば多少のことじゃ腹は壊さん」


「……成る程」


「ナライが大人しくなった! 偉いぞアプロ!」


「でも私が食べる料理である以上徹底的に手洗いを要求します!!!!!!!!」


「仰るとおりだ」


「助けてアプロ!」


「今回はねーちゃんが正しいんだ。すまんな御主人ごすずん


「わけがわからないよ!」


「エーリッヒ! 調理方法を教えなさい! 私が根源的徹底的完膚なきまでに衛生的にそのヴーアミステーキを作って差し上げます! 貴方は黙って口を開いてあーんされてなさい!!!!!」


「子供じゃないんだよ!?」


「衛生は全てに優先します!!!!!」


「何それ!?」


「大丈夫です! 全て私に任せて貴方は其処でおとなしくしていて下さい! レッツゴーヴーアミクッキング!」


「どうしてこうなるのさー!」


 この後、ナライによる衛生講座が開講されたのだが、お腹の減っていたエーリッヒは勿論聞いていなかったという。

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