1-6.夜の森の出来事

 ホウ、ホウ、とフクロウの鳴く声が木々の間に消えていく。


「……ったく。えらいめにあったもんだ」


 ソクラは一人、暗い森の中を進んでいた。


(それにしても……どこなんだ、ここは……)


 明かりと言えば、かすかな月の光と、腰にぶら下げたランプしかない。

 ほんの数歩先は、まっくらやみだ。


「とりあえず……寒いな」


 走るのにつきあわされたせいで、体操服のままだった。

 ソクラは背負っていたカバンを下ろして、中身をさぐる。


「寒いし、着ておくか」


 木の陰に入り、服を着替えだした。


 ベルトをつけて、ポンチョを身につけたところで、ソクラの動きが止まる。

 背後から、ミシッ……と枝の軋む音が聞こえてきた。


 ソクラは剣の柄に手をかけて、ゆっくりと振り向く。


「───ホゥ、ホゥ」


 枝に止まっていたフクロウが軽く囀る。


「なんだ。フクロウか。ビックリさせるな」


 着替えを終えたところで、ソクラは荷物を背負い、ふたたび歩きだした。


 とはいえ、照子の行方を示す手がかりはない。

 それらしい足跡すら、地面にはなかった。

 あったとしても、たぶん暗くて気がつかないだろう。


(照子のことだから……そこらで光ってそうなもんだけど……問題は、バンシーのほうだなあ……どこに行ってしまったのやら……)


 ソクラは目を細くして、暗闇の中を凝視する。

 あたりに動いているものはいないようだ。


「おーい。照子ぉ」


 やる気なく呼びかけてみる。


 もちろん、返事はない。

 逃げるときは無我夢中で、みんなと離れ離れになっていた。

 誰がどこにいるのかもわからない。


 もっとも妖精なので、夜の森に迷い込んだぐらいでどうにかなるわけでもないのだが。


「……ったく。どこにいるんだ、あいつは」


 ブツブツとぼやきながら、森の中を進んでいく。


 しばらく歩いていると、キキッと小さな鳴き声がした。

 リスか何かだろうかと思いつつ、ふと目を向ける。


「……ん?」


 視線の先に、ほのかな光がちらついていた。


 ソクラは明るくなっているところをめざして、ゆっくりと進んだ。


 低い木々の生い茂った一角に、照子がうずくまっている。

 すぐ横には、バンシーがいた。


(何をやってるんだ……こんなところで……)


 二人の背後から、ソクラはそっと近づく。


「おい。何をしてるんだ」

「ソクラちゃん。シーッ。静かに」

「なんでだよ」


 声をひそめて問い返すソクラ。


「今、盛り上がってるんだよ。いいところなんだよ」

「何がだ」


 ソクラは照子を押しのけた。


 茂みのむこうをのぞいてみる。


「……あ?」


 一本の木の根元に、緑色の少女が座り込んでいた。


 ソクラの口から、疲れた吐息がこぼれる。


「なんだ。トレントとドライアードがいるだけじゃないか」

「それが二人とも、ですね」

「いい雰囲気なんだよ。よく聞いてみて!」


 バンシーと照子がそろって言う。


 ソクラは、なんとも言えない表情になった。


「帰るぞ」

「えー。最後まで見ていこうよぉ」


 照子がすかさずポンチョの裾を引く。


「見てどうするんだよ。だいたいなあ……」

「お待ちなさい。そこのあなたたち」


 ソクラの声を何者かが遮った。


 声の源を追ってソクラが視線を上げる。

 木の高い位置から生えた枝。


 そこに、一羽のフクロウがとまっていた。


「なんだ。おまえは」

「私の名は、ノゾキフクロウ。そう、あえて言うなら妖精たちの観察者」


 やたらと人をイラつかせる、ゆったりとした口調が返ってくる。


 照子が小さな声で叫んだ。


「ヤバい!! クールでスタイリッシュな鳥!」


 フキダシは点線で、セリフのフォントはかすれた感じの薄めだった。


 ノゾキがバレないように、一応は気を使っているらしい。


「何カッコつけてんだ。このノゾキ野郎」


 ソクラは眉をひそめた。


「もしかして、さっき私が着替えているときも、ノゾいてやがったのか」

「私の目は、闇を射抜く瞳」

「ゴマかしてるんじゃねえ」

「シーッ。お静かに」


 フクロウが羽根の先を指みたいに伸ばして、クチバシにあてる。


「ふむ。あなたたちは、ノゾキの初心者のようですね。今日は私が、ノゾキの基本についてお教えいたしましょう」


 頼んでもいないのに、フクロウが勝手に話しだした。


「いいですか。ノゾキをするときは、まず声を出さない。そして、物音をたてない」

「あきらかに犯罪だろ」

「ソクラちゃん、静かに。静かにね」


 照子がソクラをなだめる。


「最後に、これが大事です」


 フクロウの一方的な話は、まだ続いていた。


「見たことを誰にも言わない。自分がノゾキをしていると、バレてしまいますからね」

「ガチすぎてドン引きだ」

「さあ、レッツピーピング。ヨナカヘイムの夜は長いですよ」


 フクロウの声にあわせて、照子もバンシーも黙ってしゃがみ込む。


 ソクラも、横に並んだ。

 もうツッコミを入れる気力もない。


 じつは内心、ちょっと興味がある。


(まあ……少しだけ……見ていくか……)


 ソクラの目が、ドライアードとトレントのいるほうに向いた。


 大地にどっしり根を張ったトレントの根元。

 そこに、ドライアードがゆったりと腰かけている。


「今夜は月がキレイね」

「キミのほうが、もっとステキだよ。夜空に輝く、あの月よりも」


 トレントは歯の浮くようなセリフとともに、木の葉を散らした。


 はらはらと舞い落ちる葉を浴びながら、ドライアードが微笑んだ。


「あなたって、とても上手だわ。トレントさん」

「そんな他人行儀な呼びかたは、やめておくれ。愛しい人」


 トレントが大げさに枝を広げてみせる。


 照子とバンシーが身を乗り出した。


「そこだっ!! いけっ!」

「ダメですよ。照子さん、静かにしないと」


 盛り上がっている二人の横で、ソクラは気の抜けた表情になっている。

 見始めてから一分もたっていないうちに、すでに飽きていた。


 トレントのほうは、これ以上なく盛り上がっているらしい。


「キミのためなら、すべてを捨ててもかまわない!」

「そんなことを言ってはいけないわ」


 などと言いつつ、ドライアードは頬を赤く染めている。


 どうやら、まんざらでもないようだ。


「なんでもいいから、さっさとしろよなあ」


 そんな声が思わずソクラの口から出ていた。


 チチチ、と照子が舌を鳴らす。


「何言ってるの、ソクラちゃん。これだからだよ」

「これから、なんだよ?」

「じっくり焦らして、焦らして、焦らして……焦らすんだよ!」

「それだけだったら、途中で男がキレるだろ」

「そうさせないのがテクってもんだよ。まあ見てなってー」


 まるで自分がやっているみたいに言って、照子は視線を戻した。


 話している間に、トレントが熱烈に言い寄っていたようだ。

 ドライアードは話しかけられるたびに、いちいち首を横に振っている。


「───ダメよ。そんなの。みんなが悲しむわ」

「まわりが何を言っても、そんなの関係ないよ!」

「家族を悲しませるなんて、いけないことでしょう」

「そうやって家族のために、自分をいつまで犠牲にする気なんだい?」

「でも……」

「僕は傷つくキミを見てられるほど、強くはないんだ……許してほしい」


 自分の思いやりと繊細さをアピールしつつ、トレントが枝を揺らす。


 照子が、うぅむと唸った。


「なかなかやるね、あのトレント」

「これは勝負が決しましたかな」

「なんだよ。勝負って」

「恋はバトルだよ。ソクラちゃん」

「うるせえ」

「これはトレントが押しきってしまうような気がいたしますな」

「待ってください。あのドライアードさん、まだ何か……隠し持っている気配がします」


 三人と一羽のギャラリーが好き勝手に語り出して、収拾がつかない。


 そこでトレントが、一気に迫った。


「僕と二人で、ここから逃げよう!」


 これには、ドライアードも驚いたようだ。


「逃げるって、どこに?」

「どこでもいいさ。どこか遠くへ。二人で」


 トレントが遠くをみつめる。


「僕たちのことを知っている妖精がいない場所。遠くの森で、ひっそりと暮らそう。二人で」

「そんなの無理よ」

「どうして!?」

「だって、あなた結婚しているじゃないの」


 ドライアードのひと言で、トレントの動きが一瞬止まった。


 そのやりとりをのぞいている、ソクラ以外の全員が同じところに反応する。


「浮気かっ!!」

「浮気ですね」

「浮気のようですな」


 ソクラは、ちょっと引いた。


「おまえら……」


 額から大粒の汗を流すソクラの気分をよそに、トレントが熱弁をふるっている。


「そんなもの、浮世のしがらみというやつだよ。かりそめの関係にすぎないさ。真実の愛の前には、何の意味もない」

「そうね。そのとおりだわ」

「わかってくれるかい? 愛しい人よ」


 ドライアードの頬が、ポッと赤く染まった。


「ええ。もちろんよ」

「よかった。今こそ、キミのめしべに受粉させたい!! 二人で新しい命を育んで……」

「その前に、お願いがあるの」


 ドライアードは、トレントの顔があるあたりの樹皮を見上げる。


 トレントが前のめりになった。


「なんだい? どんな願いでも行っておくれよ」

「奥さんと別れてくれる?」

「も、もちろんさ!」


 そのときのことだった───。


 森の木々が、いっせいにザワザワと葉をゆさぶり始めた。


『聞いた、聞いた』

『ワカレル!! ワカレル!!』

『トレントの旦那が、奥さんと別れるって言ったぞー』

『旦那の浮気! 旦那の浮気!』

『教えなきゃ、教えなきゃ。奥様に教えなきゃ』

『森の主につげ口しよう』

『急げ、急げ』


 葉影の作る闇の中から、無数の囁きが響き渡る。


 ドライアードが、トレントの根元から立ち上がった。


「あら、いけない。習い事の時間だわ」

「ままま、待ってくれたまえ!」

「それじゃあ、またね。ダンディなトレントさん」


 そう言って、ドライアードは地面にスウッと沈んでいく。


 地脈を通って移動したに違いない。

 彼女の姿が消えると同時に、木々の葉がこすれあう音がますます大きくなった。


 森にいた鳥たちが、バサバサと羽ばたきの響かせながら飛び立っていく。

 ソクラたちの近くにいたノゾキフクロウも、翼を広げた。


「私は翼を持つもの。いざ、自由な夜の空へ」

「待てコラ」

「それではお嬢さんがた、またいずれかの機会にお会いしましょう。アデュー」

「まったねー!!」


 照子に見送られて、フクロウが飛び立つ。


 そこで、ゴゴッと地面が大きく揺れた。


「うわうわわあわわわ。ななな、何これここれソクラちゃん?」


 ソクラが返事をするより先に、すさまじい音が森じゅうに轟く。


 ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァァ───!!


 月の明かりを遮る、暗い影が広がった。


 トレントがガクガクと震える。


「……ひっ、ひぃぃぃっ!!」


 夜の空気が割れんばかりの声。


「あー、んたー……またぁー、わーかぁーいー、おーんなーにぃ……」

「ひっ、ひぁっ……ごっ、誤解だよっ!」

「……てぇー、だしてぇー、たのぉーねぇー」


 ズン、と大地が波打つ。


 森の奥から、ひときわ大きい木が姿を現す。


 トレントは樹皮を青ざめさせた。

 青々と茂っていた葉がすべて落ち、枯れ木のような姿になっている。


「待って!! 待ってくれ、話を……」


 言ってる途中で、根元の土くれが爆発したかのごとく宙に舞い上がった。

 地の奥底から蠢き出てきた無数の根が、トレントを絡めとる。


「ひっ───ヒィーッ!! たたた、たすっ、たすけっ……」


 土砂に跳ね飛ばされたソクラたちは、それ以上は聞けなかった。


 土をかぶったソクラたちが、空気を求めて地中から這い出る。


「……ぶはっ!!」

「スッゲェ!! ややや、ヤバいよソクラちゃん。じめめめめめ、地面、まだっ、ゆれっ」

「しゃべってるヒマがあるなら逃げろ」


 ソクラはバンシーを引きずり出して、その場を走り去った。


「めっちゃすげげげげ、すぺっ、すぺくたたったったるるっ!」


 走るソクラのあとを照子が追う。


「ななな、なんっ、なんかっ、えっ、えっ、映画っ、みたいっ、だっねっ!!」

「舌噛むぞ。黙って走れ」


 森の出口をめざして、三人は必死で走った。


 背後から、トレントの悲鳴が、かすかに聞こえてきた気がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る