ひかりの渚

 どこまでも、どこまでも白い砂浜。

 日射しが、真上から渚を照らしている。

 少年と、少女。

 青ざめて見えるほどに白い肌、光に透ける細い髪、海を映した色の瞳。そっくり同じ姿で、砂の上でひざをかかえている。

「ねえ、フロル」

「何だい、アデル」

 まっすぐに前を向いたまま、少女が口を開いた。隣りに座る少年も、遠くを見つめながら応える。

「きれいね。海も、空も、砂浜も」

「ああ。すごくきれいだ」

「まっしろ。輝いてる」

「まぶしいくらいにね」

「どれだけ見ていても、本当にきれい」

「うん。永遠に、ながめていても」

 そこで、会話が途切れた。

 沈黙が、訪れる。辺りは一面しんとして、何の音も聞こえてこない。空虚なくらいに明るい日の光だけが、砂浜を満たしている。

「――静かね」

 再び、アデルが口を開いた。フロルもそれにあいづちをうつ。

「そうだね」

「世界中の音が、全部消えてしまったみたい」

「うん。何も、聞こえない」

「まるで、世界中に私とフロルしかいないみたいだわ」

 アデルのその言葉に、フロルは何とも形容のしがたい、複雑な表情を浮かべた。

「……それは、正しくはないけど、

 それほど間違ってもいないんじゃないかな」


 彼らの目の前には、海。

 ふたりの足元を浸してはひいていく透明な水は、やがてアクアマリンの色を帯び、遠い遠いどこかへと去っていく。その果てに何があるのか、海と空とが重なるところは白い光にまぎれて、はっきりとは見えない。

「フロルは考えたことある? 『この海の向こうは、どんなところなのかしら』って」

 アデルの問いに、諭すようにフロルは答えた。

「何度も行ってるじゃないか。僕もアデルも」

 アデルはわずかに視線をすべらせて、目の端でフロルを見る。唇には、かすかな笑み。

「〝向こう側〟、まではね。

 私が言っているのは、その、もっと向こうよ」

 それくらいのことは、わかっていた。だがフロルは、静かに首を振る。

「――僕らには、入れないところだよ」

「……わかってる」

 そう言って、アデルは海に目を戻す。鏡のように凪いだ水面は、日の光を浴びてさらさらと輝く。永遠に描かれつづける縞模様。二度と同じ姿を見せることのないそれは、まるで万華鏡のようだ。

「ねえ、フロル。覚えてる?」

「何を?」

「グロリアのことよ」

「もちろん」

 フロルはうなずいた。「僕らが連れていったんだもの。海の向こうへ」

「あのときが、最後だったのよね」

「ああ」

 アデルの瞳が、思い出を語る者のようにかすかに上を向いた。光る空の中に、過ぎ去った時間を求める。

「グロリアは、もう淋しくないかしら」

「きっとね」

「みんな、グロリアを連れていくのをすごく嫌がっていたわ」

「仕方がないさ。でも、それが僕らの仕事だ」

 そう、それがアデルとフロルの仕事だった。ずっと、彼らの仕事だった。ふたりと同じ仕事をする者は、彼らのほかにもたくさんいた。

「他のみんなは、どうしているのかな」

「僕らと一緒だよ。ずっと、待っているのさ」

「真昼の浜辺で?」

「そう。真昼の浜辺で」

 どこまでも、どこまでも白い砂浜。ふたりの背の翼よりも、白い白い光。

アデルの声が、静かに、響く。

「待ってたって、もう連れていく相手はひとりもいないのに?」


「グロリアは、たったの五歳だったのよ」

「お母さんが死んで、誰もいなくなって、ひとりでふるえてたんだ」

 廃墟すら残っていない、失われた街。全てが砂と化して崩れ落ち、降り積もった砂漠の中で、うずくまっていたひとりの少女。

「まだ何もわかってはいなかった」

「そのほうがよかったさ。自分が、この星で最後の人間だなんて、知らないほうがいい」

 きらきらと、光る渚で。

 フーガのように、ふたりの言葉は互いを受けてつらなっていく。

「私たちはみんな、見ていることしかできなかった」

「彼女がだんだんやせおとろえていくのを。一歩も動けなくなっていくのを」

「〝その日〟が来るのを、待っていることしかできなかったの」

「真昼の浜辺でね」

「誰も、彼女を迎えに行くことができなかった」

「認めるのが怖かったから。自分の手で、終わりにしてしまうのが怖かったから」

「だから、ふたりで行ったのよね」

「ああ。僕と、アデルと」

 そこで、アデルが一拍間を置いた。

「浜辺で、グロリアと遊んだわ」

 真昼の浜辺。

 この星のどこかにあるようでいて、しかしどこにも存在しない、そんな砂浜。

 全てが失われる前の、最後のひととき。

「砂山をつくったり、貝を拾ったりしたんだ」

「笑うと、とてもかわいい子だった」

「その子を、僕らが連れて行ったんだ。海の向こうへ」

 もう、戻っては来ない。

 二度と。何もかも。

「……グロリアは、もう淋しくないかしら」

「きっとね」

 淋しいのは、きっと、グロリアではなく――


「……あれから、どのくらい経ったのかしら」

「わからないよ。だって、どうやって数えればいい?」

 アデルの問いに、苛立つようにフロルがつぶやく。

「僕らは人間のように歳をとることもないし、死も存在しない。ただずっと、真昼の浜辺にい続けるしか、ないんだ。この星に、もう誰もいなくなっても。僕らの仕事も、い続ける意味もなくなってしまっても。永遠にね」

「永遠、ね……」

 揺れる瞳で、アデルは皮肉げに笑った。

「〝永遠〟って、何?」

 声に、涙をにじませながら。

「ねえ、永遠って何? 教えてよ、フロル」

 フロルは答えなかった。答えられなかった。

 静かに、時は過ぎていく。ゆるやかに、しかし休むことなく。

 果てしなく落ち続ける、無意味な時計の砂。終わらせることは、誰にもできない。たとえ、それがどんなにうつろなものでも……。

 その中に取り残された者は、どうすればいい?


 永遠とは、終わりのないこと。終わりのない会話。終わりのない時。

 光る空と、海と、浜辺の中で、ふたりは語り続ける。

「……変わらないのね。この景色は」

 アデルがつぶやく。ふっと、気づいたかのように。

「変わらない。グロリアがまだいた頃から。もっとずっと、前から。変わらないの」

「僕たちと、一緒だよ」

 そう言って、笑う。何を? 自分を。

 ――取り残された、者たち。

 目を上げて、遠くを見て、アデルがつぶやく。

「何てきれいなんだろうって、ずっと思っていたわ。

 今もよ。こんなに同じままだなんて、思わなかった……」

 ――そこは、永遠に真昼の浜辺。

 泣きたいくらいにまばゆい光がふたりを真上から照らし、全てのものを白く輝かせる。

「……きれいね。空も、海も、浜辺も」

「ああ。すごくきれいだ――」



〈了〉

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【掌編集】タイムトラベラー 他 卯月 @auduki

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