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「――百合子先輩……!」


 あれから数時間。夜も更け、コンビニ周辺を包む闇が一層深くなった頃。


 自転車で堂々と車道の真ん中を走ってきたポニーテールの小柄な少女は、うずくまる百合子を見つけ、コンビニの隅に乗っていたそれを投げ捨てるようにして駆け寄ってきた。


「悪いな垂瓦、こんな時間に」


 少し前、最終手段だとスマホを取り出し呼んだ相手はどうやら彼女だったらしい。


 面影はあるが、少し大人びた顔立ち。中学一年生の頃も百合子を慕って、かなみからも妹のように可愛がられていた。今現在は百合子とルームメイトである彼女。


 垂瓦すいがわら りん


 まさかこんな形で再会するとは。


 やあ、久しぶり。と、小さく投げかけた言葉は彼女の怒声によって掻き消されることとなった。


「西川先輩、またですか! また百合子先輩にあの話をしたんですか! どうして⁉︎」


 五年前ではあり得ぬ、強気な発言に強気な態度、険しい表情。


 どちらかと言えば、少しおっとりとしたタイプだった気がしたが、彼女も彼女でこの数年で色々と変わったようだ。自分と体格差が数倍もあるだろうガッツ相手に睨みをきかせ、百合子を庇うように彼女の前に立つ。

 その必死な様は、チワワがドーベルマンに咬みつこうとしているふうにも見えた。


「最近安定していたっていうのに、なんでそんな余計なことするんですか!」

「違う誤解だ垂瓦、落ち着けよ」

「落ち着けって……百合子先輩こんなにしといて、よく言えますね!」

「だから、誤解だって、俺じゃねえよ。お前がそうやってるとまた百合子が騒ぎだすだろ」

「西川先輩じゃないなら、じゃあ誰が……誰が、百合子先輩を!」


 怒り心頭な彼女はそこでようやく僕の存在を気にし出したらしい、刺すような疑いの眼差しを向けてくる。


 最初は、誰だこいつ、という顔をしていた彼女だったが。すぐに開いた口を両手で覆った。


「まさか、東先輩」


 そうだと頷いて、改めて久しぶりだと言い直せば、彼女は燃え上がらせていた態度を改め、行儀よく頭を下げた。


「おひさし、ぶりです……。すいません、出会い頭にこんな。百合子先輩から来るって聞かされてなかったから」

「おい、なんだよその東だけ特別な態度」

「だって五年ぶりですから」


 納得いかないと口を尖らすガッツへのフォローを後回しにして、僕は百合子がこうなってしまったことのあらましを垂瓦に説明した。


「……そうだったんですか」

「垂瓦、お前先に俺に言うことねぇの」

「すいません。開口一番失礼でした」

「一番どころか二番も三番も失礼だったぞ」


 冗談交じりに言うガッツに垂瓦はぷいとそっぽを向いた。若干だがかつての百合子とガッツのやりとりを見ている気分だった。


「百合子先輩、大丈夫ですか。立てますか……」


 膝を抱えたままの百合子の背中をさすりながら声を掛ける垂瓦。


「か、なみ……ぃ」


 聞こえているのかいないのか涙声でそう漏らす百合子は、先ほどからこれしか言わなくなっている。


「あいたいよぉ、あいたい……ッ、謝りたい、かなみに……ごめんってぇ……」

「百合子先輩、もういいんですよ。もう、自分で自分苦しめないで下さい、いいんですもう。さあ、帰って薬飲みましょう、ね、そうすれば楽になりますから……」


 自身も辛いと言うように、百合子を抱きしめ立ち上がらせようとする垂瓦。


 後で彼女から聞いた話だが、百合子は五年前のある出来事からパニック障害を引き起こし、現在は精神科医に通うほど、五年の間に心を癒すどころか深刻なほど病ませてしまっていた。


 常に情緒不安定で、薬の欠かせない生活。食も随分と細くなり、かつての喧しさが失せるほど弱った彼女を、垂瓦がルームメイトを申し出て今現在、献身的に支えているのだそうだ。


 いきなりあんなことを言われ正直引いたが。取り乱し暴れた際にめくり上げられたカーディガンの袖から飛び出た右手首。そこに何重にも巻かれた包帯を見たら、五年前から変わらずに苦しみ続けている彼女に同情したくなった。


「どうするよ、垂瓦。俺、百合子の車運転して送ろうか」

「そうですね、それが一番いいかもです、じゃあ自転車は置いていかないと」

「悪いな、最初からそうすれば良かった。垂瓦がいれば少しは戻ると思ったんだよ……」

「いいんです。もう慣れてますから」

「ほんとすまねぇな。ルームシェアだって。お前、彼氏できたんだろ。ほんとはそっち行きたいんだろうが」

「いいんです。これが、わたしなりの責任の取り方ですから……。西川先輩こそ、百合子先輩に仕掛けなくていいんです? いつまでタイミング見計らってるつもりですか、東先輩も帰って来ちゃったのに、ますます不利ですよ」


 え。


「こら、垂瓦!」


 ああ。わかったわかった。

 なるほどね。うんうん。


「おい東、誤解するなよ」


 誤解って、なにがだい。


「だから、俺は別に……」


 いいんだよガッツ、君は昔から見かけによらず一途な奴だったさ。


「だから! おま、それが誤解だって!」

「そんなことより、そろそろ帰りましょうよ、ほら、百合子先輩も、涙拭いてください」

「垂瓦! お前が言い出したくせにそんなことって!」


 取り乱しまくるガッツを無視して、垂瓦は座り込んだ百合子を起こそうとする。


「やっぱり、かなみに会いたいよぉ」


 百合子は目元を真っ赤にして立ち上がるも、垂瓦に抱きついてもう何度言ったかわからない言葉を吐く。

 そんな彼女に垂瓦は腰元に手を伸ばし細すぎるその体を抱きしめた。


「百合子先輩、帰って落ち着きましょう。おにぎり握ってあります、それ食べて、薬飲んで寝ましょう」

「いやっ、あたし、かなみのとこ、いきたい……ッ」

「変なこと考えないでください、もう。百合子先輩は生きなきゃ……じゃないとかなみ先輩、悲しみますよ。今だって、百合子先輩が苦しんでるの見て、きっと同じくらい、苦しいはずですよ」


 言いながら、垂瓦も泣きそうな声を出す。


「でも……だめなのっ、やっぱり、謝らないと……あたし、いけないの、かなみ、怒ってるはずだから……っ」

「百合子先輩……」

「怒ってる、ぜったい、かなみ、あたしのこと、怒ってる、わかるの、だから……あたし、かなみのとこに……あの子と同じように……ッ」


 落ち着きかけていた呼吸を乱し、百合子は包帯を巻かれた手首に爪をめり込ませ叫ぶ。


「あたしも、あの子のところに……!」


 次の瞬間。


 百合子の叫びに被せるようにして、コンクリートの地面が鈍い音を立てて鳴った。


 たいして大きな音ではなかったが、視界の隅に入っていた、それ──いや、の行動、底の低いサンダルを履いた脚を持ち上げて、勢い良く叩きつけるという、子供がするよりだいぶ派手な地団駄を見て。


 振り向かない者はいなかった。


 その時、初めてみんなは“彼女”に注目することになったのだろう。


 僕でさえ驚いたくらいだ。

 なんてことだ……。


 一つ謝らねばなるまい。


 伝え漏れが一点あったことだ。


 僕はここまで、見たもの感じたもの、現状をそのままストレートに語ってきた。


 聞き手側に、それなりに必要事項を纏めて、それでいて不要なことは切り捨ててストーリーテラーを勤めていたわけだ。


 だが、つい今さっき誤算が生じた。


 どんな誤算かというと。


 僕から言わさせてもらうのであれば、『背景』が喋ったのである。


 『背景』というのは勿論例えの話。正確には『人物』だ。


 百合子、ガッツ、垂瓦、そして僕。


 話を辿ると当事者は四人。

 四人の存在しか認められないはず。


 だが僕はただ単に語っていないだけに過ぎなかった。

 酷い言い方をするのであれば。いないものとして、あえてストーリーの中に組み込んでいなかった、ということだ。

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