老将、有終の舞(1話完)



 剛脚、壇を震わす。老将が白装束にて舞う場に、その鬼面の若武者は荒々しく闖入した。


「下郎め!」


 取り押さえに向かった小姓の首が飛ぶ。びしゃりと赤く染まる障子を背に、若武者は言った。


「僭越ながら、首を頂きたく」


 老将は顎鬚を撫ぜ、この上なく愉しそうに笑った。主城は多勢に囲まれ、火の手も放たれている。下剋上の世にあっては油断した此方が悪く、相手を責める気はない。しかし自ら討ちに来たにも関わらず、妙に丁寧な物腰が可笑しいのだ。悠長にしていては独り先駆けて敵将の前に現れた意味がなくなってしまう。自らの若い頃を思い返せば、手柄首を前に目を血走らせた記憶しかなかった。


「せっかちめ。どのみち儂は終わりじゃ。待てばじきに手に入ろうて」

「某は功を上げねばならぬゆえ」

「ならば問答無用で掛かってこんか、馬鹿正直な阿呆め」


 老将は壁に飾られている宝刀を手に取り、鞘を払った。若武者は槍を捨て、刀に手を当てた。

 違和感――槍の方が有利ではなかろうか? 間合いの短い刀は機敏が要だ。重い甲冑を着ていては動き辛い。受ける側ならまだしも、かの若武者は自ら踏み込まねばならぬ立場だ。


「実戦に不慣れか」

「それも御座いまするが」


 話ながらしゅるりと甲冑の紐を解いた。ゴトゴトと床に金物が落とされてゆく。身軽になった若武者はしかし、鬼面だけは取らぬままであった。


「剣の道で名高き貴殿に、同じ条件で打ち勝ってこその誉れ」

「下らぬ。誰も見ておらんのだぞ。首を取った後にそうやって斃したと吹けば良い」

「矜持に関わること」

「お主、将には向いておらぬな」

「左様、存じております」


 老将は中段に構え、とんとんと軽快に跳ねた。先程の舞で体は温まっているが、一騎打ちは暫くぶりだ。使うは剛より柔の剣であり、筋肉をほぐさねば動きが鈍る。

 若武者は居合に構えたまま、じりじりとつま先の動きのみで詰めた。ぴんと張った糸のような緊張を保ったまま、我が間合いに入らんとする。


 先手を打ったのは老将だった。とんと跳ね、着地と同時に体を沈めた。体の落ちる力をそのまま前方への突進力に変え、一気に若武者の眼前に迫る。若武者は即座に反応し、空気を切り裂くような一閃を見舞った。老将はさらに体を落として躱す。最早床と額が擦れるほどだが、そこから剣を滑らせた。剣先は床を傷つけながら若武者の足へ向かって行く。若武者は高く飛んで躱し、追撃を試みるが、既に距離があった。互いに体勢を直して向き合う。


「流石は長良流の開祖」

「うぬ。皮肉は一人前なものよ」

「本心でござる」

「馬鹿正直なお主が、斯様な邪道を褒めるとはの」


 老将は愉しんでいた。最期の舞を邪魔されたときこそ憤ったものの、考えようによっては此れがその代わりとも言える。切腹こそ優美と思ったが、引導を渡してくれるのがこの若武者なら悪くないと考え始めていた。


「其方の大将は久島幽玄であったか」

「左様」

「どうじゃ、久島は良い『お屋形様』か?」

「……何故そのような問いを」

「我が長良家の血筋を途絶えさせぬ為よ。馬鹿正直なお主の慧眼、信じておるぞ」


 若武者はしばらく沈黙し、やがて諦めたように鬼面を取り払った。


「貴方には敵いませんな」

「儂を偽ろうなど百年早いわ、小僧」


 呵々大笑し、老将は剣を構え直した。


「しかし、認めるのは儂の首を取ってからじゃ。本気で行く。死んでも恨むなよ」

「無論。その時は、共に地獄へ参りましょう」

「久々に滾るわい。否、これほど熱のある勝負は初めてか。最期まで付き合ってもらうぞ」


 やがて落つる本丸にて、激しい足踏みの音が響く。それは戦国の定めで刃を交わす、父と子の舞踊だった。


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