第14話 恐ろしい助言

「だが……まず、皆には説明しなくては」


 イワンの口から出た言葉に、ボリスとペトロフはぎくりとした。


「は……。しかし、お言葉を返すようですが、陛下。この件が公になると、陛下のお立場が損なわれかねません」


「私の立場など、皆の安全には代えられぬ。皆、それぞれが自衛する権利も義務もあるだろう」


「ですが、重ね重ねとなりますが、陛下おひとりの問題ではございません。殊にあのリジアという占術師の耳に入れば、またどんなたわけたことをわめき始めるか解ったものではないのです。殿下も侮辱されますでしょうし、人間の姫に至っては、お命が危険かと」


「それはボリスの考えも聞こう」


 父の視線に、ボリスは軽く頷いた。そのことはすでに考えていた。そして、答えも決めていた。


 ところが、ボリスが口を開こうとしたとき、壁のタペストリーが大きく揺れ、布が持ち上げられて、驚くべき人物が現れた。

 無言で歩み入ってきた彼女は、その胸に、本を抱えている。

 ペトロフ将軍がひげを揺らしながら、彼女に、太い人さし指を向けた。


「エルダ姫! あなたという方は、また、どういうところから」


(閣下。申し訳ないこととは存じております。お許しをいただこうとは思っておりません。けれど、どうしても今、おききとどけいただきたいことがございます。陛下)


「……聞かせなさい」


「待ってください、父上。エルダ!」


 ボリスはエルダが開いている『声読みの本』を右手で閉じさせ、彼女の肩を左手でつかんだ。


「何も心配するなと言ったろう。誰にも口出しはさせないと。だから、僕に任せてくれ」


 ボリスの目に浮かんだ悲しみは、それでもエルダの目にあるそれとは、どうしても並び立つことができない。彼女は命がけで彼を愛しており、彼はまだ、命の危機に気づいていなかった。


「殿下。お気持ちはこのペトロフにも解ります。しかし、今まで姫は幾度も我々にとって救いとなる話を授けてくださいました。まずは、お聞きしなくてはならないのでは?」


「……っ」


 冷静に述べられた正論に、ボリスは反駁できなかった。胸の痛みと不安をこらえ、エルダから手を離す。彼女はゆっくりと本のページをめくった。

 黄金の光が、指先からほとばしる。


(このままでは、父は魔物で組織した軍隊を空に放ちます。

 父の使い魔は、ある者の研究によってさまざまな体の改善措置をとられ、能力を伸ばしております。それは生来の能力をさらに高め、また生来は備わらなかった能力を付随させることまで可能とする、恐ろしいもの。詳しく申し上げれば、飛行能力をもつものには更なる速度と高度を与え、翼を持たぬものには翼を与えてしまう、そのようなものです。

 彼らが、いつ、天空城を発見するものか、私にも断言はできないのですが、それは遠い未来とは思えないのです。

 神の結界や虹水晶の結界の強力であることは、充分に存じております。けれど、だからこそ、父は念入りに、いくつもの策を携えてくるに違いありません。危険はすぐそこまで迫っているのです)


「使い魔の能力の改善措置ですと?」


 信じがたい、という響きのペトロフの声に、エルダは頷いた。


(信じられないと仰せになるのも当然です。けれど、陛下。陛下を襲った魔物の名は、おそらくゴドリク。ガイールという半身をもつ魔物です。そして、ゴドリクとガイールは、もとは一人の人間です)


「な……っ!?」


 エルダは瞬間、苦痛に耐えるように、目を閉じた。しかし、すぐにその目を開き、凛とした表情で語りだした。


 病気の娘を救うべく、父親が各国、各地から呼び寄せた、名のある医師や医学者たち。その一人が、ガルディーゴ・メドリーだった。


 若いが優秀で、特に手術と薬品にかけては群を抜いていた。彼は医学に対する情熱を、どちらかといえば研究に注いでおり、実際に患者とともに病と戦うには、少しばかり気弱すぎた。

 しかし、彼は誰もがさじを投げた娘の病を治すことには、最後まで立ち向かった。


(父が医学を見放し、魔術に心酔していっても、彼だけは、まだ医学の可能性を信じたのです。やがて私は昏睡状態となり、それから生還しました。そのあいだに彼と父のあいだに何があったのかは知りようもないことです。けれど、私が目覚めた、そのときには、もう彼は人ではなくなっていました)


 父親は娘のために魔物と契約し、魔力を手に入れた。そんな彼に、ガルディーゴは最初の魔術の実験台にされたのだった。彼の肉は裂け、心はこなごなとなり、やがて、それを巣にして魔物の卵が産みつけられた。


(孵化した魔物の子は、ふたつを除いてすべてが死に絶えたのだそうです。ガルディーゴの肉体を取り合う戦いの中で。そして、残ったのはゴドリクとガイールでした。そのとき、まだ彼は、生きていたのです……!)


 分裂した体と心。けれど、そこには、まだ人間としての感情が残っていた。

 恐怖と悲壮。絶え間ない激痛とおぞましさ。そして、憎悪。


(最期の晩、彼は私に言いました。「ここから逃げろ」と。ここに留まれば、いずれ恐ろしい死が待っているだけだと。それから、「人の心があるなら、おまえの父親を殺さなくてはならない。もし生かしておけば、犠牲となるのは世界中の生きものすべてだ」ともいいました。私には、何も答えられなかった。彼の姿を見たことで衝撃を受けていて、彼の言葉を聞きとるだけで精一杯だったのです)


 人間の姿を失ったガルディーゴの唇だった場所から、恐ろしい質問が落ちてきた。


「姫、おまえは父を殺せるか?」


「いいえ、いいえ、できません!」


 恐怖に叫んだ彼女に、人としての最期の心が囁いた。


「こんなことを教えるのは、残酷だろう。けれど知らないままでは、おまえにも魂の危険が迫る。おれと同じ魔道に墜とされることにもなりかねない。だから聞くんだ」


(彼は私に、親殺しの罪を犯さずに父を滅ぼす方法を教えてくれました。それから城から逃げる方法も授けてくださったのです。もう自分自身は後戻りができないと知っていて、私には逃げる術を与えてくれたのです。でも私は、その教えに、すぐに従えなかった。そうしているうちに、父は私に呪いをかけたのです。けれど、いまこそ彼の気持ちに報いるためにも、この世界に生きるものすべてを護るためにも、私は、父を止めなくてはなりません。それが私に課せられた義務でもあるのです。なんとしても、果たさなければ、私は父のために死んでいった大勢の命に申し訳が立たないのです。

 お願いです。私を、原始の大陸でも無統制地帯でも構いません。行かせてほしいのです。これ以上、私はここに留まることはできません)


 エルダは、ボリスのほうにちらりとも目を向けなかった。ただずっと、ペトロフのみに顔を向け、懇願している。その様子を、イワンも黙って見ていた。彼は息子とよく似ている。エルダの心を引き裂くように痛める姿。それを理解し、将軍は正直なところ、頭を抱える思いだった。


(私がどうなるかもわかれば、皆様に安心していただくこともできるでしょう。陛下、どうか、城外に……いいえ、国外に出る許可をくださいませ)


 ボリスがたまりかね、立ち上がった。そのまま彼は駆けだすと、部屋から出て行ってしまった。しかし、誰も彼を止めなかった。

 イワンは暫く黙ったまま、エルダの顔を凝視していた。


「……姫」


 ようやく開いた口から出た言葉は、今までに彼女が聞いた国王のどの声よりも低い音程をしていた。


「ひとりで行かれるか」


 エルダはかすかな微笑を浮かべた。


(いいえ。どこまでも私と一緒に来てくれるものが、たった一人だけ、おりますわ。彼女は私に、何もかもくださいますの。けれど、命まで私にくれようとするのは……止めることができたならと、思わずにはいられません)

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