第33話 邪王
「殿下! なにごとですか!」
「ボリス! エルダ姫!」
変事を察知して、将軍や父王、近衛兵たちが駆け込んできた。
それと同時。
黒い光が聖堂の中心に集まり、瞬時にふくらんで、爆発した。
衝撃に全員が吹き飛ばされ、床に叩きつけられる寸前、空の民としての能力をつかい、身体を浮かばせて激突を避ける。
ボリスは壁を両足で蹴り、エヴァリードを抱きしめたまま浮かぶ。
「エヴァリード、愛しい娘よ」
あの、恐ろしい声が響いた。
(お父さま……)
夢の中で会った、邪王が立っていた。その背からは粘ったような瘴気が立ち上っている。
夜の闇のような青黒いマントを肩に羽織り、艶のある、黒い織り模様の浮かんだチョッキに、濃紺のボウタイ。マントには、美しい、銀色の毛皮が施されている。
エヴァリードの父。
地上の王。
麗しい姿が、その内にある邪悪を飾りたてている。
ボリスは顔をしかめた。苦痛によって。
「捜したぞ、わが娘よ。やはり、この大陸にいたのだな。でかした。この父の望みを叶えてくれた。それでこそ、このエヴァロンの娘。エヴァリードよ」
「エルダ姫……!?」
将軍の表情に、憤怒がひらめく。
白い床石の上に降りたち、ボリスは叫ぶ。
「まて、ペトロフ! エヴァリードのせいではない! 僕のせいだ!」
人間の王の瞳に紅い光が宿り、ボリスを見下ろす。
「……また会ったな、天空の王子。愚かな、哀れな青年。呪いを解くどころか、わたしを呼び寄せてしまうとは。だが、礼をせねばな。おまえがエヴァリードの魔力を高めてくれた」
「なんのことだ!」
エヴァリードを背にかばい、剣を抜く。
邪王は朗らかに笑った。とはいえ、その声は闇を練ったように禍々しい。
「この子に、たっぷりと歌をうたわせていたのだろう。あれはな、歌えば歌うほど、魔力を増すのだ。つまり、呪いを解く力と拮抗するのだよ。おまえたちは呪いを解こうと躍起になっていたようだが、実はその反面、呪いを強めていたのだ。
愉快だな。
エヴァリード。おまえは知らなかったのか。歌うほどに魔力が増大化していくことに気づかずに、あれほどの花園を育てたのか?」
声もだせずに、エヴァリードは脱力した。
「そんな!」
叫んだのは、ボリスだった。
「なぜ、そこまでして! なぜ、そうまでしてエヴァリードを……!!」
高らかに、邪王は笑う。
「苦しみを抱いてこそ、邪悪の力は増大する。はねのける苦しみが大きければ大きいほど、はねのけた力の強さが増すからだ」
濃い闇夜色のマントを、ふわりと広げて、彼はボリスの前に踏み出た。まるで空人のように、宙を舞うように。
全員が、息をのんだ。
邪王の身体、全体から、忌まわしい魔力が波となって発散されている。それは見えない鞭のように彼らを打った。
エヴァリードと同じ瞳と髪の色であるのに、まるで燃え立つように、内に魔力の紅い光を包んでいる。
美しく、危険な光だ。
イワン王ですら、言葉を絶った。
以前は慈愛に満ちていた声が、いまは邪悪に滾る。
「この城に入る前に、国土はおおよそ見させていただいた。肥沃で、すばらしい大地だ。とても、空の高みにあるとは思えぬ。さぞや民人の手が厚いのだろう。
我が手に相応しい。この大地の崇高なほどの美しさを壊滅させたなら、さぞ素晴らしい光景となろう」
「そんなことはさせぬ!」
イワンの叫びが、聖堂内をうつ。しかし、人間の王は眉をかるく上げただけだった。
小さな、空気がかすれるような歌が、ボリスの腕の中で起こった。
「エヴァリード?」
黒い、小さな毛のかたまりが飛び出して、邪王とボリスたちの間で毅然と身構える。
「おや、マーロウ。我が下僕。エヴァリードの監視役でありながら、その友と成り下がった裏切り者よ」
「お父さま」
「……ほう」
邪王が目を細める。
ボリスは驚いて、腕の中のエヴァリードを見た。彼女は目を閉じ、身を硬くしている。何かに集中するように。
マーロウの口が開く。
それは、エヴァリードの声ではない。しかし、猫の声とも思えない。魔法の声は、マーロウに人間の声帯を与えたら、こうなるだろうという響きをしていた。
「お父さま。私にも、魔力をお与えになったことをお忘れですか。歌は、お父さまの耳にも届きます」
「だが、私の身体は私であり、私ではない。おまえの支配は片方にしか効かないぞ」
そう言いつつも、その声には警戒がある。
エヴァリードが操る、その声にない逡巡を、彼は明らかに見いだそうとしていた。
「そのとおりです。お父さま、あなたを封じるのには、あなた自身にしていただきます」
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