後編

「君達、よく踊りに来てるよね? すげぇ上手いなって言ってたんだよ。なぁユズル?」


 僕達が中学一年の時だ。山下美晴とその友達の佐々木仁美にタカヒロは話しかけた。彼女達のことは、祭りや町で目にしていたが、情けない僕は話しかけられなかった。それなのにタカヒロはいとも簡単に言葉をかけたのだ。多分、僕が同じことを言っても上手く会話にはならなかっただろう。


「私たち、ひまわり会っていう踊りの会に入ってるの」


 佐々木仁美が日に焼けた顔で微笑んだ。


「へー、だから上手いんだね! 同い年くらいでそんなにうまく踊る子なんて初めて見たよ」


 タカヒロは相手に警戒心を持たせない話し方をする。相手の懐にフッと入り込むのがうまいのだ。下心がないからだろうか。自分をよく見せようといった欲がないからだろうか。誰とでもまるで昔からの友達のように話せるのだ。彼女達とも立ち話5分で仲良くなった。


 自分達が太鼓を打っているのだと言うと、彼女達は知ってるよ、格好いいよねと口を揃えて言ってくれた。 まぁ、その時も半纏を着ていたのだから大方察しはつくのだが、一目惚れの相手にそんなことを言われて僕は飛び上がるほどに嬉しかった。


 それから何度か祭りで会う度に僕たちは仲良くなった。話してみて、僕は美晴のことがもっと好きになっていった。やっぱり何度見ても綺麗だし、話もニコニコ聞いてくれるし、品はあるし、声も可愛いし。

 僕は海の底より深く深く、恋に落ちた。


 だけど、障害もあった。携帯電話を持っていなかったから連絡先を知ることができなかったのだ。夏の何回かの祭りでだけで会い、話をする。それだけのこそばゆい関係だった。

 しかし、今年ついに僕は携帯電話を買ってもらったのだ。買って貰うために中間試験も頑張ったし志望校のレベルも一つあげた。色々条件をつけられたが、それでもよかった。山下美晴のアドレスを聞くことだけのために僕は頑張ったといって過言はない。


 さりげなく聞くんだ。 タカヒロみたいにやればいいんだ。

 携帯電話を買ってもらってから、山下美晴にアドレスを聞く場面を何百回もシミュレーションした。色々と聞き方を考え、ドラマチックな展開などを妄想したりもしたけど、やっぱり普通に聞くのが一番だろう、と結論にたどり着いた。

 

(そういえばさ、俺、携帯電話をやっと買ってもらえたんだよ。よかったらアドレス教えてよ!)


 これでいい。 うん、さりげなく聞くんだから大丈夫だろう。そんなわけで今日の祭りは気合いが入っていた。

 だけど、もう祭りも終盤になってきてるのに美晴は見当たらない。もしかして来ないのだろうか。不安に心がざわめく。


 涼しい風が神社を通り抜け、提灯を揺らした。焼きそばの匂い、太鼓の響き、風が運べるものってのは案外多いみたいだった。祭りをぐるっと一周して、櫓の下に戻ってきた所に私服姿の佐々木仁美がいた。


 女の子らしい華奢な体つきにTシャツジーパンのラフな格好。

 毎年浴衣で来ていたから、てっきり今年も浴衣を着ていると思っていた。 彼女の真剣な眼差しは櫓の上に注がれていた。少し怖いくらいの表情で、僕は声をかけるのを躊躇ったが、タカヒロは簡単に声をかけた。


「仁美! 久しぶりぃ!」


 佐々木仁美はこちらに気づくと表情を緩めた。


「なぁんだ、三人ともいたんだ。櫓の上にいないから今日はいないのかと思ったよ」


「さっきまで打ってたんだよ。今は休憩中!」


「お前達の方こそいないかと思ってたよ」


 僕もタカヒロにつづく。


「へへ、今来た所なんだぁ。それにしてもみんな元気そうでよかった」


 僕らを見た佐々木仁美は気づいたらしい。


「あれ、坂田っちは半纏着てないの?」


 坂田を見て首を傾げている。 坂田は苦い顔をして俯いた。


「そうだよ! こいつったら今年の春に太鼓辞めたんだよ!」


 タカヒロが坂田に抱きつき気まずいムードを打ち消した。坂田も「やめろよー」とか言いながらわざとらしく、ジタバタと騒ぐ。その様子を見つめたまま佐々木仁美は少し考え、悲しそうな顔をした。


「辞めちゃったんだ…」


 一瞬の静寂の後、うがーっという叫び声と共にタカヒロをかなぐり捨ててから坂田は答えた。


「いや、受験生だからね。別に辞めたくて辞めたわけじゃないし……」


 ぽつりと本音が出た。 それはそうに決まっている。受験も大事だけど、今しかできない事がある。 勉強して、無理して頭のいい高校に行って、高校でも勉強ばっかして、それで何が生まれるのだろう。


「もったいないなぁ。若いうちはやっぱりやりたいことやった方が絶対いいよ。今を犠牲にする人に未来はないって。明日の朝目が覚めるなんて保証はないんだからさ」

 

 珍しく辛辣なことを言う仁美。せっかくの盆踊りなのに浴衣も着ていないし、何か様子がおかしい。瞳も少し充血している。


「その言い分もわかるよ。だけどさ、今の時期で殆ど一生が決まるんだぜ。20歳まで遊んで、残り60年を無様に生きるより、今頑張って勉強して、大人になってから充実した生活を送る方が利口だと思うぜぃ」


 言い返す坂田。本当にそう思っているのだろうか。そう親に丸め込まれて太鼓を辞めたんじゃないのかな。でも、それでも坂田の言葉はある意味では真実のような気がする。僕がその言葉に多少の後ろめたさを感じたのも事実だから。


 冷たい風が僕らの間を吹き抜けた。


「まあまあ、色々考えはあるけど、考えてるだけ素晴らしいよ。俺ってば、なぁんも考えてねぇもんな。今日の晩飯の事だけだよ、楽しみは」


 空気をほぐすようにおどけて会話に加わるタカヒロ。 坂田はふっと頬を緩めた。


「そういやお前最近太ったんじゃねぇか?食い過ぎなんだよ!」


「あ、てめえ!筋肉だよ筋肉。部活で忙しいんだよ。それにお前と違って身長に栄養がいってるからな!」


「あ、この野郎、身長のこと言いやがったなー」


 そう言い放ち坂田はタカヒロに飛びついた。二人して笑いながらじゃれあっている。


「そういえばさ、美晴は今日いないの?」


 ヘッドロックを決めるタカヒロを横目に仁美に聞く。


「え? あぁ、うん。今日はチョットね……」


「そうなんだ……。まあ夏期講習とか、忙しい時期だしね。仕方ないか」


 言葉ではそう言ったが、頭の中では、なんでだよ、の一言が延々と巡っていた。おかげで仁美がチラチラとこちらの表情を伺っていたことになかなか気づかなかった。やっとその視線に気がつき、仁美の方を向くと、なぜか不安げな顔でこちらを見ていた。


「ん?なに?」


 仁美は僕の問いに対して黙ったまま口を開かない。固く結んだ唇が震えた様に見えた。何事かと僕も表情を強ばらせる。


 仁美は伏し目がちにサンダルで地面の砂をいじっている。

 向こうではヘッドロックされている坂田が必死にタカヒロの腰を叩いてギブアップを宣言している。が、タカヒロは高らかに笑っているだけで一向に技を解こうとはしない。そちらも気になったが、目の前の俯きがちな少女の方が気になった。

 仁美はようやく意を決した様に口を開いた。


「今日はもう太鼓やらないの?」


「へ?」


 ずいぶん間抜けな声を出してしまった。


「なんだよ、マジな顔してそんなことかよ。ほら、櫓の上。先輩達がいるでしょ。多分俺達の出番はもうないよ」


「じゃあ、もうやらないの?」


 もう一度同じ質問。


「多分ね。先輩達って気まぐれだからさ。一応待機はしておくんだけど」


「そっか……」


 仁美は俯いてしまった。


「なに? どういうこと?」


 僕の問いにも俯いたまま答えない。気まずい空気のまま時間が過ぎる。

 どうしたらいいかわからず、なんと話しかければいいかわからなかった。


「あ、そういえば俺さ。携帯電話買ったんだよね。良かったらアドレス教えてよ」


 苦し紛れに携帯を取り出してみたが答えがない。何か考え事をしているのか、塞ぎこんでいるのか、僕がなんとか絞り出した言葉に仁美は何の反応も見せなかった。


「実はね」


 重々しい空気を更に悪化させるように、深刻な素振りで仁美が言葉を発した。表情は暗く、重い扉でも開くようにゆっくりと口は開いたのだ。何か嫌な言葉が発せられるのだろうと全身で感じた。


「実はね、先週、美晴が交通事故にあって……。まだ意識が戻らないんだ……」


 ゆったりと、しかしはっきりとした口調で告げられる言葉。

 嘘でも冗談でもないことはこの場の空気が物語っていた。言葉を返す事が出来ない。はしゃいでいたタカヒロと坂田も仁美の突然の告白に動きを止める。


「なにそれ、嘘だろ……」


 信じたくないという気持ちが僕に引きつった笑みを浮かばせた。仁美は続けて口を開く。


「本当だよ。すぐそこの坂本病院」


 坂本病院はこの神社からもすぐ近くの病院だ。昔、爺ちゃんが入院した時に何回か行ったことがある。

 寝たきりで鼻にチューブをつけた爺ちゃんの面影が美晴へと変わっていく。


「もし、意識が戻っても後遺症が残っちゃうかもって……」


 小さく、か弱い少女がそこにいた。口を開くごとに、言葉はつっかえつっかえになり、鼻をすする音が混じる。


「みんなの太鼓で踊りたいって、美晴ずっと言ってたのに……。新しい浴衣だって一緒に買いに行ったのに……」


 ついには大粒の涙が仁美の頬を伝った。祭りは変わらず続いている。音頭が流れ太鼓が響き、人々の楽しげな雰囲気が辺りに充満している。

 それなのに、この四人だけがシンと静まっていた。僕が知らない間に美晴がそんなことになっていたなんて。アドレスを聞こうなんて、そんな浮かれたことを考えていた自分が虚しくなる。


「今日、みんなの太鼓が風に乗って病院まで届いたら、美晴が目覚めるんじゃないかって、私勝手に思って。それで急いで来たんだけど……」


 涙をぬぐいながら仁美は続ける。


「でも、そんなことないよね。ごめん、私もちょっと動揺しすぎてわけ変わんないこと言ってるよね」


 諦めたように、自分を納得させるように泣き笑いをする仁美。

 突如、坂田が駆け出した。


「先輩に頼んで太鼓代わってもらおう!」


「そんな、でも!」


 引き留めようとする僕を遮るようにアナウンスが入った。


「えー、皆様今宵もお集まりくださいまして、まことにありがとうございました。これで最後の曲となります」


 商店街の会長がニコニコしながら挨拶を始めた。


「太鼓の音、病院まで届かせるんだ!」


 坂田はそう叫ぶと櫓のはしごに手をかけた。


「ユズル、ほら急げ! あと一曲しかねえんだぞ」

 

 どうしたらいいかわからずオドオドする僕に坂田が渇を入れる。


「わ、わかった!」


 坂田に続き、僕も駈け出す。背中ではタカヒロが仁美を慰めている。心臓がバクバクとうるさく鳴っている。はしごを大急ぎで登る。曲のイントロはもう始まっている。先輩の太鼓もすぐに始まってしまう。


「最後の一曲、打たせてください!」


 櫓の上にたどり着くと、坂田が田中先輩に頭を下げていた。だが、曲はすでに始まっている。先輩たちも最後も曲ということで気合いを入れてるはずだ。

 それなのに半年前に辞めた後輩が祭りの大トリをかっさらおうと殴り込みに来たのだ。怒らない方がおかしい。


「ふざけんな! この日の為にどれだけ練習したと思ってんだ! 辞めた奴がしゃしゃり出てくるんじゃねえ!」


 先輩に怒鳴られ、坂田は唇を噛む。


「でも……」


「でもじゃねえ!!」


 先輩の逆鱗に触れ、坂田も何も言い返せない。勢いよく櫓に上がった僕もその様子を見たら、太鼓を打つことなどできない、と嫌でもわかる。

 曲が流れていく。

 僕は拳を握り歯を食いしばった。黙って先輩の太鼓を見つめる。うまい。僕らよりはるかにうまい。


 曲は終盤に差し掛かる。先輩の太鼓を打つ姿は力強く、凛々しい。僕たちよりも大きな音が出ているのは明白だ。

 なら、病院にも届いているはずだ。病院にいたら誰が太鼓を打っているかなんてわからない。

 だったら、大きな音を出せる先輩が打つ方がいいのかもしれない。


 大歓声の中、曲が終わった。

 終わってしまった。


 唇を噛んで病院の方向を睨む。神社の大きなケヤキに遮られ病院は見えない。あの向こうで美春は今も眠っているのだろうか。


 太鼓を打ち終わった田中先輩がちらりとこちらを見た。

 また怒られるのか、身構える。が、田中先輩は汗をぬぐいながら微笑んだ。そして、櫓の下でマイクを持つ商店街会長に声をかける。


「会長!もう一曲! 時間あるんじゃないですか!?」


 その先輩の声に櫓の下からも終わりを惜しむ客の歓声が上がった。

 タカヒロも鉢を鳴らし何か叫び始めた。


「アンコール!アンコール!」


 タカヒロに合わせ、歓声が大きくなっていく。坂田と顔を見合わせる。

 時計を確認。20時50分。神社の正面の通りの交通規制は21時で解除される。

 無理だろう、と僕は思った。


 困った顔をする会長。

 声は大きくなっていく。

 頭を掻いて迷っていた会長がマイクを握った。


「えー、皆さんのお気持ちはわかりますが、最近は周辺住宅からの苦情などもあります。年の一度きりの祭りなのですが、盆踊りの音がうるさいとお叱りを受けたりもしております」


 やっぱりダメか。僕は俯いた。隣の坂田も悔しそうに病院の方を見つめていた。


「これも時代の流れなのかもしれません。大型スーパーマーケットやコンビニの台頭で商店街がどんどん廃れて、地域のお祭りも盆踊り大会も少なくなっているのも悲しい現状です」


 神妙な面持ちで語る会長に、あたりは静かになる。


「地域の神様をお祀りするなんて若い人にしてみれば時代遅れなのかもしれません。でも、ここでずっと暮らしてきた我々にとってはこんな小さな祭りでも大事な行事です。こんな時代に、いや、こんな時代だからこそ様々な人が集まり、みんなで輪になって踊る盆踊りが私は好きでたまりません! わかりました。時間は押してしまうかもしれませんが、こうなりゃヤケです! 熱い声援にお答えしまして、もう一曲だけ流しましょう!」


 会長の口調が段々と熱くなった。最終的には拳を突き上げてさえいる。


「よっ! 会長!日本一!」


 タカヒロが煽ると割れるような歓声が広がった。会長はまんざらでもない顔をした。櫓の上では先輩が日に焼けた顔を綻ばせて白い歯を見せていた。


「坂田、さっきは悪かったな。最後、代わってやるよ。その代わり受験が終わったら戻ってこいよ」


 さっき坂田を怒鳴った先輩が親指を立てる。


「あ、ありがとうございます!」


 坂田が勢い頭を下げる。僕も習って頭を下げる。


「タカヒロ!お前も上がってこい!中三の三馬鹿トリオで打て!」


 下界のタカヒロに声をかけ、先輩達は櫓を降りて行った。先輩と交代でタカヒロが急いでハシゴを登る。


「では、最後の曲は、東京音頭でいきましょうか! 難しい踊りじゃありませんので、どうぞ皆さんも踊りの輪に加わってください!」


「タカヒロ、坂田、ありがとう」


「何言ってんだよ。お前のためじゃねーよ。美晴のためだろ」


「そうだったな」


「病院に届かせるぞ、思いっきりだ」


 タカヒロの言葉にうなづく。


「順番に打つなら、俺最初でいいか。久しぶりだからミスりそうだし、ちょっとでいいからさ。それに俺はあんまり音でかくないから。最後は盛り上がって終わった方がいいだろ」


 照れたように笑った坂田に一番を譲る。


 曲が始まる。東京音頭は5番まであり意外と長い曲だ。スタンダードな曲だから久しぶりの坂田でも打てるはずだ。

 坂田は小さい体全ての筋肉を生かし太鼓を打つ。

 やはり久しぶりだからか、テンポが少しだけ走っていたが、素人目には気にならないだろう。私服姿で太鼓を打つので少し悪目立ちするが、坂田はそんなことお構いなしに打った。


「次、俺行くわ。ユズルがトリ頼む」


 そう言い残してタカヒロが立ち上がる。

 一番が終わり間奏に入った。坂田がバチを打ち下ろした勢いで脇にはける。

 空いた右側からタカヒロが太鼓の正面に入り込み、力強く打ち込んだ。


 同じ太鼓を打っていたとしても打ち手によって音色が変わる。坂田は力よりも技巧派だったからタカヒロに変わった瞬間にグッと音が重くなった。


「ひゃー。久しぶりで疲れたわ」


 打ち終えた坂田が汗だくの笑顔で隣に座る。


「でも、楽しかったっしょ?」


「めちゃくちゃ楽しかった」


 清々しい顔で坂田は笑った。受験が終わったら坂田は戻ってくるだろうか。もしかしたら戻ってこないかもしれない。先輩たちも高校生になり部活に入ったりすると出席率が悪くなり、来なくなる人も多いから。

 きっと僕は続けるだろうけれど、タカヒロだってバスケを続けるだろうし、なかなか練習にも来れなくなるかもしれない。

 こうやって三人で太鼓を打つということがあと何回あるかはわからない。もしかしたら何十年後も一緒にやってるかもしれないし、今日が最後かもしれない。

 それに……とケヤキの向こう側を見る。

 美晴の意識が戻らない、なんてことがあったら。

 と考えかけて頭をふる。そんなこと考えるな。ただ、病院に届くように太鼓を打つだけだ。僕たちにできることなんてそんなちっぽけなことしかない。

 でも、やるんだ!

 櫓の下で仁美も祈るように僕らを見つめている。


「ユズル、交代だ!」


 タカヒロが叫ぶ。


「よっしゃ」


 屈伸をして立ち上がる。掌には今日できた豆。親指でなぞるとジクリと痛む。でも、関係ない。潰れたって構わない。今日一番の音を響かせるんだ。


 タカヒロと目配せする。バチを握る。櫓はタカヒロの太鼓に合わせて揺れている。

 交代だ。タカヒロとタイミングを合わせ、途切れないように入れ替わる。


 一打目。太鼓の皮の中心にバチを打ち込む。突き抜けるような快音。


「やれ!ユズル!」


 坂田が叫ぶ。

 やってやるよ!病院まで!


 響け! 東京音頭!  



    ◯   ◯   ◯



--10年後。


 櫓の上は心地よい風が吹いていた。人ごみがごった返し暑苦しそうな下界とは天地の差だ。


「気持ちいい風だな」


 タカヒロが目を閉じて言った。


「ビールが旨い!」


 差し入れのビール三本目を開けた坂田は既にろれつの回らない口調だ。


「程々にしとかないとリズム狂うぞ」


 僕の忠告をひらひらと手を振るだけで答えず、ごくごくと旨そうにビールを流し込む坂田。坂田が抱えるように溜め込んでいるビールを僕も一本奪う。


「お、あいつら来てるぞ」


 タカヒロが誰かを見つけて手を振った。

 僕も下界を覗き込む。

 美晴と仁美だ。すっかり大人になった二人の浴衣姿はやっぱり綺麗だった。


「なんだ、二人とも今日は旦那は連れてねえんだな」


 僕たちの視線に気づいた二人が笑顔で手を振る。


「ちくしょー。綺麗になりやがって」


 坂田が恨みがましく唸る。


「あ、旦那もいたぞ」


 タカヒロが二人の後ろから綿アメと幼い子供を連れた浴衣姿の男を見つける。


「なんだよ、幸せそうにしやがって。酒がまずくなるわ」


 けっと吐き捨てる坂田だが、なんだかんだで楽しそうだ。


「結局、誰もあいつらのハートを射止めることはできなかったなぁ」


 タカヒロが笑いかける。


「友達としてしか見れないって悲しい話だよなー」


 美晴にフラれた時のことを思い出す。ま、今となってはいい思い出だ。


 美晴は十年前のあの夜、奇跡的に意識を取り戻した。懸念されていた後遺症も必死のリハビリで外目にはわからないほどに回復した。


「で、結局。俺らは彼女もいないで取り残されちまって、今年も太鼓だぜ」


 やけ酒のような勢いでビールを流し込む坂田。


「ちょっと待てよ坂田。お前は年齢イコール彼女いない歴だけど、俺は違うからな。たまたま他先週フラれただけだ」


「タカヒロは浮気ばっかするからだよ」


「うるせー、うるせー! バレねえと思ったんだよ。ああもういい、さっさと曲流せよ、あのクソ会長め」


 商店街の会長は未だ健在だ。今日もスイカの抽選をやっている。みんな大人になったんだな。と櫓の上で酒を飲むと思う。


 あの日、美晴が意識を取り戻した日、美晴は確かに僕らの太鼓の音が聞こえたという。それが本当なのか気のせいか、気をつかって言っただけなのかはわからない。

 でも、もし本当だったら嬉しい。


「では、そろそろ盆踊りを再開いたしましょう!」


 上機嫌の会長がマイクを握る。


「よっしゃ、俺先に行くわ」


 タカヒロが立ち上げる。


「では、ミュージックの方をスタートさせていただきましょうか! やはりこの曲から行きましょう! 東京音頭からスタートです!」


 会長の合図で曲が流れ始める。櫓の下の輪を眺める。

 美晴も仁美も子供の手を引いて楽しそうに踊っている。その後ろで彼女たちの旦那も、恥ずかしそうに下手くそに踊っている。


 僕たちは太鼓打ちだ。祭りの一番高い位置から太鼓を打ち鳴らす。皆が楽しいと思えるように、祭りを盛り上げるんだ。


 色とりどりの浴衣が舞う地上を見下ろし、むさ苦しい男たちの夏はまだまだ始まったばかりだ。

 



 終。


  


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空まで届け!東京音頭!! ボンゴレ☆ビガンゴ @bigango

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