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 二〇一四年六月。 

 『ボーイ・ミーツ・戦軍』改め『時空少年アラン』改め『超時空少年トキオ』の制作の核となるメインスタッフが次々と決まっていった。脚本に相澤靖子、パイロット監督に長坂眞、劇伴音楽担当にアンドレ堺を迎えることになった。

 相澤靖子はアニメーション作品を主に執筆し、過去の戦軍作品にゲスト的な立場で参加したこともある女性シナリオライターである。真由香は誰に仕事を依頼しようかと頭を悩ませたとき、神長倉より推薦があった。神長倉は彼女の作品をよく見ていたらしく、「一つ一つのセリフに骨があるんです。力強い作品を書くライターです」と言ってきたのだ。そう言われてみて過去の戦軍作品を見ると、確かにそういう印象を受けた。彼女に打診すると、なんとかスケジュールの調整もついた。『超時空少年トキオ』全十三本は、彼女に書いてもらうつもりでいる。

 監督の長坂眞はこれまでオリジナルビデオ作品を主戦場にしていた監督で、真由香とは過去何本かの作品で組んだことがある。ホラーやバイオレンスを得意としている。もともとは戦軍シリーズで助監督を務めていたこともあり、戦軍で監督を担当したこともあるそうだ。実は昨年も『飛翔戦軍スカイフォース』のパイロット監督に招聘したこともあったが、スケジュールの都合で実現しなかった。今回、拘束期間が一年というわけでもなく、撮影期間がまだ短いのですんなりと話が纏まった。仕事は早く、無駄がない。頼りになる演出家という印象だ。年齢は四十手前。

 劇伴音楽担当のアンドレ堺は真由香とは今回の仕事が初顔合わせである。東光の特撮作品の音楽面を担当するレコード会社の山西成和ディレクターに推薦してもらった。アンドレ堺はこれまでも戦軍シリーズに何作品化に携わっており、それまでの仕事のCDやデモテープを聞かせてもらって、最終的には仕事を依頼したいと思うようになった。因みにアンドレ堺という名前こそファンキーだが、本人はちょび髭をはやした浅草生まれの生粋の日本人である。

 このメンバーと連日作品会議が東光本社で行われるようになった。真由香にしてみれば『スカイフォース』の同時進行の作業なわけで、それだけで頭も体も連日オーバーヒートしそうな事態だった。このところあまりに忙しすぎて、一人でカラオケに行く時間も精神的余裕もないくらい。

 とにかくそれだけでも一大事だったが、その一方で真由香が頭を悩ませる厄介な事態が新たに進行していた。



「もう予想外なわけ。まさか秋口から同時に二本刑事ドラマが走ることになるとはね。マンパワー不足。全然人が足りない」

 東光テレビプロダクションの社長室で、同社代表取締役社長の黒井川淳は深々と溜め息をついた。恰幅の良い還暦手前の中年男で、いつも朗らかに陽気に笑う気のいいおっさんという印象だが、今日はシリアスな雰囲気を漂わせている。

 六月九日月曜日。仏滅だった。

「……どうして急にそんなことになったんですか?」

 真由香もうーんと唸ってしまった。当初思い描いた構想が、どうにも狂いそうだった。

「氷谷さんがゴネたんだよ。今回は半年じゃなくて一年続けたいって急に卓袱台ひっくり返しちゃった。もう現場はてんやわんや。いやウチとしては嬉しいんだけどさ。でも、ほかのシリーズの兼ね合いもあるし、いったいどうすんのよってこと」

「今急いでスタッフ掻き集めてる。……まあ、氷谷さんのわがままにはみんな慣れっこなんだけどね。さすがに今回のケースはスケールが違いすぎる」

 黒井川の隣で疲れた声を出すのが東光テレビプロの事業部部長の坪井昭平だった。こちらも普段は穏やかな人柄だが、目が笑っていない。

 因みに二人とももともとは東光株式会社のテレビ事業部出身で、今はテレビプロに在籍している。真由香の大先輩である。今後もずっとテレビプロに籍を置き続けるかもしれないし、本社に戻ってくるかもしれない。また別の子会社に出向するかもしれない……真由香には人事の話はよく分からない。

 それはともかく。

 真由香は咳払いすると、アイスコーヒーに口をつけた。

「わたしはよくわからないんでけど、やっぱり氷谷さんって扱いづらいんですか? 女王のさじ加減一つで馴染みのスタッフの首が飛ぶこともあるし、みんな手を焼いてるという噂をよく耳にします」

 黒井川と坪井が思わす顔を見合わせた。

 黒井川が咳払いする。

「普段はいい人なんだよ。まあプロだからね、仕事はちゃんとやるよ。さすがは名女優。でも完璧主義者だからね、どれだけ周りが辛い思いをするかってことなんだろうけど……」

 氷谷逸美。

 日本を代表するベテラン女優。そして東光が制作する人気刑事ドラマ『七人の女刑事』のメイン主役でもある。

 『七人の女刑事』はテレビ太陽と東光が制作する刑事ドラマである。警視庁が組織する架空の女性ばかり七人のエリート刑事が所属する女特命捜査課を舞台にした物語で、さまざまな巨悪と戦うヒューマンポリスストーリーだった。一九九九年四月に放送開始し、二〇〇九年三月まで十年間放送された。放送枠は毎週水曜日二十一時。番組の最高視聴率は34.7%。平均視聴率も十年間で15を超えた。昨今のテレビドラマの視聴率で、ここまで驚異的なレーティングを誇った作品は他にはない。

 そして番組の人気を一手に背負っていたのが主役の神代恭子警視正を演じた氷谷逸美だった。氷谷は番組が始まった頃は四十台前半の女優で、凛凛しい佇まいと味深い演技が多くの視聴者の支持を得た。

 レギュラー放送は二〇〇九年三月に一旦終焉を迎える。決して数字が落ちてやめたとか、ネタがなくなって打ち切りになったわけではない。その頃も特に数字が衰えていたというわけでもなかった。氷谷逸美が「飽きた」「休みたい」「休んだ後、他の仕事をしたい」とダダをこねて仕方なく一旦番組の幕を下ろすことになったのだ。『七人の女刑事』最終回二時間半スペシャル「神代警視正の愛の十字架」は視聴率29.9%という記録でフィナーレを迎えた。

 当然こんな人気番組、そのままで終わらせる手はない。番組が終わった後、視聴者やスポンサーからのラブコールも絶えなかった。連日東光とテレビ太陽の幹部連中が氷谷逸美本人やその所属事務所の元を訪れ、続編の打診を行った。最初は「もう刑事ドラマなんてコリゴリ」とパート2の制作に消極的だったベテラン女優も、ギャランティの大幅アップの提案はかなり魅力的だったようで、最終的には「やってもいい」と了承した。聞くところによると一本のギャラは一時間あたり五百万と聞いている。これは女優のランクでは日本では最盛期の松嶋菜々子を超えて間違いなくトップクラスで、男優と比較しても、田村正和や木村拓哉といった一流どころと同格であるらしい。

 ……因みに戦軍シリーズの子たちは三十分一律五万円である。当然事務所が諸経費を差っ引くだろうから、末端が受け取る金額はもっと悲惨なものになるはずだった。ヒーローで主役であったとしても、新人ランクなのでそういうギャラ設定に抑えられているのだ。

 それはさておき。

 氷谷逸美は通年の放送でスケジュールは拘束されたくないと要求してきた。番組の最終回を終えてちょうど一年たった二〇一〇年春より『七人の女刑事 season2』が半年間限定で放送開始になった。そしてこの続編が尚好評を博し、各回の視聴率平均が二十五を超えた。秋に番組終了するが、当然「来年春からも何卒」ということになり、以降『七人の女刑事』は毎年春から新作シリーズが半年間放送されるのが恒例となる。現在はseason6が絶賛放送中で、今尚高視聴率は揺るがない。東光とテレビ太陽にとってはドル箱の人気シリーズなのである。今日は六月九日だが、通常ならもうそろそろ秋口放送の最終回の撮影に向けての準備が始まる時期だった。

ところが、あれだけ通年の放送に難色を示していた氷谷逸美が今年に限っては「一年続けたい」と意欲を示した。どうやら『七人の女刑事』は自身のライフワークであると遅まきながらに気づいたらしく、「このまま立ち止まりたくない」という思いもあるそうで、このまま撮影を続けたいとダダをこねているという。

 当然高視聴率ドラマをみすみす終わらせる手はなく、スポンサーも局もぜひそのまま続けろと大合唱、どうやら秋から来年春までseason6は半年間の放送延長が決定する見込みである。

 ただそうなると、一つ問題がある。

 もともと『七人の女刑事』は半年間放送予定だったので、秋から別の刑事ドラマが放送予定だった。『情熱刑事』という熱血刑事モノでこちらも東光制作である。『七人の女刑事』と違い、こちらは男ばかり八人が躍動するハミダシ刑事ものである。テレビ太陽の水曜二十一時枠は、東光が長年枠を確保している時間帯だった。この『情熱刑事』もこれまでシリーズは六作を数える人気作品ではあるが、平均視聴率は十二そこそこ。十分人気作品であるといえるのだが、いかんせん『七人の女刑事』に比べればレーティングは見劣りする。局や東光としては『七人の女刑事』を水曜二十一時枠でそのまま続けたいが、『情熱刑事』の制作をいまさらとりやめるわけにはいかない。

 いろいろな紆余曲折を経て、『情熱刑事』は金曜二十一時の時間帯が半年間確保できた。現在はその枠で放送ができるように調整が進められている。『情熱刑事』の主役を演じる神田川雅史もそれで納得しているらしい。

 しかし結果、東光テレビプロダクションでは急遽同時に半年間に亘って二本の刑事ドラマを制作しなければならないことになった。断わっておくが、これは別段不可能な状況というわけではない。ただしそれは入念な準備や人集めの元に成り立つわけで、今回のようにハプニング的に制作が決定すると、さすがに厳しいものがある。

 今日真由香は黒井川社長に『超時空少年トキオ』の制作スタッフメンバーについての相談でやってきて、そういうややこしい事態になっているのを聞かされた。噂には聞いていたが、予想以上に面倒な事態に思えた。

 ……東光テレビプロダクションは今、深刻な人手不足なのだった。

「人が足りないなあ。本当に人が足りない」

 黒井川は同じフレーズを二回繰り返した。

「もう『七人の女刑事』と『情熱刑事』でスタッフの奪い合いだよ。で、スタッフのみんなに希望を聞くじゃない? どっちの現場で働きたいって……どっちの現場が人気あると思う?」

「そりゃ」

 真由香は即答する。「『情熱刑事』でしょうね」

 黒井川は「その通り」と頷いた。

「『七人の女刑事』はそりゃ高視聴率番組だよ。でも主役のこだわりがすごいから、長時間拘束される、現場の空気も重くて、氷谷さんが扱いづらいから仕事がしにくい、必然仕事がキツくなる……一方、『情熱刑事』の神田川さんは現場が明るい。仕事を早く終わらせて、毎日神田川さん主催の呑み会でどんちゃん騒ぎだよ。それで同じギャラなら、みんな『情熱』に行きたがるよ。そこを何とかって『七人の女刑事』で頑張ってもらうように頭下げてるんだよ。でもみんなイヤがるんだ、女王をね」

 女王とは当然氷谷逸美のことを指す。

 女王はとにかく陰湿でワガママだった。周りのスタッフとキャストは従者であり、しもべだった。撮影スケジュールは主役最優先、周囲はすべてイエスマンを取り揃える、少しの失敗も許さずへまを犯した人間は簡単によその現場に追放した。皆腫物を扱うように、女王に接しているらしい。

 真由香は直接の面識はないが、撮影所内で何度か見かけたことがある。テレビの画面を通すとあんなににこやかで庶民的で気さくな美人に感じられるのに、実物はとてもそんなふうに思えなかった。おつきのスタッフは絶えずピリピリしており、高圧的な空気を醸し出している。ああ、こういう気難しい人間とはいっしょに仕事をしたくないなあとつくづく感じたものだ。

 黒井川と坪井は東光テレビプロダクションでのスタッフ人事を掌握しているが、その采配については頭をかなり悩ませているようだった。

 それはさておき。

 黒井川社長は『超時空少年トキオ』の企画書を手に取った。

うーん、と唸る。

「インは八月初めだよね」

「十月第一週に放送開始です」

「無茶言っていい?」

「無茶の加減によりますが」

「開始ずらすことはできない?」

 真由香は首を横に振った。「無理です」

「そこをなんとか」

「できない相談です」

「BS放送なんだから、スタート開始時期の融通とかきかないもんかねえ」

「そこはBSも地上波も関係ないと思います。スポンサーもスタッフも完全に制作意思が一致してるんです。十月スタートはもう動かすことはできません。オーディションだって今月末に行うことになってますし」

「そうなんだよね、そうなんだよ……ちょっと言ってみただけ。忘れてちょうだい」

 黒井川が遠い目つきになる。

「うちとしては喜ばないといけないよね。昨今ドラマの本数が減ってきてるのに、こうして受注が何本ももらえる。嬉しい限りだよ。でもなぜこの時期に一気に集中するかなあ」

「ピンチはチャンスなんですよ」

 真由香は言葉に力を込めた。平松愛理の唄のフレーズが一瞬脳裏をかすめる。

「戦軍チームでも、みんな新しい特撮シリーズなら是非やってみたいと手を挙げる若手の子たちがいっぱいいるんです。確かに苦しい時期ですが、どんどん新しい人材がこういったタイミングで出てくるんです」

「うん、あなたの言うこともわかる」

 坪井昭平が頷いた。

「でもみんなに苦労かけることになると思うよ。労働時間一日二十時間なんてことになるかもね。そうなると、労組が黙ってないし」

 東光の労組とはたまに会合で真由香も顔を合わせるが、「労働時間を抑えるように」といつもよく釘を刺されている。

 坪井がふう、と大きく息を吐いた。

「……とにかくそういうときはね、こういう局面で頼りになるのはベテランの制作担当だな」

「では、『トキオ』にはどなたをラインプロデューサーに配置していただけるんですか?」

「まあ、とにかく頼りになるおやっさんだよ」

 坪井が太鼓判を押した。番組に関わるスタッフの大まかなシフトはこの男が作成しており、ある程度の権限を握っていた。

「制作現場の酸いも甘いも知り尽くした職人にお願いすることにしました。昨日電話でお願いしたら二つ返事で引き受けてくれたよ」

 真由香の胸のうちがすっと楽になった。

「よくそんな方を手配できましたね。人手不足の折、非常に助かります」

「いや大変なんだよ。でも何とかなりました。BSとはいえ、三十年ぶりのゴールデンタイムの特撮ドラマ、成功してもらいたいじゃない」

「ありがとうございます」

 真由香は心の底から感謝して、二人に頭を下げた。台所事情が苦しいにもかかわらず、ちゃんと『超時空少年トキオ』のことを考えてくれていると感じた。

「で、誰なんですか? そのベテランって。もったいぶらずに教えてくださいよお」

「折尾さんだよ」

 坪井がにこやかにそう言い放った。

「オリスケさん。七十手前だけど、刀は錆びてないから」

「……え」

 真由香の脳裏を、あの不気味なカエルの像が一瞬掠めた。


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