第29話 綾野祐介の日常

 琵琶湖大学を辞してまた東京に戻った綾野

はマリア=ディリレーシアの取り計らいで

財団に所属することとなった。特に肩

書は無かったがの遺伝

子を引継ぎと一時融合していた

経歴は財団の中でも飛びぬけていた。


 の浮上する場所を特定できたのは

綾野が文書解読に成功したからだ。但し、そ

の過程で右目の眼球を失い、普段はサングラ

スで隠してはいるが、その実態はただの空洞

になっていた。空洞、というよりも、深淵、

という表現の方がいいのかも知れない。そこ

には真黒な『何か』が存在しているのだ。だ

が、それが何なのか本人にもわからなかった。


 右目を負傷し、さまざまな経験をした綾野

だったが、財団に所属するようになってから

またその身体に異変を感じ始めていた。目の

件でマリア以外の財団職員からは奇異の目で

見られており、話しかけられることもなかっ

た綾野だったが、その日はどうも様子がおか

しいと近くの席の岸本直美が話しかけてきた。


「綾野さん、どうかされましたか?」


 綾野は返事ができなかった。右目が痛くて

声にもならないのだ。こんなことはアメリカ

でその右目にある粉を被ってしまった時以来

だった。目が、頭が、爆発しそうに痛い。


 少しすると痛みが治まってきた。岸本の方

に向いて返事をしようとした時だった。


「なっ、なんだ?」


 綾野は岸本を見て声をだした。岸本からす

ると「なんだ」といわれても判る筈がなかっ

た。変だったのは綾野の方だ。


「何だ、ってどういうことですか?」


「あ、いや、ごめん。吃驚させてしまった。」


 そう言われても全く判らない。


「どうかされました?何か変な目で私を見て

る気がするんですけど。」


 確かに綾野の目に浮かんでいるのは驚愕の

目だった。岸本を見て驚いているのだ。


「ちょっと自分でもよく判らないんだ。今は

何も聞かないでほしい。」


 元々薄気味悪かった綾野が、その度合いを

増している。岸本とすれば話しかけたい訳で

もなかった。


「分りました。後でちゃんと説明はしてくだ

さいね。」


 理由だけは知りたかったので、そう言うと

岸本は自分の作業に戻った。


 財団極東支部の中には医務室もあ

った。超高層ビルの10階分を全て支部で確

保していたので、そんな施設も充実している

のだ。綾野はすぐに医務室を訪ねて今の症状

を訴えた。


「綾野さん、あなたの症状は私どもでは手に

負えません、と申し上げた筈です。普通の人

間と同じようには行きませんよ。」


 産業医の東條亜弥はそっけなく言った。ど

うもこの綾野と言う新人(新人という年齢で

もない)はうさん臭かったので好いていない

のだ。旧支配者の遺伝子だの融合だのと言わ

れても大まかには理解していても医学的には

皆目見当が付かなかった。自分が理解できな

い事には嫌悪感を抱くのだ。エリートとして

の自負が許さなかった。最早その件の権威に

なってしまった琵琶湖大学(東條からすると

三流大学)の恩田という准教授に講師をお願

いしてオリエンテーションをしてもらったが

全く知識としては足りなかった。まだまだ手

探りなのだ。


「点眼しようにも綾野さんには右眼球がない

じゃありませんか。頭痛なら鎮痛剤を出しま

す。それでよろしい?」


「いや、先生、そうじゃなくてですね。」


「そうじゃなかったら私には用は無い筈です

からお帰り下さい。」


 全く取り付く島もなかった。


「先生、痛みの件はとりあえず置いておいて

ください。私が来たのは痛みの件じゃなくて

どうも、その痛みがあったときから変なもの

が見えるようになったという事なのです。」


 またオカルトか、と東條は思った。

財団には雇われているだけで何か趣旨に賛

同している訳ではない。財団がやっているこ

とには全く興味が無かった。財団の上層部と

世界の軍需産業が結びついている裏情報と給

料がよかったことが東條が財団に入った理由

だった。


「何がどう見えるというのです?」


 一応医者ではあるので聞きたくはないが聞

いてみることにした。


「何か、そうですね、人を見たときにその人

の周りに変なものが纏わりついているように

見えるんです。」


「変なもの?オーラとか、そういったことで

すか?」


 東條は半分投げやりに聞いた。どっちにし

ても興味はない。


「オーラじゃなさそうです。もっと何か邪な

もののように感じがします。」


「人、というのは具体的には誰のことですか?」


「うちの部署の岸本君なんですが。彼女の周

りに何か蠢動する塊のようななものが見える

んです。目を、ああ、実際にはないのですが

右目を凝らすようにすると見えるようです。

見えている、というよりは頭の中で像を結ん

でいる、という表現の方が近いかもしれませ

ん。」


「それは本人には?」


「もちろん言ってません。さずかに財団の職

員とは言え信用できないでしょうから。」


「でしょうね。それで、どうしたいと?」


「いや、そういったような事例や症状は無い

ものなのか、先生のご意見を承りたくて来た

のです。」


「意見も感想もありませんね。それほど暇で

もないのでお引き取りいただけますか?」


 東條先生には嫌われている、という自覚の

あった綾野は早々に退散することにした。理

由は分らないか最初から嫌われているようだ。

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