第7話 凶鳥再臨

 騎狼族ヴーアミの宴会はしばしば早朝から始まる。


 エーリッヒが帰ってきたのも丁度未明だった為、宴会は早朝から始まった。


 まずは男女に分かれて座り、旅団キャンプで一番の楽士と唄い手がそれぞれの芸を披露する。


 それが終わると次から次へと果羊と羊の塩釜焼きが運ばれ、延々と甘酸っぱい馬乳酒でそれを流し込み、腹が一杯になれば大声で歌い出す。


 寄ってくる獣が居れば男が総出でこれを血祭りに上げ、宴の為の肴とする。生のものを切り刻んで大量の香辛料と岩塩を混ぜただけの料理が一番のごちそうだ。


 なおこの狩りで大怪我をしたものが居てもゲラゲラ笑いながら傷口に酒をかけるくらいだ。


 今回は特に大物との戦いになり、怪我人も出た。ナライが応急処置をしたから良かったものの、一歩間違えれば死んでいる程の大怪我だ。


 なのにこの旅団キャンプの面々は呑気なもので、怪我をした当人さえ傷口がふさがると「ああ、いつもより治りが早いなありがとよ!」と言ってナライに蒸留した強い馬乳酒と秘蔵のレシピで作ったという干し肉を勧めた後、すぐさま自分も酒を飲んでエーリッヒの土産話に花を咲かせる。


「……という訳で俺はこのナライさんを連れてここまで帰ってきたんだ!」


 もう同じ話を二十回はしているのだがエーリッヒは特に気にすることもない。


 勿論周りの人々も気にすることはない。


 強いて言えば最初は瞳の色が違うナライを気にする人々も居たのだが、ナライがどうも役に立つ人間で仲良くするつもりが有るとわかるとすぐに打ち解けた。


 何せ西方の医学や薬学に長けた者は居ないので、仲間になってくれるなら歓迎しない理由が無い。


 怪我をしたら龍泉に浸かれ、病気をしたら龍泉を飲め。騎狼族ヴーアミの感覚とはそんなものである。


『ねえねえお姉さんの故郷ってどんなところなの?』


「お父さん助けてくれてありがとう。お茶飲んでね!」


『お兄ちゃんのお嫁さんって本当?』


「そんなに胸大きいと弓引く時に邪魔じゃないの?」


「え、ええとですね……私は弓は……」


『ちょっと薬師さん! ここの所肩が凝っててね……何か良い薬は無いかい?』


「ちょいとお待ちよおばあちゃん! ごめんなさいね最近龍泉の効きが悪いみたいで……」


「は、はぁ……ええと健康相談ですか! エーリッヒ! ちょっと助けてください! 通訳をお願いします!」


『そこで俺の矢が一閃! あの憎き怪鳥の右目を深々と貫いた!』


『良いぞ良いぞ!』


「やめときな姉ちゃん。エーリッヒの奴出来上がってやがる」


『あっ、アプロ様だ!』


『アプロ様!』


『や、やめろチビども! 尻尾を引っ張るな! おいらは尻尾が弱点なんだ!』


 ナライは諦めて急性アルコール中毒の人間が出た時にすぐさま対処できるように気を引き締めつつ、一部の言葉がわからないなりに旅団キャンプの女性とのよもやま話に花を咲かせるのであった。


 宴会が終わり、夜になるとめいめい牽引住宅ゲルへと戻り、明日の朝の宴会に備える。


 そう、宴は三日三晩続くのだ。


 しかしエーリッヒとナライは自分の牽引住宅ゲルも家畜も無い。


 当然ながらエーリッヒの家へと向かうことになる。


「あの……エーリッヒ、ユミルさんって今日の宴会にはいらしてませんよね?」


「そうだね、多分色々忙しかったんじゃないかな?」


「挨拶に行かなくてよかったのですか?」


「んあ? 気にしなくていいぞナライちゃん」


「どうしてですかアプロさん?」


「戦士が宴会に呼ばれたらそれを断ることは許されないし、夫も伴わずに一人で勝手に挨拶に来られてもユミルさんだって困る。それにユミルさんならとっくに二人の姿をその目で見ているさ」


「え?」


「気付かなかったのかい? まあ気付くわけ無いか。宴会の間、時々ナライちゃんの後ろに立ってたんだけどな」


 そう言ってアプロはケラケラ笑う。


「そんな!? 全く気づきませんでしたよ!」


「母さんは引退したと言っても腕の良い狩人だったからな。気づかない気づかない。気にしなくていいよ」


「いや、気にしますよ!?」


「良いって良いって!」


「ああちょっと待って! まだ心の準備が!」


 エーリッヒは特に気にする様子も無く自らの母が待つ携帯住宅ゲルの中へと入っていく。


 携帯住宅ゲルは大きなドームのような構造になっており、その中には騎狼の刺繍をした狩旗袍チコイデールを身に纏った凛々しい瞳の女性が一人で彼等を待ち受けていた。


 年の頃は二十代後半から三十代前半。ナライから見ると姉くらいなものだ。


 彼女がユミル。エーリッヒの母である。


「只今母さん! すぐ戻ろうと思ったんだけどみんなが中々離してくれなくてさ!」


 あまりに軽い長子(調子)の帰宅にナライは驚く。


「あらおかえりなさい。生きていてよかったわねえ。さあ其処の敷物に座りなさい。ゆっくり話を聞きたかったのよ」


 そしてあまりに軽い返事にナライは二度驚く。長年家を空けていた子供を迎える時とは思えない。


「分かったよ! そういえば弟達は何処に行ったの?」


「今日は家を空けてもらっているわ。何せ大事な話が有るからねえ」


「ええと、其処の入り口に立っているのはナライさんね。こっちに来なさい。なれないかもしれないけど、その敷物にお座りなさいな」


 ユミルはナライに手招きをして、羊の毛皮で作った敷物の上に座るように促す。


「あら? 私の西方共通語変かしらん?」


 ナライが戸惑っていると、ユミルは首をかしげる。


 勿論西方共通語におかしな所は無い。


 単に戸惑っていただけだ。


「いえ! し、失礼します!」


 ナライは緊張で身を固くしながらも、ユミルの真似をして敷物の上に座る。


 アプロはそれを見計らってこっそりとナライの後ろから離れる。


 後は自分の出る幕ではない。エーリッヒとナライの問題だと考えたのだ。


 消える直前、何気なく振り返ったエーリッヒは相棒が自分たちに背を向ける姿を見た。だが同時にアプロは振り返り、ウインクしてまた何処かに消えてしまった。


 エーリッヒはそれだけで相棒の意図を察する。彼は表情を変えることなく、母親のと向き合う。アプロはエーリッヒが自分無しでやっていけるかどうか試している。それに気づいたのだ。


「まあエーリッヒが何やら嫁を連れてきたというのは聞いていたわ。まさかここまで年上だなんて思ってなかったけどねえ……失礼だけど幾つさ?」


「確か……二十三です。記憶は曖昧ですが」


 ユミルは煙管に詰めたタバコの葉に火を点け、ゆっくりとう。


「そうかい。私の5つ下か。少しばかり歳をとりすぎているね……」


 ユミルはそういって鋭い瞳でナライを見つめる。


 ナライはそれを気にする様子も無い。薄く微笑みを浮かべたまま、彼女の次の言葉を待っている。


 幾ばくかの時が流れた。沈黙に耐えかねたエーリッヒが立ち上がる。


「母さん! 俺の決定が不服なのかよ!?」


 ユミルの鷹のような瞳がエーリッヒに突き刺さる。


「エーリッヒ、あまり調子に乗るんじゃないよ。結婚は良いわ。そろそろ相手を探せと言おうと思っていたもの。だけどナライさんとの結婚について親戚連中納得させられるのかい? 旅団キャンプとしてはナライさんみたいな人は歓迎さ。でもね、それとこれとは別問題」


「母さんだって父さんと結婚する時は揉めたって言ってたじゃん!」


 声を荒げるエーリッヒをナライは制する。


「エーリッヒ」


「なにさ!」


「ですからお母様はを聞いているのではないでしょうか?」


「え? そうなの?」


 エーリッヒは母の表情を見る。


「だって誰とどうなるかなんてあんたが決めることでしょ。下らない」


 ユミルはそう言って溜息をつく。


「でも母さん、どうやってあんたの我儘を頭の固い長老連中に納得させるかは考えておくべきだと思うわ」


「母さん!」


 現金なもので、エーリッヒはそれを聞くと今度はキラキラ目を輝かせた。


「だけど私には具体的方法が思いつかなくてねえ……はてさてどうしたものか」


 ユミルの頭のなかには勿論アイディアが有る。


 だがそこまで口出しをするのはエーリッヒやナライの為にならない。


 そんなものくらい自力でどうにかしろというのが彼女の考えだ。


「……ナライ、なんかアイディア有る?」


「そうですね……私もすぐには……」


「まあ今日はここでゆっくり休みな。明日からの宴会の中で何かきっかけが有るかもしれないしね。とりあえず寝るための敷物は向こうに敷いてあるから……」


 ユミルが二人を携帯住宅ゲルに増設された小部屋に案内しようとしたその時だった。


「た、大変だユミル姉ッ!」


 外からユミルの弟で、エーリッヒの叔父にあたるヘーニルが携帯住宅ゲルの中に飛び込んでくる。


 普段の豪快な彼からは想像もできない青ざめた表情に、エーリッヒは大きなトラブルを察する。


「ああん? どうしたってのよ愚弟」


「やばいんだ! 龍泉が! あの龍泉が! 死んだ筈のオーゼイユが蘇ったんだよ! くそっ、早すぎる!」


 ユミルは煙管を取り落とす。


 ナライも思わずエーリッヒの手を強く握る。


「ちょ、ちょっと待って下さい! 龍泉がオーゼイユになるとは……あれって西方では龍骸のようなものじゃないのですか? それがあんな怪鳥になるなんて……」


「私達草原の民にも詳しいことはわかりゃしないわよ。ただ奴らは龍泉から何度でも甦る。その度に勇者が現れ、奴を討つ。するとまた新しい龍泉が現れるのよ」


「言い伝えか何かではなく、本当に?」


「ナライ。此処はザルの大草原。西方で忘れられた伝説の息づく場所だ。これが俺たちの現実だよ」


「じゃあ此処ではあんな化物に何時迄も脅かされるってことですか?」


 携帯住宅ゲルの外も悲鳴や断末魔で騒がしい。


「……いいや、それは違う」


 だがそんな状況の中、エーリッヒは笑っていた。ただ一人、とてつもなく獰猛に笑っていた。


「母さん。俺、行くよ。せっかく父さんが用意してくれた装備がまだ残っているんだもの。次の勇者に父さんほど研究の時間が有るとも、俺ほど訓練の時間が有るとも限らないもの」


「やめときなさい。二度も幸運は続かないわ。貴方はせっかくやり遂げたのよ。二度も無茶をしないで次の勇者を待てば良い」


「アプロだってまだ居る。アプロがまだ居るなら俺の使命は終わってないってことだ」


「お黙り……今ならまだ大人達で足止めして家畜や子供達を逃せば間に合うわ。二度も息子を死地に送るのは絶対にごめんよ。ヘーニル!」


「応ッ! 龍血を飲める奴らはかき集めているぞ!」


「駄目だよ二人共! 俺が行く!」


「なあエーリッヒよ。お前が無茶する必要なんてもう無いんだぞ?」


「だとしても俺だけ逃げる訳にはいかないよ。俺じゃなくて旅団キャンプの皆をできるだけ多く逃がしてあげて。行こうナライ」


 エーリッヒはナライの手を引いて外に向けて歩き出す。


「ちょっとエーリッヒ!?」


 ユミルの呼ぶ声に彼は振り返り、ニカリと笑う。


「それに俺だけじゃなくてナライと一緒に二人であいつを倒したら、誰も文句は言わないだろう?」


「そうかもしれないが……エーリッヒ、馬鹿なことはやめな!」


「ごめん母さん!」


「あ、ちょっとエーリッヒ! 申し訳ありませんお義母様失礼します!」


 そのままナライの手を引いてエーリッヒは走りだす。


 携帯住宅ゲルを出ると丁度すぐそこまで弓と矢筒を咥えたアプロが走ってきていた。


 アプロとエーリッヒ、一人と一匹は目が合うと同時にニヤリと笑った。

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