理由は不明瞭

 やっと十六年目に入った人生のうちで、一度も部活というものに入ったことがない、と話すと、何故か相手に驚かれることが多い。理由を聞けば単純なことで、それなりに足が速いからだそうだが、競技的に言えば俺より上などそれこそ山といたし、特に向いているとも思えなかった上にあまり暇がなかったから、今までずっと帰宅部で過ごしてきた。

 とはいえ、クラブ活動自体に全く興味がないと言い切るほどでもないので、気が向けばどこかに入ってみるか、程度には考えていたものの、

 「……浦上くん、木原くんも、図書部に入ることを検討してもらえないでしょうか」

 運動系ならまだしも、こうも可能性としてすら考えていなかったような系列で、しかも向こうから誘いが来ることなど、まったく予想もしていなくて。

 金曜日の朝、八時二十七分。いい加減混んできた昇降口に、あくび混じりのだるそうな顔からやたらテンションの高い人まで、飛び交う挨拶と足音がそこら中に響く時間。

 そんな中で、ひときわ真剣な表情で俺と木原を順に見てきた堤先輩(今日は三つ編みが背中の方に垂らしてある)は、手にした残りのビラを握り締めて、次第に不安そうな顔になっていって。

 「あの、無理にとは言わないから。正直言えばうちの活動って地味だし、女子ばっかり、というか私と小鈴しかいないし、部室とか古いしこれから暑くなるし冷房とかかろうじて古い扇風機しかないし湿気多いけど、それから」

 「ちょ、堤先輩、逆効果逆効果ー。普通はもうちょっと取り繕ったりポジティブな面を強調するもんじゃないんすか?」

 ことさらに自分に不利になるような点ばかりずらずらと並べてくるのに、木原が笑いながらそう指摘すると、先輩はちょっと俯いて、

 「上げておいて落とすより、もうマイナスポイント先に公開しておいた方が、少しでも良く思ってもらえるかなって……ただでさえ創作、っていう時点で敷居高い扱いされるし」

 「……そうっすね、確かに。全くやったことないですし」

 手渡されたビラを読んでみると、書評とオリジナル創作活動、と書かれていて、会誌はそういう内容がメインらしいから、まずそこで腰が引ける。思い当たるそれらしい経験と言えば、せいぜい課題図書の読書感想文を書かされたくらいで、無理に必要な文字数分をひねりだした適当なものでしかなくて。

 そんなことを考えていると、堤先輩はさっと顔を上げて、

 「でもね、私も最初は引き込まれた方だから戸惑ってたけど、図書室で面白い本を発掘するのは楽しいし、自分の言葉で誰かがそれを手に取ってくれるのも嬉しいし……それで、段々と好きになってきたから。それに」

 癖なのか、胸元で右の手を軽く握って、やけに一生懸命な様子で説得にかかってきた時、その背後にすっと現れた人物に、俺は思わず眉を寄せた。

 「おい、話中悪いんだけど、堤部長」

 唐突に後ろから掛けられた声に、一瞬びくりとして振り向いた先輩は、相手の顔を見るなり、ほっと息を吐いた。どうやら、俺と木原と同様、顔見知りであるらしい。

 「今井いまいくん。おはよう、何か連絡事項でもあった?」

 その視線の先に立つのは、きっちりとブレザーを着こみ、赤いネクタイを締めた二年の男子だった。ソフトモヒカンを適当に崩したような短髪に広い額、はっきりした太い眉と切れ長の一重の目は、昨日の今日レベル過ぎて忘れようもない。

 ともかく、その先輩は傍に立つこちらに気付くと、一瞬意外そうな表情を作ったが、

 「いや、なんか、そっちの副部長がな……校門のとこでにやにやしたでかい一年坊主に絡まれてたけど、あれ放置しといて大丈夫なのかと思って」

 「……見た目描写、めっちゃ的確過ぎんだけど」

 小さく吹いた木原の台詞の通りに、間違いなく迎だろうが、やはり望月先輩への態度は他の人にもそう見えるものらしい。妙に納得していると、堤先輩は途端に慌てだして、

 「本当!?有難う、加勢してこなきゃ……あっ、あの二人とも中途半端になっちゃったけど、話したこと考えておいてもらえると!」

 「はい。ちゃんと、返事はします」

 黒のローファーが脱げそうな勢いで踵を返して、既に数歩扉の方へと向かいかけていた背中にそう答えを投げると、まるで、俺の言葉が質量を持ってぶつかったように、先輩はちょっと、足をよろめかせて。

 長い三つ編みの先が目に見えて振れるくらいに、くるりとこっちを向いてくると、

 「あの、有難う!それだけでも凄く嬉しいです!」

 少し頬を赤くしながら、ストレートにそれだけを告げると、今度こそ後も見ずに走っていった。……昨日、あんだけぐったりしてたのに、大丈夫なんだろうか。

 「なんつか、意外と根性あんなー、あの人。見た目大人しそうなのに」

 「そうだな」

 どこか感心したように言ってきた木原にそう応じながら、消えた先から目を離しがたい自分に気付いて、どうしたもんかと一瞬考える。

 なんとなく気には掛かるものの、時間も時間だし、何よりここでぼうっと突っ立っているのも他の人の邪魔にしかならない。行くか、と木原に声を掛けるつもりで横を向くと、

 「お前ら、図書部に誘われたのか?」

 微妙に探るような声と台詞に、ざわりと何かが逆立てられた気がして、振り返る。

 こちらよりも当然高く、木原よりは少し低い目線に合わせるように顎を上げて見据えると、相手の瞼が微かにひくつくのを認めて、俺は口を開きかけたが、

 「あ、そうっすけどー。でもさっき言われたばっかだし、まあ一応考えてみっかなー、みたいな感じでー」

 形になる一歩手前の時点で、至って軽く、滑らかな調子の木原の声がそれを押し止める。どうやら柔らかい警告らしい、と受け取った俺は、合わせるようにひとつ頷いた。

 「俺もです。真面目に言ってくれたみたいなんで」

 与えられた印象を短く返してみると、今井先輩だとあらためて知った顔が、口元を苦く歪ませて、

 「……こっちだって、真剣なんだよ」

 そう吐き捨てるなり、淡いグレーのコンクリの床を苛立たしげにひと蹴りすると、荒い足取りのまま、教室棟へと向かっていってしまった。

 さっき見送った背中と、ほぼ正反対な心証しか抱けないそれを目で追っていると、手にした黒のボストンを肩に掛け直した木原が、珍しく声を落として、

 「あっちはやたらしつけーなー。なんか、まだ諦めてないっぽいけど大丈夫そうか?」

 「ああ。別に、気は変わってないし」

 若干心配そうに言ってくるのにそう応じて、必然的に後を追うように歩き出しながら、ゲージがゼロからさらにマイナスに振れた気がして、俺はまた眉を寄せた。



 とはいえ、さすがに授業には何の影響もなく、のろのろと時間割通りに時は進んで。

 「なんだ、やっぱりお前らも誘われてたか。うわーなにこれ両手に微妙な花状態ーとか思ってたのに」

 「……微妙って、どっちだ」

 藤宮市にある高校の中でも珍しいらしい、昼休み、放課後とも全校生徒に解放された、教室棟の屋上。その北端の、丈高いグリーンのフェンスの前で。

 わざわざ持って来たらしい、フラッグめいた赤と白の市松模様のレジャーシートの上に、あぐらを組んでいるでかいスキンヘッドに、俺は昼飯を食う手を止めてそう尋ねていた。

 と、迎は手にしていたアルミ製の弁当箱(これもでかい)の中からうずらの卵を選んで、器用に箸でつまみ上げながら、おかしそうに口の端を上げると、

 「どっちも。ちっちゃいのはまあ言うまでもないけど、部長の方も切羽詰まってるとは思うけどさ、俺みたいな不真面目そうなのをまともに説得しようとしてくんだから」

 「それ、『そう』はいらねえんじゃねえの?」

 「かもねえ。でも、面白そうなことだけにはいたって真面目よ、俺は」

 海苔でまんべんなく巻かれたおにぎりを手に、間髪入れずに突っ込んだ木原に、平然とそう返してきた迎は、三人が車座になったその真ん中に置かれた例のビラに目をやると、行儀悪く箸の先でつつくような仕草をして。

 「ま、内容は可もなく不可もなくって感じだから、決め手に欠けるんだよね、要するに。あのミニマムごま団子ぐりぐりしながら遊ぶのは、別に入部しなくたって出来るわけだし、俺としてはもう一撃きっついのが欲しいっていうか?」

 「インパクト勝負かよ!だいたい、お前確か野球部にスカウトされたとか言ってたのはどうしたんだよ!」

 「気が向かないから行く気ないわー。あそこよりによって女子マネじゃなく男マネだし、顧問もおっさんだし心のオアシス皆無じゃん」

 「女マネなんかバレー部くらいしかいねえよ!しかも女子の方だし!」

 そんな風にまるでコンビめいて調子よく言葉を交わしている二人の姿を見やって、俺はふっと妙な心地を覚えた。


 ……つるむのが苦手らしい、って聞いてたのは、違ったのか。


 木原も俺も、別に元から迎と面識があったわけでもないが、その存在だけは知っていた。何しろガタイがいいし、加えて坊主とくれば否応なしに目に入らずにはいられないので、入学式の時から、五組にやけにいかついのがいる、と周りで話題に上っていたくらいで。

 俺が堤先輩を追い掛けている間に、『成り行きで』知り合ったらしい木原が馴染んでいるのは、なんとなく分かる。愛想の良さとは程遠い俺にも、たまたま席が前と後ろだというだけで平気で声を掛けてきた奴だから、気後れとは無縁だからだ。

 だが、さっき一組に俺たちを呼びに来た時もそうだが、時々、変にこっちのことを面白そうに見てくることが、若干気になっていて。

 そんな内心を読んだかのように、口に放り込んだ鶏の唐揚げを見る間に飲み下した迎は、それきり空になった弁当箱の蓋を手早く閉めていきながら、つっと顔を上げてきて。

 「で、木原は考え中としても、浦上はどうすんの?陸上部には勝ったんだし、図書部に入っても問題ないでしょ」

 「今、考えてる」

 直球で飛んできた問いに頷きながら、俺は端的にそう返した。

 迎が言っているのは、俺が水曜日に追われていた件だ。今週の頭に勧誘を受けたものの、活動日の都合が悪いから、と断ったというのに、あの今井という先輩だけがひとり折れる気配もなくて、


『俺たち三人から逃げきれなかったら、陸上部に入ってもらうからな!』


 そう一方的に通告してくるなり、いきなり迷惑な鬼ごっこに参加させられたわけだが、幸いにも堤先輩のおかげで勝つことが出来たから、もうとっくに終わった話だ。

 かといって、図書部はその点融通が利くらしいとはいえ、経験のない活動にも、少ないメンバーにも馴染めるかどうかと考えると、正直なところ自信もなくて。

 「えー、即決じゃないの?お前どう見ても、あの三つ編み部長にご執心っぽいのに」

 妙な発言に、とりとめのない思考を引き破られて、一拍遅れて顔を向ける。

 と、まさしくにやにやと楽しんでいるのを隠そうともしない態度に、なるほどこれか、と腑に落ちる。勘繰られるネタとしては定番だろうから、仕方ないのかもしれないが。

 「それ、もう俺が聞いた。けど、いっつもハイスピードで答え返ってくんのに、なんか内部でオーバーフローしてんじゃねえのってくらい考え込んでてさー」

 「なんだ、とっくにツッコミ済み?そんで、まだ結論出てないの?」

 中身は鮭だったらしいおにぎりを食い終わった木原が、包んであったラップを丸めつつ言ってきたのに、さらに畳みかけてくる。それに頷きを返した俺は、とりあえずラストの卵焼きを口の中に放り込んで、咀嚼しながら考えを巡らせていたが、

 「……やっぱ、分かんねえけど。見てれば、分かるもんかな」


 怖がりながらも、絶対に視線を外さずに俺を見てきた、あの目とか。

 ただの当たり前な返事に、やたらと嬉しげに頬を染めた表情とかは、気にはなるけど。


 好意というよりは好感らしきものが積み上げられている、そこだけは理解出来たような気がして、使い終えた箸を箸箱に入れていると、他の二人の声が止まっていることに気が付いて、俺は顔を上げた。

 すると、もう全部しまい終えたらしく、赤白の唐草模様の風呂敷包みと、青白ボーダーのランチバッグをそれぞれに手にした迎と木原が、何故か俺をまじまじと見つめていて。

 「なんだ?」

 「いや、なんだっつうか……」

 「ああ、ムリムリ、相当進行しないとダメだわ、この調子じゃ」

 困惑、という単語を現したような複雑な顔の木原に、薄く笑いながら返した迎が、足を解いて立ち上がる。やっぱりでかいな、と半ば感心しながら、シートの脇に並べてあったローファーに爪先を突っ込むのを眺めていると、すっとその瞳が細められるのが見えて。

 「なんか、あったか」

 視線が確認から警戒へと変わった気がして、膝を立てながら聞いてみると、迎は無言のまま、すぐ目の前にあるフェンスの隙間から手を突き出して、指先で下を示してみせた。

 同じように置いていた靴に足を通すと、コンクリを蹴って市松を飛び越え、グリッドに仕切られたグリーンのそれを掴んで、遥か下を覗き込む。

 目に飛び込んできたのは、前庭のソテツの傍に立っている、見覚えのある三つ編みだった。小さい団子頭は近くに見当たらず、前に立つ三人の男子と、たったひとりで相対しているらしいが、そのうちの一人が前に出てくると、何事か言い募っているようで。

 「……あれ、まさか」

 「なに、知り合い?」

 「一応。木原、悪いけどこれ頼んどく」

 「おわっ!?ちょ、あのなあ!お前はなんでそういちいち言葉足らずなわけ!?」

 狙った通りの放物線を描いて、放り投げた黒のランチバッグが奴の手におさまったのを目の端にしながら、俺は再びシートを飛び越えて走り出した。今日は雲一つなく日差しが強いせいか、さほど屋上に人はおらず、誰の邪魔をすることもなく階段前に辿り着いて、扉を抜ける。

 外よりは涼しいからか、北階段の途中にも踊り場にもいつも通りたむろっている制服の群れを避けながら、可能な限りのスピードで先を急ぎつつ、残りの二人の顔を思い返す。


 間近に詰め寄っていたのは、今井先輩。あとは、追い掛けてきた奴らだ。


 そうなると、考えられるのは朝の件しかないが、目的が判然としない。あいつらが何をあの人に言おうが、俺の意思がどう変わるわけでもないのに。

 むしろ、嫌な目に遭わせでもすれば、きっと。

 一瞬走った思考は、一階の床についた足裏の感覚に断ち切られる。保健室を抜けるか、と考えたものの、余程のことがない限り通り抜けは厳禁だ。早く着けばいいだけの話だとすぐに切り替えて、通常通りのルート、つまり渡り廊下から昇降口を抜ける方を選ぶ。

 校舎の外に出ていた生徒も、そろそろ戻ってくる頃だけに人は多いが、避けるのに苦労するほどでもない。昇降口の扉の前に、土足だけに厳重なほどに敷かれている、濃い緑の泥落としを踏みつけると左手に折れて、緩い弧を描く道なりに地面を蹴る。

 校舎の脇を過ぎて、前庭に繋がる壁沿いの植え込みすれすれに走れば、じきに放射状に広がる大きな緑の葉が目に入ってきて、わずかに足を緩めた時、

 「……だから、よりによって、あいつでなくたっていいだろ?」

 まだ忘れるには早過ぎる、覚えのある声が耳を叩いて、俺は動きを止めた。

 楕円に作られた、低い石垣で囲われた盛り土に植わっている、二階の窓にその先が届くほどにまで伸びたソテツ。その枝葉が作る影の下に、堤先輩がいた。

 校舎を背にして立っているその二歩ほど手前には、さっき見た通り、男子三人が彼女を囲い込むように並んでいる。ただ、喋っているのは俺の時同様一人だけで、他は下がってじっと口を出さずにいる、そんな状態だ。

 その光景の斜め後ろの位置、太い幹の影に俺がいるせいで、今井先輩の表情はほとんど分からないが、あの人のどこか思い詰めたような瞳は、はっきりと捉えられて。

 「俺らみたいに大会出場がかかってるわけじゃないし、あいつの速さが活かせることもないだろ。そりゃ、そっちが潰れそうなのは知ってるし、気の毒だとは思うけど」

 苛立った調子で、相当勝手な言い分を次々と投げつけているのに、出て行くべきか否か迷っていると、責めるように一歩、ブレザーの背中が詰め寄って。

 「だいたい、目標なんかお前らにはないんだし、いくらでも代わりはきくだろ!」

 

 放たれた言葉自体に叩かれたように身体が震えて、大きく目が見開かれる。

 ぐっと眉を寄せて、泣き出すのをこらえるように、唇が引き結ばれるのが見えて。


 「……はーい、ちょっと待った待ったー」

 低めた声とともに肩に手が掛かって、無意識に踏み出しかけていた身体がぐん、と引き戻される。反射的に首を回して顔を上げると、見下ろしてきた迎がひょい、と眉を上げて、

 「分かんなくもないけど、マジでちょっと待って。なんて答えんのか興味あるから」

 そう言いながら、俺を押さえているでかい手にさりげなく力を込めてくる。その身体に見合った、というにはやけに強い握力と、先輩を見やる静かな目つきに不承不承頷いて、間を置かずに顔を戻す。

 と、身体の横に垂らしていた彼女の手が、ふいにきつく握り締められて。

 思い切ったように、きっと顎を上げて今井先輩を見据えると、ようやく口を開いた。

 「全国コンクールとか、賞とか、確かに実績としては何も残せないかもしれないけど、先輩に教えてもらった『つくること』の楽しさとか、本の魅力を伝えることは続けたいの。それは、今まで先輩方に頼りきりだった部分もあるし、自信があるとは言えないけど」

 少し震えた声で、必死に続けていた言葉をいったん切ると、落ち着かせるかのように、そっと胸に、手を当てて。


 「でも、引き継いだ以上、目標も何もかも、これから作っていくものだって思うから。一緒にやっていきたいって、そう思ってもらえるように頑張りたいから……だから、例え、結論がどちらだとしても、彼の返事が聞けるまでは、私も引けないです」


 目を逸らさずに、きっぱりとそう言い切った姿に、今度はこっちが叩かれた気がして、息を呑む。動くどころか言葉も出ずに、ただ固まったようなその場面を眺めていると、

 「うーん、まあまあ、かな。はーい、いいよ、いってらっしゃい」

 嫌に楽しげな台詞が響くと同時に、掴まれていた手が離れる。と、思うさま突き飛ばすように背中を押されて、つんのめった身体が前に出るのを、かろうじて膝を曲げて耐えて。

 勢いのままに植え込みの石垣に飛び上がると、ごつごつとした表面伝いに走り抜けて、さすがに気配に気付いて驚いた顔を向けてきた、堤先輩の横に、降り立って。

 「すいません、何かあるんなら、俺に直接言ってください」

 他に言うことも思いつかず、それだけを告げると、薙ぐように後ろの二人に視線を向けてから、今井先輩に目を据える。

 途端にぎくりとして、痛みでも走ったように顔をしかめた先輩は、俺を見返してくると、

 「……なんで、やらないんだよ、お前。もったいないとか、思わないのか?」

 「思わないです。前にも言いましたけど、他に優先することがあるんで」

 そう口にして、はっきりしているひとつ以外にもあることに気付いて、横を向きかける。

 けど、また何か怖がらせるような気がして、ともかくも相手を見据えていると、辺りに予鈴が鳴り響いて。

 「はいはい、もうタイムアップっしょー?っていうか先輩ー、こないだと話変わってるじゃないっすかー、もう爽やかにケリついたはずでしょ?」

 「ま、それでなくても場外乱闘は、本人そっちのけでやるもんじゃないよねえ」

 手刀を切りながら間に割り込んできた木原と、その横にのんびりと立った迎が、どことなく加勢するように目を細める。と、

 「……こいつらは、仕方なくついてきただけだからな」

 終始居心地悪げにしている一人と、比較的冷静そうなもう一人の連れを振り返った今井先輩は、俺と、それから彼女の方を見てくると、

 「堤部長、暴言吐いて、悪かった。俺らは俺らで、頑張るから」

 軽く頭を下げて、どちらの返事も期待していないように踵を返すと、行くぞ、と二人を促して、昇降口の方へと向かっていった。

 「んー、これにて、対決終了?」

 「でなきゃ、潔くなさすぎだろ……って、堤先輩、どうしたんすか!?」

 木原の焦った声が飛ぶのにすぐさま顔を向けると、両の手で顔を覆った先輩が、足元もおぼつかない様子で、よろよろと数歩、下がって。

 その場にふらふらとへたり込むのに、傍に寄って俺も膝をつくと、

 「先輩、大丈夫っすか」

 「うわ、もしかして貧血!?先生呼んできますか!?」

 「俺が抱えた方が早いでしょ。浦上が許せばだけど」

 「……ごめん、ちょっと、気が抜けたみたいで」

 口々に掛けられた声に、先輩はか細い声でそう答えてくると、小さく息を吐いて、

 「それに、なんか、我に返ると凄く、恥ずかしいこと言ったかなって……」

 

 抱えた膝に顔を埋めて、ぽつりとそう零して。

 よく見れば首も耳も、伏せているそれも、やけに真っ赤で。


 それを認めた瞬間、頭の中でひとつ、弾けるような刺激が走ったものの、

 「あ、やばい、鳴った」

 「そりゃそうでしょ。まあ、浦上が全部ひっかぶってくれるって」

 容赦なく鳴り響いた本鈴と、諦めたらしい木原と、冗談めかして本気らしい迎の声に、すぐに消し飛ばされてしまって、俺はとりあえず、堤先輩に向けて手を差し出した。



 それから、保健室を経由して、教室に戻って。

 叱られはしたものの、保健室の先生のフォローと、回復した先輩が謝って回ってくれて、三人とも特にお咎めなし、という結果になったのは良かったが、

 「仮入部?もういきなり本入部でいいじゃん。ま、面白そうだから見届けるけど」

 「お前は入らないのか?」

 「うーん、もう一声、みたいな?」

 「ていうか、これ以上何のフラグが欲しいんだよ……」

 木原はともかく、迎がさらに機嫌良さげについてくるようになったのは気にはなるが、減るよりは増えた方がいいだろう、と単純に考えることにして、俺は裏庭へと足を進めた。

 ……けど、またあの人、貧血起こさなきゃいいけど。

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