夜空の向こう

 星が、きれいだ。

 僕がそう呟くと、蘇芳すおうは冷たく笑った。

「きれいなものか。あんなの、全部ニセモノなんだぜ」

「それくらい僕だって知ってるよ」

 水をさされて、ぶっきらぼうに言い返す。

「そう思うんなら、家に帰ればいいじゃないか」

群青ぐんじょうにつきあってやってるんだよ」

 そう言うと、蘇芳は上に目を戻した。何だ、結局は蘇芳も見たいんじゃないか。

 指摘してやろうかと思ったけれど、どうせ蘇芳が素直に認めっこないのはわかっていたので、僕もだまってもう一度夜空を仰いだ。シリウス、プロキオン、ベテルギウス。きれいな三角形。Milky Wayをまたぐように、輝いている。

 今日は、〈冬の夜空〉の番組プログラムの最終日だ。明日になれば、今見ている星々は姿を消して、〈春の夜空〉に切り替えられてしまう。

「〈冬の夜空〉とも、しばらくお別れだね。僕、一番好きなんだけどなあ」

「だったら、一年中〈冬の夜空〉にしてもらえばいいじゃないか」

「それは違うよ。冬じゃなきゃ、〈冬の夜空〉の意味がないだろう」

「〈冬〉って言ったって、〈外〉の話だぜ。この中では関係ないさ」

「それはそうだけど……」

 僕たちの街は、密閉された半球ドームの中にある。だから、ホンモノの空を見たことは一度もない。〈夜〉の長さは四つの季節シーズンによって決められていて、それぞれの番組に従った〈夜空〉が銀幕スクリーンに投影される。三ヶ月間代わり映えのしない〈夜空〉に、大抵の人は飽きて見上げるのをやめてしまう。

 今も、校舎の屋上にいるのは僕と蘇芳のふたりだけだった。飽きもせず〈夜空〉を見ようと誘う僕に、毎回けなすようなことを言いながらも、なぜか必ず蘇芳は一緒に来る。

「じゃあ、蘇芳は何で〈夜空〉を見にくるのさ」

 前からふしぎに思っていたことを訊くと、蘇芳は上を見たまま、逆に訊き返してきた。

「群青は、〈外〉のことを何か知ってるか?」

「〈外〉?」

 僕は首を振る。「ううん。学校で習ったことくらいだよ」

 授業で見せられた映画フィルムを、頭に思い浮かべる。OUTER WORLD。確かそんなタイトルだった。歴史の授業の一環なのだけれど、ほとんどの生徒には人気がない。

「変な色の〝雲〟ってモノが空を埋めつくしていて、昼でも〈外〉は真っ暗なんだろ。半球の中と違って、寒いらしいし」

 半球の中では、気温はMOTHERによって制御コントロールされていて、四つの季節ごとに上がったり下がったりする。〈外〉は中にくらべてかなり気温が低いらしいのだけれど、それでも一年のうちに他の時よりは暑かったり寒かったりする期間があって、中の季節はそれに合わせているのだという。

「ほんとうの〝夜空〟は、その〝雲〟の向こうにあるんだ。でも、僕たちはそれを見ることができない」

 だから僕は、ニセモノだとわかっていても、〈夜空〉をながめてしまうのだ。ほんとうの夜空を、想像しながら。

 シリウス、プロキオン、ベテルギウス。僕らが今見ている番組のもとになっている夜空は、僕らが生まれるよりもずっとずっと前のものだ。今も、同じように星はそこで光っているのだろうか? 僕にはわからない。

 誰にも、わからない。

「……じゃあその〝夜空〟の向こうには、何があると思う?」

「え?」

 僕は驚いて訊き返した。〝夜空〟の、その向こう? でも、蘇芳も別に、僕の返事を期待していたわけじゃないらしい。

図書館ライブラリーで、古い映画を見つけたんだ」

 上を見たまま、蘇芳は続けた。

「年代物だぜ。今のと規格フォーマットが全然違うんで、見るのに苦労した。DVDとかいう奴だったな。まだ半球なんかなくて、みんなが〈外〉で暮らしていた頃のだ」

「〈外〉で? だって、寒くてとても人の住めるところじゃないんだろう」

「ばか。その頃は〝雲〟もなくて、半球 の中と同じくらい暖かかったんだよ。もちろん、ほんとうの夜空も見ることができた。だからその頃の人は、あの夜空の向こうには何があるんだろう、って思ったんだ。ちょうど僕が、半球の外には何があるんだろう、って考えるみたいに」

 蘇芳のとび色の瞳は、半球の中の〈夜空〉ではなく、もっと遠くを見つめていた。

 そうか、だから蘇芳は僕と一緒に来るんだ。半球の銀幕に映し出された〈夜空〉の向こう、ほんとうの夜空のもっと向こうを見るために。

「――〈外〉に、行きたいの? 蘇芳」

「無理なのはわかってるさ。でも僕は、知りたいんだ。僕のいるこの世界が、どんなふうにできているのか。こんな狭い半球の中だけじゃなくて、全部」

 そう言うと蘇芳は、〈夜空〉を指さした。

「見ろよ、群青。あれはただの光の点だけど、ほんとうのあの星のまわりには、僕たちがいるこの地球アースみたいな惑星がまわっているかもしれないんだぜ。あの星にも、あの星にもだ。その中には、僕たちみたいな子供がいて、やっぱり『夜空の向こうには何があるんだろう』って、話しているかもしれないんだ」

 僕たちが見ているのは、銀幕に貼りついたニセモノの星だ。でもほんとうの星は、それぞれものすごく離れたところにある、ひとつの世界だということは、僕も何かで見たことがある。でも、そのことをそんなふうに想像したことはなかった。

「……すごいね、何か」

 僕は、圧倒されていた。夜空の向こう、どこか別の地球。そこにも、僕や蘇芳のような子供たちがいるのだろうか? 僕らと同じように、夜空を見上げて。

「それだけじゃない。星はいっぱい集まって、銀河というものになる。それがいっぱい集まると、銀河団。そういうの全部を合わせて、宇宙って言うんだって。映画で言ってた。その中に、僕らはいるんだ」

 銀河、銀河団、宇宙? 話が大きすぎて、僕には全然見当がつかなかった。

 でも、そんなことを一生懸命に話す蘇芳は、何だかいつもと違って見えた。

「――僕も、見たいな。その映画」

「じゃあさ、明日授業が終わったら、図書館に行こうぜ。約束だ」

「うん。約束」

 そう言って、僕と蘇芳は笑いあった。

 宇宙という、世界の中で。

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