貧乏神 福の神 ③

「お疲れさまでした」

 最後のねぎらいの言葉はいつもそれだった。

 三ヶ月働いた派遣先の会社が今日で終わり、たぶん明日になったら私のことなんか、誰も思い出さないだろう。寂しいけれど、これがの派遣社員の宿命だから仕方ない。

 荷物を片付けて、空っぽになったロッカーの据え付けの小さな鏡に、寂しげな女の顔が映っている。(明日からどうしよう?)生活のことを考えると暗澹あんたんたる気分になる。

 きっと『貧乏神』って、今の私みたいな顔をしているんだろうなぁー。

 ふいに、主任の笑顔を思い出した。あの時「改めてお礼をするから……」そういってたくせに、あれっきりで姿も見せない。派遣だから、どうせ、からかわれただけなんだ。――なのに、ちょっと期待しちゃってる自分が哀しい。

「お世話になりました!」

 ロッカーにいる人たちに向かって挨拶をすると、まるで逃げるように職場を出ていった。


 家に向かって自転車のペダルをこいでいた。

 今日だけは、自分自身に「お仕事ご苦労さまでした」ってことで、チューハイでも買って飲もうとコンビニに寄った。

 夕方なので学生や仕事帰りのサラリーマンで店内は混雑していた。レジのカウンターの後ろに求人募集のチラシが貼ってある。深夜バイトは時給が良い。次の派遣先が見つかるまで、コンビニでバイトでもしようかと思い、急いで携帯に連絡先の電話番号を記録した。

 ひとつ仕事が終わっても、すぐに働き出さないとやっていけない『貧乏神』だといって、自分を捨てた男の言葉が鉛のように重く心にのしかかる。

 ――もう、たぶん、自分はずっと幸せになれないのかもしれない。


 チューハイとポテチを買ってコンビニを出る。駐車場に停めてある自転車の鍵をポケットの中で探っていると、

「小早川さん」

 背後から声をかけられビックリした。誰だろうと振り向くと、

「主任!」

「やあ、君に会えてよかった」

 いつもの笑顔で主任がニコニコしていた。

「ど、どうしたんですか?」

「出張が延びてね。さっき会社に帰ってきたんだよ。すぐに小早川さんを探したら……派遣は今日で終わりだから、さっき帰ったって聞いて、急いで自転車で追いかけてきたんだ」

 見ると、真新しいマウンテンバイクが隣に停めてあった。たぶん主任のものだろう。

「君にお礼がいいたくて……」

「書類の件はいいんです。偶然見つけただけだし……」

「それだけじゃない。君は僕にとってなんだ!」

「はぁ? 福の神って?」

「僕は君と出会ってから良いことばかりが起きるんだ。本当なんだよ!」

 なにいっているんだろう? この人は……。私は前の彼氏に『貧乏神』っていわれて捨てられた女なのに、『福の神』って? いったいどういうことよ。

「君がトゲを抜いてくれた日から、僕の運気が急上昇し始めたんだ。――たとえば、新製品開発のプロジェクトチームに任命されたり、なに気なく買った宝くじで二十万円当選したり、近所のスーパーの三角くじで、このマウンテンバイクが当ったし、音信不通だった親友と町でばったり再会したりとラッキーなことが続くんだ」

「そ、そうなんですか……?」

 なんだか信じられないようなことを聴かされている。

「それと、こないだの書類の件だけど……実は僕とソリの合わない課長がやったことだったんだ。あの日、出張前の僕の机に置いてあった封筒をこっそり持ち出して、女子トイレに捨てたのだ。女子トイレから出てくる課長の姿を掃除のおばさんが見ていて、そのことをお局女子社員に話したらしい。おまけに、課長は会社で購入した検査機器を高い値段で業者に納入させて差格をリベートとして、受け取っていたんだよ。そのことが会社にバレて、どうやらクビになるみたい……」

 最後の方は声をひそめていう。

「そうなんですか。ヒドイ上司ですね」

「――それで、課長の椅子が空いたので、今度、この僕が課長に抜擢ばってきされた。来週、正式に会社から辞令を受ける予定なんだ」

「おめでとうございます」

 私がいうと主任は照れ臭そうに笑った。

「あの時、智美さんが書類を見つけてくれたお陰だよ。もし書類を失くしていたら責任とって僕が会社を辞めるはめになっていた――。社運をかけた新製品開発だから、うちの親会社の本社で幹部社員たちを前にするプレゼン用の資料が入っていたから……。智美さんには感謝している」

(あれ? いつの間にか“ 智美さん”て呼ばれてないか……わたし)どういうこと?

「大事なプレゼンテーションで緊張したけど……智美さんのことを考えながら深呼吸していたら、とても気持ちが落ち着いて、自分でも信じられないくらい上手くプレゼンができて拍手喝采だった。――みんな智美さんのお陰だよ」

 てか、そんなに褒められても、私なにもやってないから……。

「そうですか、プレゼンテーション成功してよかったですね」

「それで親会社との共同開発プロジェクトチームに選ばれたんだ! 来月から急にシアトルに赴任することになった」

 嬉しそうに興奮気味に喋る主任だが、どうして、そんな話を自転車で追いかけてきてまで、この私に聞かせるんだろうか。

 自分には関係ない話なのに……少しイラついてきた。


「シアトルでのご活躍を祈ってますね。それでは、失礼しまーす」

 そういって、私が自転車のサドルにまたがろうとしたら、

「待ってくれい!」

 ガシッと腕を掴まれた。

「な、なんですかっ!?」

「違うんだ! そんな話をしたくて智美さんを追いかけてきたんじゃない。頼むから聞いてくれ!」

「は、はい」

 あまりに真剣な面持ちで主任がいうので、サドルに跨ったまま固まった。

「――あの日、智美さんが僕の指からトゲを抜いてくれた。変わりに僕の胸にハートの矢を刺したんだ」

 真っ赤な顔をして主任が話しているが、そのベタな台詞せりふに思わず……ブッと私は噴いてしまった。

「あれぇー、僕のプレゼン失敗かなぁ?」

「だってぇー、あははっ」

 お腹を抱えて笑ってしまった。

「生まれて初めてのプロポーズのプレゼンテーションだったのに……」

 泣きそう目で主任が私を見ている。

 生まれて初めてのプロポーズって、ほんと? ……て、ことは、主任は独身だったんだ。てっきり妻帯者だとばかり思ってた。

「……あの日から、智美さんのことがすごく気になって見ていたんだ。君のことを考えると元気が出てやる気が起きる。ずっと、君のような女性を探していた。僕と一緒にシアトルにいってくれないか?」

「えっ?」

「智美さん、僕と結婚してください!」

 そういうと主任はペコリと頭を下げた。

 今、プロポーズされたの……わたし。マジ!? ウッソー!? 突然過ぎて信じられない。

 なんか驚き過ぎて、ポカーンとしてしまった。

「僕の『福の神』だから一生離さないよ!」

 主任が私をギュッと抱きしめた。

 こんなことってあるの? ひとりの男からは『貧乏神』といわれて捨てられたのに、もうひとりの男からは『福の神』だとプロポーズされた。――私っていったいどっちなの?

 要するに、これって相性の問題だったんだ。主任に取って私は『福の神』だったのね。そんな風に思ってもらえてすごく嬉しい。


 ああ、これが夢じゃなければいいのだけれど――気がついたら、私たち抱き合っていた。主任の胸は温かくて広かった。嬉しくて……嬉しくて……ポロポロ涙がでちゃった。

 それにしても、コンビニの駐車場でプロポーズされるなんて……。


「智美は『福の神』いや、違う。僕だけの『幸運の女神』なんだよ!」


 この人だったら、きっと私を幸せにしてくれそうな気がするわ!

 あれ? ところで主任の名前はなんだっけ? 彼のことは何も知らないけど、私たちは相性が良いので、絶対に上手くやっていける。――だって、私は『福の神』だもの!



                 ― 終わり ―

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