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「次の北村組の回想に出てくる女の子、オーディションかけたいんですけど手配していいですかね?」

「任せます。自由にやっちゃって」

「須田さんにお願いしときます」

 六月十九日木曜日、銀座の東光本社で『超時空少年アラン』チームで第一回ミーティングを行っていると、『飛翔戦軍スカイフォース』アシスタントプロデューサーの小曽根卓から電話がかかってきた。簡単な相談を受けたので、真由香は一瞬考えたものの即答した。

 最近では『スカイフォース』で通常プロデューサー判断の案件も、彼に采配してもらうことが増えた。それだけ小曽根を信頼しているということもあるし、真由香や槇がそれぞれ次の作品準備に追われているという物理的な事情のせいもあった。

「あ、天野さんが電話代わりたいっていうんで、このままちょっとお待ちください」

 しばらく待つとラインプロデューサーの天野正典が「打ち合わせ中、すみませんね」とすまなそうに電話口に出てきた。

「以前ちらっとお話ししたと思いますが、財前さんが宮地さんと直接話がしたいとまた連絡してきたんです」

「財前……」

 真由香の記憶の奥底に沈んでいた名前だった。しかし、特に苦労することなく思い出す。

「労組の財前さんですか。でも、今はちょっと時間をとるのが難しいですね。何せあちこちの現場で宿題抱えてて身動き取れなくて」

「ですよねえ。私もそう伝えてはいるんですが、それでも会いたいと。老婆心ながらご忠告申し上げると、一度顔合わせだけでもされておいたほうが良いと思います。向こうが時間を合わせるからとまで言ってまして」

「どうしてそう言ってきてるんですかね」

「夏から忙しくなりそうじゃないですか。いろいろ制作チームが動き出すし。今のうちから、牽制をかけたいんじゃないでしょうか」

「うーん」

 財前松太郎は東光グループ全体の労働組合を統括する組合長である。東光労働組合連合……略して労組の責任者である。財前は東光東京撮影所のれっきとした職員であり、現在は東光撮影所映像保管室に籍を置いている。いわゆる閑職で、日々どういった仕事をしているのかも何となく想像はつくがよく知らない。来年で定年退職を迎えると聞いているが、どういう人物かは全く分からない。

 東光では昔多くの映画会社と同様、労働時間や労働条件の是正を求めて労働運動が盛り上がった時期があるらしい。他社では機動隊が出動するなど物騒な活動も多かったときくが、東光は社風のせいか、よそほど締め付けがきつくなかったためなのか、その運動はまだ比較的落ち着いていたという。ただその名残は続いているのか、いまだ年一回春先にストもあるし、労組との決め事でお正月は撮影所は一切撮影禁止にするなどの決め事もある。

 正直なぜ真由香に先方が会いたいといっているのかわからないが、天野がそこまで言うならと「わかりました」と了承し、財前の連絡先を聞いて電話を切った。スケジュール張を開くと日々の予定がびっしりと詰まっていた。真っ黒になっていて、ため息をつく。

 明日の夜は真由香の大先輩で『スカイフォース』のアソシエイトプロデューサーである東條信之の送別会の予定だった。東光での嘱託契約が切れるに伴い、撮影所内の食堂で会が催される。真由香はその夜、本社で出版社の編集担当と『スカイフォース』関連の書籍の打ち合わせの予定が入っているため、終盤にようやく顔が出せそうだった。

 電話を終えたので会議室に戻ったが、すぐに異変に気付いた。何やら室内が重苦しい雰囲気に変化しているのが肌で感じ取れた。先ほどまではこんな空気じゃなかったのに。

 室内には真由香を含めて七人のメンバーがいる。面白いことに女性が真由香、堀江津子、相澤靖子、北島衣里の四人。男性が神長倉和明、長坂眞、折尾仙助の三人なので女性のほうが多かった。本来ならば、この場に広告代理店・東光アドエージェンシーの利根川研も同席する予定だったが、所用ができたとのことで急遽当日キャンセルになったのだが……。

 なぜこんなに重い空気?

「……オイ、あんたさあ、ちゃんと現場のことを考えてホントにホンを書いてるのか。このままじゃ、全然お話にならんよ。なんだよ、ここのくだり! 十三ページのシーン八!」

 折尾仙助は唐突にそう吠えると、『超時空少年トキオ』の検討準備稿の中頃のページを捲ると、ペンでコツコツと叩いた。

 折尾の言葉に従い、シナリオを捲り始めた。折尾にあんた呼ばわりされたのは相澤靖子で、彼女はうつむき加減で黙ってページを繰る。

 真由香をはじめ、神長倉、BS太陽の堀江津子、監督の長坂眞、折尾とともにラインプロデューサーを務める北島衣里も一緒にページを繰る。

 折尾は「いいか?」と人差し指を立てる。

「犬が三匹も現れて順番に吠える。その犬は聖書を口に咥えている……あのなあ、そう簡単に犬を出してくれるなよ。犬が一番調達が面倒なんだからさあ。あんたも昔戦軍書いてんたなら、こっちの台所事情くらい分かるだろ」

「そういう事情は知りませんでした。書き直します。でも最近はCGとかも発達してるでしょうし、犬くらい何とかなると思ったんですが」

 相澤靖子は薄化粧で黒縁眼鏡をかけているが、多分業界でも一二を争うくらいの美貌女流シナリオライターであるというのが真由香の個人的感想である。昔小劇団で女優をやっていたこともあるそうだが、その後ライターに転身したという。真由香より年齢はいくつか上だが、とてもそんな齢には見えない。ただ実際本人はそういう感想を嫌うようで、いつもあえて素っ気ない外見で纏めてきている印象がある。

「そりゃCGも使うよ。デジタル合成も使うよ。でも小鳥や竜とかならまだしも、犬をCGで処理しちゃ、絵面が薄っぺらになっちまうだろうが」

「そこを考えるのは折尾さんじゃなくて、長坂カントクの領分だと思いますけれども」

 女脚本家はそう言い返す。多分さきほどの折尾の言い分に多少ムッときているところもあるんだろう。

 急に振られた監督の長坂眞は苦笑する。ペンをくるくると器用に扱うと、台本に書き込みを行う。

「……まあそうね。いろいろ考えて撮りますよ」

「じゃ、犬が聖書を咥えるなんてどうCGで撮るんだよ、あんた現場の苦労を考えたことがあるのか!」

 折尾は収まらないのか、尚もそういうことを言う。

 相澤靖子が首を振った。

「ここは物語の中でキイになる重要な描写です。……すみません、先ほど書き直すといいましたが撤回します。ここは外せないシーンだと思いますので必ず残してください。妥協しません」

「時間が無限にあるわけじゃないんだ。わざわざドッグトレーナー呼ぶわけにもいかない。直せ」

「お断りします」

「ライターがよお、そんなこれは無理だとか、書き直せないとか言っていいのか。冗談じゃねえや」

「別にすべてを書き直さないといってるわけじゃなくって。ただ譲れない線があるといっているだけで」

「直さないって言ってんのと同じじゃねえか」

「違います」

「アニメみたいになんでもかんでも簡単に済ませられるんじゃないんだから。実写舐めてんじゃねえぞ」

「アニメが簡単と一言で切り捨てるのはいかがなものでしょうか」

「あんなの、適当に絵を動かしゃあいいだけだろ」

「わたしはあちらの世界に知人が多くいますが、みんな苦労しながら日々の仕事に追われています」

「どの業種でも日々仕事で苦労するのは当たり前だ」

 相澤靖子がはん、と洟で嗤った。

「……あの、すみません。そんな喧嘩腰で来られたら、こっちもどういう態度をとっていいのかわからないんですけど」

「あんただってずいぶん好戦的じゃねえか」

「仕掛けて来たのはそちらのほうでしょう」

 折尾がバン! とテーブルを叩いた。

「黙れ、アニメ野郎!」

「わたしは女です!」

 ……ああ、一触即発。 

 老ラインプロデューサー折尾仙助と美人シナリオライター相澤靖子はお互い一歩も譲らなかった。いきなり、険悪なムードが漂い始めたので真由香は内心頭を抱える。神長倉をちらりと横目で伺ったが、彼は無表情で何を考えているのかよくわからなかった。

「ハハハハ。もうちょっと穏やかに話し合いましょうよ。こんな初顔合わせからいきなり言い争いしてちゃマズいでしょ。これからしばらくこのメンバーで仕事やっていくんだから。ね?」

 長坂が苦笑して折尾と相澤のあいだに入った。普段はサングラスの強面監督だが、どうもこの場の空気に少し引いているようだった。

 折尾はふんと洟をならすとプイと横を向いた。相澤靖子は唇を噛み締めて、軽く目を伏せると「すみません」と小声で謝った。

 これは相当気まずいなあと真由香は思ったため、これまで挨拶以外に一言もしゃべっていない影の薄い女性二人をかえりみた。

「二人とも、なんか意見ないの?」

 折尾の隣に座っている北島衣里は、吠える老ラインプロデューサーの隣でずっと猫背になっていた。彼女は現在『飛翔戦軍スカイフォース』で天野正典の下、アシスタントラインプロデューサーを務めているが、今回の『超時空少年アラン』の企画に真っ先にスゴク面白いそうです! と手を挙げてくれた。

 まだ二十代後半のかよわき女性だが、とにかく何事においても常に頑張り屋であった。彼女の日頃の頑張りは真由香がよく認めるところでもあったので、今回のシリーズでは折尾と連名ではあるが、ラインプロデューサーに任命した。プロデューサー権限で。

 これはかなりの抜擢人事であったが、衣里ならやり遂げてくれるだろうとの期待を籠めた。番組が始まったら、『スカイフォース』と『トキオ』を掛け持ちで担当するという、恐ろしい毎日が待っている。

 衣里は「ちょっといいですか?」とおそるおそる手を挙げた。

「……この聖犬セントドッグには少年に信託を齎す重要な意味があります。このシーンは外せません。でもCGで犬の動きを表現すると画が軽くなる。絶対に削れません」

「じゃ、犬じゃなくすればいいじゃねえか」

 北島衣里が首を横に振った。

「いや、ここは絶対に犬で」

「お前も相当わかってねえな。俺たちは与えられた予算でオハナシを収めなきゃならないんだ。いろんな制約がある、キマリがある」

 折尾はトントンと拳でテーブルを叩いた。その動きは恫喝にも似た響きに感じられる。

「予算は戦軍の四分の一しかないんだ。撮影期間だって絞られてるのにもう少し財布の紐をキツくしてくんねえかなあ」

「……犬に賛成」

 か細い声の堀江津子が急に割り込んできた。この七人の中では最年少であるが、立場的には放送局の人間なので、ある意味最上位のスタッフといえるかもしれない。しかし、いかんせん影が薄い。

 しかしここでの彼女はわりと声が大きかった。

「他のシーンの予算を削っても、このシーンは犬で撮るべきです。確かに予算を守るのは大事です。でも、脚本家のイメージを大きく膨らませて、お話を守るのもわたしたちの仕事のうちじゃないでしょうか」

 相澤靖子はありがとう、と江津子に小さく頭を下げると折尾に改めて向き合った。

「……お願いできないでしょうか?」

 しかし結局、その後折尾は難しい顔になると「……とりあえず、先進めようや」と低い声を絞り出したので、その話の続きが展開されることはなかった。ほかにも決めないといけない内容が目白押しだったので、結局犬の登場の可否については長坂監督の現場判断となった。

 真由香は大きく息を吐く。

 すると、瞬間頭が大きくぐらりと揺れる感覚があった。

 ん? 眩暈か?

 しかしそのあとは平気だったので、もしかして貧血なのかなと思った。



「……本当に反省します。ついスイッチが入ってしまいました」

 打ち合わせが終了してメンバーがいったん解散した後、神長倉と相澤靖子を誘って真由香たちは社内の喫茶『ジャンヌ』に移動した。女シナリオライターは仏様にでもなったかのように、悟りきった顔になっている。

 真由香はアイスカフェラテをストローで啜る。

「結構武闘派ですよね。オリスケさんにあそこまで突っかかれるなんて感服しました。でもあの人、家に日本刀あるらしいから、あまり怒らせないほうが。斬られますよ」

「斬れるもんなら斬ってごらんなさいといった感じです」

「また、そういうことを言う」

 神長倉和明はホットコーヒーのカップを右にずらすと、アタッシェケースから紙の束を取り出した。事前に相澤靖子から提出してもらっている第一話の準備稿と、全十三話分のプロット及びサンプル台本である。

「でも、聖犬セットドッグのシーンは第一話だけじゃなくて全編出てくる予定ですよね。まだ折尾さんはご存じないようですが、さすがに今のままの展開のままでは難しいですね。再調整が必要かと」

 ―『超時空少年トキオ』は謎の少年・トキオが森の中で覚醒するシーンからスタートする。少年は記憶を失っていた。……記憶を失っているのに、なぜ自分の名前だけは知っているんだと思わる向きもあるかもしれない。しかしそんなことを気にしだしたら物語は前に進まないのである。気にしないでもらいたい。

少年の傍らにはトランクがあり、その中には何故かさまさまな服が詰まっていた。

 いったい自分は誰なんだと不審に思うと、唐突に謎の怪鳥がトキオを襲う。逃げ惑うトキオ・追う怪鳥。しかし遂にトキオは追いつめられる。もはやここまでか、と覚悟を決めるとそこになぜか颯爽と現れる五色のヒーロー! 彼らはあっという間に怪鳥を打ち倒し、あっという間に姿を消した。

 トキオは彼らはいったい何者なんだろうと疑問に思う。そこにふらり現れる三匹の犬。犬は聖書を咥えている。その聖書の内容にトキオは震撼する。そこにはある恐るべき内容が記されていた。

 『超時空少年トキオ』のスタートはそういった展開から始まる。過去の戦軍シリーズのヒーローを総出演させるという趣向は、必ずや日本全国のお子様と特撮愛好家の皆さんの度肝を抜くことは請け合いであると思われた。予算問題では、ありもののスーツを流用するだけなので、そんなに苦労することがない。こうして放送が年末まで続き、最終回には来年二〇一五年に放送される『恐竜戦軍ザウルスフォース』が登場し、コラボを果たす。そして、来るべきアニバーサリーイヤーにバトンを渡す予定だった。

 相澤靖子は謎の少年トキオの成長譚を骨太な筆で丁寧に書いている。最初は頼りない印象も、回を追うごとに成長を遂げていくさまを力強く描いていた。

「それは何とかします。でも第一話はできればあの展開のままで」

 女シナリオライターはぺこりと頭を下げた。彼女は彼女なりにそのシーンに思い入れがあるらしい。

 そして不意にまた真由香は頭の中身がぐらりと空になる感覚に襲われた。

ん?

 真由香はぶるんぶるんと首を振った。

「どうかされましたか?」

 神長倉が尋ねてくる。

 真由香は薄く笑みを浮かべると、「いや、ちょっと頭がぐらぐらとして」と答えておく。

 心配そうに相澤靖子が眉毛を八時二十分にした。

「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」

「平気ですよ、平気平気。ま、最近そんなに寝てないから」

 昨日も仕事を家に持ち帰って、ずっとノートパソコンに向かっていた。三時間しか寝ていない。最近そういった状態が長く続いている。

 神長倉は顎を人差し指で撫でた。

「病院で診てもらったほうが」

「本当に平気ですって。まだ若いから大丈夫……ま、それはさておいて、今度のオーディションについてですけどね」

 話題を切り替えるように、真由香は鞄から別の書類を取りだした。

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