7


 躊躇うからこそ間が生じて怖くなるのだ。僕はドアノブを握り、一気にその暗闇を迎えた。

 

 目の前には――。


 先ほどの映画に出てきた白いワンピースの女。

 は、立っておらず。濃厚な闇が依然として見下ろしているだけ。


 すかさずその先に手を伸ばし、暗闇を消し去るべく壁際のスイッチを押し照明を点ける。


 眩い光が収納室をもれなく照らしたところで、……なるほど。不可思議な音の正体がわかり、僕は息を呑んでいたみんなに手招きする。


 ぞろぞろ列を成してやってくるみんなは、扉の前に佇む僕の背から怖々こわごわ中を覗き、物音のを見つけると、情けなくも安心したような声を上げた。


 なんてことはない。ただ単に荷物を乗せておく収納ラックのてっぺんからいくつかのダンボールの箱が崩れ落下しただけだったのだ。


 ひっくり返されたダンボールの中身、床に散乱したファイリング、DVD-ROM、資料や記録用紙。



 それらを見た百合子は「なあんだ。昼間整理したやつが落ちたんじゃない」と胸を撫で下ろし、他のみんなも嫌な汗を掻いたと次々に壁に身を預けた。


 この収納室、部で所有している資料や小道具の他に学校内の催し物の記録映像や撮影機器、相当数の備品が雑に詰め込まれ、最近まで足の踏み場もないほどに荒れ放題だったのだ。


 それを見兼ねた女子たちは、昼間めんどくさがる男子も巻き込んで良い機会だと大掃除大会を開催させたのである。とはいえ、機材やダンボールといったかさばる物は此処以外に置いておけないので隅に追いやるかラックの限界まで詰め込むしかなく、それらが重みに耐えきれず今頃になって落ちてくることはけしておかしな話ではない。


 オカルト的現象でなくて良かったと安堵する部員たちだが、部屋のど真ん中はダンボール三つ分の中身がド派手にぶちまけられ、とてもそのままにできる状態ではなく、結局、総動員で散らばった中身を掻き集め、棚の上を再度整頓するはめになった。


「うーわ、ここ片したの誰? こんないい加減に積めば落ちてくるに決まってるじゃん!」

「うるせーな百合子ぉ、耳元でキンキン叫ぶなっての」

「それにしても、大丈夫なんですかね……さっき結構叫んじゃいましたけど」

「大丈夫だよ垂ちゃん、ここ防音対策してあるから」

「いやあーやっぱリアルで起こるとビビるっすねえ。本当に心臓止まりかけた」

「はぁぁ~良かったです幽霊出てこなくて」


 安心や文句を垂れ騒々しく棚の上の荷を降ろし入れ替え、積み直す一同。


 僕は封をしていなかったダンボール(おそらくガッツが失念した)にガムテープを貼り、散乱した中身をかき集めていく。


「東君、すごいよね」


 なにが? と顔を上げると、そこにはかなみがいた。


「だって、みんな怖がってたのに、一人だけ冷静に扉を開けたんだもん。相変わらず、みんなと違う行動ができる人だよね、君」


 それは、どういう意味? と首を傾げる僕にかなみは笑う。


「勇気あるなあって意味。東君、お芝居以外怒らないし、笑わないし。ほんとうなに考えてるんだろうって思うけど。いざって時に頼りになるからさ、そういうところ尊敬するよ、いいなあって思う」


 うーん、これって。今、照れるところ? と聞き返せば、かなみは東君らしい答えだねとのんびり返し、僕の作業を手伝ってくれた。


 一際傷んだダンボールを持ち上げると、底が抜け中身がまたも床に撒き散らされてしまった。保存状態が悪かったようだ。中からも埃が舞い、それが僕を包んで思わず咽せる。しかもカビ臭い、こりゃあたまらん。


「東君、大丈夫⁉︎」

「ひでえなこの埃の舞いよう。なんだよこれ、いつのよ」


 ダメになってしまったダンボールから落ちてきたのは、紐閉じされた大量の冊子と、ノートブック、数枚の写真――と、これは。


「ビデオテープ……か?」


 一本のビデオテープ。


 黄ばんだラベル、そこに書かれた文字が掠れていることとダンボールの状態。相当前に収納されたと推測できる。


「なに、これ」


 テープのタイトルを確かめようと、それを拾い上げ百合子は眼鏡の奥の目を細める。


「よく見えない……」


 百合子の背後に回って同じようにラベルの文字を解読しようとするガッツ、斜丸と左門もそこに集まる。僕も便乗して野次馬のように覗く。


 平仮名で書かれているようだ。最初は「お」で、次が濁点付きの酷く掠れた字。その次が、おそらく「ろ」だ。


 これは。お。お……。

 おどろ――か?


「なんだよそれ、踊ろうってことか?」


 ふざけて笑うガッツ。


「それであってると思うよ」


 言ったのはかなみ。振り向くと、彼女は色褪せた冊子の中身を捲り神妙な顔つきで眺めていた。


「これ、お芝居の台本だわ……」


 彼女曰く、中身は台本を思わせる台詞や、ト書きでびっしり埋め尽くされ表紙には滲んだ文字で『おどろ』と記載されているそうだ。


「おどろって、どういう意味?」

「おどろおどろしいっていう、言葉はありますけど……」


 斜丸が横から答える。確か『おどろおどろしい』って、不気味さを強調するような言葉だったか。


 台本には脚本を担当した者の名は記されていない。これは一体なんなのだろうかとみんなが気を取られているあいだに、僕は足元に散らばった写真を一枚拾ってみる。


 また随分と色が抜けてしまった古い写真だ。黒いセーラー服姿の女の子が数名写っている。


 時代を感じさせる髪型。裾の長いスカート、写真の色。この新校舎が建てられる以前の生徒たちだろう。仲良さげに身を寄せ合う彼女らが立つ場所は、木造の……これは旧校舎か。


 破れかけているもの、埃を被っているもの、その中から女の子が七名、肩を並べて写っているものがあった。


 だが――。


 その写真を見つけて。みんなが興味を示す前に僕は裏向きにして、別の写真の下に隠した。


 もう一度見ようとは思えなかった。


 今のは恐らく集合写真。校内の窓際をバックに撮影したもの。両脇に三人、その中心に立つのは、膝まで届きそうな髪長の少女──。


 みんな写真の中で笑っていた。


 中央の子以外は。

 いや――、もしかすると彼女も笑っていたのかもしれないが。それは定かではない。


 彼女の表情は、華やかな笑顔をこちらに向ける少女らの中心で、陰惨に引き裂かれていたのだから。


 刃物で傷をつけ上からペンをぐちゃぐちゃに走らせたような。少女の首から上は大きく歪み、写真の中の朗らかな雰囲気を不気味な色に染めていた。


 物々しい一枚。なにかとてつもなく、見てはいけないものを見てしまった気になった。



「わかった、これ。『演劇部』の先輩たちだよ」


 ぽんと手を打ったかなみに、百合子も思い出したと身を乗り出す。


「ああ! 映画部の元祖って言われてた!」

「なんだそれ」

「先輩に聞いたことなかったの? 映画部って創立当初は『演劇部』だったんだよ」


 百合子が言うには、映画部はどうやらもとは『演劇部』だったそうだ。それが代替わりするごとに、『撮影部』、『映像研究会』と名を変え、巡り巡って今の『映画部』となったらしい。そんなに歴史ある部だったとは露ほども知らなかった。


「すごい。活動日誌も細かく書かれてるし台本もノートも書き込みが丁寧だし、落ちこぼれのうちとは大違いね」


 こんなものが紛れているなんて、まさにお宝の発掘だと、何代も前の大先輩たちが残した貴重な記録にしばらくみんなは興味を示していた。


 中でも脚本を百合子と担当していた垂瓦は、彼女たちが書き綴ったであろう台本に強い関心を抱いたようで。


「なるほど、なるほどです。見てくださいこれ! この話、起承転結がはっきりしてるし、無駄も無いし台詞まわしも面白いです! わたしもこんなふうに上手く書けたらなぁ」


 と、台本を次々に捲り、感動したと言わんばかりに繰り返していた。


 それに触発されたらしい、ちらちらと忙しない視線をビデオテープに送っていた左門がまたおずおずと申し出た。


「一つ提案なんすけど。これ、ちょっと観てみたくないすか?」

「これを?」

「ええと、なんていうか、先輩たちの演技も気になるし、それになにか撮影の参考になるかなぁと思って、だめすか?」

「へえ、ええんでないの。俺らと比べ物にならねえほど熱心にやってたっぽいし、盗める技術があるかもな」

「うん。あたしも賛成! いいねいいね! 先輩の演技すっごく気になる! この際だからみんなで観ようよ! ビデオテープのレコーダーあったっけ?」


 ガッツと百合子がの意見が珍しく一致し、左門は子豚みたいに丸めた体を立ち上がらせて、奥のダンボールの山から嬉々としてテープレコーダーを探し出した。


「私もいいと思うよ。なにかヒント得られるかも」

「こんなに台本あるのに、他のビデオテープはないんですね。ちょっと残念だなあ、わたし色々観たかったんですけど……」

「他のはダメになっちゃったのかな、テープってどんどん傷むものだし。これも相当古そうだから観れるかもわかんないよね」

「ふあ……ほんとにみんな観るんですか? だったら明日でもいいじゃないですか」


 意外と乗り気なかなみと垂瓦に、大欠伸をしながら眠そうに答える斜丸。


「なんの! 夜はこれからだよ斜丸君!」

「ええ~、そろそろ寝ましょうよー。巡回に来た先生に見つかったら叱られますよ」

「そんときゃ電気消して寝たふりすんだよ」

「そんな、かなみ先輩と垂瓦さんは眠くないんですか⁉︎」

「ぜんぜん」

「さっきので目冷めちゃいました」

「先輩! 見つけましたよレコーダー!」

「ちょ、左門先輩まで!」


 埃を被ったダンボールを抱えて満面の笑みで振り向く左門を見て、もうダメだとがっくり肩を落とし斜丸も仕方なく眠気さましのミントガムを噛んだ。


「な、東もそれでいいだろ?」


 最後に問われる僕。どうせ首を横にしたところで、このまま進行することは目に見えている。


 良くも悪くもイエスマンな僕は、写真の束をダンボールの奥底に戻し、何事もなかったかのように同意した。


 あの写真を見たら、それでもみんなはテープを観る気になっただろうか。


 気になったけど、結局僕は言わなかった。


 ◆◆◆


 テープレコーダーの埃を入念に拭き取り、コンセントを繋ぎ、スクリーンになんとか接続し。さていよいよ問題のビデオテープだと、意気込むところでガッツが照明を落とし、扉の暗幕を閉めた。


「雰囲気出るだろ?」


 巡回の先生ももう時期来るだろう、異を唱える者はいなかった。


 暗い部屋をスクリーンのスタンバイ画面だけが照らし、その光を頼りに百合子がビデオテープをセットする。


 手こずるかと思いきや、案外すんなりレコーダーはテープを飲み込んでいった。だが、歓声を上げるのは少し早かったようだ。


 ほどなくしてそれは中でキュイキュイと悲鳴を漏らし、挙句スタンバイ画面には読み込みできませんの文字。


 いくつもの落胆の声が暗い視聴覚室に放たれる。うん……まあ、そうだ。そう、きっとこんなものなのだ。だいたい予想はしていた。


 あんなあからさまに古そうなテープ、そう簡単に観れるわけがない。


 だからそこまでショックではなかったのが僕個人の本音。

 オチとしてはありがちだが、適度に騒げてこれはこれでいいイベントだったと思う。


「左門君、直せないかな?」

「いやー……、いくらオレでもデッキは解体できても、たぶん問題はテープの方だと思うんで」


 縋るようにかなみに尋ねられ、左門は心底申し訳なさそうに答えた。


「テープは流石に……」

「そうだよね」

「ちょっと、ガッツ、なにしようっての」


 百合子ですら諦めの表情を浮かべていたところに、ガッツが一人布団から立ち上がり舐め回すようにしてレコーダーを眺める。


「いや。ほら、ものは試しじゃん」


 言った次の瞬間。節くれ立ったでかい拳を、奴は問題のビデオデッキの真上に遠慮なく叩き込んだ。


 照射された画面が衝撃に歪み、それを見た後輩と女子たちの焦りと制止の声がガッツに集中する。


「やだ! なにやってんの!」

「ガッツ先輩それまずいっすよ! 壊れたら……!」

「どーせ壊れてるようなもんだろ、それに壊れたテレビは叩くのが鉄板じゃん」


 百歩譲ってそうだとしても。ガッツよ、壊れてるのはテープであってテレビじゃない。そもそも君が今叩いているのはテレビですらない。更に言うと学校の備品だ。それを知ってか知らずか、彼は潔くばんばか叩く、百合子がやめろと言っても叩く叩く。


 画面が大きく揺れ、砂嵐が生じる。そして遂には沈黙していたテープが文句を垂れるようにぎゅるぎゅる叫び、レコーダーから異音が断続する。


「あ――、え、ちょっと」


 左門が焦ってミニリモコンを操作しても反応が無い。


 ほんとうに壊れた。誰もが頭にそう浮かべ。百合子が怒りの声を打ち上げようとした。


 その時。


 薄っぺらなスクリーン全体を激しい砂嵐が覆い。僕たちが観たいと望んだその映像を映し出した。


 最初は何が映っているのかわからなかった。何度も何度も画面が揺れ、途切れるように暗転し、画面が戻り、暗転し。そしてまた映った。


「なんだ……これ……」


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