呼称は重要

 俺が自分から進んで何かを選ぶ時の動機というのは、常に『なんかすげえ』だった。

 中学の部活は、校内をふらふら適当に歩いてたらビシバシラリーしてるのを見かけて、マジすげーと思ってあっさり卓球部に入って、ノリも雰囲気も合ってたおかげかそこそこランクにまで行けて、未だに当時の仲間とは仲がいいし、この高校も成績的にはちょっと危ねえかもって感じではあったけど、屋上全解放とか校内合宿とか謎の掃除ルールとか、公立の割には変な特徴があるのがなんか気になって、ブースト掛けて入ってみたらやっぱ面白くて。

 だから、浦上に声を掛けたのも、すげえ長い前髪、うざくないんかな、から始まったんだけど、こんな展開になるとか、俺の勘もまんざらじゃないんじゃね?とか思うわけで。

 「えっ、あの、ほんとに!?ほんとにいいの!?三人とも!?」

 「はい。ただ、俺だけ早めに帰らないとまずい日もあるんですけど」

 「だ、大丈夫!これまでも塾とかそういう時は皆で調整してきたから!有難う!じゃああの、さっそく入部届……あっ、まだ先生からもらって来てなかった!」

 「真雪真雪ー、落ち着いてはい深呼吸ー。こんなこともあろうかとちゃーんと用意してあるからー」

 「えー、二枚しか用意してないとかなにこの微生物。そのごま団子ぺっしゃんこにしてただでさえ小さいのをさらに縮めますよ?」

 「既に実行しながら言わないー!!それにわたし団子がなくてもあと1センチで大台に乗るんだからー!!」

 「いや、150センチ台は客観的に見ても大台って言わねえっす」

 反射的にそう突っ込みながら、木原くん何気にひどいー!とじたばたしている副部長、それから、慌て過ぎてペン立てをひっくり返してパニくっている部長をフォローしながら、割とここもいい感じじゃねえの、とか思ったりしつつ、俺はプレハブの中を見回した。

 あらためて言うまでもなく、建物は目に見えてボロい。台風来たら色々とやばいんじゃレベルって感じではあるけど、さすが女子ばっかりの文化系だけに、床も棚も小奇麗だ。入口近くの壁にわざわざ取り付けたらしい星とか月とかの可愛い系フックには、部屋用の箒とチリトリが引っ掛けてあるし、備品か資料らしい本や、でかいステープラーなんかもスチールラックに整然と並べてあって、汗臭さとは縁がなさげだけど、

 「ええと、じゃあ三人ともそっちに掛けてもらって……うわ、迎くん椅子大丈夫!?」

 「んー、長引くとやばそうなんで、しばらくは空気椅子で耐えときます」

 そんなとこに、こいつみたいないかつい体格のやつが平然といるっていうのは、なんか変な光景だ。しかも、座ったとたんにやかましく軋みを上げたパイプ椅子を見下ろして、マジで座面から腰を浮かせてるし。

 「えっ、それは辛いよ!そうだ、先生に頼んで丸椅子借りてくるから!小鈴、ちょっと説明とかお願いしておいていいかな!」

 「そこまでしてあげなくてもー!この子無駄に大きいから窓枠にでも座らせとけばー!もー、まーゆーきー!!」

 「先輩せんぱいー、こいつ憎しで廃部の危機とか頭からすっとんでませんかー」

 椅子を蹴り倒す勢いで、すぐさま部室を飛び出していった堤先輩の背中に掛けた台詞に俺がそう指摘すると、戸口まで出て行ってた望月先輩は、ぴくりと身を震わせて。

 くるりと振り返るなり、ずかずかと元の位置、つまり部屋の真ん中にある長机を挟んで、奥から浦上、俺、迎の順で座っている向かいの椅子に、妙にきちんと座り直すと、

 「ごめん、真面目にやります。三人とも、あらためて来てくれてありがとう」

 膝に手を揃えて、丸い団子頭が綺麗に見えるくらいに深々と頭を下げてきて、ちょっと驚いていると、すっと顔を戻して、俺たちを順に見てきて。

 「あと、真雪のこと助けてくれたのも。とりあえず速攻で陸上部に苦情入れてきたから、部長ががっちりシメてくれると思うし、浦上くんはもう気にしなくていいからねー」

 「……はい。有難うございます」

 謝ろうとする気配をきっぱり遮ってきた言葉に、浦上が一拍置いて素直に受けたのに、先輩はよしよし、と満足げに頷くと、机の上に置いていた花柄のファンシーな缶を開けて、底の方に隠すように入っていた、もう一枚の入部届を出してきた。

 「なんだ、俺の分もあるんじゃないですか。最初から素直に出しときゃいいのに」

 「絶対三人は入れてみせる、って思った時に持って来てただけですー!ていうか、三枚だけじゃないし!予備にあと三枚念のため用意してるしー!」

 「そんなに数揃いますかねー。だいたい他の二人はともかくとして、俺は冷やかし気分満載なんですけど?」

 微妙に語尾を上げつつ、口の端を吊り上げた迎の目つきに、あ、こいつわざと煽ってる、と察して、どうすっかなと先輩の方を見てみると、

 「いいよ、仮入部って元からそんなもんだしー。けど、わたしはさておき、上げといて落とすような真似だけはしないでねー」

 あからさまにむっとした気配を発散しまくりながら、それでもちゃんと届を差し出してくると、迎を真っ向から睨み付けてきた。……釘刺し、ってことか。

 それを受けた迎は、ひょい、と細い眉を上げると、A4の半分(てことはA5でいいのか)の紙を指でつまみ上げて、ひらひらと振ってみせて。

 「そのへんの区別は一応つけますよ、俺。まあ、ノリと気分によったりしますけど」

 机の上に置くと、堤先輩が並べてくれていたボールペンを取り上げて、クラスと名前をさらさらと書き始めた。……どうでもいいけど、字、めっちゃ綺麗だなこいつ。

 右横を見れば、いつの間にか浦上も黙々と書き始めているのを見て、ともかく俺も、とペンを取り上げると、少ない項目をさっさと埋めていく。

 まず一番上に、図書部(仮・本)入部届、とある方の『仮』に丸を付けて、学年クラス、それから別に必須じゃない気もする出席番号、名前を書いたら、あとは『入部理由』だ。

 そういや中学の時にも書いたなー、とか思い出しながら、文面を考える。卓球部の時は、ラリーが凄くて自分でもプレイしたいと思った、だったはずだけど、ここの活動内容は、ぶっちゃけやってみないと分かんねえし、正直に書いとくか、とあっさり決めてしまうと、先輩二人の、まで書いたところで、左手からボールペンを机に置く音が響いた。

 なんだかんだ言ってるわりにはえーなー、と思って顔を向けると、見直しているのか、白い天板に置いたそれに目をやっているのをなんとなく追ってみる。……あ、さりげなく空気椅子止めてやがるし。まあいいけど。

 一番最初に目に入ってきたのは、理由欄にでかでかと書かれた『興味本位』の四文字で、なんか四角いハンコ横に押せばどっかに出せそうなレベルなだけに、違和感もハンパない。

 次に名前欄を見てみると、一年五組、迎 信慈、とあるものの、ふりがな欄がないからパッと見読みが分からない。単純に音読みでシンジでいいんかな、と聞こうとした時、

 「迎の家、寺なのか?」

 そのものずばりの質問を浦上が飛ばしてきて、俺はフェイントで吹いてしまった。

 「ちょ、お前発想がまんますぎ!そりゃ、俺だって全然思わなかったわけじゃないけど!」

 「でも、頭も名前の字もなんかそんな感じだよねー?違うの?」

 いつもの調子に戻った感じで、望月先輩までそう尋ねてきたのに、迎はあっさりと首を横に振って、

 「いいや、ほんとマジでただのサラリーマン一家。近い親戚にも別にいないし」

 「なんだー、じゃあ、丸坊主なのはただの趣味かー……」

 「そっちは、理由はありますよ」

 妙なガッカリ感をにじませた先輩の言葉に、やたら爽やかな笑顔を作ると、平然と後を続けた。

 「ほら、俺、割と顔がいいじゃないですか。だから髪伸ばしてた時、やたらモテるんでめんどくさくなって剃ったらさーっと引いていってくれたんで」

 「へーそうなんだー。ところで名前なんて読むの?シンジ?それかノブなんとか?」

 「……全力でスルーですね、先輩」

 「ツッコミ待ち前提の前振りとか絶対乗らないしー。ほらほらー、部員名簿作らないといけないんだから早く早くー」

 一応フォローしておくと、男から見ても女から見ても迎は『格好いい』寄りの見た目だ。ただ、本人が言った通りに、坊主の時点でちょっと引くやつは実際多いけども。

 それはさておき、まるでトンボ相手にするように、ピンクのシャーペンをくるくる回しながら急かす望月先輩に、迎はまた小さく笑うと、

 「シンジでいいですよ。どうせあだ名もそればっかだし」

 軽い感じでそう言い捨ててきたのに、俺は少し引っ掛かりを覚えた。なんとなくだけど、さっきの俺モテる系ネタとはトーンが違う気がして。

 そのへんは他の二人も同じだったのか、浦上がまず、すっと目を上げて。

 それから、先輩が難しい表情を作って、腕を組んでうーん、と声を上げると、

 「てことは、ノブなんとかだよね……普通に呼んだら『じ』だし、あと『いつくしむ』以外になんか読み方ってあったっけー?スマホで調べてもいいー?」

 「確か、『シゲ』『ナリ』って読むのはどっかで見た気がします」

 「おー、一気に歴史系感出るなー。迎、この時点で正解ねえの?」

 俺がそう投げてみると、迎はなんでだか、一瞬、目を見張って。

 「……出てないけど。なんで、そんなよってたかって聞いてくんの」

 どっか意外そうに返してきたのに、もう調べ始めていたらしい望月先輩が、スマホから顔を上げないまま答えてきた。

 「だって、名前って大事でしょ?それに凄くいい漢字だし、ちゃんと正しく読まなきゃ、考えてくれた人にも申し訳ないって思うからさー」


 至極当然って感じで返された言葉に、もう一回、眉が上がるくらいに目を見開いて。

 それから、なんかすっげえ不本意っぽく、口元をへの字にして、息を吐いて。


 「ノブチカ、ですよ。俺の名前」

 はっきりと、全員の耳に届かせるように言ってきた迎の声に、真っ先に先輩が反応して、

 「えー!?ちょっとーなんでそこであっさり正解オープンなわけー!?ここまで来たら誰か当てた人に豪華特典が!とかあってもいいのにー!」

 「当てられるのもなんかむかついたんでー。あ、なんだったらあだ名命名権くらいなら進呈してやってもいいですけどー」

 「うわーその語尾伸ばされるのすっごいイラッとするー!!こうなったらめちゃくちゃ似合わないあだ名つけて……そうだ、チカって可愛い響きだからチカにしよう!」

 「あえてそっち!?ノブじゃなくて!?」

 「分かりやすくて、いい気もするけどな」

 俺のツッコミにぼそっと続けた浦上が、ふいにぴくりと身を震わせる。相変わらず野生動物的な反応すんなー、と思うが早いか、椅子を鳴らして立ち上がって。

 「悪い、木原、チカ、後ろ通る」

 「はいはい、どうぞー」

 結構ギリな壁と椅子の間をすり抜けざま、えらくナチュラルに呼びながら通っていった後に、またこれもナチュラルに返した迎は、しばらくしてからちょっと、首を傾げて。

 「……全部持ちますから。だから、こういうのは俺らを呼んでください」

 「ご、ごめん!でもあのせっかくだし、五脚くらいなら持って行けるかなって思って!」

 と、そういえば開けっ放しだった戸口の方から、淡々とした浦上の声と、慌てたような堤先輩の声が飛んできて。

 何事だよ、と顔を向けると、濃い緑と朱色っぽい赤と、まあ新しそうだけど座面の色は微妙な丸椅子の足を掴んで、両手に三対二で持ってる浦上に続いて、三つ編み部長が何かすまなさそうな顔で、部室に入ってきて。

 「真雪ーいいとこに帰ってきたー!ノブとチカならチカの方がいいよね!?」

 「え?な、何が!?何のこと!?」

 「あだ名ー!この際もう部長権限で決めちゃっていいからー!」

 「……なんか、もう詰めに入ってるけど、いいんか?」

 「うーん、ごま団子に最終決定されるよりはまだマシって気がするから、いいわ」

 「木原、チカ、悪いけど、椅子取り換えるから立ってくれ」

 ダッシュで駆け寄るなり、何もかも飛ばしまくって決断を迫る副部長と、ひたすら訳も分からずにうろたえている部長を遠巻きに眺めながら、俺と迎は浦上に言われるがままに、ボロいパイプ椅子をガタガタと畳み始めた。



 それで、結局どうなったかというと、

 「え、ええと、良く分からないけど、ノブ、だったらノブさんっていう感じで、チカ、だったらチカちゃん、っていう雰囲気かなって……」

 「チカちゃん!よし、短い可愛い呼びやすい!ということで迎くんはチカちゃんでー!」

 と、部長のひとことが決め手になって、マジでそれに決まってしまった。

 しかし、副部長、そのうちチカの逆襲が待ってる気がすんだけどなあ。まあ、別にいいけど。

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