貧乏神 福の神 ②

 それから主任は私のことが気にいったのか?

 現場や工場内の通路などで出会うと爽やかな笑顔で会釈をしてくる。こちらも派遣先の上司に嫌われたくないので愛想よく挨拶をかえす。

 ある時、人気のない広い資材倉庫で主任とバッタリ会った。私はパートに取ってくるようにいわれた部材を探して、倉庫の中をウロウロしていたのだ。

「小早川さん、なにか探しているのかい?」

 向うから、嬉しそうに話かけてきた。

「はい。こういう品番の部材を探しているんですが……棚が見つからなくて……」

「どれどれ」

 メモに書いた品番を覗きこんで、

「ああ、これなら、こっち、こっち」

 手招きしながら主任が案内してくれた。

 資材倉庫は棚だらけでどこに何が置いてあるのかさっぱりわからない。派遣の私と違って、長く務めている社員には、すぐに置き場所がわかるようだ。

「ありがとうございます」

 お礼をいって、見つかった部材を手に現場に戻ろうとすると、

「ちょっと待って。君って、いつもひとりぼっちだね?」

 呼び止めると主任は、いきなりそんなことをいう。

「えっ? あのう、私、派遣だから……どうせ、すぐに職場変わるんで誰とも親しくしないんです」

「……そうか。なんか寂しそうに見えたから」

「そんなことありません!」

 その言葉にムッとする。(フン! そんなの大きなお世話だよ)思わず心の中でうそぶいていた。たぶん、まだ癒えぬ失恋の傷口に触れられたようで過剰反応したのだ。

「じゃあ、食事とか誘ってもダメかなあ……」

「ええ、ゴメンなさい」

 ペコリと頭を下げると、急いで現場に戻った。

 いきなり食事なんかに誘って、あの主任どういうつもりなのだろう? 

 失恋したばかりだし、もう男は懲り懲りだよ。たぶん妻帯者だろうし……派遣の女なら簡単に落とせるとでも? そう考えたら、爽やかだと思っていた主任の笑顔も下心見え見えでいやらしく思えてきた(派遣の女だと思って、ばかにすんなっ!)と心の中で叫んだ。

  

 ベルトコンベヤーから流れてくる部品を検査する仕事にも職場にも慣れてきたが、後、一週間でここでの派遣の仕事が終わる。

 次の仕事がすぐに見つかればいいが、見つからなかったら――しばらく貯金を切り崩しながら生活するしかない。ああ、こんなことだから貯金もたまらない。やっぱり私は『貧乏神』の女かもしれない。――自分でもそう思えてきた。

 今日の仕事が終わって。女子トイレの鏡の前で、油取り紙で顔の皮脂をおさえ、おしろいを叩いて帰る準備をしていた。どうせ早く帰ってもひとりだし、男もペットもいない、帰ってもツマラナイけれど、されとて他にいくあてもない。

 アラサー、独身、恋人もいない、お金もないし、将来への希望はまるでない――。

「あぁーあー」

 思わず大きな溜息がでた。

 使用済みの油取り紙を捨てようとゴミ箱のフタを開けると、A4サイズの社名入りの封筒が捨てられていた。なんでこんな物がトイレのゴミ箱に? 不審に思ったが……落ちていた物を誰かが拾って、ここに捨てたのだろうと思って、そのままフタを閉めた。

 自分は派遣社員だから、社内の人間関係やトラブルには極力タッチしない主義だった。


 トイレから出てきて、廊下を歩いていると主任とあった。珍しく、今日はスーツ姿だった。

 無視して通り過ぎようとしたら、なんだか様子が変だ――。キョロキョロしながら、消火器の裏を覗いたり、通路に設置された自動販売機の隙間に手を突っ込んだりと――なにかを必死で探しているようだ。

 思わず、また声が出た。

「どうしたんですか?」

「探しているんだ! これくらいのA4サイズの封筒なんだ……」

 主任はかなり焦っているのか、顔も見ないで、手で大きさを指し示めす。

「A4の封筒ですか?」

「あれがないと困った。今から出張なのに……大事な書類が入っている封筒なんだ。ああ、どうしよう……どうしよう……」

 困惑している様子で、終いには髪の毛を掻きむしっている。

 もしかしたら、さっきトイレのゴミ箱に捨てられていた、あの封筒かも?

「主任! ちょっと待っててください」

 そういうと、慌ててトイレに戻りゴミ箱から封筒を拾い上げて、主任の元へ持っていった。

「ああっ! それだ!!」

 封筒を見るなり主任が大声で叫んだ。

 すぐさま中身を取り出し確認すると、「良かったあー、全部揃っている」独り言を呟き、安堵の溜息を漏らしていた。

「ありがとう! 本当にありがとう!!」

 大げさに喜んでいる。

「いえ、いえ」

「これ、どこにあったんだい?」

「……それが女子トイレのゴミ箱に捨てられていたんです」

「なっ、なんだってぇー!?」

 私の返答に主任は驚いたようで、しばらく俯いて神妙な顔でなにかを考えていた。

「あっ! 時間がない。今から出張にいくので、このお礼は改めてさせてもらうからね。たぶん三、四日で帰ると思うから……じゃあ、またー」

 そういい置いて、廊下をバタバタ走っていった。そんな主任の後ろ姿を私は茫然ぼうぜんと見送っていた。

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