第4話妹の想い

「え?」

ユリは思わず聞き返した。

「…………あの家族にマジックアイテムを売らせようとしている。違う?」

「そのとおりだけど……」

シズがなぜ絶対に駄目とまで言うのかユリにはわからなかった。

「…………その約束をしたらアイテムが全て売れるまであの家族と付き合うことになる。それが半年になるか1年になるかわからない」

「確かにそうよ。でも……」

自分たちは今すぐ資金を必要としているわけではないと彼女は言おうとした。

その前にシズが続ける。

「…………皇帝が元貴族達の散財を促してると言ったのを姉様は覚えてる?あの家族が大量のマジックアイテムなんて売り始めたら間違いなく皇帝の関係者が調査する。もしも姉様が関わってる事と姉様の性格に皇帝が気づいたらこの事を最大限に利用するはず。違う?」

「それは………」

ユリは反論できなかった。今は一応変装しているが、顔は嫌というほど目立つ。彼らを強く口止めしてもいずれ手練手管を弄する役人に話してしまうだろう。あの借金取りの男も間違いなく喋る。自分達はマジックアイテムの回収や売却自体に法的問題はないと思っているが、あの皇帝なら何らかの理屈をこねて問題にするか、それはなくてもユリ・アルファの性格を見抜き、あの家族を使って情を揺さぶるはずだ。

世の中には情に縛られる者と情を利用する者の2種類がいる。自分は前者。皇帝は後者だ。あの皇帝は可能な限り情報を搾り取りつつ、様々な貸しを無理やり押し付けてくるだろう。メイドといえどナザリックで低からぬ地位にある者が借りを作ったとなれば後々の交渉で響いてくる。

「……そのとおりだわ」

自分の進言でシズが言うような結果を迎えれば申し訳が立たない。いや、そもそも至高の御方はその危険を予想しているからマジックアイテムを即売却する判断をしたのではないか。きっとそうに違いない。

ユリは自らの浅慮が情けなくなった。

「…………それとは別に、姉様はここの家族を根本的に誤解している」

「誤解……?」

ユリは意味を理解しようとした。

「…………姉様、あの使用人の話を思い出して。屋敷の財産を差し押さえられたと言ってたでしょう?屋敷自体は差し押さえられてない。あの父親は屋敷を売れるのにあえて売らないんだと思う」

「そんな馬鹿な……」

ユリは唖然とした。

「あの男に聞けばわかる」

二人は借金取りの所まで行った。

「……え?ああ、そうだぜ」

彼はあっさりと言った。

「この屋敷を手放して安い所を借りれば娘どころか財産の一部も残せる。最初、俺はそうするだろうと思ったが、あいつは屋敷じゃなく娘を持っていけと言ったんだ」

ユリは呆れて何も言えなかった。この家族は何もかも失って破滅しかかっていると思い込んでいたが、実際は借金以上の財産を持っていたのだ。自分たちが立っているこの屋敷という財産を。

「あの父親は死んでも自分の屋敷は手放さないと言ったよ。実際はもう失ってるんだけどな。ここは別邸で、没収された領地に自分の屋敷があるんだから」

貴族とは本来そうである。領地にある本邸に住み、領民を保護監督するのが彼らの責務であり、帝都にある別邸は議会や催しで一時的に宿泊する施設に過ぎない。領地と領民を失っている時点でそれは貴族ではない。あの父親は別邸に閉じこもることで辛うじて自分はまだ貴族であるという幻想を見ているのだ。

なんと幼稚で愚かなのだろうとユリは思った。

「…………今ここで借金が消えてもあの父親はまた借金をする。あの子供の行き先は変わらない。それとも姉様もペットを飼うつもり?」

シズのその言葉に彼女は背筋がぞわりとした。

セバスの失態のことだ。あの少女を救うには誰かが引き取るしかないだろう。自分がそうするのか?セバスのように?できるはずがない。

「…………姉様、私はそんなことを報告したくない」

シズのすがるような、責めるような目を見て彼女は心から後悔した。妹はずっと不安の視線を送っていた。ユリがこの家族にこれ以上執着するようならシズもナザリックに忠誠を誓うものとしてソリュシャンのように密告せざるを得なくなる。自分が感傷から赤の他人を気遣っている間に妹は苦しんでいた。

「いいえ、その必要はないわ。ごめんなさい」

ユリは謝り、妹の頭をなでた。

「もうここに用はないわ。行きましょう」



玄関から外へ出るとユリは少女の手を握る母親の元へ行った。このままあの家族を無視して去ることも出来たが、それはしたくなかった。彼らは変な期待を持っているだろう。何らかの奇跡が起きて娘は連れて行かれないのではないかと。それは自分のせいなのだから自分で否定すべきだ。ただ、あの父親と話す気にはなれなかった。

「お屋敷を拝見させて頂きました。どの美術品も素晴らしいものだと思います」

ユリは屋敷を褒める。大嘘だが、真実よりはずっと救いがある。

「ですが、私たちの主人が求める品とは趣が異なるようです。私は単なる興味本位で屋敷を見て回りましたが、それが皆様に奇妙な期待を抱かせたのでしたら申し訳ありません」

ユリは深く頭を下げた。

「私たちはもう行かねばなりません」

「わざわざありがとうございました」

使用人だけが礼を言った。

ユリは少女の目を見た。

お姉ちゃんは私たちを助けてくれないの?

そんなことを言いたげな瞳を彼女はまっすぐ見た。

ええ、そうよ、と心の中で言う。

ユリとシズは屋敷の外へと向かった。

その時、屋敷の門から入ってくる男がいた。革のズボンにチョッキ。そこらを歩く市民にしか見えない。しかし、このタイミングでふらりと現れた男はまるで窮地に妖精が出現したような神秘性があった。

「すみませんがワーカーをされていたベイルさんのお屋敷はこちらですか?」

おそらくあの魔術師の名前だろうとユリは思った。

「そうだが、あんたは?」

なぜか家族の代わりに借金取りが答えた。

「鼠の尻尾亭という宿の経営者です。ベイルさんを含め、彼のチームが全員行方不明になったのはご存知ですね?」

「ああ、それは知ってるが……?」

「規定の期日が過ぎましたので、私たちは彼らが死亡したとみなします。そこで、宿にお預かりしている彼らの資金についてなのですが……」

「そんなものがあったのか?」

借金取りが驚いた。

「はい、チームとしての共同資金を預かっておりました。彼らはもしも全員が死亡した際は資金を等分してそれぞれの遺族に渡すことに決めていました」

「そ、そりゃあいくらだ?」

「いくらなのだ?」

借金取りと父親は同時に聞いた。

「チーム資金は金貨250枚。よってベイル様のご遺族にはそのうち50枚をお渡しすることになります」

「あの子が……」

母親は地面に膝をつき、泣き出した。借金の不足分とまったく同じという偶然を妹想いの兄から届いた最後の介助と捉えたのだろう。彼女は嗚咽混じりに息子の名を呼んだ。

「つきましてはベイル様の死亡届を出していただけますか?そうすれば手続きを開始できますので……」

「だめ!」

一人の少女が小さく叫んだ。

「お兄さまは死んでなんかいない!」

その少女を見て、誰もが顔を背けたくなった。そんな表情をしていたからだ。

「お兄さまは帰ってくるわ!私、神殿でちゃんとお願いしたんだから!」

彼女は幼い声で必死に訴えた。

誰も何も言えなかった。

「そうだ……」

弱弱しい声がどこかから漏れた。

「あいつは……帰ってくる……死んでなどおらん……」

父親だった。

息子の死を否定するのは自分が破滅したことへの拒絶か。それとも自分の放蕩が息子を殺したことからの逃避か。あるいは両方か。

「あの子は聡明だ……必ず仕事を終えて帰ってくるはずだ……」

父親に言葉をかける者はいない。

いや、一人いた。

「帰ってきません」

ユリの声だった。

「その人は仲間と一緒に死にました。もう帰ってきません」

彼女ははっきりと言った。そんな妄言を許すわけにはいかなかった。ナザリック地下大墳墓は許可なく入ってきた無礼者を許可なく出したことはない。これまでも。これからも。

「違うわ!お兄さまは帰ってくる!」

少女はぼろぼろと涙をこぼし、敵意の目でユリを見た。

彼女は静かにその目を見返した。

「何もそこまで言わなくても……」

そう言ったのはあの借金取りのジョマだ。

「事実ですから。その人はお金のために汚い仕事をして死んだのです」

ユリは元凶となった父親を冷たい目で見た。

「では、さようなら」

ユリは優雅に歩き、屋敷を後にする。続けてシズも。

善意は打ち止めだった。

これ以上は関わらない。

これ以上関われば妹と大事な仕事を裏切ってしまうから。

「…………ユリ姉」

屋敷を出てしばらく歩き、少女の泣き声が聞こえなくなってからシズが口を開いた。

「なにかしら、シズ?」

「…………ううん、なんでもない」

「そう」

ユリは思う。あの家族は50金貨を相続することでしばらくは救われるだろうが、未来は確定している。またあの父親は借金を頼み、あの男も金を貸すだろう。

だが、ユリの知ったことではない。あの子を引き取ってどこかで暮らさない限り、彼女は救われない。ユリにそんな慈善事業をする気はなかった。帝国にも王国にも孤児は無数におり、悲劇は無数にある。今回の件で誰が悪いのかと聞かれれば愚かな父親は当然として長男も悪かったとユリは答える。他人の住まいに上がりこんで金銭を奪うなど言語道断だ。ましてや至高の御方のお住まいに。それがどれほど罪深いことか教える者がいなかった。

(子供の頃から教えていれば……)

ユリは少し考えた。魔導国が他の国を支配するのは時間の問題であり、その中で子供や孤児はどう扱われるのだろう。子供たちを教育する機関を設けてはどうか。優秀な子ならナザリック強化に繋がるだろうし、優秀でない子でも知識と技術を与えてやればやはりナザリックの強化へ結びつくのではないか。神殿で思いついた怪我人や病人の治療よりずっと良い案だと思う。もちろん自分が内政に関われるとは思わない。しかし、もしも……もしも自由に意見を述べよとあの御方に命じられたら、今考えたことを言ってみようか。

ユリの耳に再び悲鳴のような声が届いた。今日はやたら縁があるらしい。道の反対側で顔の良く似た二人の少女が馬車に乗せられるところだった。

「クーデリカ!ウレイリカ!」

母親が屈強な男たちに阻まれながら娘たちの名前を叫んでいる。

「行きましょう、シズ」

「…………うん」

ユリとシズはそこを素通りする。

悲劇などそこらじゅうにあるのだから。



庭師はいつもどおり芝生と草木に異常がないかを確認する。剪定は昨日終えたばかりだが、植物とは成長が遅いのに枯れ萎れはあっという間だ。美しい庭だからこそ草木の色が少しでも変われば目立つ。不調があればドルイドを呼んで治癒してもらわなければならない。1週間ほど前に盲目のドルイドに治してもらった樫の木の状態を見ている時、彼は外から声をかけられた。

「そちらの御方、少しお聞きしたいことがあります。よろしいでしょうか?」

彼が振り向くとこの世のどんな花でも例えられない美貌がそこにあり、しばらく声を出せなかった。夢からやっとの思いで抜け出し、返事をする。

「は、はい。なんでしょうか?」

そのとき、彼はようやく美貌の主が上等なメイド服を着ていることに気づいた。首には大粒の宝石をあしらった装飾品が輝いている。

「あちらのお屋敷は誰もお住まいになってないようですが」

女性はそういって示した先には剪定どころかいかなる管理もされていない荒れた屋敷があった。庭は雑草が生い茂り、この庭師からすれば屋敷や庭と呼ばれる資格もない。

「以前にお住まいになっていたご家族はどうされたのでしょう?」

「ああ、あのお屋敷ですか……」

庭師は記憶をさかのぼる。かつてある貴族が所有していたものだ。数年前まではそこの長男が使用人と住みながら魔法学院に通っていた。父親が貴族位を剥奪されてからは家族全員でそこにしばらく住んでいたが半年ほど前から明かりもつかなくなり、完全に放棄されたとみなされている。庭師の仕える貴族一家はそこが貴族でなくなった瞬間に付き合いも興味もなくなった。貴族とはのし上がるか廃れるかの2つしか道はない。利用価値のなくなった敗者を気にかけたりしない。

「半年ほど前から誰も住んでおりません。ご家族がどこへ行かれたかはわかりかねます」

「左様ですか……」

美貌の主は丁重に礼を言うと歩き去ってゆく。途中、彼女はその屋敷の前にさしかかると足を止め、荒廃した庭を見た。庭師は理由もわからずその光景に胸を締めつけられた。

涼風が吹く。

風に乗って幼い少女の笑い声が聞こえた気がした。きっと帝国雀の鳴き声だろうと彼は思う。

彼の思ったとおり、一羽の小さな帝国雀が荒れた庭で鳴いており、そこへもう1羽がやってきた。2羽は楽しそうに戯れ、やがて大空へ飛び去った。

メイドは再び歩き出す。

庭師は影すら美しいその後姿を眺めていたかったが、自分を叱り、仕事を再開した。彼には彼の仕事があり、手を抜いてよい理由など一つもなかったからだ。

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ユリとシズの帝都姉妹旅情 M.M.M @MHK

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