1-5.谷に響く、妖精の歌

「いやぁ、私さぁ!! 今日はここ来て、初仕事じゃん! だっからもう、イジワルな先輩にこき使われる、みたいなこと考えちゃってさー!! だから、それで『汗かいても平気な服、着ていかなきゃなー』みたいなこと思ったわけよ! 朝!! あ、でも、朝って言っても、ここずっと夜だからさ。もちろん、目を覚ましたときの朝って意味ね! わかってくれる?」


 先頭を走りながら、照子がベラベラとしゃべっている。

 キラキラ輝く杖を持ったままで。


 照子の後方から、体操服姿のバンシーとソクラが続く。


 夜道の中、三人はジョギングしていた。

 空にボンヤリ月明り。だんだん、街のかすかな明かりが遠ざかっている。


 心細くなるような薄暗さの中でも、照子は元気いっぱいだった。


「そっれにしてもアレだよねー! 体操服の予備もってきといて、よかった!! うんうん!」


 返事がなくても、めげずに自問自答。


「おっ。後続部隊が遅れておりますぞ!! 待機! イッチ、ニィ!!」


 照子はその場で前に進まない足踏みをして、二人を待った。


「バンシーさんも、体操服ピッタリね!」

「おかげさまで」


 バンシーが照子を追い抜く。


 そのあとから、やっとソクラが追いついてきた。


「ソクラちゃんの体操服も、持ってきておいてよかったよ!! サイズもピッタリだね!」

「そりゃ……妖精、だから……な」


 妖精の服は、サイズがフリーになる魔法がかかっていて、誰でも着れる。

 太っていても、背が高くても関係ない。妖精なので。


 ソクラは、かなりヘバっていた。


(走るのなんて……剣の修行してたとき……以来か……だるい……)


 ほとんど歩くのと変わらないペースになっている。


 その横では、照子が土埃をたてるぐらいの勢いで足を上げ下げしていた。


「まあ、眠れないときは、スポーツで発散するのが一番だよね!」

「そう、なのか」


 ちょっと息切れ気味のソクラ。


「っていうか。なんで、私まで……」

「ソクラちゃんも、よく眠れるようになるかもよ!」

「いいよ。別に。寝不足、の、妖精だし」

「もっと元気に走って、ソクラちゃん!! 声を出さないと……ぼげるっ」


 照子はやっぱり、またコケた。


「しゃべりながら走ると、あぶないぞ」

「ぐぶげ、ごろげげげげげ……」

「ほらみろ。舌噛んだ」


 のたうちまわっていた照子が、ぴょんと起き上がる。


「……そうだ! ソクラちゃん、どっか案内してよ!!」

「どっかって、どこだよ」

「観光名所!! 私、ここ来てまだ一週間。一週間だから……」

「知ってる知ってる」


 照子がたちまち目を輝かせた。

 キラキラしすぎて、ウザまぶしい。


「クッソいいとこ知ってるって意味!?」

「たいしたところ知らねーよ。っていうか、ヨナカヘイムにそんなスゲーところなんか、ありゃしねえ」

「そんなことないってー!! ソクラちゃんの自慢の故郷でしょ! もっと胸張ろうよ!! 文明なくても電気なくても、自然がいっぱい! 空気がウマくて店がねえ!!」

「さりげなくディスってんじゃねーよ」

「……すみません」


 ちょっと後ろに下がった照子が、背筋を伸ばして頭を下げる。


 三人は、城下町の近くにある谷にむかった。


 その名は、マヨナカバレー。

 崩れかかった岩山のすそ野にある、めったに誰もよりつかない谷。


 言わずもがなのヨナカヘイムにある場所なので、とても暗い。

 谷底の左右に、わりと高い岸壁がそびえ立っていた。

 上のほうは広く、谷の底あたりでは細くせばまっている。


「ここがヨナカヘイムの名所、いつもまっくらマヨナカバレーね!」

「いや。特に名所ってわけじゃねーから」


 はしゃいでる照子に、ソクラは冷静に語った。


「っていうか、ここじゃどこでもたいがい、いつもまっくらだよ」

「すっごい深い谷だね!! 暗くて上のほうが見えないよ!」


 興奮しているのか、照子はまったく聞いてない。

 たとえ興奮していなくても、たぶん聞かないだろうけど。


 ソクラは夜空を見上げた。


 照子の言うとおり、岸壁の上のほうは様子がまるでわからない。

 輝く月をよぎるように小さな影が飛んでいく、ぐらいしか見えなかった。

 たぶん、コウモリ。


「マジまっくらで、超見えねえ!!」

「そりゃそうだろ。夜だし」

「谷間って、なんだかドスケベ感がビンビン伝わってくる! そんな響きのある、ステキな単語だよね!! オゥイェー!」

「黙れ」

「チチ!! シリ! デンブ!!」

「尻と臀部でんぶは同じだろ」


 そんなことを言っている間にも、照子はずんずん進んでいく。


 バンシーが、ちょっと不安そうな声を出した。


「あの、そこ入るとあぶないですよ」

「崖に近づくとあぶないから、あんまりそっちに行かないほうがいいぞ」


 一応は、呼び止めてみようとしたソクラだったが、


「それじゃあ、この崖の奥に行ってみようよ!」


 やっぱり照子は、まったく話を聞いていなかった。


「おい。そっちあぶない」


 ソクラが止める暇もなく。


 ……ドガス!!


 すっごく痛そうな音に続いて、悲鳴が聞こえてくる。


「ぎゃあっ!!」

「言わんこっちゃない」


 近くに行って目をこらす。


 頭にめっちゃ大きなタンコブを作った照子が、地面にうずくまっていた。


 照子はさすがに光の妖精だけあって、その場にいるだけで周囲をほのかな光で照らしている。

 もっとも、谷底はさすがに暗すぎて、それ以上は暗闇に慣れたソクラにも見通すことができない。


「うう……暗いから、もっと明るくしよう」


 照子、半ベソ。


「できるんなら、最初からやれ」

「あんまり明るくすると、ソクラちゃんが嫌がるかな……って、思って」


 急にそんなことを言われて、ソクラの頬が赤くなった。


「……う。べ、別に……そのくらいなら、気にしない」

「なんで赤くなってるの?」

「うるさいな。いいから、さっさとやれ」


 ソクラが言うと、照子の頭のてっぺんにある触覚が、じんわりと輝きだす。


 根元からせり上がってきた光が、先端の丸い部分に達する。

 すると、ぺかーとひときわ明るい照明になった。


「それじゃあ、明るくなったところで、元気に歌って歩こう!!」

「おい待てやめろ」

「ボェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ──────!!」


 夜の谷間に、照子の歌声が響く。


 それはもう、とんでもなくすごい声だった。

 空気がビリビリと震え、そばにいたソクラは耳が痛くなる。

 大音響のドラ声。響き渡る歌声のせいで、頭上の崖から岩が落ちてくるほどに。


「おいばかにげろ!!」


 叫びながら、ソクラは走りだした。


 谷の入り口をめざして、全速力で逃げる。

 さりげなく遠くまで逃げていたバンシーが、「あぶなーい!」と叫んでいるのが聞こえてきた。


 照子が頭上を仰ぎ見る。


「……え? なになに? ん……なんか、落ちてきた───ホワァーッ!?」


 かなり大きな岩が、照子の視界いっぱいに迫ってきていた。


 ゴガン……!!


 走るソクラの背後から、ものすごい音が響いてくる。

 一瞬、足元が浮くほど地面が揺れた。


 ソクラは、そっと振り返る。


「うわちゃー」


 落ちたところで、岩の動きは止まっていた。


 巨大な岩石と、地面の間に、細いすき間ができている。


 崖の低い位置が狭くなっていて、運良く岩がひっかかってくれたらしい。

 そこから、照子がゴキブリみたいに這い出てきた。


「ひぃ……ひぃぃぃ……」

「チッ。無事でよかったな」


 ソクラは堂々と舌打ちする。

 まきぞえにされて、あやうく岩の下敷きになるところだったので、さすがにこのぐらいは仕方がないというか。


 まるで懲りている様子のない照子を見れば、誰でもそう考えるだろう。


「いやー、死ぬかと思っちゃったね! ドキドキした!!」

「うるさいばか」

「死ねばいいのに、とか。ソクラちゃんひどい!」

「思ったけど言ってねー!」


 照子があまりに遠慮がないので、ソクラもそろそろ手加減しなくなってきた。

 

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